8.ブラン ―盟約暦1006年、冬、第10週―
突然、稲妻のような咆哮が鳴り響く。
それはまるでブランの行動を制するかのようで、事実、振り下ろされたブランの剣は止まった。
めったなことでは動じないブランでも、天に咆哮の主を見てさすがに驚く。光り輝くドラゴン――あるいはドラゴンの形をした光――が頭上を通り過ぎたのだ。
その眩しさに目を細めた瞬間、顔の左側に鋭い痛みが走った。思わず手をやると、頬からこめかみにかけて切られている。左目が無事かどうかは分からないが、少なくとも今は見えない。
(負けた? この俺が?)
手を染める自らの鮮血を見ても、ブランは信じられない思いだった。途端に殺意が膨れ上がる。目の前でやっと立ち上がろうとしているギャレットは、今この場で殺しておくべき敵だ。
しかし、周囲には戦士長らがおり、すでに勝負の結果は誰の目にも明らかである。
(二人きりだったら確実に殺してやったのにな)
ブランは諦めて、剣を収めた。それで勝負は決したと判断したのか、戦士長たちが慌てて駆け寄ってくる。
戦士長たちはブランの傷の様子を見て応急手当てを始めた。されるがまま、ブランは黙って無事な右目でギャレットを睨んでいた。
ギャレットはやっと立ち上がり、肩を押さえながら言う。
「時間はないぞ、上位王。すぐに停戦申込みの使者を送れ。俺の勝利に異論がないなら」
「くそっ」と、ブランは毒づく。
ファランティアの騎士という名乗りに騙された、と言いたかった。ファランティア騎士は前転して敵の懐に飛び込むような事はしない。だが、そんなのは言い訳にしかならない。
ブランは腰に手を回して、マントの下から巻物袋を外した。血に汚れた手で触れたので、血痕が付いてしまったが気にしない。
「ベントの息子、マティアス」
ブランが呼ぶと若者はすぐに駆け寄ってきた。
「さっきの命令は無しだ。正門前にいる帝国軍本隊に向かい、停戦申込みの使者と名乗れ。そしてレスターにこれを渡すんだ」
マティアスは言われるがまま巻物袋を受け取ったものの、呆然とそれを見ている。
「早く行け!」
もう一度強く命じると、弾かれたようにマティアスは走って行った。
「あの巻物は?」と、ギャレットが問う。
「停戦の申し入れだよ。最悪の場合に備えて作ってあったやつだ」
ブランは忌々しく思いながらも、答えてやった。
ブランにとって、引き分けは負けと同じである。だが、引き分けによる負けには先がある。先があるなら備えておく必要がある。そういうわけで、ブランは停戦申し入れの書状を用意していた。しかし、降伏申し入れの書状は作っていない。それが必要になった場合は、先の無い真の敗北であるからだ。
(まあ、停戦の申し入れをするとは言っても、内容までは約束していないからな)
ブランが心中でそんな事を考えているとは思っていないだろうギャレットは、歪んだ剣を鞘に戻そうとして難儀している。やがて諦めて、トーレンから自分の盾を奪い返した。それからブランに向かって念押しする。
「信用していいんだな?」
「いまさら、そんな事を言うのかよ」
ブランが即答すると、ギャレットは「確かに。失礼な事を言った」と詫びて捨てた兜を拾って被り、背を向ける。その背中に向けてブランは言葉と共に自らの剣を鞘ごと放った。
「おい、こいつを持って行け」
ギャレットは立ち止まり、足元に滑ってきた剣を見つめる。理由を尋ねられる前にブランは説明してやった。
「そいつは〝勝者の剣〟またの銘を〝敗者の剣〟とも言ってな。常に勝者の手に渡るという。だから、今はお前に預ける。俺が取りに行くまで大事に持っていろ、自由騎士ギャレット。お前の事は覚えたぞ」
ギャレットは歪んだ剣を盾と一緒に左手で持ち、右手で〝勝者の剣〟を掴んだ。そして肩越しに答える。
「俺はファランティアの民に仕える自由騎士。お前が再びファランティアの民を害した時、また戦う事になるだろう」
去っていく自由騎士の背中を視線で貫かんばかりに睨みつけてから、再び空を見上げると、光のドラゴンが城の上空を旋回しているのが見えた。
(さっさと去れ、怪物め。俺はレスターの野郎と、お前の守ってきたファランティアを切り分けなきゃならんのだ)
心中で吐き捨てるようにそう言って、ブランもその場を後にした。
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