11.ランスベル ―盟約暦1006年、秋、第11週―

 〈黒の門〉の戦いはスパイク谷の勝利で終わった。


 五〇〇人はいたオークのうち、ボッグルデック死亡後も戦い続けたのは半数以下で、それも呪術師が残っている間だけであった。


 しかし結果的には、すぐに逃げなかったオークたちが味方の逃走を助ける形になり、半数は無傷で戦場から脱した。残りのオークも約半数は逃げ延びたので、四〇〇人近くが生き延びた事になる。新たな王が立てば、来年にも再び侵入を試みるかもしれない数だ。


 ヒルダが追撃を指示しなかった事を弱腰と非難する者もいたが、すぐにヒルダの判断は正しかったと証明された。本格的に降り始めた雪が、冬の到来を告げたのだ。スパイク谷への道が雪に閉ざされる前に、戦士たちは急いで下山しなければならなかった。


 眼下にエイクリムの町が見えるようになると、ランスベルは竜語魔法を使ってまで異変がないか確認した。町も城も敵に蹂躙された様子はない。それでやっと、ランスベルの心から心配事が一つ減った。


 〈黒の門〉の戦場にオークの女王はいなかった。それはランスベルとアンサーラの予想が的中した事を意味している。だから町の無事を確認するまで、ランスベルは安心できずにいたのだ。


 戦士たちは列を成してスパイク谷へと下る道に入って行き、マグナルはヒルダに最初の助言をした。


「気を引き締めなされ。これからが大変ですぞ」


 町の入口では衛士たちが待っていて、その中にはランナルとアンサーラの姿もある。城へと向かう道中、ランナルはヒルダに奇襲攻撃があった事と、その顛末について簡単に話した。敵を撃退したのはアンサーラだと彼は説明したが、アンサーラは衛士たちこそが町を守ったのだと進言した。


 そんな話をしながら、ヒルダを中心にした集団は城の大広間に入った。小さな城なので、とても全員は入れないが、ヒルダは皆に労いの言葉をかけて〈蜜酒の館〉の開催を宣言する。


 ランスベルの読んだ本には、〝一週間続く宴会〟と書かれていたものだ。北方では慣習として、大きな戦いに勝利した後に催される事が多く、会場では一週間ずっと飲み食いが許される。


 戦士たちが歓声を上げて〈蜜酒の館〉の準備に動き出す中、ランスベルはヒルダに近づこうと努力した。戦いが終わってから、彼女とはまだ一言も話していない。スヴェン王のお悔やみさえ言っていない事に今さらながら気付いたのだ。


 戦いが終わってからエイクリムに帰還するまでの間、話す機会はあったのに、ランスベルにはその余裕が無かった。エイクリムの状況が気になっていたのも一因ではあるが、初めての戦場と、自分の行いに、心を囚われていたからだ。


 〈黒の門〉で、ランスベルは必死に戦った。早く呪術師を始末しなければヒルダもスヴェンのように殺されてしまうと思ったのだ。それで、ランスベルは数え切れないほどのオークを斬り、竜語魔法の炎で焼いた。首から下は人間と変わりない――いや、首から上だって、中身は人間と大差ない――彼らを。


 問題は、人間を斬った時ほどの罪悪感が無かったという事実であった。その理由を考えそうになる度にランスベルは考えるのを止めたが、何度も何度も、心に浮かんで来る。


 〝偽善者〟という言葉が、今も心の片隅で彼を苦しめていた。しかし一番恐れていたのは、その苦しみを手放してしまう事だった。


 何とかヒルダの近くまで行けたランスベルの目の前に、マグナルの巨体が立ち塞がり、でん、と突き出た腹で押し戻す。


「申し訳ない、竜騎士殿。ヒルダ……いや、我が王は、これから勲功の授与や戦死者の家族に対する補償など、やるべき事が山ほどあります。今はご遠慮願えまいか。用件なら、わしが伺います」


 マグナルの腹越しにヒルダを見ると、彼女は確かに忙しそうだった。周囲の人々へ矢継ぎ早に指示を出している。


「あ、いや……用件というほどの事でもないので……」

 ランスベルがそう言うと、マグナルは頭を下げ、歩き出したヒルダの後を追った。


 翌日の夜明け前には、先王スヴェンの葬儀が執り行われた。ブラウスクニースの葬儀のように大々的でも華美でもなく、城の裏手でスパイク谷柄の織布に包まれ、静かに、火葬に伏された。狭い場所に入れる人数は限られているので、参列者の数でも、ブラウスクニースの葬儀とは大違いである。


