7.ブラン ―盟約暦1006年、冬、第10週―

 ブランはレッドドラゴン城の大広間に、完全武装して堂々と座っていた。


 大広間にあったテーブル類は片付けられ、今は軍議に使う長方形のテーブルが中央に据えられているのみである。その上には王都の地図があり、色を塗り分けた四角い木片が散らばるように並べられていた。白がファランティア王国軍、黒がアルガン帝国軍を表している。


 大広間にはひっきりなしに伝令が出入りし、報告を受けるたびにその木片は位置を変えた。それを見てハイマンが指示を出し、伝令は再び駆け出して行く。


 その様子をブランは上座から見下ろしていた。自然体を装っているが、心中では戦いの興奮を楽しんでいる。


 全体的に見れば、ファランティア王国軍はレッドドラゴン城へと押し込まれていた。それはすなわち、帝国軍が王都の奥へと食い込んで来ているということだ。


(もっと食いついてこい。ファランティア人という餌にな)


 笑みを浮かべないよう注意しながら、ブランは思う。


(サイラス、弟の首は俺がもらうぞ。悪く思うなよ)


 少年の頃に一度会ったきりなので、ブランの記憶の中にいるサイラスは少年の姿をしている。だが、そのただ一度の出会いがブランに覇道を歩ませるきっかけになったのは事実だ。


 ――少年時代のあの日、サイラスに〝赤毛の小熊〟呼ばわりされて、ブランは真剣に打ち負かしてやろうと思った。子供の頃からブランは大きな体格をしていたが、それに見合わぬ俊敏さも持ち合わせていたので、年上のサイラスでさえブランには勝てないはずだった。


 だが、サイラスは捕まえられなかった。

 捕まえた、と思うと笑いながらすり抜けていくようで捕らえ所がない。


 やっとのことで捕まえた時には、ブランはへとへとに疲れていた。そのせいで――と、ブランは今でも思っている――その後の力比べは引き分けに終わる。


 引き分けは負けと同じくらい悔しいのだと、この時ブランは初めて知った。しかし悔しくはあっても、不思議なことに怒りは湧いてこなかった。全力を出し尽くした清々しさが勝っていたのだ。


 サイラスもまた息を切らせて汗だくになりながらも笑顔を見せ、二人は笑い合った。


「次は勝つ」


 ブランが言うと、サイラスは頷いた。言葉は理解できなくとも意味は通じていたに違いない。


 サイラスはファランティアを去る前にブラン宛の手紙を残した。異国の言葉で書かれたそれを読むために、ブランはファランティアの王国図書館に通うはめになったが、そこにはこう書かれていた。


 〝この国を見て、俺はエルシア大陸を一つの人間の国にすると決めた。達成できたらまた会おう。次の勝負はその時だ〟


 それは衝撃的であった。


 ブランもいずれは王になり、アルダー地方を治めることになるという自覚はあったが、そこに気負いはなかった。そのくらいの事は、自分なら何となくやれてしまうと分かっていたからだ。


 エルシア大陸は当時のブランが知る世界の全て――北方とファランティア王国――よりもずっと大きい。サイラスは、その全てを自分の国にすると宣言している。


 いずれアルダーの王になる、という未来が急速に色褪せ、退屈なものとしか思えなくなった。全力を尽くし、どこまでできるのか、どこまで行けるのか試したいという強い欲求は無視できなくなっていった。


 その果てで再びサイラスと競えれば良かったのだが、この現世では、その機会は永遠に得られなくなってしまった。


 サイラスが大海の神の手で〈水の宮殿〉に召されていれば、死後に戦場でまみえる事もあるだろうが――と、ブランはいつも夢想する。


 立て続けに伝令がやってきて、地図上の木片が動かされた。


 それを睨んでいたハイマンは振り返って上座の前で膝を付く。ブランに対してではなく、隣に座っているアデリン――テイアラン五〇世に対してだ。


「女王陛下、もはや雌雄は決しております。これ以上の戦いは無意味。降伏を進言致します」


 ハイマンが降伏を勧めるのはこれで三度目だ。一度目は門が落ちた時、二度目は敵が第二門に迫った時、そして今回。地図を見ると、帝国軍がレッドドラゴン城に集結しようとしているのは明らかで、それを防ぐ術がハイマンには無いのだろう。


 ファランティア騎士は降伏を恥と考える。現に、大広間に残っている数人の騎士たちは目を伏せて恥辱に耐えている様子だ。


 ブランに従う北方の戦士たちは、臆病者とでも言いたげな視線をハイマンに向けている。だが、ブラン本人はハイマンを高く評価していた。


 ファランティア王国の将軍など肩書きだけの人物だと思っていたが、ハイマンは予想外に有能な指揮官だった。北方人の支援があったとはいえ、烏合の衆に過ぎないファランティア王国軍でブランの戦術を実行できたのは彼の指揮能力によるものだ。この戦況で降伏という判断も正しい。正しいからこそ、ブランにとっては厄介なのである。


 アデリンは真っ青な顔で、目を泳がせながらブランのほうを見た。しかし決して直視しようとはしない。その顔はすでに恐怖一色で塗り潰されている。


「降伏の必要はない」


 まるで臣下に命じるように、威圧感を持ってブランはアデリンの視線に答えた。アデリンはハイマンを見下ろし、消え入りそうなか細い声で命じる。


「ブラン王の言うとおりにして……」


 頭を垂れたまま、ハイマンはがっくりと肩を落とした。


「……陛下の御心のままに」

 そう言って立ち上がり、指揮に戻る。


 その背中を見つめているアデリンに、ブランは小声で話しかけた。

「降伏しても死、負けても死だ。恐ろしいか、テイアラン女王」


 アデリンは太った肩をわなわなと震わせ、下を向いたまま消え入りそうな声で答える。


「……あなたは怖くないのですか……」


「覚悟はできている。それが王というものだ」


 覚悟どころか、ブランは今、楽しくて仕方が無かった。

 レスターの首を取れるか、自分が取られるか――命を賭けた死の遊戯が楽しくないわけがない。


 ブランは立ち上がり、アデリンの座す玉座の背もたれに手をかけ、その耳元で囁く。


「女どもを連れて奥に隠れていろ。終わったら呼びに行く。もし強引に扉を破ろうとする者がいたら、それは敵だ。その時はこれを使え」


 毛皮のマントの下に隠して酒瓶を差し出すと、アデリンは震える手でそれを受け取った。


「〝本物の〟ブラッドワインだ。苦しまず、速やかに、眠るように逝ける。生きたまま敵の手に落ちれば、どのような目に遭うか分からんぞ」


 アデリンはガクガクと首を縦に振った。そして受け取ったワインを隠して、ふらふらと大広間の奥へと向かう。その動きにハイマンも気付いたようだったが、もう何も言わなかった。


 ブランはどっかと椅子に座りなおし、王都の地図を見下ろす。


 戦いはもはや最終局面に入っているのに、配下の戦士長たちからは報告が無い。予想ではもっと早くレスターは動くと思っていた。


(慎重すぎるな、レスター。それでもサイラスの後継者のつもりか?)


 だが――と、ブランは腕を組んで思う。


(だが、もうすぐだ。お前は必ず王都に入ってくる。サイラスなら正面から……白竜門からだ。そうだろう?)

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