6.ギャレット ―盟約暦1006年、冬、第10週―

 誰もが予想したとおり、夜明けを待ってアルガン帝国軍は王都へ攻撃を開始した。三万弱の帝国軍を五つに分けて、それぞれ門を攻める。特に策を弄する事もなく正攻法であった。


 アルガン帝国軍は王都制圧に充分な兵力を有し、装備と兵の練度においてはファランティア王国軍を上回っているのだから、策など不要なのだ。


 対するファランティア王国軍も敵に合わせて軍を分け、門を防衛した。


 しかし防衛を目的として造られていない王都の門に、そうした戦いに不慣れな兵では時間稼ぎにもならない。正午前には次々と陥落し、帝国軍は王都への侵入を果たしてしまった。


 そうして戦場となった王都を、ギャレットは馬で駆け抜けた。


 幹線道路や環状道路のような大通りにいる民を見つけては、「通りに出るな! 軍隊の通り道を避けて隠れていろ!」と警告して回る。城のほうへ逃げようとする人々を見つければ、「敵の目的地は城だ! 城に行っては駄目だ!」と警告した。


 叫んだせいで痛む喉が、この戦争の始まりとなったサウスキープの戦いを思い出させる。あの時と違って、人々はギャレットの指示にも素直に従ってくれた。グスタフから贈られた立派な甲冑と、ハイマンに貰ったマントがものを言っているのだろう。


 帝国軍のほうもサウスキープの時とは違い、町に火を放つようなことはしていない。しかし、抗戦する意思のない者であっても進路上にいれば容赦なく攻撃するのは同様だ。


 だからギャレットは、逃げ遅れた民を襲う帝国兵がいれば不意打ちでも何でもして攻撃した。押し込まれている味方があれば、自ら飛び込んで援護したり、近くの味方を呼びに行ったりもした。


 しかし、ギャレット一人の奮闘でこの戦いがどうにかなるわけではない。


(この戦い、いつまで続く……これはもう負け戦だ。グスタフ公のように落城するまで兵を犠牲にして戦うつもりなのか……)


 そんな事を考えていたギャレットの前方で、帝国軍のクロスボウが放たれる嫌な音がして悲鳴が上がる。


 はっとして顔を上げると、ギャレットが走っている道と城へ向かう道が交差する十字路で、ファランティア軍と帝国軍の小規模な部隊同士が戦っているのが見えた。


 ファランティア兵は背後に庇った民と共に後退しようとしている。帝国軍は離れていく相手を追わず、容赦なくクロスボウで狙う構えである。


 民を守るつもりなら、逃げる時間を稼ぐためにファランティア兵は前進すべきだった。距離を詰めればクロスボウから背後の民を守れる。結果的にはそのほうが被害は少ない。だが、ファランティア兵を指揮している騎士は「民の盾となって後退しろ」と指示している。


(守るのはいいが、そんな逃げ腰では駄目だ)


 ギャレットは速度を緩めて周囲を見回した。自分一人で飛び込んでどうにかなる状況でもないからだ。


 通りの両側には建物が並んでいて、その中に一つだけ飛び出ているとんがり屋根の建物がある。もしエッドがいたら陣取りそうな場所だ。ギャレットも弓は持っているから、そこから援護する事もできる。しかし、建物を取り囲まれてしまったら逃げ場を失う。


 とんがり屋根を見上げていると、ちらりと弓の一部が見えた。


 ギャレットの期待が見せたエッドの幻ではない。弓の先端部分の形はファランティアで使われる短弓や狩猟弓と違う。


 馬を止めて素早く周囲の気配を探る。建物の影や窓の下など、この付近には北方軍の戦士が二〇人程度は潜んでいるようだ。


 比較的派手な格好をしたギャレットに目の前をうろうろされては都合が悪いのか、建物の影から北方人の戦士がぬっと顔を出し、声を抑えつつも鋭く言う。


「立ち止まんな、俺たちが見つかっちまう!」


 ギャレットは再び十字路に目をやった。帝国軍はギャレットのいる通りまで前進して側面を見せている。


「攻撃の機会を逃すのか? 敵はこちらに気付いていない。側面から攻撃すれば味方を助けられるぞ」


 北方人は怒りに目を吊り上げた。

「おめぇの命令は聞かねぇ」


「俺はハイマン将軍より前線の指揮権を与えられている」


 ギャレットはマントを見せたが、北方人は唾を吐き捨てて言った。


「ハイマンだか何だか知らねぇが、俺らに命令できんのはブラン王だけだ。あいつらを助けろとは言われてねえ!」


 その一言が鍵となって、これまで見てきた王都の状況と、かつて傭兵として見た戦場の経験から全てがはっきりした。


(そうか……王都を駆け回っても、北方兵をほとんど見かけなかった理由……これはブラン王の思惑だ。奴の目的が何かは知らんが、戦いを長引かせる必要があるのだ。ファランティアを守るつもりはこれっぽっちもない。味方の、いやファランティア人の犠牲など全く気にしていない……!)


 ギャレットは静かに怒りを燃やしながら、無愛想に「そうか」と言って馬から下りた。弓と矢を鞍袋から引き抜くと、馬の尻を叩いて路地に入れ、その反対側の路地に駆け込む。そこに隠れていた北方兵は、ギャレットが路地に入ってきたので怪訝な表情をした。


 彼らを無視してギャレットは矢をつがえ、路地から半身を出す。

 北方人の一人がその意図に気付いて声を上げた。


「やべえ、そいつを止めろ!」


 路地の奥にいた北方兵が飛び掛ってくる前に、ギャレットの矢は放たれた。


 ぶーんと矢羽を鳴らして飛んだ矢は、帝国軍のクロスボウ兵の肩に突き刺さる。

 ぎゃっ、と叫び声が上がり、帝国兵たちが矢の飛んで来た方向に目を向けた。


 ちょうど、背後から飛びかかってきた北方兵を逃れてギャレットが道に飛び出したところだった。帝国兵がクロスボウを向けたので、そのまま道を横切って向かいの路地に逃げ込む。


 勢い余った北方兵が続いて道に飛び出したと同時に、帝国軍からクロスボウが発射された。しかし彼らを狙ったものではなかったので、誰にも命中せず家の壁や地面に突き立つ。飛び出してしまった北方兵は慌てて自分たちのいた路地に戻った。


 それから、事はギャレットの思惑どおりに運んだ。潜んでいる北方兵に気付いた帝国軍は隊列を組みなおし、部隊を二つに分けて、一方をこちらに向けて進めて来る。


「ちっきしょう! やりやがった、あの野郎!」


「仕方ねぇ、あの帝国兵どもを皆殺しにして移動だ!」


 隠れていた北方兵たちは、なし崩しに戦闘へ突入した。屋根の上にいる北方兵が長弓ロングボウによる射撃を開始し、隠れていた他の兵も武器を構えて敵を待ち受ける。


 ギャレットはほくそ笑んだ。


(これであのファランティア兵と民は逃げ切れるだろう)


 そして再び馬に飛び乗って、その場から離れる。たとえ肩を並べて戦ったとしても、帝国兵を倒した後に狙われるのは自分だろうからだ。


 馬がぎりぎり通れる狭い路地で道に迷いながらもギャレットは高いほうへと馬を走らせる。道は分からなくても、そうすれば城には着けるはずだ。


 自分が何をすべきか――ギャレットにはもう分かっている。


 ブランの目指す勝利は、ファランティアの勝利ではない。


 しかしギャレットの剣は、ファランティアの民のためにあるのだ。

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