9.マイラ ―盟約暦1006年、冬、第10週―
気が付くと、マイラは竜舎の前に立っていた。その様子は戦争が始まる前のものだったので、彼女はすぐにこれが夢だと分かった。
竜舎の大扉まで歩き、人間用の扉に手をかける。鍵は掛かっていない。当然そうあるべきという予感と共に扉を開けると、中には美しい金色の体毛を持ったドラゴンが丸くなって寝ていた。竜騎士が住む塔へ続く扉は開かれたままで、物音と人の気配がする。
マイラが扉をくぐると、そこには亜麻色の髪の騎士が背を向けて立っていた。
「おかえりなさい。ランスベル様」
声をかけると、亜麻色の髪の騎士――ランスベルは、紅茶を淹れたポットとカップを手に振り返る。
「……ただいま戻りました」
ランスベルは少し肩をすくめて、戸惑いがちにそう言った。かつて夢の町で出会った彼よりも、彼らしい反応だ。
「あの、そんなに長居はできなくて、その……座ってお茶でもいかがですか?」
「はい」
マイラは軽く一礼して、椅子に腰を下ろす。
ランスベルは紅茶をカップに注ぎ、マイラと自分の前に置いてから対面に座った。それを見計らってマイラは口を開く。
「またお会いできてうれしいです」
「ええ、その……約束しましたから」
マイラはどくんと心臓が脈打つのを感じた。今まさに死にゆく自分が見ている夢とは思えないほどに。
「えっ、あ、あの約束……覚えていてくださったのですか? そのためだけに!?」
思わず声が大きくなってしまい、ランスベルはそれに少し怯んだ様子で「ええ、まぁ……そうですね」と答えた。
不意に涙がこみ上げて、マイラは目元を押さえた。おそらく、これが本当に最後なのだ。涙で暮れるわけには行かないと、必死に堪える。ランスベルはただ黙って、落ち着くのを待っていてくれた。
「そんなに長居はできないと言いましたが、退屈させても悪いので……何かお話しましょうか」
マイラは目元の涙を裾で拭い、答える。
「はい。でしたら私、ランスベル様の旅の話が聞きたいです」
「えっ、うーん、そうですねぇ……楽しい話ではないかもしれませんが……」
「聞きたいです! ぜひ!」
マイラが身を乗り出すと、彼は困ったような微笑みを浮かべてから、語り始めた。
途中で何度か紅茶を入れなおし、それも空になる頃、ランスベルの話は終わった。マイラには想像もできない内容であったが、その言葉一つ一つを胸に刻むつもりで、最後まで熱心に聞いていた。
最後に、マイラは答えを分かっていながら問う。
「また、ここでお会いできますか?」
ランスベルは首を左右に振り、そして真摯な眼差しで答える。
「いいえ。今度こそ、本当に最後です。もうここへは戻ってきません」
「でも、これは夢ですよね? またこうやって会えるんじゃありません?」
ランスベルはいつもの、困ったような微笑みを浮かべて、天を指した。
「夢も現実の一部です。物語がそうであるように。そしてこれは、ただ一度の奇跡です。目を開けてご覧なさい」
――マイラは恐る恐る目を開いた。
そこに死後の世界が広がっているのではないかと思ったのだ。
しかし、視界は霞んでいるものの、死後の世界で無いことは明らかだ。
冬の空は青く、視界の半分を覆っているのは泣きながらマイラの名を呼ぶニクラスの顔だ。ぽたぽたと落ちる彼の涙が、頬を打っているのを感じる。
マイラは天に手を伸ばした。
その動きに気付いて、ニクラスが「マイラ!?」と叫ぶ。
「大丈夫なのか!? 大丈夫って言ってくれ!」
必死なニクラスに、なんとか笑顔で答えてマイラは空に目を戻す。
青空に、光輝くドラゴンが飛んでいる。
城の上で円を描くように旋回している。
その背には人の姿があった。
まだ霞んだままの目でも、マイラにはそれが誰なのか分かっている。
「ランスベル様……」
「えっ!?」
マイラの囁き声に、ニクラスも空を見上げる。
(さようなら、亜麻色の髪の……私の竜騎士様)
マイラは心の中で別れを告げた。
その身を抱きかかえるニクラスの温もりを感じながら。
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