 しかし、参列者の悲しみの深さは同じだった。酒が入って赤い顔をした人々は、他人の目も気にせず涙を流している。


 自分も泣ければ良かったのに――と、ランスベルは思った。悲しくはあるが、涙を流せるほどスヴェンの事を知ってはいない。


 ヒルダを見ると、彼女は他の人々と違って真っ白な顔をして、まるで寝ていないように見えた。涙を見せることもなく、厳しい表情で炎を見つめている。


 そんな彼女の姿に、ふいに自分の姿が重なった。思い返せばランスベルも、自分の両親のために一度も泣いていなかった。途端に、胸が張り裂けそうな悲しみに襲われた。両親と兄、そして自分への哀れみと、ヒルダへの同情がないまぜになって、涙が頬を伝う。


 ランスベルは再び葬送の炎に目を戻し、その中に自分の家族を思い浮かべて、涙と共に弔った。


 続いて、その場でヒルダの即位が宣言される。戴冠式もなく、異議を唱える者も、挑戦権を行使する者もない。先王を弔う炎の前で、戴冠は静かに行われた。


 正式に新王として即位したヒルダが最初にした事は、〈蜜酒の館〉を三日間のみとし、春を迎えてから残り四日間を再開すると決めた事だ。雪で動けなくなる前に早く家へ戻りたいという戦士たちの要望に答えた形である。


 それから〈蜜酒の館〉の会場である大広間で、勲功の授与が行われた。特に大きな働きをした者は、〈蜜酒の館〉で王から直々に受け取るらしい。


 ランスベル、ギブリム、アンサーラの三人は褒美として大量の毛皮を与えられた。スパイク谷では毛皮も貨幣と同じように使えるので、上質の毛皮は金貨をもらったようなものだ。


 エイクリムの守備隊として残った衛士たちにも勲功が与えられた。今までオークがエイクリムを攻撃した前例はなかったので、守備隊から勲功者が出るのは初めてだという。


 ランナルはきっと誇らしい気分だろう、とランスベルは思ったが、予想に反して彼はあまり嬉しそうな顔をしていなかった。


 その日も、その翌日も、戦場のような慌しさで、あっという間に時が過ぎる。雪に埋もれてしまう前に動かなければいけない、というのはランスベルたちもまた同様なのだ。授与された毛皮と交換に、これからの旅に必要な物を購入したり、荷物を整理したりと、やる事はたくさんある。


 そのため、本でしか読んだ事のない〈蜂蜜の館〉を見てみたい、というランスベルのささやかな願いが叶ったのは、ヒルダが決めた前半の最終日である三日目の夕方であった。


 ランスベルが大広間に顔を出すと、そこはもう祭りの後という雰囲気で、ほんの数人しか残っていない。ほとんどの戦士はエイクリムを発って家路についてしまったのだろう。


 テーブルの上は子供が食い散らかした後のような有様で、床には骨やパンくず、食べ残し等が散らばり、犬たちがそれを拾い食っている。


 そんな中、ランナルがひとりでぽつんと酒を飲んでいた。勲功を受け取った時と同じく、暗い表情をしている。


 他には少し離れたところに三人ほど若い戦士がいて、その中の一人は勲功者として賞された衛士だが、ランスベルは名前を覚えていない。


 大広間に入ったランスベルは、ランナルの隣に座った。

「町を守った勲功者なのに、元気ないね。怪我はないと聞いていたけど……」


 ランスベルが声をかけると、ランナルは目でもう一人の勲功者である衛士を示した。その衛士は自慢げに、何か語っている。


「あいつ、オラフっていうんだけど、オークの首級を上げたって事になってんだろ。でもあいつ、俺がヤバイ時に逃げたんだぜ。首級っつてもよお、道から落ちて動けなくなってたオークを殺っただけなんだよ。なんかズルくね?」


