第116話
「香織。お客様がいらっしゃってるから、こっちに来なさい」
女性が促したが、香織と呼ばれた子は「嫌!」と叫んでいる。
高遠は席を立って、
「お邪魔しちゃってすみません。今帰りますので」
「いえ、そう言わずにゆっくりしていってください。お茶出しますから」
「お気持ちだけありがたく受け取らせていただきます。お茶は先ほど、ご主人にいただきましたので」
丁重に言って頭を下げ、高遠は比呂を見た。
彼も強いて高遠を引き留めようとはせず、
「駅まで送ってくるよ」
と言い、玄関口までやってくる。
状況を分かっていない香織のきょとんとした顔が、最高にかわいらしかった。
――そうか。この子がいるから……。
謎が解けて、しかもその答えが温かく幸せなものだったので、高遠は心がほどける思いだった。
アパートを出ると振り向いて告げる。
「ここでいいですよ」
比呂はやや恐縮したようだったが、もう一度、
「駅までの道はよく分かってますから」
と高遠が駄目押しすると、「そうですか」とあっさり引き下がった。
心は家族と過ごす休日に向かっているのだろう。
「今日はありがとうございました。突然やってきた俺みたいなのに、大事な話をしてくれて」
いえ、と軽く比呂は首を振った。
「気をつけて」
「はい。それじゃ」
歩き出した高遠に、比呂は二、三歩追いかけて言った。
「小村さん」
振り向くと、比呂の目は真剣だった。
「由衣を捜し出して、できれば救ってやってください。俺にはもう、できないから」
高遠は答えなかった。多分、比呂も返事を期待していたわけではないだろう。
吹く風の清らかさが、約束のように二人を結んでいた。
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