第120話 ※薔子視点

抵抗したらこうなるんだ。由衣は悟った。


自分が逃げようなんて言い出さなければ、芽衣はこんな目に遭わずにすんだのに。


「ごめんね……芽衣」


家に帰り、額に包帯を巻きながら布団に横になっている妹に、由衣は震える声で謝った。


芽衣は由衣の小さな手を握りしめて首を振った。


「お姉ちゃん、大好き」


涙がこぼれた。


「いつかこの家を出よう、二人で」


由衣は言った。


囚われの身を嘆くだけの母を、置き去りにする覚悟は決まっていた。


芽衣は頷き、涙のたまった目で小指を差し出した。


二人の約束が固く結ばれた後、芽衣は眠りにつき、起きたら前日の記憶のほぼ全てを失っていた。


頭が痛い、何でと騒ぐ妹を由衣は信じられない思いで見つめていたが、忘れたいのなら忘れさせてあげようという気持ちのほうが強かった。


それほどまでに、芽衣の心の傷は深かったのだと。


家に帰るとまず忍び足で玄関から入り、父がいないか確かめる。


いないとほっと息をつき、宿題をして洗濯を取り入れ、晩ご飯の支度をする。


いるならランドセルを背負ったまま公園や図書館に行き、時間を潰す。


そうこうしている間に夜が来て、父は酔い潰れて眠る。


その頃合いを見計らって家に帰る。そういう日々が続いていた。


なのに、どうしてこんなことになったのか。


狭い部屋で芽衣と布団を並べて眠っていた夜更け、不快感を催して目を覚ました由衣は、自分の胸や陰部を触る手に気づいて悲鳴を上げた。


すぐに口を手で覆われ、暗闇の中、手足をばたつかせる。


人影が父だと分かったのは、磨りガラスの窓から差す車のヘッドライトが、一瞬その横顔を照らし出したからだった。


悪夢だと由衣は思った。今自分は、怖ろしい夢を見ているのだと。


しかしこれは紛れもない現実で、夢のようにいつか終わりが来るわけもなく、恐ろしさと屈辱に耐える時間は永遠のように長かった。


朝が来ると、父は何事もなかったように寝床にいた。


由衣は逃げるように学校に行った。


生ぬるい感触が全身に残っていて、熱に浮かされたように気持ち悪く、吐き気がした。

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