 その状況を良く知らないランスベルは「そうなんだ……」としか言えなかった。

 そしてすぐにランナルが、その戦いについて熱弁を揮うのだろうと身構えたが、ランナルは酒杯タンカードをあおっただけだ。


「ランスベル、頼みがあるんだ」


 ランナルは視線を酒に落としたままだ。

 様子が変だな、と思いつつランスベルは聞き返す。


「なに?」


 ランナルは顔を上げ、懇願するような目をして言った。


「その、いつも腰から下げてる袋の中身、俺に貸してくんない?」


 これまでにない衝撃を受けて、まともな言葉が口から出てこなかった。ランナルの視線の先にあるのは、〈竜珠ドラゴンオーブ〉を入れた袋だ。


「くれ、って話じゃないんだ。ほんの少しだけ、一度だけ、そのドラゴンの力ってのを使ってみたいんだよ。別に減るもんじゃねぇんだろ? 誰もいない所でちょっとだけさ。アンサーラやドワーフの旦那も一緒でいいからさ。すぐ返すからさ。頼むよ。俺も魔法の力さえあれば、あんな風に戦えるって思えれば、これからもやって行ける……と思うんだ。俺とお前の違いは、魔法の力があるかどうかだけだって信じたいんだ。でなきゃ俺……頼むよ……」


 ランナルが話し続けている間も、ランスベルは衝撃から立ち直れないまま絶句していた。〈竜珠ドラゴンオーブ〉という言葉こそ出てこないものの、完全にドラゴンの力の源がそこにあると知っている口ぶりだ。魔法使いでもないランナルがどうやってそんな事を知ったのか。


 〈竜珠ドラゴンオーブ〉の存在はもっとも重要な秘密であり、アルガン帝国の魔術師でさえ〝何かある〟程度の認識でしかないはずだ。


 ランスベルはなんとか言葉を搾り出そうとした。


「だ――」


「黙ってるよ、もちろん」と、ランナルが先んじる。


「誰に聞いたんだ?」


 やっと、ランスベルは言葉を口にした。

 ランナルは一瞬躊躇したが、肩をすくめて話し始める。


「秘密だって言われたんだが、言うよ。そいつの名前は聞いてないんだ。ただ、スケイルズ諸島から来た元海賊で、仲間が持ってた魔法の道具を盗んでスパイク谷まで逃げて来たって言ってた。それで魔法の道具に詳しいらしいんだ。そいつが、ランスベルの竜騎士としての力は持っている道具の力だって、その皮袋に入ってるって教えてくれたんだ。それを手に入れればドラゴンの力は誰でも使えるって。正直に言うと俺……お前からそれを盗む事も考えちまった。でも、知り合ったばかりだけど、お前の事は友達だと思ってる。そんな事できねぇ。だから一度だけでいいんだ。すぐに返すから、ちょっとだけ貸してくれ。な?」


 ランスベルの混乱は増すばかりだった。魔法の道具に詳しい元海賊、スケイルズ諸島――最後の竜騎士の秘密と、どんな関係があるのか分からない単語ばかり出てくる。考えられるとしたら、アルガン帝国の魔術師くらいだ。ランナルを騙して、〈竜珠ドラゴンオーブ〉を盗ませようとしているのかもしれない。しかし、どうやってそれがこの腰の皮袋にあると知ったのか。単なる予想か、確信があるのか。


 混乱して黙ったままのランスベルに、ランナルは苛々し始めた。


「聞いてんのかよ?」


 そして、ふいに皮袋へ手を伸ばす。


「ちょっとだけ……な?」


 心臓を掴まれそうになったような、恐怖と驚きがランスベルの全身を貫いた。反射的に叫びが喉からほどばしる。


『やめろ!』


 その瞬間、がくんとランナルの動きが止まった。長腰掛けベンチに腰掛け、片手を伸ばした姿勢のままで。


 飛び退こうとしたランスベルは長腰掛けベンチに脚を引っ掛け、派手にひっくり返る。


 突然の騒動に、部屋にいた三人の若者が首を伸ばしてランスベルたちを見た。大広間の入口から中を覗く人もいる。


 ランスベルが脚を引っ掛けたせいで長腰掛けベンチは倒れ、そこに座っていたランナルもまた床に転がったが、それは明らかに異常な姿勢だった。手を伸ばしかけた姿勢そのままに、石にでもなってしまったように微動だにせず床の上に倒れている。


「なんだ、ランナル。新しい芸か?」と、誰かが言った。


 ランスベルも訳が分からず、「ランナル?」と呼びかける。しかし彼は反応しない。腰の皮袋を手で押さえたまま、近寄って様子を見る。ランナルは表情すら変えずに、不自然な姿勢を維持していた。だが、顔色は赤く染まっていく。嫌な予感がして、ランスベルはランナルを揺すった。全身はがっちりと硬直していて、息をしていない。


(なんだ、これ……魔法? 竜語魔法を使った? 僕が?)


