8.ランスベル ―盟約暦1006年、冬、第9週―

 何も危険が無かったなら、鍾乳洞の旅は素晴らしいものだったかもしれない。


 自然に出来たとは思えない不思議な形をした石筍や石柱。


 静かに水が流れ落ち、いくつもの小さな滝のようになっている階段状の岩棚。


 透明な水の中を泳ぐ真っ白な蛇に似た魚。


 雨のようにポタポタと雫が落ちてくる場所もあれば、氷柱が下がっている場所もある。凍てついた大地と温泉を生み出す地熱が、そんな様々な状況を作り出しているのだろう。


 地震の影響はいたる所に見られた。折れた石筍をいくつも目にしたし、黄色と緑の混じった不気味な色に縁取られた窪地は枯れた温泉の跡だ。逆に、新たに温泉が流れ出すようになった場所もあった。


 〝竜の巣〟を迂回して進むためには狭い場所を通らねばならず、這い進んだり、岩の隙間を滑り降りたり、亀裂の中を登ったりと、道中には危険な箇所も多い。だが、一番の危険はリザードマンである。


 リザードマンの体色は白から灰色で鍾乳洞の内部に近い色をしている。もし裸で――彼らにそういう概念があるのかランスベルは知らないが――壁や石筍に張り付いていたら、普通の人間には気付けないかもしれない。


 これまで遭遇したリザードマンたちは鎧や毛皮を身に付け、槍や剣や鈍器で武装していたからそのような事は無かったが、立ち並ぶ石筍がリザードマンに見えてしまう事は何度もあった。


 ランスベルが下位竜語で敵対する必要は無いと伝えても、彼らは問答無用で攻撃してくる。洞窟内の狭い場所や、石筍が密集している場所はランスベルの長剣には不利で、逆にリザードマンはそうした場所での戦いに慣れていた。


 思わぬ危機に陥ることもあったが、ギブリムとアンサーラの援護もあって〈竜珠ドラゴンオーブ〉の力を使わずに切り抜けられている。


 ドワーフのギブリムが洞窟での戦いに慣れているのは驚くような事ではないが、アンサーラも地形を問題にしない事は――半ば予想していたとはいえ――驚きであった。


 石筍の間を縫うように素早く、時には緩やかに、駆け抜けて激しく敵を斬りつける。狭い洞窟では壁や天井まで利用して、まさしく縦横無尽に動き回った。壁を駆け上がりながら敵の首を刎ね、天井から頭を攻撃し、敵陣の中へ飛び降りて竜巻のように回転しながら二本の剣で複数の敵と同時に戦う。


 きっと、アンサーラの長い経験の中にはこのような場所での戦いもあったのだろう。彼女はどんな場所でも自分の力を最大限に発揮できるようだった。


 そうしてランスベルたちは鍾乳洞を進み、〝竜の巣〟付近までやって来た。この先は地図が不確かなので、アンサーラとギブリムの能力が頼りだ。探査しつつの前進となり、一行の歩みは遅くなる。


 道はより険しくなったが、そのせいかリザードマンとの遭遇も無くなり、竜の巣を越えようかという辺りまで来てギブリムが立ち止まった。


「この先、少し広くなっている所がある。そこにリザードマンの気配がある。正確には分からんが、一〇〇人くらいはいるかもしれん」


 その言葉を、ランスベルは受け止めて、飲み込んだ。

 覚悟していた事じゃないか――と、自分に言い聞かせる。


 アンサーラが「見てきましょう」と言って、音も無く暗闇の中へ駆けて行った。


 ランスベルはちらりとイムサを見た。周囲を包む緑色の光の中心である杖を手に、緊張した面持ちでいる。


 ここまでの道中、イムサが足手まといになる事は無かった。鍾乳洞を歩き慣れていて、自分の身は自分で守れている。


 もし彼が自らドルイドだと名乗っていなければ、ランスベルは戦士だと勘違いしたであろう。優れた体格を生かした戦い方は北方の戦士を思わせるものだった。


 普通の木製に見える杖は、敵の刃を受け止めても傷付かず、先端の瘤による打撃は充分な威力がある。とはいえ、大勢のリザードマンを相手にできるほどではない。イムサ自身も、それは理解しているだろう。


 少し待っていると、ギブリムが顔を上げた。その視線の先は景色の一部がぼやけて見える。そして瞬きの間に、アンサーラが現れた。彼女のマントはリザードマンの体色と同じような白っぽい灰色になっている。


