エピローグ
第177話 ※芽衣視点
やらなければならないことがたくさんあった。
でも、どれもやる気が起きずに放置していたら、周りの人がどんどん自分の都合のいいように事を進め、少しずつ芽衣からいろんなものを奪っていった。
あの事件――神奈川県の山奥の住宅で男女二人が殺害されたという凄惨な事件――から三ヶ月が経ち、季節は冬を迎えていた。
世間は皆、指折り新年までの日数を数えている。
現実が物すごいスピードで自分の手を離れ、置き去りにされたままの心で日々を過ごしてきた芽衣だったが、今日こそはと思い切って町に出て用事を済ませ、電車に揺られて海辺の町にやってきた。
知り合いも友人もいない、何の縁もない土地だ。
石段に腰かけると、夕暮れの残光がきらめきながら水平線に没してゆくところだった。
潮風が頬に心地よく、寒さはあまり感じない。
冬の海辺は黒い海藻やごみで汚れており、あまりロマンチックでないせいか、辺りに人はまばらだった。
波は寄せては岸に砕け、白い泡となって消えていく。
聞こえる優しい海鳴りに混じって、芽衣の声が呼んだ。
「お姉ちゃん」
その目は、黄金と紫と真紅に彩られた夕映えの空を一途に追っている。
「お姉ちゃん、聞こえる?」
問いかけても二度と答えはない。
由衣は決して手の届かない場所へ行ってしまった。そこへ送り込んだのは自分。
それでも芽衣は、心の中で呼びかける。
――ねえ、教えて。
――どうしてあのとき、お姉ちゃんは地下に銃を置き忘れてきたの?
――どうして、桐生暁にとどめを刺さなかったの?
――私を助けることで頭がいっぱいだったから?
――それとも……桐生暁に自分を殺させるため?
あの後、病院で治療を受けた芽衣は、二日後に目を覚ました。
すぐに警察の取り調べを受けたが、記憶は不整合で筋道立った話ができず、内容は二転三転した。
役立ったのは自分の記憶ではなく、新聞やインターネットニュースや週刊誌だった。
さまざまな意図をもって、あらゆる方向に誇張され虚飾され、極彩色の嘘がふんだんに盛り込まれていたが、少なくとも芽衣はそれら外部の情報によって事件の輪郭を知ることができた。
どうも世間では、あの事件は清瀬由衣と小村高遠が共犯で起こしたことになっているらしい。
清瀬芽衣と桐生暁が交際していることを知った清瀬由衣は、嫉妬のあまり二人を殺害することを決意する。
職場の元暴力団関係者であった宮野靖から銃を入手し、彼の邸宅に赴き、発砲した銃弾は暁の左大腿部に命中。
清瀬芽衣も左肩に銃創を負う。
だが暁に銃を奪われ、首と背中を撃たれて返り討ちに遭い、由衣は死亡。
その後、由衣の恋人である小村高遠が駆けつけ、桐生暁を持ってきた金属バットで殴打し殺害した。
芽衣が殺されなかったのは、高遠の恋人である由衣の妹だったからだ。
と、概ねこのような顛末だとされているようである。
まるで他人事のように、芽衣は事件の経過をぼんやりと眺めていた。
毎日のように警察で事情聴取を受け、退院してからはマスコミが家に大挙するようになったが、彼らのどんな言葉も、どんな報道も心を揺さぶることはなかった。
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