第146話

「口で言うのは簡単だが、一人の人間を、一生かけて守っていくというのは容易なことじゃない。それは君も、よく分かっているだろうね」


「はい。覚悟はできています」


誠実な眼差しで返答すると、しばらくあって、門田は表情を緩めた。


「……そうか。その言葉が聞きたかった」


「ちょっと待って、高遠」


由衣はようやく口を挟んだ。


「私、そんなの聞いてない」


「仕方ないだろ。今決めたんだから」


超然とした態度で高遠はコーヒーをすする。


「今って何?私の意志も確認せずに、勝手なことしないでよ」


「ごめんごめん。悪かったって。順番逆だったな。じゃ、改めて言うわ。結婚しよう」


ソファーの上で向き合い、両手をとって高遠は言った。


まるで冗談のような展開に、由衣は呆れたようにこめかみに手を当てた。


「こんなムードのないプロポーズ、聞いたことないよ……」


「由衣さんは、仕事はどうするつもりかな」


門田は何事もなかったかのように話を軌道修正した。


「お店は……しばらくお休みしてるの」


由衣は口ごもった。


――そうか。ニュースのことは知らないんだな。


高遠は察し、店が襲撃されたことは黙っておくことにした。


「今すぐ働かなくても少しは蓄えがあるし、これを機会に彼女に仕事を辞めてもらうのもいいんじゃないかと思っています」


「また勝手なこと言って。自分だって、お店クビになったんでしょー?そんなのん気なこと言ってる余裕あるの?」


薔子はふてくされた表情で唇を尖らせる。


「店、辞めたのかい」


心配そうに門田に尋ねられて、高遠は首を振った。


「もともと他店の人から声をかけられてて、迷ってたんですよ。海外留学制度とかもあって、うちよりも学べることが多いなと思って。だから、潮時だったってだけです」


嘘ではないが、かなり誇張して高遠は話した。


別の店に移ることを考えていたのは本当だ。


キャリアを拡大させるためにも、転職を視野に動いていた。


ただ、転職の時期については二、三年先だと思っていたし、希望の職場から引き抜きのオファーがあったわけでもない。


これからは、まるっきりゼロからのスタートだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る