5.ギャレット ―盟約暦1006年、冬、第4週―

 サウスキープの避難民が集まっているテント群から歩み出てくるジョンを、ギャレットは見つけた。ジョンのほうもギャレットに気付いているらしく、その視線を受け止めている。サイズの合わない鎧を工夫して着ていて、見栄えは悪くない。


 胴体は胸当てブレストプレートのみで、腕も篭手ガントレットしか付けていない。甲冑は首鎧ゴルゲット肩甲ポールドロンなど、その他の部位が支え合って重さを分散する構造になっているものだが、それらを外しているため荷重は両肩に集中しているだろう。鎧われた下半身も脚の力だけで持ち上げなければならず、負荷は大きいはずである。


 それでギャレットは、実用のためというより外見を整えるために、その新品の鎧を着ているのだと思った。


 ジョンが無視するなら呼び止めなければと思っていたギャレットだったが、ジョンは僅かに緊張した面持ちで立ち止まり、声をかけてきた。


「二人とも、生きてたんですね」


「それはこっちのセリフだ。一体何がどうなっている?」


 ジョンが口を開きかけても、ギャレットは止まらなかった。


「あの娘は農――」


 その瞬間、ジョンが剣呑な気を発して剣に手をやったので、殺気を感じたギャレットも思わず身構える。


「ここで、それ以上、あの娘について話したら相手が隊長でも容赦しませんよ」


 凄みのある低い声でジョンが言った。

 周囲にいる人々が、何事かという顔をして三人に視線を向ける。


「まあまあまあ」と、エッドが自然に二人の間へ割って入った。

「ここじゃアレだから、場所を変えましょう」


 エッドが先頭に立ち、ジョン、ギャレットの順で三人はその場を離れ、城壁の上までやって来た。


 正午の日差しに照らされていても、冬の風が吹き抜ける城壁の上は寒い。焼け落ちた帝国軍の野営地がはっきりと見え、焦げた臭いまで漂ってきそうだ。


 今、その野営地ではチカチカと瞬く光が動いていた。戦いの後処理をしているファランティア軍の兵士らが持っている槍の穂先が、透明な冬の日差しを反射して光っているのだ。


 三人は城壁の上を歩いて、物見台になっている尖塔の一つまでやって来た。そこで見張りをしている近衛兵に頼んで少し離れていてもらう。彼らと話したのはエッドだが、後ろに立つギャレットの顔が物を言ったようだ。


 三人だけになって、エッドは言った。


「ここならいいでしょう。ただ、でかい声を出すと下まで響くから注意してくださいよ」


 エッドが言い終わるのと同時に、ギャレットはジョンに向かってもう一度尋ねる。


「で、どういうわけなんだ。何をしているんだ、お前は」


 ジョンは肩をすくめた。

「クララの仇討ちを手伝ってるだけです」


「あの娘の仇討ちは終わっている。農場を襲って家族を殺した帝国兵は全員俺たちで始末しただろう。お前だって、あの娘だって、見ていたはずだ」


 最後の一人を殺したのはクララ自身だが、その事は敢えて言うまでもない。


「フランツと同じ事を言うんですね。それじゃ足りなかったんでしょ」


 ジョンはさも当然というように言った。


「足りない?」


 訳が分からず、ギャレットは聞き返す。ジョンは柱に背を預けた。


「そのままの意味ですよ。家族を殺されて、それまでの暮らしも、未来も奪われたクララの怒りは帝国兵を四、五人殺したくらいじゃおさまらないって事でしょ。もう全員ぶっ殺さなきゃ気が済まないくらい頭にきたって事じゃないですか?」


 ギャレットにはクララの怒りと憎しみの原因を理解はできても、共感はできない。


「それで、なぜお前がそれを手伝う事になったんだ。あの夜、何があった?」


 ジョンは「あの夜――」と答えかけて口をつぐんだ。腕を組み、自分のつま先を見つめて何か考えている様子だ。ギャレットは苛立ちを覚えたが、ジョンが言葉を見つけるまで待つだけの忍耐力はあった。