 確かに強い意思を込めて叫んだとは思うが、竜語魔法を使ったつもりは無かった。


(どうしよう……どうしよう……)


 ランスベルが混乱している間にも、ランナルの顔は見る見る青ざめていく。


 竜語魔法なら、それを取り消せばいいはずだ。だが、竜語魔法を消す竜語魔法など教わっていない。竜語魔法への対抗手段など考えた事もないし、パーヴェルやブラウスクニースが話題にした事もない。


 どうしようもなくなって、ランスベルは周囲の人に向かって叫んだ。


「アンサーラ! ギブリム! 誰か……誰か呼んで来て下さい!」


 近くにいる人々は、何が起こっているのか分からない、というように顔を見合わせるだけだ。


「誰か!」


 もう一度、そう叫んだ瞬間に涼やかな声がした。


「何かありましたか?」


 振り返ると、そこにはアンサーラが立っている。


「竜語の叫びが聞こえたもので」


 そう言いながら、状況を見て取ったアンサーラは硬直したランナルの傍らに膝を付いて状態を確認する。


「彼に竜語魔法を使ったのですか?」


「分からない。そういうつもりじゃなかったんだけど、そうなってたかもしれない」


 ランスベルは首を左右に振って、早口で答えた。アンサーラはランスベルの肩に手を置いて穏やかに言う。


「落ち着いてください。竜語魔法なら、解除すればいいのです。普段も自分の意思で制御しているではありませんか」


「でも、こんな竜語魔法、知らない。使った事もない……」


 土気色に変わっていくランナルの顔色を見て、ランスベルは泣きそうになった。アンサーラはあくまでも冷静だ。


「大丈夫、竜語魔法に意味を与えるのは、あなたの意思です。特別な事は起こっていません。普段と同じく、意思の力で制御できます。わたくしが手伝いましょう。さあ、目を閉じて、落ち着いて、集中して……彼に対する警戒心を解いて下さい……」


 アンサーラは両手でランスベルの頬に触れ、額を合わせた。ひんやりしたアンサーラの手が熱を奪い、額から伝わる温もりが心を落ち着かせる。ふと気が付くと、ランスベルは確かに落ち着きを取り戻していた。


 突然、海の底から上がってきたような声を出して、ランナルが両手両足を投げ出した。そしてすぐに身体を折り曲げて激しく咳き込む。


「良かった、解けた、ランナル!」


 ランスベルはランナルに手を伸ばした。その時、びくりと身を震わせたランナルの涙ぐんだ目は、はっきりと拒絶の意思を示している。今度はランスベルが、まるで竜語魔法を使われたかのように動けなくなってしまった。


