とある百人隊の壊滅

 状況は最悪だ、何せ朝から薄い粥ですら食えていない状況に陥っている。輜重部隊から連絡が途絶していた。

 戦線の後方に配置される輜重部隊は、当然のことながら攻撃を受ける可能性は低い。魔王軍に対し前哨線を密に配置した現状の布陣であれば尚のこと。

 

 だが輜重に何度飯の催促を送っても飯が届くどころか、なしのつぶてもなし。

輜重の連中が反乱を起こしたという噂すら出た。


 最前線で魔王軍との前哨を命じられた百人隊は完全に飢餓状態に陥っていた。

 ただでさえ日ごろの食事に欠いていた、だから一日断食しただけで効果は覿面だった。

 兵士は方陣を組む体力すら欠いている、そして今は珍しく二つの月が同時に新月になる夜。従って兵士達は夜間立哨もままならなかった。

 これが運命の分かれ道となった。


 信じられないことにその百人隊は少数のゴブリンによって包囲殲滅されようとしている。

「方陣だ、方陣を組め!」

 百人隊隊長のむなしい叫びがこだまする、その間にもゴブリンによる投石は続く。

 投石と言っても布を巻き付け、回転させ投擲した代物である、その威力は致命的だ。

 鎧を身に着ける体力も失った兵士たちはこぶし大の石によって簡単に斃れる。

 百人隊が半分以下の数のゴブリンによって殲滅される、今までにない事態だ。


「本営より魔導文到着! 現在騎兵が援護のために移動中! 」

 魔導士が叫ぶ、が騎兵到着までこの部隊が持つかどうかは不明だ。否、楽観主義者であっても彼らの命運については懐疑的になるであろう。

 兵士たちは方陣を組むどころか、寝間着姿のまま地面に伏せ投石を避けるのみである。

 またある者は木の陰に隠れている、もうこの部隊に戦闘能力はない。


「クソ、騎兵隊到着まで現状を維持せ……」

 遂に隊長が投石に斃れる、顔面が打ち砕かれていた。

 彼が必死に部下の士気を高めんと一人雄々しく立ち上がっていたのが運命を決した。

 肝心の指揮能力がないのは最早明らかである。


 ゴブリンの包囲網が狭まる、ついに白兵戦が始まる。方陣を組んだ槍兵はゴブリンに対し無類の強さを誇る。

 前列が短槍を突き刺し、後列が上から長槍でたたき切る。

 体躯の小さなゴブリンには剣よりも刃渡りの長い槍で距離を取りつつ殲滅するほうが安全なのだ。

 剣戟でゴブリンと戦うのは、一度攻撃を躱されると二の剣が間に合わない。槍衾が最も効果的な策であった。


 だが、槍の有効性はあくまで陣形をとれている場合に限られる。一対一の白兵戦では槍はリーチが長すぎ、小さいゴブリンを狙いきれない。

 その上、この部隊は農兵であり、戦闘訓練もまともに受けていなかった。

 そして月の無い夜で視界が悪いのも悪影響をもたらした。


 農兵たちは散開した状態で槍を突き出すも、いずれも外れる。一撃を外したことをゴブリン達は見逃さない。

 農兵はゴブリンに肉薄され棍棒で頭をたたき割られる。


 その光景はもはや虐殺だった、かつてゴブリンが人間にここまで優位にたったことはない。

 小さいゴブリンは闇を使い自在に動き回る。槍を躱し、頭をたたき割る。


 ゴブリンと農兵の数が同数に近づくとさらに状況は悲惨になる。囮のゴブリンが槍を躱し、背後から迫るもう一体が頭をかち割る。

 二対一では勝ち目はなかった、指数関数的に農兵が斃れる。

 騎兵が到着した頃にはすでに百人からなる部隊は文字通りの「全滅」だった。


「なんてこった」

 斃れた兵士たちを前に若い騎兵が誰となくつぶやく。騎兵が到着した時、すでに百人隊は壊滅していた。 

 大打撃を受けたのは今日のところ二件目なのだ。前線から離れていたはずの後方輜重隊が襲撃された。


 輜重兵ということもあり防衛能力は欠いていた。それに前線から離れているという安心感、否慢心もあった。

 それが致命傷となった、輜重兵の半数がやられ、魔導士は防御のために魔導を使ったせいで転移魔導が使えぬほど消耗した。

 忌々しいことにゴブリンは鍋釜を破壊し、スミナの蓄えに火をつけた。


 王都からの物的補給はあるとはいえ、輜重兵の替えはすぐにとどかない。

 輜重には経験則が必要となる。どの部隊にどれだけ物資を送ればいいのか、それがわからなければ上手く戦場は廻らない。

 これが全面した百人隊が飢餓状態に陥った原因である。輜重部隊攻撃の後、補給は完全に途絶えた。

 通信も錯綜し前線までその情報が届かなかった。

 この飢餓と情報の錯綜がゴブリンの絶対的優位を生み出し、百人隊を殲滅させた。

 尤も、輜重兵壊滅の情報があったところで百人隊を救えたかどうかは不明である。


 ※


「この状況をどうみる」

 グンズ家副領主にして対魔王軍総司令、アビルがジュビネに問う。

 深夜にも関わらず、本営の天幕には灯りが灯っている。

「今まで連中は目の前の敵を倒すしか脳がなかった、だがここで転換した」

 ジュビネはアノン家より派遣された軍団長であり、本営の副指令である。今日は一人娘ジュセリへ手紙を書いていたところを呼び出された。


「やはり、そうみるか。魔王軍は的確にこちらの弱点を突いてきている。当然聞いているだろうが、貴君の領地へもゴブリンが進出している。異界人がゴブリンを殲滅したとも」

 アビルは寝かけたところを起こされたためか、無精ひげや疲労が目立つ。

「ここのところの動きはやはりなんらかの戦術眼が生まれたものだと考えていいだろう、輜重兵への攻撃に対しては重装歩兵を張り付ければいいのだが……」

「浸透、進出に関しては今晩のような包囲殲滅だけが目的ではあるまい。異界人は例のアノン家領に侵入したゴブリンを長距離偵察が目的だと判断したらしい」

 ジュビネは縦に巻いた髪を指で弄ぶ。


「長距離偵察か、その目的は」

 夜食を持ってきた従卒を下げさせアビルが問う。

「もしかしたら大勅令、異界人そのものかもしれない」

「だとすれば、だ。今まで通りのゴブリン攻めでは効かなくなる」

「おそらく対反乱領主用の鎮圧作戦案の方が効果的やも知れぬな」

 ジュビネは髪を弄ぶのを止め、地図を睨む。


 これまで魔王軍は指揮統制は取れていても、戦略、戦術眼に欠いていると評しても間違いはない程度の能力しかなかった。

 その所為で対魔王軍司令部は単純な作戦立案をし、また今回のように弱点を暴露していた。


「いや、それは早計というものだろう。敵は魔王、人間と同じ思考とは限らん」

 アビルもまた地図を睨む。

「では、少なくとも前哨線を引き下げ、これを密とし、ゴブリンの侵入を防ぐ。まずはこれでいかがか」

「そうだな、それしかあるまい」


 作戦会議は終了した、がこれからが問題である。

 輜重の穴埋め、それまで飢えで苦しむ部隊を同時に動かし、戦線を下げねばならない。

 幕僚二人が寝床へと向かい始めると同時に本営の脇にある指令所はにわかに活気づき始めた。

 長い夜が、その半ばを終えようとしている

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