「ギブリムが感知したとおり、この先に広い場所があり、リザードマンが待ち構えています。見える範囲で五〇人ほどでしたが……」


 アンサーラがギブリムに視線で問う。


「うむ。正確な数は分からんが、もっといるはずだ」と、ギブリム。


「中には立派な武具を身に着けたリザードマンの戦士が混じっています。戦闘隊長のような地位でしょう。魔法の装備を一つ以上持っているようです。どこから手に入れたのかは分かりませんが、おそらくワームが持っていたものではないかと思います。その他に、豪奢な身なりのリザードマンもいました。他にそのような者はいませんでしたから、族長のような立場の者でしょう」


 ランスベルは待っている間に考えていた事を口にした。


「例えば、その族長を狙って倒した場合、リザードマンたちはどうするかな?」


 アンサーラはランスベルの言わんとしている事を理解したのか、首を横に振る。


「わたくしの知る限り、リザードマンは力の有無を絶対的な価値観にしています。族長は最強の戦士のはずですから、それを倒した場合、族長を倒した者を倒した者こそ次の族長という理論で、より激しく戦うでしょう。族長を倒されたからと言って降伏はしません」


「そうか……」


 ランスベルはため息混じりに言った。確かに、どのリザードマンも決して降伏しなかった。敵に負けて戻れば殺されるから死ぬまで戦う、とイムサが教えてくれたのを思い出す。


「……全滅させるつもりで戦おう」


 ここに住むリザードマンたちが好戦的なのは疑いようがない。であれば、少しでも危険は減らしておかなければならない。自分には全てを解決する力は無いのだ――ランスベルはそれを充分に学んでいる。だから大切なもののために、リザードマンを殺す。それはもう決まっている事だ。


 〈黒の門〉でオークを何人も斬り、ここでもリザードマンを何人も斬った。これからさらにリザードマンを斬らねばならない。生き物を殺す事に慣れていっているかもしれないが、それならそれでも良いとランスベルは思った。守るべきものを見失ってはならない。自分に託された〈竜珠ドラゴンオーブ〉、仲間の願い、そして今はイムサの命もそうだ。


 ランスベルはイムサに向かって、ゆっくりと、身振り手振りも交えて警告する。


「離れるのは危険です。僕、いや、ギブリムの近くにいて、身を守る事に専念してください。リザードマンは僕らで倒します」


 イムサは理解したらしく、「はい」と頷いた。それからギブリムに頼む。


「イムサさんの防御に力を回して。僕は大丈夫だから」


 ギブリムはランスベルの心の内を覗き込むように、じっと目を見てから答えた。

「わかった。攻撃はお前とアンサーラに任せよう」


「ありがとう」


 断られるとは思っていなかったが、ランスベルはほっとした。それからイムサに「ギブリムがドワーフの力で守ってくれます」と告げる。


 イムサは口をにした。抵抗感があるのかもしれないが、文句は言わなかった。


 最後にランスベルは、弓に弦を張っているアンサーラに確認する。

「それでいい?」


「はい。矢は八本ありますので、最初は弓で、その後は切り込みます。それと、一つだけ忠告があります。リザードマンには古い魔法を使う者もいます。動物の骨や奇妙な飾りを身に着けた呪術師がいたら注意してください」


「わかった。じゃあ、行こう」


 ランスベルは立ち上がり、『ブラウスクニース、我に力を』と竜語魔法を口にした。腰の革袋に入った〈竜珠ドラゴンオーブ〉から力が流れ込む。霧が晴れるように視界がはっきりして、身体が軽くなり、力がみなぎる。


 ギブリムを先頭にして、ほとんど一丸となってランスベルたちは通路を進んだ。

 徐々に広くなる洞窟が、戦場に近づいていることを知らせてくれる。


 すぐに、ランスベルのドラゴンの力で強化された視覚がリザードマンたちの姿を捉えた。弓や槍投げ器を持った者もいる。


 リザードマンのほうも、ランスベルたちに気付いたようで慌しくなった。アンサーラが言ったとおり五〇人ほどの集団で、一番奥に着飾ったリザードマンとそれを守る戦士の一団が見える。


