第171話 ※薔子視点

暁が歯科医になった理由は、養い親の意向があってのことだけではない。


治療用の椅子に固定され、身動きがとれなくなった患者の格好や、無理やり口を開かされた苦しそうな顔、痛みに歪む表情を見ることに、たまらない快感を覚えるためだ。


何度も同じ体勢で椅子に拘束され、口の中に水を流し込まれたから知っている。


吐き気を催しながら由衣は再度告げた。


「芽衣を返して」


「そんなつまらないことを言うために、ここに来たんじゃないだろう?ねえ、由衣」


びっくりするほど甘く柔らかい声、心をどろどろにとろかすような微笑みで暁は告げる。


これは演技ではなく、本心からのものだ。


暁にとっての自分は、いまだに可愛い愛玩動物であるということを、由衣はよく承知していた。


「聞こえるよ。お前の子宮がきゅうきゅう鳴いてる。僕の精子が欲しい、欲しいって」


暁は由衣の全身を上から下まで眺め回し、下腹部に熱い視線を注いでいる。


真紅のドレスに白い肌がひと際映え、豊かな黒髪は結わずにおろしている。


化粧は軽く口紅を引いたくらいだが、怒りに紅潮した頬と決意した瞳が相まって、凄絶な美しさがあった。


由衣は溜息をつくと、


「分かった。……どうしたらいい?」


両手を上げ、部屋のドアのところに立っている暁のほうへ歩み寄った。


暁は満足げに喉を鳴らして笑う。


「そこに跪いて」


言われたとおり、大人しく由衣はその場に膝をついた。


その美しい顔を、暁は靴を脱いで靴下を履いた状態の足で丹念に踏みつける。


額、眉、目尻、頬、鼻、唇と、足先でなぞるようにして一つ一つのパーツを確認するように力を込めて踏んでいく。


そのたびに、ぐにゃりと曲がる由衣の顔、苦しく寄せられた眉に刻まれた皺を確かめながら、顔面の踏みつけは五分以上にわたって無言で行われた。


足の指の嫌な感触と匂いと圧迫する痛みに顔をしかめながら、由衣は屈辱的な苦行に耐え抜いた。


この程度のぬるい遊び、暁にとっては余技にすぎない。


彼の変態性癖を満たすためには、それこそ何年もの歳月を使ってあらゆる行為をやり尽くさねばならない。


やりたいことを全てするために作られた彼のためだけの城、それがこの建物の本質だった。


「これでおしまい?」


膝をついたままの状態で、餌を待つ猫のように由衣は暁を見上げる。


暁は傍らにあった椅子に腰かけると、口の端を持ち上げた。


「やっぱり変わってないね、由衣は。僕をここまで喜ばせることができるのはお前だけだよ」


賛辞がこれほど侮辱的に響く瞬間も、そうはあるまい。


そもそも彼の愛の定義は他人と違うのだから、受け入れるか逃げ出すよりほかはない。


ほとんどの人間は逃げ出した。だが家族は逃げられなかった。


だから彼の義兄は、十四歳で死ぬ羽目になったのだ。

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