12.ロランド ―盟約暦1006年、冬、第3週―

 テッサの港は、西日が作り出した影の中にあった。対照的に、南に広がるエルシア海はキラキラと輝いている。


 日暮れ前のこの時間帯、船乗りや港で働く人々はまだ忙しくしているが、人の流れはある一角で見えない障壁に阻まれたように孤を描いていた。その空間は等間隔に立つ帝国軍兵士によって作り出されたもので、内側にいるのは数人だけである。


 ロランドはその中にあって、いつもどおりに直立不動の姿勢でエルシア海を眺めていた。しかし実際には、目線を向けないよう注意しながら、左側一歩前に立つ男に気を配っている。周囲には護衛の兵士が立っているが、彼らが守っているのはロランドではなくその男なので、もし不穏な動きをすれば斬られるだろう。


 緩くまとめて背中に流している豊かな金髪は毛先が少し跳ねたように外側へ広がっている。首筋や、長袖の先から見える皮膚は小麦色で、エルシア大陸人の肌色である。エルシア海に向いている男の顔はロランドの位置から見えないが、瞳は緑で、髪と同じ金色の口ひげと顎ひげを生やしているのをロランドは知っている。


 今年で三二歳になるはずだが、年齢よりずっと若く見える。悪戯っぽい光が宿る目や、陽気な気配を放つ表情が、そう思わせるのかもしれない。


 中肉中背で特徴のない体格のこの男こそ、アルガン帝国の初代皇帝レスターである。


「おかしいな」と、レスターは言った。胸に預けるようにして持っている王笏が声に合わせて微かに動く。レスターは振り向いて、肩越しに緑色の瞳で黙ったままのロランドを見つめる。


「どう思う、ロランド?」


 輝くエルシア海を背景にしたレスターは、頭に嵌めた銀の王冠よりも金髪のほうが輝いて見えた。


 ロランドは平然として答える。


「はい、陛下。冬のエルシア海は西風が強く、アークローより西にあるテッサへはどうしても風上に向かう必要があります。そのため、遅れていると考えられます」


 レスターの緑色の瞳に、子供のような光が踊る。


「皇帝である余が出迎えたというのに待ちぼうけを食らっている。テッサニアにそんな噂が広がっては困るな。余は、余に恥をかかせたルパートを断罪する必要があるだろうか?」


 からかっているのだろうとロランドは思ったので、「御心のままに」と答えた。するとレスターは芝居がかった仕草で、「ふむ」と頷いてから続ける。


「では、噂が広がらぬよう、この場にいる人間全員の首をはねるというのはどうだろう?」


 ロランドは答えられなかった。そして、ロランドが情報を漏らしたとレスターは確信しているのだと悟った。つまりレスターはこう言いたいのだ。ロランドの裏切りがテッサの民を殺すのだぞ、と。


 レスターがテッサに到着したのは、〈白鯨号〉が出航した翌日であった。

 皇帝の訪問に向けて準備は進められていたが、六日も早く到着したのでテッサ城は大騒ぎになり、その中でロランドは一人、〝やられた〟と歯軋りした。


 ロランドはテッサニア王家の末裔として、生得の権利であるテッサニア王位の復活を望んでいる。そのためにはまずテッサニアの統一が必要だった。

 そしてレスターは、テッサニアを足がかりにファランティアを手に入れる計画だったのだろう。


 二人の野心が一応の一致をみて、現状を作り上げたのである。


 だが、レスターはロランドがテッサニア執政官の地位に満足していないと気付いているはずだ。レスターがファランティアを特別視している、とロランドが気付いているのと同様に。


 レスターはロランドの野心を上手く利用できると考えているだろう。その油断と、ファランティア併合につまずいた事で、ついにレスターが隙を見せたとロランドは考えた。だが、甘かった。見え透いた餌に釣られてしまったのはロランドのほうだ。


 以前の自分であれば、もっと慎重になれたはずだ――と、ロランドは後悔している。ロランドは五〇歳を過ぎているが、レスターはまだ若く健康的だ。残された時間はレスターのほうが圧倒的に長い。焦りが判断を誤らせたと、ロランドは認めざるを得なかった。