 一行が戦場に足を踏み入れると、血気に逸るリザードマンの一人が数歩前に出て弓を引き、それが戦いの始まりとなった。


 リザードマンが弓を引き終わる前に、アンサーラが一瞬で弓を構えて弦を鳴らす。


 魔法のかかった矢はリザードマンの首を貫通し、その後ろにいたリザードマンの眉間に突き立って折れた。


 その一撃にリザードマンたちが怯んだのは一瞬で、恐怖を払うように怒号を上げて前進を始める。


 アンサーラは容赦なく、呪文を唱えながら次々に矢を放つ。弓や槍投げ器を持った敵を優先的に狙っている。青銅製の鎧や盾では、アンサーラの矢は防げない。狙いも正確である。


 ギブリムが二歩、三歩と助走をつけて、手にした魔法の槍を気合いの声とともに投擲した。盾を構えて突進してきていたリザードマンが三人、文字通り串刺しになる。


 ギブリムは続けて盾とハンマーを召喚して、背後にイムサを庇いつつ、ハンマーを繰り返し投げつけた。一投ごとにリザードマンを一人ずつ倒していく。


 それらの攻撃を潜り抜けて放たれた矢や槍のうち、狙いの正確なものはランスベルが剣で叩き落したり、掴んで投げ返したりした。


 戦いの始まりは一方的であったが、リザードマンたちは仲間の死にも怯まず一行の眼前へと迫りくる。


 ランスベルは竜剣ドラゴンソードを鞘に戻し、両手を前に突き出して竜語魔法を叫んだ。


『走れ! 炎!』


 〈竜珠ドラゴンオーブ〉は、ランスベルの気合に応じて力を発揮した。合わせた両手から放たれた炎はまるでドラゴンの炎の息のようで、青銅は割れ、鉄は溶け、リザードマンを焼き尽くす。豪火の光と熱風が一瞬にしてその場を満たした。あまりの威力に、ランスベル自身が驚いてしまうほどだ。


 〈竜珠ドラゴンオーブ〉は力を制御しないのだ、という事をランスベルは改めて思い知った。


 炎に直接飲まれた者は全員が原型を留めていない。近くにいた者は火傷を負って苦痛の声をあげている。リザードマンの軍団は中央から真っ二つに裂けた。


 アンサーラは疾風のように駆けだして左の集団へと切り込んで行く。


 ランスベルもそれに続こうとして、はたと足を止めた。

 炎が開いた道の向こうに族長らしきリザードマンを含む集団が見えているのに気付いたのだ。


 この機会を逃すべきではない――ランスベルは奥の集団に向けて一直線に飛び出した。


 リザードマンの残骸は気にしないようにして一気に駆け抜ける。


 ドラゴンを象った黄金の兜を被ったリザードマンは、口を開いて〝シュー、シュー〟と蛇のような声を出していた。ドラゴンの力で強化されていなければ聞こえないような音だ。


 そのリザードマンを守る戦士が五人、ランスベルの前に立ちはだかる。


 ドワーフの鎧によく似た見事な装備に、剣、槌、盾などで武装している。全員の武具から魔法の力が感じられた。本当にドワーフが作ったものかもしれないが、今はそんな事をゆっくり考えている場合ではない。


 五人のリザードマンは同時に襲い掛かって来た。


『離れろ!』


 左手を突き出して竜語魔法を叫ぶと、二人のリザードマンが見えない力で後方に吹っ飛ぶ。


 残った三人のうち、一人目が突き出した短槍の穂先は竜剣ドラゴンソードで打ち落として足で踏みつけ、二人目のリザードマンが振り下ろした剣は竜剣ドラゴンソードを振り上げて弾く。あまりの勢いに、剣を弾かれたリザードマンはよろけて後ろにたたらを踏んだ。三人目のリザードマンが横殴りに叩きつけてきた槌は、柄を左手で掴んで受け止める。


「うおおっ!」

 気合いの声を上げて、ランスベルはリザードマンへ反撃した。


 左手で掴んだ槌をそのまま力ずくで引き寄せると、リザードマンは前のめりに体勢を崩して地面に手を付く。


 穂先を足で押さえられたリザードマンは槍を手放して腰の剣を抜こうとしたので、その前に竜剣ドラゴンソードで胸を突き刺した。普通の鉄にはない抵抗感があり、魔法の武具が接触した時の不思議な色をした火花が飛び散る。


 一人倒したランスベルは、次に目の前で地面に手を付いているリザードマンに止めを刺したかったが、剣を弾かれてよろけていたリザードマンが態勢を立て直して再び斬りかかって来ようとしていた。


