第176話 ※芽衣視点
結束バンドをはめようとした手を振り払い、そのはずみで芽衣はベッドから転がり落ちた。
久しぶりに自分の足で立ったせいか、体がふらつき、床がふわふわする。
バスタオルを手に逃げ出した芽衣を目がけて、何の躊躇いもなく暁が銃を撃つ。
恐怖に心臓が凍りついたけれど、弾は逸れて壁に当たったようだ。
芽衣に怪我はなかった。
全てがスローモーションのように遅く、もどかしく感じられた。
扉を出るまでの数歩のことが、引き延ばされて永遠のように思えた。
廊下を走りながら、芽衣は絶望に打ちひしがれていた。
水の中にでもいるように体が重く、全然足が動かない。
頭がくらくらするし、目が回る。
ほとんど何も食べていないし、変な薬を飲まされたせいだ。
このままでは、すぐに追いつかれてしまうだろう。
そして殺されるか、それより酷い目に遭わされる。
それでも、何もしないわけにはいかなかった。
生き延びるために、ありったけの力を振り絞らねばならない。
角を曲がって裸足で階段を駆けおり、玄関に向かって突進する。
願いどおりに扉の鍵は開いていた。
取っ手をつかんだ瞬間、激烈な痛みが右肩を貫いた。
「うっ……!」
芽衣は床に倒れ込み、体を丸めて悶絶した。
痛い。
体中の血が右肩に集まり、とっさに押さえた手が血で濡れる。
弾が貫通したのか、かすっただけなのか、それすら分からなかった。
ゆっくりと暁が近づいてくる。
その足音を聞きながら、芋虫のような体勢で、這うようにして芽衣は玄関を出た。
深閑とした森と、整備された細い道が広がっている。人の姿はない。
立ち上がろうとすると激痛が走り、芽衣は痛みにうずくまった。
藪に顔を突っ込み、あまりの痛みに吐く。目の前を蚊が小うるさく飛び交う。
痛すぎて吐いても吐き気がとまらず、胃が激しく痙攣している。
もう駄目だ――芽衣は諦めて目を閉じ、体の力を抜いた。
足音は一歩ずつこちらに近づいてくる。
だが、かけられた声は暁のものとは違っていた。
「芽衣ちゃん」
暗く狭まっていく視界の中で、芽衣が捉えたのは、確かに小村高遠の姿だった。
「ど……」
どうしてと言いたいのに、唇が動かない。
ただ浅く速くなっていく呼吸だけが、生命の危機を報せていた。
「あいつはもう死んだよ」
高遠はそう言い、持っていたタオルで芽衣の肩をきつく縛り上げた。
「救急車がすぐ来る。もう少しだから頑張れ」
いつもの優しい、落ちついた表情で高遠は言った。
――高遠さん。お姉ちゃんが……。
意識を失うまいと必死で、だが喋ることもできず芽衣は目で訴える。
――お姉ちゃんが……。
「分かってる」
高遠は頷き、芽衣の上体を少しだけ持ち上げて支えている。
この体勢が一番呼吸がしやすかった。
激しい痛みは続いていたが、流れ出す血の勢いは徐々におさまりつつあった。
遠くから、救急車とパトカーのサイレンが重なり合って聞こえてくる。
もう何も言わなくていいよと高遠は呟き、芽衣はその手を握り締めたまま緩やかに気を失った。
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