 黙っているロランドを見て、レスターは振り向いて笑顔を見せる。


「冗談だよ。許せ、ロランド。待ちぼうけを食らって少々頭に来ただけだ。ふむ、まあ、お前の言うとおり、遅れているだけだろうな。二、三日待ってみるとしよう」


 レスターの笑顔は作り物だと初めて会った時からロランドは見抜いていた。だがその陽気さに少し安堵したのも事実で、その事がむしろ彼を動揺させた。


 レスターはロランドの肩に手を置いて言う。


「ルパートが運んでいるダスクワインをお前と飲みたかったのだ。テストリアのブラッドワインも悪くないのだが、どうも名前が恐ろしげで良くない。実際、ブラッドワインで殺された人間も多いと聞く」


「ブラッドワインは色が濃く、香りが強いため、毒物が入っていても気付き難いのです。ゆえに、毒殺に用いられてきました」


 ロランドが真面目に答えると、レスターは「ははっ」と声に出して笑った。

「お前は真面目すぎるよ、ロランド」

 そう言ってロランドの肩から手を下ろし、テッサ城へ戻る道を歩き始めた。


 テッサ城へと続く道は、路地の一本に至るまで帝国軍兵士によって警備されている。一日の終わりに稼ぎ時を奪われた商店の主人たちは不満かもしれないが、それを顔に出すほど彼らは愚かではない。


 皇帝を見送る人々の列に、レスターは微笑みで応えた。彼の笑顔は冬の陽だまりのように人々の心を暖める。気まぐれに立ち止まり、気さくに商人と話したりもする。レスターはテッサニア語も話せるのだ。


 ロランドは皇帝の側に立って、無表情の仮面で通した。それはいつもどおりの彼なので、誰も不審に思わない。無表情の仮面の下でロランドは、レスターの笑顔と陽気な仮面が人々に受け入れられていく様を目の当たりにして驚き、恐怖していた。


 まだ日の差し込む十字路の広場に差し掛かったレスターは、西日に金髪から全身の装身具までキラキラと輝かせて、まるで小さな太陽のようだ。そこへ、護衛の兵士が作る壁の隙間から一人の少女が駆け出そうとして護衛に止められる。


 レスターが護衛を諌めて少女を解放させると、その少女は皇帝陛下のために花を摘んできたと言って小さな花束を差し出した。


「ああ、なんと素敵な贈り物だろうか。ありがとう、お嬢さん」

 レスターは冗談めかしてそう言い、花束を受け取る。


 ロランドはその少女が仕込みではないかと疑ったが、仮にそうだとしても驚くべき事だ。弱き者に手を差し伸べる姿を演出する事で民の心を掴もうとするなど、ロランドには思いもよらない発想である。


 しかも、それは効果的だった。広場を囲むテッサの民は微笑ましい光景を目にして緊張を――そして同時に警戒心を――緩めている。


 レスターとテッサの民の距離は一気に縮まった。遠巻きに見ていた人々も、皇帝をよく見ようと前に出てくる。再び城への道をレスターが上り始めると、人々はただ見送るのではなく一緒になって歩き出した。


 テッサ城の正門までやって来たレスターは、振り向いて人々に手を振る。レスターに目を奪われていた人々は、それで我に返り、慌てて頭を垂れた。城内に入ってレスターの姿が見えなくなると、人々はまるで夢から覚めたように日常へと戻って行く。


 テッサ城の正門を抜けて中庭を通り、天守キープまで来ると、入口にはテッサ城の侍従長とレスターの道化が待っていた。


 レスターが連れて来た道化の男は冬だというのに腹を丸出しにしている。風船のように膨満した腹を目立たせるためだろう。膝下までの短いズボンは黒地に黄色の縦縞模様で、それはアルガン帝国に征服されたロムス王国の色だとロランドは知っている。


