第164話 ※芽衣視点

「どうぞ」


暁はコーヒーを勧める。


芽衣はカップをとって口に運ぼうとしたが、どうしてだか指が硬直して動かない。


何かが脳内で膨れ上がり、主張を始めようとしている。


できる限り目を逸らしておきたくて、芽衣はことさら明るい声を取り繕った。


「ここ、すっごく綺麗なとこですね。それに、とっても静かで」


さり気なくカップをソーサーに戻す、その動きを暁は穴があくほど見つめている。


「さっきはすいませんでした。せっかく連れ出してくれたのに、私ずっと寝てばっかりで」


「ううん」


暁は優しく首を振った。


「きっと看護師の勉強で疲れてたんだよ」


かすかな違和感が頭をかすめた。


――私、桐生さんに看護学校のこと言ったっけ?


「冷めないうちにどうぞ」


もう一度、手を添える仕草で桐生がコーヒーを勧める。


「ありがとうございます」


芽衣は笑顔で応じるが、なぜか口元が引きつってしまう。


飲もうと思えば思うほど、胃液が逆流してくる感じがして喉が受けつけない。


今度はカップに唇をつけてほんのわずかにすすってみたが、液体が唇についた途端、すぐに口を離してソーサーに戻してしまった。


コーヒーが嫌いなわけじゃない。喉だって渇いている。


なのに、どうして?どうして飲むことができないのだろう。


じわりじわりと、奇妙な圧迫感が背中にのしかかってくる。


胸元に黒い水が溜まっていく。


目を合わせてはならない。気づかないようにしなければならない。


この感情の名前を、知ってはいけない。


「それで、ここってどのあたりなんですか?」


調子っぱずれの声で芽衣は尋ねた。


「かなり山奥って感じですけど、暗いし、帰り道大変じゃないですか」


暁はにこにこしながら黙っている。


その笑顔が、途方もなく怖ろしかった。


寒気がする。背筋が震え出し、指先が痺れたように動かない。


芽衣は目をつむって、ごくりと唾を飲んだ。

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