第166話 ※芽衣視点
芽衣の濡れた頬に手を伸ばし、親指で涙を拭いながら、暁はゆっくりと語りかけた。
「僕は今でも由衣のことを愛しているよ。でも、それと君のことは違う。僕は君を、由衣とは別の意味で愛してる。
人には理解されないかもしれないけど、これが僕の愛し方だ」
よく分からなかったが、芽衣は安堵に表情を緩めた。
「じゃあ、違うのね?高遠さんが言ってたみたいに、あなたは私を騙してるんじゃないのね」
「誓うよ。決して君を騙したりしない。信じてほしい」
芽衣の両手を握りしめ、暁はそこに口づけた。
――よかった……。
脳髄が溶けるような幸福感の中、芽衣は両手両足の痺れが増していくのを感じていた。
――でも、おかしくない?
――何もしないんだったら、どうしてスマホを取り上げたりしたの。
――どうして、ここがどこかも教えてくれないの。
――しばらく二人っきりの意味は?
頭の端で、理性がしつこく抗議の声を上げている。
心臓は鼓動を速め、冷や汗は背中をつたって流れていく。
けれども芽衣はその全感覚を無視し、蓋をして見ないことにした。
思考を放棄し、身を委ねてしまうのは容易なことだった。
「それじゃ」
と言いかけ、芽衣は立ち上がろうとして大きくよろめいた。
手足に力が入らず、激しい痺れに襲われてその場に倒れ込む。
正座をしすぎたときの不快な感覚が全身に広がって、自然とよつんばいになっていた。
苦痛に顔を歪める芽衣の両手を、暁は手際よく結束バンドで拘束する。
「何で……?」
追い払っていたはずの疑念が、またぞろ鎌首をもたげてくる。
大きな大理石の浴槽には水が張ってあり、そこに頭を突っ込まれて冷たさに戦慄した。
――え?え?
何が起こっているのかもわからないまま、芽衣はそこに何度も何度も頭を突っ込まれ、水を鼻と口から思いきり飲み込んだ。
息ができずにもがき苦しみ、意識を失う直前に顔を引き上げられた。
暁は大口を開けて歯を剥き出しにして、心底嬉しそうに笑っている。
魅力的で、それでいて身の毛がよだつような凶悪な笑顔だった。
シャワーヘッドを口に突っ込まれて水を注がれながら、芽衣はもはや抵抗する力を失い、彼の顔だけを見つめている。
猫なで声で暁が何か言っている。
早口で、恍惚とした表情で、彼にしか理解し得ないような言葉を。
――これが僕の愛し方だ。
やはり自分は騙されていたのか。
苦しみ尽くしたあげく、ここで死ぬのか。
意識が途切れる寸前、絶妙のタイミングで暁は水を止め、吐きながら泣く芽衣を抱きしめて頬ずりする。
「愛してる。愛してるよ、芽衣……」
愛から生まれる行為が拷問だとしたら、彼に愛された女は苦しみを受け入れるしかないのだろうか。
それとも愛は口先だけで、彼にとっては実験動物への憐れみと同義語なのだろうか。
混濁する意識の中、心が遠くへ向かって呼びかける。
――お姉ちゃん。
この期に及んで姉の助けを期待する浅ましさを、救いようもなく月が照らしていた。
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