 〈豚っこピギーボーイ〉と呼ばれているその道化が最後のロムス王だと知っている者は多い。顔も太鼓腹同様に丸く膨張していて、呼び名に相応しい豚を模したマスクで鼻を覆っている。豚の耳に見立てた飾りのついた帽子には、頭頂部に小さな豚に乗った騎士と船の模型が付けられていた。それらはよくしなる棒の先にあるので、動くに合わせて揺れ動く。


 レスターの姿を見るなり侍従長は深々と頭を下げたが、〈豚っこピギーボーイ〉は突然「ぶひ、ぶひ、〈豚っこピギーボーイ〉は陛下をお待ちしておりましたぁ」と叫んで、両手で腹を叩きながらひょこひょこと近寄ってきた。


 その姿を見てレスターの取り巻きたちが笑う。テッサ城の人間にもつられて笑う者が出たが、ロランドがにこりともしていないのを見て慌てて自重する。


 レスターは陽気な声で楽しそうに言った。

「おや〈豚っこピギーボーイ〉、餌の時間かな?」


 すると、道化は激しく首を縦に振り、膨満した腹をいっそう強くぱんぱんと叩きながらレスターとロランドたち一行の周りをおどけて回った。しかし、その目は血走って狂気じみており、必死だ。口の端からは泡を吹いている。丸い顔は脂汗が幾筋も垂れている。


 レスターが従者の一人に目で合図すると、従者は懐から小さな袋を取り出し、中から指先ほどの大きさの白い塊を取り出して床に投げる。白い塊は床に落ちると半分ほど砕けて散らばった。


「ぶひぃー、有り難き幸せにございます陛下ぁ!」


 〈豚っこピギーボーイ〉は涎を飛ばして叫び、四つん這いになって口から白い塊に飛びついた。そして尻に付いた豚の尻尾を模した飾りを左右に揺らしながら、必死になって床に散った白い粉まで舌で舐め取っている。


 その様子にレスターたちはますます笑い声を上げたが、ロランドは全く面白く無かった。


 〈豚っこピギーボーイ〉は〈満月糖フルムーンシュガー〉というエルシア大陸産の砂糖に似たものによって完全に狂わされている。過剰摂取するとまるで満月のように腹と顔が膨満することから付いた名だ。強い依存性もあり、先ほどの必死さは禁断症状のためだ。


 ロランドは〈豚っこピギーボーイ〉になる前のロムス王を知らないが、エルシア大陸にあって数少ない、アルガン帝国に最後まで抵抗した国の王である。少なくともそのような気概のある人物だったのだろう。だが、彼は完全に破壊されてしまった。普段は〈満月糖フルムーンシュガー〉によって異常な興奮と酩酊状態にあって正気を失っているし、正気に戻っても禁断症状に耐えられず、すぐに〈満月糖フルムーンシュガー〉を得るためなら何でもするようになってしまうからだ。


 ロムス王はロランドと同じ年頃である。つまり、この道化を連れて来たのはロランドに対する警告か、あるいは見せしめなのだ。


 そしてこの道化の存在は、レスターが完璧な存在などではない事を表している。下した敵とはいえ一国の王であった人物に対して、このような死よりも酷いやりようは常軌を逸している。レスターを眩しそうに眺めていたテッサの人々も、この事を知れば眉をひそめて距離を置くだろう。


 ロランドは必死に床を舐めている〈豚っこピギーボーイ〉から目を逸らし、自分の侍従に尋ねた。


「晩餐の準備は整っているか?」


「もう少し時間が必要です」と、侍従は答えた。


 ロランドは、〈豚っこピギーボーイ〉をからかっているレスターに頭を下げて進言する。


「陛下、今宵は晩餐を予定しておりますが、準備が整うまで、お部屋でお休み下さい。私は執務のため、お側を離れますがお許し下さい」


 レスターは、酩酊状態になって立ち上がれずにいる道化を「酔っ払いの豚め!」とからかいながら、笑顔で答えた。


「だめだ。側を離れることは許さん」


 笑顔ではあったが、声は真剣そのものだ。ロランドには「はい、陛下」としか言えない。


 〈豚っこピギーボーイ〉は立ち上がることもできずに四つん這いのままフラフラして、柱に頭からごつんと当たった。そして柱に向かって膝立ちにふんぞり返り、太鼓腹を突き出して言う。


