第178話 ※芽衣視点
高遠は桐生暁に対する殺害容疑で逮捕され、最初から罪を認めている。
が、そこに至るまでの経緯や動機については、堅く口を閉ざしている。
そのまま検察庁に身柄を送致され、起訴が決定し、今は公判が開かれる日を拘置所で待っている。
芽衣は高遠に会いに行くことはなかった。
接見禁止といって、弁護人以外の人間との接触が禁じられていたためだ。
高遠は自分の罪を認めてはいるものの、事件についてほとんど黙秘している。
そのため関係者である芽衣はもちろん、父親や身内の人間にも面会が許可されていなかった。
ただ、もし接見禁止がなかったとしても、芽衣は高遠に会いに行かなかったように思う。
何も言わなくとも、心は同じだと分かっていたからだ。
高遠が黙秘を続けていることを報道で知った芽衣は、彼が自分と全く同じ考えであることを悟り、自分も事件について何も語るまいと決めた。
それは約束ではなく誓いでもなかったが、二人の間でできた暗黙の盟約だった。
皮肉なことに、高遠と物理的に会うことができなくなった今、芽衣は彼を誰よりも近くに感じていた。
――謎も真実も全部、私と高遠さんの胸の中だけにある。
芽衣は胸元をそっと手で押さえる。
透明で形のないそれは、自分の奥底にしっかりと根づいている。
――誰にも触れさせない。誰にも汚させない。ずっと、永遠に。
桐生暁は死んだ。小村高遠に殺されたのだ。
そして清瀬由衣は、桐生暁に殺された。
文字にすると滑稽なほど短い事実が、取り返しのつかない厳しさを教えてくれる。
現実はもう動かない。一ミリだって動かしようもない。
けれどもその短い行と行の狭間に、無限の物語が詰まっている。
そのことを知る者は自分と高遠のほかにはいない。
――それでいい。
芽衣は祈るように目を閉じた。
今は事件の話題がテレビや新聞を席巻していても、時の流れはあっという間に全てを過去に変え、世間は彼らを忘れ去るだろう。
死者は生者の前に儚く、あまりにも夥しい数の事象は、砂のように指の間をこぼれ落ちていく。
――だけど、私は忘れない。
――どんなに時が流れても、世界中の人たちが忘れても、私だけは覚えている。
清瀬由衣を。彼女の生涯を。
誰を愛し誰を憎み、何を信じ何を守るために生きたのかを。
罪を重ね、闇の中を生き、彼女の道はいつも暗黒に閉ざされていた。
闇の中にあったからこそ、彼女はあれほどまばゆく光り輝いていたのかもしれない。
――最後まで私を守り、私のために死んでいったあなたに、今、何ができるのだろう。
胸元に当てた手が、ゆっくりと胃からみぞおちをなぞり、やがて下腹部までおりてゆく。
芽衣は決然と立ち上がった。
海は迎え入れるように、誘うように両手を伸ばしている。
夕陽が落ちて藍色に染まった夜空に、銀の星がきらめく。
芽衣は空を見上げ、それから真っすぐ顔を前へ向け、まだ膨らみのない下腹部を優しく撫でながら足を進める。
一歩ずつ、一歩ずつ。
「大丈夫。怖くないよ」
微笑みながら告げる。
――私はもう、一人じゃない。
【終わり】
俺の部屋に住みついた美少女が出ていってくれない件 橘むつみ @tachibanamutsumi
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