「――上手く説明できないんですけど、帝国兵を殺したクララを見た時に分かったんです。あ、これが正解なんだ……って、すごく自然に受け入れられた。いつ死ぬか分からない、自分の命も自由にできない戦場から連れ出してくれた隊長には感謝してます。でも、俺にとってはファランティアも大して変わらなかった。不自由なことには変わりなかったんです。傭兵でいた頃は、傭兵団の規則や雇い主との契約に縛られて、命令され、行動を強いられていました。ファランティアでは、何て言うか……そう、平和な空気の押し付けっていうか、〝こうあるべき〟みたいな暗黙の了解って言うんですかね、そういう見えない何かを押し付けられてる感じがして気持ち悪かった。馴染めない俺のほうが変なんだ、って思うようにしていたけど、居心地は悪かったですよ。でもあの夜、怒りと憎しみに満ちたクララが帝国兵を殺すのを見た時、あいつは自由な存在に見えました。あいつと一緒にいれば、俺も自由になれるんじゃないかって……俺も自由になっていいんだって、感じたんです」


 ギャレットは驚いていた。ジョンがそんなふうに感じていたと今この時、初めて知ったからだ。


 その気持ちも分からないではない。ギャレット自身、〝傭兵だった頃は――〟とか、〝傭兵だったら――〟とか、何度も考えた事がある。それは傭兵団で育った自分の常識と、ファランティアの常識が衝突したためだろう。しかし、それでもギャレットは直感に従って言った。


「そんなのは、おかしい」


 ジョンはクララを批判されたと感じたのか、それとも自分の気持ちを分かってもらえない苛立ちか、ギャレットを睨みつける。ジョンに敵意を向けられたのは二度目だが、今日まで無かったことだ。


「俺からすれば隊長のほうがおかしいですよ。他人の決め事や命令に従って戦うっていう意味では、傭兵も騎士も同じでしょ。せっかくそういう世界から逃げ出したのに、また同じ事をやってる」


 傭兵と騎士は違う――とギャレットは反論したかったが、ジョンの言葉が先んじた。ジョンはギャレットの胸に指を突きつけ、少し声を荒げて言う。


「クララは自分の家族を殺されたから、敵を殺してる。自分の復讐心のために戦ってる。友達を殺されてムカついたからぶっ殺した……そう言われたほうがずっと正直で人間らしいし、納得できますよ。契約とか責任とか、自分の外にある理由で人殺しする連中のほうが変です。気味が悪い。報酬が金でも名誉でも一緒でしょ。報酬、責任、義務、そんな理由で憎くもない相手を殺せるほうが狂ってます」


 かっと頭に血が上って、ギャレットは拳を握り締めた。その怒りを感じ取ったのか、ジョンは身を固くする。


 だが、ギャレットの拳は振るわれなかった。エッドがその腕を掴んだからだ。

「騒ぐと下まで聞こえますって!」と、鋭い声で警告する。


 怒りを飲み込むのは難しかったが、ギャレットは何とかそれをやってのけた。ギャレットには今でも自分は隊長だという自覚があり、ジョンは子供だという意識がある。


 傭兵と騎士は違う――ギャレットは心の中で繰り返したが、その理由までは説明できそうになかった。その事がより、自身の怒りを燃え上がらせる。


 緊迫した雰囲気の中、三人は沈黙した。それを破ったのは怒りを抑えたギャレットであった。


「お前の考えは分かった。好きにすればいい。今はお互いの主義主張について議論している場合じゃないからな」


 言い過ぎたと思ったのか、ジョンはに顔を逸らしていたが、ギャレットは気にせず尋ねる。


「なぜクララが聖女になっている。あの司教気取りの帝国人は何者だ?」


「あの司教気取りの帝国人はマイルズっていう名前で、元は帝国の小隊長です。司教なんかじゃないです」


 その口ぶりからマイルズに対する嫌悪感を察して、ギャレットは少し安心した。


「そのマイルズとかいう奴に聖女だとか煽てられて、乗せられているわけじゃないんだな?」


 念を押すようにギャレットが問うと、ジョンは口元に侮蔑の笑みを浮かべた。


「ありえませんよ。奴はただの狂信者です。俺もクララも、マイルズに操られてなんていません。正確には、利用し合っている、というのが正しいと思いますね。俺とクララは、あいつと聖女信仰を利用して帝国兵を殺して回っているだけです。マイルズには元から帝国のやり方に不満があったみたいですし、司教になりたかったんじゃないですかね。すっかり成り切って、満足そうですよ」