「ぶひぃ、この無礼者め。この豚はロムスの王であるぞ。ぶひっ」


 その様をレスターは腹を抱えて笑った。ロランドの上腕を叩き、お前も一緒に笑えと言わんばかりに指差す。しかし、ロランドは口の端を僅かに持ち上げる事すらできなかった。


 レスターはロランドが、その憐れな道化をなるべく見ないようにしていると気付いているかもしれない。できる事なら、これ以上の辱めを受ける前に楽にしてやりたいとさえ思っていると見抜いているかもしれない。


 笑いを抑えながら、目に浮かんだ涙を上等な服の袖で拭いつつ、突然レスターが言った。


「逆に余がお前の執務室に行く。お前と二人で話し合うべき事案がある」


 一瞬の間を置いて、ロランドは答える。


「はい、陛下。ご案内いたします」


 ロランドが先頭に立って歩き出すと、レスターたちもぞろぞろと後に続いた。道化を連れて部屋に戻れとレスターが従者に命じたので、ロランドは内心でほっとした。これ以上、あのようなものを見ていたくはない。


 執務室は黄昏の残照に満たされていた。すぐに暗くなるので、侍従が明かりを灯して回る。


 レスターは執務室を見回してからテラスに出ると、「なかなか良い眺めだ。ここで話したいな」と言った。それをただの感想と言葉どおりに受け取る者はいない。すぐさまレスターの従者とロランドの侍従が協力して、小さなテーブルと椅子をテラスに用意する。


 その間、レスターを守る護衛たちが執務室の中をそれとなく探っているのにロランドは気付いていた。


 用意が整うと、レスターはマントを翻してテラスの椅子に座った。


「座れ、ロランド。他の者は下がれ」


 命令に従ってロランドは着席する。レスターを守る護衛たちは戸惑いを見せたが、命令に従わないわけにいかない。ぞろぞろと部屋を出て行く。


 執務室にはロランドとレスターの二人だけになった。正確に言えばトーニオも含めて三人だが、ロランドはトーニオがいるテラスの軒に視線を向けるほど間抜けではない。


「余にも体面というものがある」と、レスターは苦笑して話を切り出した。


「他の者の手前もあり遅れてしまったが、お前に謝罪せねばならぬと思っていた。余の名代としてファランティアにやった……なんと言ったか……」


 レスターはこめかみに指を当てて考える仕草をした。


「エリオのことですか」


 ロランドがそう言うと、パチンと指を鳴らして「そうだ、エリオだ」と言って続ける。


「ロランドにとっては息子のような存在だと聞いた。あのような事になってしまって申し訳ないと思っている。この損失を埋め合わせるにはどうすれば良いかと考えているのだ」


 レスターは背もたれに身を預けて足を組んだ姿勢のままだ。とても謝っている態度ではないが、声には申し訳なさそうな響きがある。


(死んだはずのエリオがこの場に現れたら、本性を見せるだろうか。それとも、エリオが生きていると知っているのか)


 合図をすれば、軒の上からトーニオは一瞬でこのテラスに現れる。もしレスターの暗殺を命じれば、声を上げる間も与えず始末するだろう。


 しかしそんな事をすればロランドもただでは済まない。この状況で言い逃れは難しい。相打ちでは意味がないのだ。


 アルガン帝国の一部という形であっても、やっと実現したテッサニアの統一はロランドが消えれば瓦解する。レスターを失った帝国の混乱に飲み込まれて再度分裂してしまうに違いない。


 それでは全てが無意味になってしまう。レスターを失ったアルガン帝国の混乱に乗じてテッサニア王国を独立させ、その王権を正当な世継ぎに継承させる事こそ、ロランドの目標である。青臭い言い方をすれば、夢と言ってもいい。


