9.アンサーラ ―盟約暦1006年、冬、第9週―

 扱える力は強大だが実戦経験はほとんどない――というランスベルの危うさは、これまで問題にならなかった。戦いに積極的ではなかったからだ。だが、永い眠りから目覚めてからのランスベルは以前よりも戦いに積極的だった。だから、こうなるかもしれない可能性を心配もしていた。


(戦いの前に、一言だけでも釘を刺しておくべきだった)


 アンサーラは後悔したが、もう遅い。ランスベルは竜語魔法の炎で敵陣の中に道を開き、単身で飛び込んでしまった。


 アンサーラは敵を倒すよりも合流を優先して急いだ。


 ランスベルは六人の敵を前にしても優位に戦っている。だが、目の前にいるリザードマンの一人――ドラゴンを象った金色の冠を頭に乗せている――が呪術師で、しかも魔法をかけている事に気付いているかどうかは分からなかった。


 エルフの鋭い聴覚は、そのリザードマンが発する〝シュー、シュー〟という蛇のような声を聞き取っていたし、それが呪文詠唱である事にも気付いていた。全身を揺すって出す音と、ゆらゆらした動きも魔法を構成する要素の一部だ。


 ランスベルが三人のリザードマンを倒した頃、アンサーラも敵陣深く進んでいた。もう少しで抜ける――というところで、突然視界がぐにゃりと歪む。強い眩暈を感じてよろけ、足が止まる。


 リザードマンの使う古の魔法について詳しくないアンサーラでも、それが精神に影響する魔法だと分かったので、すぐに自分の精神を防御して魔法の影響から逃れた。アンサーラの動きが止まったのに気付いたリザードマンは好機と見たのか、槍を突き出してくる。


 すでに立ち直っていたアンサーラは、細い腰を捻って紙一重に穂先をかわしながら、ぐんと左手を伸ばして剣先で槍を持つリザードマンの指を切り飛ばした。先行した左手を追うようにして身体の向きを変え、悲鳴を上げたリザードマンの口に右手の剣を突き入れる。剣は口中から頭部を貫通した。


 そのように身体の動きはほぼ完璧でも、アンサーラの心は乱れていた。敵は知っていて狙ったわけではないだろうが、ランスベルの弱点を突いているのだ。


 ランスベルにはドラゴンがいない。そして〈竜珠ドラゴンオーブ〉は力を与えてくれるだけで意思がない。その事に、アンサーラは出会ってすぐに気付いていた――


 〈盟約の丘〉で最後の誓約を交わした日、ランスベルは自分の家族が人質に取られているという状況に悩んでいた。もしドラゴンの意思が〈竜珠ドラゴンオーブ〉に残っているなら、アンサーラやギブリムに相談する必要などない。ドラゴンの知恵を借りた上で、それが受け入れ難いと悩んでいるのなら別だが。


 ドラゴンの精神が結び付いていないという事は、力の制御もランスベル一人で行っているはずである。その証拠に、エイクリムでランナルの生命機能まで止めてしまうほど強力な〝金縛り〟をかけてしまったり、〈世界の果て山脈〉の交易所で防御を緩めてしまったり、という失敗をしたのだ。


 そしてそれは、ランスベルの精神防御が普通の人間と大差ない、という事も意味する。仮に訓練を受けていたとしても、アンサーラが意識して防御しなければならないほど強い魔法であれば影響は免れないだろう。


 事実、リザードマンの呪術師を目の前で、ランスベルは剣を下ろして呆然と立ち尽くしてしまった。最初に竜語魔法で跳ね飛ばした二人のリザードマンが左右から迫っているのに反応していない。明らかに魔法の影響を受けている。


 二人のリザードマンの持っている剣が魔法の品なのは一目瞭然である。それほど強力ではないが、魔法の武器ならランスベルを傷つける可能性はある。


 アンサーラは立ち塞がるリザードマンの間をすり抜けながら、一人の足の腱を断ち、わき腹を切り裂いた。単なる牽制なので致命傷ではない。やっと敵の集団を抜けたアンサーラはランスベルの元に駆けつけようとしたが、目の前にリザードマンの伏兵が立ち塞がる。