 突き刺した竜剣ドラゴンソードを引き抜きながら、『飛べ、竜剣!』と竜語魔法を叫んで投げつける。竜剣ドラゴンソードは凄まじい速度で縦に回転しながら飛び、身を守ろうとしたリザードマンの剣を砕いて兜ごと頭を真っ二つにして飛び去った。


 足元に倒れていたリザードマンが短刀を抜き、立ち上がりざまに下から突き上げてくる。ランスベルは素早く身をかわしてリザードマンの背後に回り込むと、そのまま首を取って力いっぱい折り曲げた。ゴキン、という不気味な音と感触がして、首を折られたリザードマンは死んだ。


 この戦いの間、族長らしきリザードマンは攻撃してこなかった。杖を打ち鳴らして全身を上下させ、首から下げた胸まで覆う骨の首飾りを騒がしく鳴らし、まるで踊っているようである。


 ランスベルにはこのまま飛び掛って、竜爪ドラゴンクロウなり素手なりで殺すという選択肢もあったが、相手の動きに不気味さを感じて竜剣ドラゴンソードを取り戻すことにした。吹き飛ばした二人のリザードマンが駆け戻ってくるのが見えたためでもある。


 ランスベルは手を竜剣ドラゴンソードに向けて竜語魔法を使った。


『戻れ、竜剣』


 投げてしまった竜剣ドラゴンソードが持ち上がり、くるくると回転しながら戻ってくる。


 ギブリムのように突然手に現れるというものではないが、習熟すれば投げた竜剣ドラゴンソードを自在に操れるという竜語魔法である。ランスベルは残念ながらその域には達していないので、手元にまっすぐ戻す事しかできない。


 戻ってきた竜剣ドラゴンソードを掴んで族長に迫ろうとした時、同じく戻ってきた二人のリザードマンが横から突進してきた。さらに、背後から他のリザードマンが迫ってくる気配もある。だが、包囲されることをランスベルは心配していない。アンサーラが敵を斬り捨てながらこちらに向かっているし、背後から迫るリザードマンのさらに向こうからギブリムの声もする。


 その時、イムサが「注意!」と叫んだ。


 石筍の背後や壁の窪み、地面の穴から隠れていたリザードマンたちがぞろぞろと出てきたので、その事を警告しているのだろうとランスベルは思った。背後の敵に注意しながら目の前にいる二人の攻撃を避け、切り払い、時に力ずくで前進する。


 そしてついに、族長らしきリザードマンとランスベルの間に敵はいなくなった。着飾ったリザードマンは相変わらず全身から騒々しい音を出し、ゆらゆらと不気味な動きを続けている。


「注意!」と、再びイムサが叫ぶ。

「魔法です!」


(えっ?)


 イムサの警告が自分に向けられたものだと気付いて、ランスベルは肩越しに背後を見た。


 倒れたリザードマンたちの向こうにギブリムがいて、その後ろにイムサがいる。二人ともランスベルと合流すべく走って来る。


 ランスベルはイムサが警告したように魔法の力が働いているのを感じ、ギブリムの様子がおかしいのに気付いた。


 今まで見た事の無い激情に駆られた表情で、目は血走り、歯をむき出して、口の端からは泡を吹いている。


 それだけでなく、見る見るうちに下顎の犬歯が牙のように太く大きく伸びていき、それに合わせて大きな団子鼻が醜く潰れ、上向きになっていく。顔の下半分を覆う柔らかで豊かな髭は固く尖りながら顔から全身を覆い尽くし、首と肩が無くなって、鼻面が伸びる。


 ギブリムの変身は一瞬で完了した。兜と鎧をすっぽりと脱ぎ捨て、巨大な猪と化してランスベルに向かって突進してくる。


 驚異の出来事にランスベルは混乱して、どうすればいいかの分からなくなった。まっすぐに突進してくる猪をどうにかすることは容易いが、それが魔法で姿を変えられたギブリムでは乱暴するわけにはいかない。


 迷って動きを止めたランスベルに猪は体当たりした。一瞬で股の間に長い鼻面を突っ込むと、衝撃に驚くランスベルの身体を持ち上げて横に投げ飛ばす。


「がはっ!」


 ランスベルは受身も取れずに地面へ投げ落とされた。肺の中の空気が口から飛び出る。涙に霞む視界の中で、猪は再びランスベルに飛び掛ってきた。

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