第82話

椅子を引く音が激しく響き、テーブルの上に置かれたコップの中で、透明な水が荒れ狂う。


「失礼します」


律儀な態度で頭を下げると、芽衣は門田のほうを見向きもせずに喫茶店を出ていった。


「芽衣ちゃん」


思わず追いかけようとした高遠は、机の上の伝票に気づいて手を伸ばす。


それを制し、首を振って押しとどめたのは門田だった。


「行きなさい。ここはいいから」


「え、でも」


まごついた高遠だったが、芽衣が横断歩道を渡っていく姿を視界の端に捉え、迷っている時間はないと判断して頭を下げた。


「すみません。ありがとうございます」


「小村君」


身を翻して去りかけた高遠に、立ち上がった門田が呼びかける。


肩越しに振り向くと、門田は厳しく温かい眼差しで言った。


「何かあったら、いつでも連絡してください。昼間でも夜中でもいつでもいい。待っているよ」


高遠は目礼すると、喫茶店を飛び出していく。


扉につけられた鈴の音の、涼やかな余韻だけを後に残して。

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