 間に合わない――そう思った瞬間、アンサーラの金色の瞳は怒りと殺気に満ちた。勇猛なリザードマンでさえ、びくりと肩を縮める。


「注意! 魔法です!」


 その時、イムサの叫びが聞こえてアンサーラは冷静さを取り戻した。見れば、ギブリムとイムサの二人がランスベルの元へ走っている。


 アンサーラは二人を援護すべく、剣を捨てて魔法の液体が入った小瓶を地面に叩きつけた。指の動きを交えて呪文を唱え、風を操って、割れた小瓶から立ち上る冷気を矢のようにして飛ばす。


 単に驚かせる程度の威力しかないが、アンサーラの目論みは成功した。ランスベルに向かって剣を振りかざしていた二人のリザードマンは、突然の冷気に顔を打たれて驚き、剣が鈍る。


 その隙にギブリムが体当たりするようにしてランスベルを押し倒した。ランスベルの頭があった位置を、リザードマンの剣が空振りする。


 強かに背中を打ちつけて、「がはっ!」と、ランスベルがあえいだ。ギブリムはそのまま飛び掛るようにして倒れたランスベルの上に覆い被さる。


 リザードマンはギブリムの背に向かって剣を振り下ろした。ガツンという音に続いて、不思議な色の火花が散り、衝撃にドワーフの身体が揺れる。


 魔法の剣による一撃はギブリムの鎧を傷付けた。それでも、まるで意に介さぬようにしてギブリムはランスベルの胴体を跨いで立ち上がり、盾と槍を手にして周囲に睨みを利かせる。ドワーフの下にいるランスベルを攻撃するのは困難だろう。


 イムサは腰の小袋をまさぐりながら、ランスベルの頭のほうへ回り込もうとしている。


 ランスベルはあの二人に任せれば大丈夫だろう――アンサーラは安堵して、ゆっくり息を吐き出した。


 激しく感情を爆発させて力を得る戦い方を、エルフは無様で下手な戦いと見なす。エルフの戦士が目指すのは、自制心を極限まで高めることで心身を完璧に制御した戦い方だ。もちろんアンサーラもそうしてきたが、彼女のような達人でも焦り、怒りと殺意をみなぎらせてしまう事はある。


 アンサーラは今、それを反省し、一切の乱れがない水面のごとく心を静めた。集中力を極限まで高める。


 仕留めずに残してきた背後の敵と、新たに現れた敵の伏兵はアンサーラを完全に包囲し、その輪をじりじりと狭めていた。間合いに入ったと見るや、一斉に槍を突き出す。


 全方位から一斉に槍で突かれれば、アンサーラと言えども空中に逃れる他にない。それこそが敵の狙いだったかもしれない。


 アンサーラは足元に落とした剣の鍔につま先をかけ、足を折りたたむようにして飛び上がった。空中で跳ね上げた剣を掴むと、音もなく静かに、一本の槍の柄に下りる。


 リザードマンたちの表情は読めないが、全員があんぐりと口を開けて、槍の上に直立するアンサーラをただ見ていた。


 アンサーラは槍の柄の上を滑るように足を運び、剣の一突きでその持ち手を殺すと、槍の上から跳躍して死んだリザードマンの背後に着地した。顔の前で交差するように剣を左右に突き出して、さらに二人のリザードマンを殺す。


 仲間が殺されたにも関わらず、リザードマンたちは静まり返ったまま、呆然とアンサーラの動きを見ていた。超人的な動きに驚いたのか、技に魅入られたのか、あるいは圧倒的優位にあったはずの自分たちが一瞬で三人も殺された恐怖か――いずれにしてもリザードマンたちが立ち直るまでの間に、さらに四人のリザードマンが死んだ。


 アンサーラは無心のまま、ただリザードマンを殺すためだけに動く恐るべき死の旋風と化した。

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