 詳しい経緯については興味がなかったので、ギャレットは最後の質問に移った。


「ヴィルヘルムについて、知っている事を教えてくれないか?」


 昨日、ブラックウォール城が包囲から解放された時、ヨハンは確かに言ったのだ。〝これらの品々はヴィルヘルムからの贈られたものです〟と。


 だからこそ、グスタフはあれらの物資を受け取ったに違いない。そうでなければ城主としての誇りがその申し出を拒んだか、あるいは、平民に配るのは自由だが貴族は施しを受けないとか言ったはずである。


 ジョンは真剣な表情になって言った。


「いいですけど、俺からも条件があります。今後一切、クララについて余計な事を話さないで下さい」


「……わかったよ、約束する」


 ギャレットが答えると、ジョンは頷いた。


「とは言うものの、そんなに詳しい事は誰も知らないと思いますよ。そもそも、支援者が誰なのかさえ知りませんでしたし、気にもしてませんでした」


 ギャレットは思わず、〝ばかっ、気にしろよ!〟と言いそうになって、その言葉を飲み込んだ。これ以上ジョンを刺激すれば彼は立ち去ってしまうかもしれない。


「五週間くらい前かなぁ、その支援者からの使いと名乗る男がやって来て、俺たちの活動を支援すると申し出てきたんです。一応、理由は聞きましたけど、俺たちの活動に期待しているからだという事でした。だから、帝国に恨みがある裕福な貴族か商人かなって。名前を尋ねても、その使者も支援者も名乗りませんでしたし。それから何度も援助を受けましたが、最後に物資を受け取った時に使者の男が言ったんです。〝これをブラックウォール城に運び入れて欲しい〟って。それはつまり包囲軍と戦うって事ですが、俺たちの中にはブラックウォール城の家族と会うのが目的っていう連中も多かったし、聖女軍の規模も大きくなってきて拠点が必要になっていたのも事実だったんで、良い機会だったんですよね――」


 平然と話しているようでも、ジョンの言葉は熱を帯びていた。連戦連勝してきたという自負や、何もかも思い通りに進んでいるという勢いが気分を高揚させているのだろう。


 思い通りにいかない事ばかりだったギャレットはすっかり用心深くなってしまったが、若いジョンにはそのような用心深さなどまるで無いように見える。前を見るのも忘れて、笑顔で坂道を駆け下りて行く子供のようだ。その先に平坦な道が続いていればいいが、大抵はぽっかりと大穴が空いている。


 ジョンに釘を刺しておくべきだろうと思ったが、どのような言い方をしても、ギャレットの知る言葉ではジョンのやっている事に対する否定になってしまいそうだった。それでは反感を買うだけだ。


「――で、おそらくグスタフは援助を断るだろうから、そうしたら〝ヴィルヘルムからだと言え〟って、その使者が言ったんですよ。だから支援者がヴィルヘルムと名乗ったわけじゃありません」


 ギャレットは額に手を当てて考えた。


 ヴィルヘルムがブラックウォール城にいない、という事実を知っている者は数人いて、グスタフが密かに息子を城から逃がしたという噂は平民の間にも広まっている。しかし、それが城外にまで広まるとは思えない。籠城の間、城の内外は完全に隔絶していたのだ。だからその支援者の正体はヴィルヘルム本人としか思えない。


「その使者とやらが次に来るのはいつだ?」


 ギャレットが問うと、ジョンは肩をすくめる。


「分かりません。いつも向こうから接触してくるんです。どうやって俺たちの居場所が分かるのか聞いてみたら、〝軍隊の移動した痕跡を見つけて追跡するくらい狩人なら簡単〟とかなんとか。でも、何で俺たちの支援者がそんなに気になるんです?」


 ギャレットはジョンの疑問を無視した。


「もし接触してきたらすぐに知らせてくれるか?」


 ジョンは不満げに顔をしかめたが、渋々という感じで了承した。


「……分かりましたよ。ま、グスタフが聖女軍の滞在を許してくれるなら、すぐに知らせられると思います」


「それについてはお前たちが無茶な要求をしない限り、その方向で話が進むはずだ」


 ギャレットがそう言い終わるや否や、ジョンはさっと兜を被る。


「そちらも約束を守ってくださいよ。フランツにも良く言っておいて下さいね。もしクララについて余計な事を言ったら……」


 兜の奥で、ジョンの瞳が剣呑な光を放つ。

 ジョンに脅されるとはな――と、ギャレットはため息をついた。


「分かっている。騎士は誓いを守るものだ」


 それで話は終わりだと言うようにジョンはマントをひるがえし、尖塔から出て行った。


 その背中を見送ってから、ギャレットはエッドに話しかける。

「今の話、どう思う。支援者の連絡係のことだが」


「そうですね……軍隊の痕跡を追跡するのは簡単です、確かに。でも、この広い南部で手がかりもなく探し回って見つけ出すのは難しいです。そんな事ができるとすれば、南部の地形に相当詳しい人物ですね。非戦闘員も混じった軍隊となると、通行できる場所や野営できる場所もある程度限られるでしょうし、地元の人間にも見られるでしょう」