 そのテッサニア王国にファランティアやエルシア大陸が含まれていても、もちろん問題はない。


 そんな事を考えながら、ロランドは答えた。


「確かにエリオはこの城で養育しましたが、息子というほどの思い入れはありません。しかしながら、残された家族に賠償金を支払う必要はあるでしょう」


 レスターは僅かに頷いて見せる。

「分かった。妻や子供がいたのか?」


「いえ、双子の兄弟がいるのです。子供の頃にテッサから追放したのですが、エリオの件もあって恩赦しました。今はこの城で働いています」


 レスターはテラスの外に目をやった。見る見るうちに世界は闇に染まっていく。空には星が、城下には明かりが、ぽつぽつと瞬き始める。


「そうか……神も数奇な運命を与えたもうものだ。ところで神と言えば、ファランティア南部での状況はどこまで聞いている?」


 そう言って、レスターは視線をロランドに戻した。


 ファランティア南部で、帝国人の信仰する聖女ミリアナを名乗る者が現れたという話はロランドの耳にも届いている。単なる盗賊の類ではなく、軍隊と呼んでもいい規模にまでなっているらしい。その主力は帝国軍から出奔した兵士だと聞いている。


「聖女軍の件でしょうか。マクシミリアン将軍も手を焼いている様子。物資の多くを奪われている状況で、予定外の追加物資を求めてきています」


「聖女軍」


 レスターは楽しげに言った。


「神をも恐れぬとはまさにこの事だなあ、ロランドよ。ぜひ、その聖女とやらを手に入れてみたいものだが……」


 そう言うレスターの口元に浮かんだ笑みは、人々を魅了する陽気な笑みではなく、ぞっとするような陰気なものだった。ロランドの脳裏に〈豚っこピギーボーイ〉の姿が過ぎる。


「……しかし、その役目はそなたに任せよう。ロランド」


 その言葉の意味するところをロランドはすぐ理解したが、受け入れ難かった。つまりレスターはロランドに、ファランティア南部へ進軍するようにと命じているのだ。


 戦いに出るのはやぶさかでないが、戦場に出るということは何が起こるか分からないということだ。今、自分が倒れてしまえば、テッサ王族の血脈は民草の中に紛れてしまう。


 何か断る理由はないものかとロランドは頭を回転させた。いくつかの理由を思いついたが、それを口にする事はできないと分かってもいた。


 レスターはロランドが移動計画を漏らしたと確信しているはずだ。例えどんな理由であれ、今それを口にしたら叛意ありとレスターに言わせてしまう。


 あれは、このための策略だったのだ――と、ロランドは理解した。


「マクシミリアン将軍の軍はどうします」


 ロランドは動揺を隠して、やっとそう口にした。レスターはロランドをじっと見つめていたが、「うむ」と頷く。


「詳しくは明日以降に話すつもりでいたのだが、簡単に言うとマクシミリアンはテッサニアまで下がらせる。テッサニアの臨時執政官とも考えたのだが、あいつは武人だからな。軍の再編を命じるつもりだ。臨時執政官には帝都から内政担当官を呼ぶので安心してよい」


(安心なものか)


 ロランドは唾棄したい思いだった。それではテッサニアを質に取られるに等しいではないか。

 いつの間にか握り締めていた拳にロランドはやっと気付いた。表情に限らず、彼が感情を表現するのは珍しい事だ。


 レスターは陽気な気配を消して真剣な表情になった。


「ファランティアの併合が、余の考えどおりに進んでいない事は、余自身よく分かっている。それに不満の声が出ているのも事実である。可能な限り穏便に進めたかったが、こうなれば余も決心せざるを得ない。ロランドには南部から王都へ向けて進軍を命ずる。余はホワイトハーバーから王都に向けて進軍する。余とお前が王都で再会した時が、ファランティア王国の最後だ」


 ついにロランドは無表情の仮面を剥ぎ取られ、驚きに目を見開き、身を乗り出した。


 陛下、ご再考を。ご自身で戦場に赴かれる必要はございません――そんな言葉が頭の中を過ぎったが、口には出さない。


 ロランドはそのまま立ち上がり、腰を折って深々と頭を下げた。


「御意に。陛下のご決断に従うのみでございます」


 足元を見つめたまま、ロランドはニヤリと口元に笑みを浮かべていた。


 戦場に出るということは、何が起こるか分からないということだ。

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