 アンサーラが咳き込むランナルの背中を摩りながら、ランスベルに言う。


「わたくしが彼の様子を見ます。ランスベルは部屋に戻っていて下さい」


「でも……」


「わたくしに任せて」


 そうはっきりと言われて、ランスベルは立ち上がった。

「ごめん、ランナル」とだけ言い残し、大広間を後にする。


 ランスベルが客間に戻ると、ギブリムは部屋中に溢れている荷物を整理していた。

「何があった?」と、手を止めずに問う。


 ランスベルは長椅子ソファに腰を下ろし、「えと、その……」と、大広間での出来事を説明した。


 話を終えると、ギブリムは言った。


「殺したのか?」


「えっ、殺さないよ!」と、驚いて答えるランスベル。


「そいつがまた〈竜珠ドラゴンオーブ〉を狙ってくる可能性があるなら、始末しておくべきだ」


「こんな時に……冗談はやめてよ……」


 ギブリムは手を止めて顔を上げ、ランスベルと目を合わせる。その目は真剣そのものだ。


「無理なら俺がやろう」


「駄目だよ、何を言って……いや、僕らはすぐにここを発つんだから問題ないよ」


 ギブリムを説得しようとランスベルは慌てて言い直した。ドワーフは少し考えてから答える。


「そうだな、騒ぎを起こす必要はない。だが、もし町の外まで追って来るなら、俺に任せてもらう」


 ギブリムは再び沈黙して作業に戻った。ランスベルもため息をついて、黙り込む。

 しばらくして、アンサーラが部屋に戻って来た。


「ランナルは?」


 待ち構えていたランスベルが問うと、アンサーラは扉を閉めてから答える。


「問題ありません。物理的に首を絞められていたわけではありませんし、呼吸が落ち着いて、すぐ元に戻りました。それで彼から事情を聞こうとしたのですが、〝ドラゴンの力が〟などと言い出したものですから――」


 始末しておきました、と言うアンサーラを一瞬想像してしまい息を呑む。


「――外に連れ出して話を聞きました。それで、彼に〝ドラゴンの力〟の話を吹き込んだ元海賊の話を聞きましたが、一度しか会っておらず、見かけてもいないそうです。もし見かけても、その男には近付かないようにと警告しておきました」


 ランスベルは、ほっと息を吐いた。アンサーラは話を続ける。


「それから理由も聞きましたが、原因の一端はわたくしにもあるようです。わたくしのように戦うにはどうすればいいか、と尋ねられました。エルフの魔法を学ぶにはどうしたらよいか、などと……」


「それで、アンサーラはどう答えたの?」


「正直に答えました。安易に力を得る方法はないと。わたくしの技が達人の域に入ったと感じたのは三〇〇歳を越えてからです。それまでも、それからも、ずっと研鑽を続けていますと話しました。ランスベルも単に魔法の道具を使っているだけではなく、扱えるようになるまでには何年もの努力があったはずだ、と。それから最後に、もしランナルさんが〝ドラゴンの力〟を手にしたら死ぬ可能性が高い、と警告しておきました」


 おそらくアンサーラは、もしランナルが〈竜珠ドラゴンオーブ〉を手に入れれば、その元海賊と名乗る男に殺されてしまうだろうという意味で、そう言ったに違いない。


(でも、そうなる前にギブリムが対処してしまうだろう)


 ランスベルはギブリムをちらりと見て思った。ギブリムも片眉を上げて視線を返す。それからアンサーラに視線を戻して、ランスベルは尋ねた。


「ランナルは落ち込んでいた?」


「はい、かなり落ち込んだ様子でした。追い討ちになってしまったかもしれませんが、ランスベルの大切なものに手を出した事は黙っているから、もう近付かないようにと言い含めておきました」


「ええっ? なんでそんな事を?」


 アンサーラは腕を組んで答える。


「ランスベルも考えたはずですよ。この話をランナルさんに吹き込んだのは誰か、と。それが誰であれ、ランナルさんを監視していると思います。あなたと彼が接触するのは危険です。その時を狙って襲われるかもしれませんし、ランナルさんがまた誘惑に駆られて敵に協力したり、人質にされたりしたら、どうします?」


 そうなったらギブリムは彼を殺すのを躊躇わないだろう。アンサーラも、ランスベルとランナルを天秤にかければ、最後の竜騎士を選ぶはずだ。


 ランスベルの沈黙で理解したと見たのか、アンサーラは話を締めくくった。


「今となっては痕跡もありませんでしたが、あの時、その男か仲間かが大広間にいたはずです。町の中よりも、外に誘い出すほうが良いでしょう」


 ギブリムは黙々と荷物を整理し続けながら誰にともなく言う。

「出発は明日の朝だな」


「そうですね」と、アンサーラも同意した。


「わかった」


 ランスベルも同意する。ランナルの事は気になるが、そのほうが彼にとっても安全なはずだ。


「でも、ヒルダさんには出発する事を話しておかないと。戦いの後、話す機会が無くて、何も言ってないんだ」


 そう言っても、ギブリムは荷物の整理を続けていて、アンサーラは動こうとしない。ランスベルに任せるという意思表示だろう。


「わかったよ。僕が行ってくる」

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