 ファランティア南部は、ファランティア全域の実に三分の一を占める広大な土地である。闇雲に走り回って何とかなる広さではない。


「つまりそういう事を知っていて、地元の人間から情報を得られるような奴って事か。長年、南部で生計を立ててきた狩人とか?」


 ギャレットの言葉にエッドは「でしょうね」と同意した。


 狩人はその土地の領主から狩猟許可を得て仕事をし、狩猟税を払っているのが普通だ。例えばエッドの場合なら、サウスキープを含む土地の領主であるフォーゲル家から狩猟許可を得て、狩猟税を納めている。そうでなければ密猟者になってしまうし、密猟は死に値する重罪だ。


 ブラックウォール城から東のドーン山脈までの広い地域はベッカー家の直轄地であり、南部でもっとも大きな領地である。その全域を歩き回るような狩人は少ないし、密猟者でないならベッカー家の台帳を調べれば手がかりがあるかもしれない。


 ギャレットはそう考えて、組んでいた腕を解いた。エッドの肩にぽんと手を置き、「なるほど、待っているだけじゃなく、目星を付けておいたほうが良いな。助かったよ、エッド」と感謝する。


「いえ。俺も隊長には心底感謝してますから」


 真面目な顔でエッドが言った。いつものように飄々とした態度で流されると思っていたので意外だった。


「前にも言いかけた話ですが――俺も、半分はジョンと同じ気持ちです。見知らぬ誰かの都合で殺し合いするだけの場所から、隊長は俺たちを救い出してくれた。ジョンのやつは気に入らなかったって言ってましたけど、俺はここ、気に入りましたよ。森で暮らして獣を追って、町に戻って稼いだ金を使う生活。気に入ったなんてものじゃない。もう大満足でしたね。ああ、これが平和な暮らしなんだ。もう十分幸せだなあって――」


 いつもなら、〝なんだ、急にどうしたんだよ?〟と冗談めかして肩でも小突くところだ。しかしエッドの真剣な目が、ギャレットにそれを許さなかった。


「――だから、すみません。俺はここまでです」


 エッドは深々と頭を下げた。困惑しているギャレットに、エッドはそのまま言葉を続ける。


「燃えるサウスキープの町で隊長と戦う帝国兵を撃った時、本当に心の底から怖かったんです。結果的に隊長を助けられましたけど、あの後もずっと震えが止まらなかったんですよ?」


 ギャレットはその事に気付いていなかった。そんな事を考えもしなかった。


「あれからずっと、以前の平和な暮らしを取り戻すために戦うんだって自分に言い聞かせてきました。でも〈クライン川の会戦〉で思い知りました。戦うには、戦いに向かう強い気持ちが必要だって。俺にはもう、隊長やジョンのように戦う気持ちが無いんです。降りかかる火の粉は払うけど、戦場に出て行くような目的も理由もなくて……次の戦いが始まる前にこの城から避難する人たちがいます。俺も一緒に行こうかと思っています。許可していただけますか、隊長?」


 ギャレットは首を左右に振って呟くように答える。

「許可も何も、元々お前は兵士じゃない――」


 自分の言葉に、ギャレットはハッとした。いつの間にかエッドを傭兵時代と同じように扱っていた自分に気付いたのだ。エッドの気持ちや意思を確認した事は一度も無かった。


「――だから、俺に許可を求める必要なんてない。お前は傭兵でも奴隷でもない。ファランティアの自由民なんだから」


 ギャレットはそうエッドに、そして何より自分自身に、言った。


 エッドは一呼吸置いて、頭を上げた。そしてギャレットの目を見て言う。

「ありがとうございます、ギャレット隊長。お元気で」


「ああ、お前もな。エッド」


 二人は最後に傭兵時代の敬礼を交わした。

 そうしてエッドも去って行き、ギャレットは尖塔に一人取り残された。

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