第75話

安らかな寝息を立てて眠る芽衣の顔をしばらく見守った後、高遠は彼女を起こさないようにして病室を出た。


途中でこっそり病室を出て、廊下で待っていた一臣と、薄暗いロビーに移動する。


時刻は午後十一時を回ったところだった。


リノリウムの床を行きかう密やかな足音と、鼻につく消毒液の匂い。


誰もいない受付の奥に、闇がひしめいている。


「ほらよ」


缶コーヒーを手渡され「サンキュ」と高遠は受け取ったものの、すぐに蓋を開けず、しばらく手の内でころころと転がしていた。


持て余した気分が腹に重い。


「芽衣ちゃんは」


「寝てる。体のほうは心配ないし、大分落ちついたよ」


「よかった」


一臣は安堵の表情を見せた。


「今日のところは病院に泊まって、明日支払いとか手続してくださいって。俺、仕事の前にこっち迎えに行くわ」


「いいのか?」


「ああ」


「悪いな」


「全然」


申しわけなさそうな一臣に、高遠は片手をひらひら振って応じた。


「過換気症候群だったんだって?」


一臣は声をひそめて問いかける。高遠は頷き、


「本人は目まいがして気を失ったって言ってた」


「ストレスだな……」


こめかみに指を添えて一臣は呟いた。


「でも、何でお前に電話がかかってきたんだろうな」


「飲み会で社外にいたから、緊急連絡先が分からなかったらしい。それでとりあえず、携帯の履歴で一番上にあった俺の番号に電話したんだとさ。あの子、親戚とか身寄りの人がいないらしいし」


ふうん、と一臣は腕を組み、


「で、会社の連中は?何か言ってたか」


高遠は肩をすくめた。


「話にならなかった。一応、病院まで来てたは来てたけどな。俺に電話をかけてきた同僚の若い奴と、課長か部長とか言ってたハゲ散らかしたおっさん。同僚の奴は意味もなくへらへらしてるし、おっさんはおっさんでずっと不機嫌な顔で挨拶もしないし、俺への説明も謝罪もなし。

顔見てるだけで胸くそ悪いから、後で連絡しますっつってとっとと帰らせたよ」


破り捨てるような物言いに、一臣は苦笑を唇の端に滲ませた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る