第174話 ※芽衣視点
***芽衣視点***
涙にむせび、泣き続ける姉の胸の中で、芽衣は遠い記憶が蘇ってくるのを感じていた。
『ごめんね……芽衣』
縫合したばかりの頭の傷、その上に何重にも巻かれた包帯を見つめて姉が告げる。
泣きながら何度も頭を下げる。
――お姉ちゃん、泣かないで。
――お姉ちゃんが泣いてるの見るの、自分が泣くより辛いんだ。
――だから、お願い。笑っててよ……。
寒い日のことだった。自分は七歳だった。
血をたくさん流したせいか、手足が冷たくて顔は青ざめ、唇は震えていた。
『お姉ちゃん、大好き』
記憶が一気に脳を逆流してきて、芽衣は覚醒した。
とっさに額の傷に手をやる。
あのとき縫合した痕が、そこには今も残っている。
事故ではない。階段から足を踏み外して落ちたのでもない。
これは、この傷は――お父さんに殴られてついた傷。
ほかの誰でもない。鬼は、私のお父さんだったんだ。
「お姉ちゃん……」
目の前に由衣がいる。助けに来てくれたのだ。
ようやく我に返った芽衣は、姉の体を抱き締めた。
強くて優しくて美しく、子どものころから決して人前で泣かなかった姉が、自分の前だけで見せた涙。
いつだって姉は自分を守るために戦い、傷ついて泣いていたのだ。
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……」
断片的な記憶が花弁のように宙を舞う。
閉じ込めて蓋をし、鍵をかけて心の奥底に封じ込めていた本当の記憶。
矛盾が生じるたび、無理やり自分の中で辻褄を合わせて真実を歪めてきた。
そうでもしなければ、今まで生きてこられなかった。
――私の家は、幸せな家庭なんかじゃなかった。
――お父さんは鬼で、お母さんはそれを止められなかった。
――守ってくれたのは、お姉ちゃんだけ。
――お姉ちゃんがお父さんを殺したのは、自分のためじゃない。
――きっと全部、全部私のため……。
温もりと鼓動の中で、芽衣はこの上ない安心感に包まれて目を閉じる。
「お姉ちゃん……」
――もう大丈夫。
――お姉ちゃんが来てくれたから、もう何も怖くない。
その瞬間、ぱんと乾いた音がして、由衣の体が前に傾いた。
由衣の首をかすめた銃弾は、芽衣の顔の横を通って壁にめり込んだ。
撃ったのは、ドアの脇に立っている桐生暁だった。
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