第135話 ※薔子視点

「由衣」


その一言で、長い長い回想から現実世界に意識が引き戻される。


顔を上げると、小村高遠こむら・たかとおが立ってこちらを見下ろしていた。


「ほら」


と手を伸ばされて掴むと、立ち上がらされて抱きしめられる。


高遠は走ってきたらしく、息を切らしていた。


「どうして……」


呟くと、高遠は抱きしめる腕に力を込めた。


「言っただろ。お前がちゃんと話すまで諦めないって」


由衣は目を閉じて、そのままじっとしていた。


高遠の腕は、そのまま溶けて消えてしまいそうなほど心地よかった。


やがて体を離すと、高遠は静かに言った。


「ここまで来たんだ。もう地獄でも何でもつき合ってやるから、最後まで一緒にいるから。だから……」


今度は高遠が、ずるずると地面にへたり込む番だった。


「頼むから、もう、何も言わずにいなくなるのはやめてくれ。……頼むよ」


両手で顔を覆い、その間から絞り出すようにして高遠は言葉を押し出した。


由衣は、前田一臣に言われた言葉を思い出していた。


手を伸ばし、高遠の胸に触れると、心臓の鼓動があり得ないぐらい激しく脈打っている。それに汗だくだ。


なのに由衣の指をつかむ手は異様に冷たくて、由衣と同じくらい震えている。


「……ごめんね」


由衣はかすれ声で言った。


「ごめんなさい……」


二人はしばらくの間、床に座り込んだままお互いを抱き合っていた。


周囲の人々はすました顔で、二人のことなど目に映っていないかのように通りすぎていく。

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