11.テイアラン ―盟約暦1006年、秋、第6週―

 テイアランの人生はこれまで平穏無事で、事件の無いつまらないものであった。しかし彼は、それを悪い事だとは思わない。唯一の友人とも言えるブランは波乱を楽しんでいるように見えるが、理解できなかった。


 もしブランのような考え方ができるなら、ドラゴンの死から始まったこれまでの出来事も楽しめたのだろうか――。


 彼は今、会議室に座してモーリッツが来るのを待っている。部屋には他に、ステンタール、ハイマン、アリッサ、コーディーがいた。長方形のテーブルには丸まった小さな紙片が三つほど転がっている。


 ステンタールはいつもと変わらず、守護者然として横に立っていた。


 ハイマンは腕を組んでしかめ面をし、怒りを溜め込むように黙っている。


 アリッサも下を向き、小指にはめた指輪を弄って何か考えている様子だ。


 コーディーはペンとインクを用意して、じっと待っているが、時々アリッサを心配そうに見ている。


 実際にはそれほど待たされているわけではないが、テイアランは内心苛立っていた。それは不安のせいだと自覚しているので、周囲の者に悟られぬよう気を付けている。モーリッツが会議の召集に遅れている理由は、北方連合王国との同盟に関する条約の文面を精査しているためだ。しかし、テイアランには詳細な内容など小事にしか思えなかった。北方を――とりわけブランが率いている今は――疑う必要などないからだ。


 五日前の朝、取り急ぎ北方連合王国の建国宣言とブラン上位王の即位、そして四人の王による明文への調印が略式で行われた。四人の王とは言っても、ブランがアード王を兼ね、ヒルダは父のスヴェン王の代理なので、実際に王位にあるのはブランとルゴスの二人だけだ。


 北方の統一という歴史的な出来事ではあるが、これらが行われたのはこの会議室であった。


 実際に民へどう公布するかは、北方人たちが決めることでファランティア人は関与しないのが通例である。しかし内容の重大さを考えると、平時であれば式典の一つもあってよいものであったろう。


 続いて、北方連合王国とファランティア王国の同盟締結に移った。すでに両国の王が同意しているので、同盟の成立に問題はない。問題は条約の内容のほうで、わずか半日で素案をまとめなければならなかった。ブランには一日でも早く軍を引き連れて戻ってきてもらわねばならないので、時間をかけられなかったのである。


 その翌日の早朝にブランたちは王都を発った。レッドドラゴン城にはブランの家臣スーリが一人残って、同盟条約の内容をモーリッツと精査している。スーリは白髪の老戦士で、ブランの父オリクの代から彼に仕えていた。テイアランは何度も顔を合わせているが、まともに会話したことは一度もない。無口で、たとえ王を相手にしても雑談に応じることがないという人物である。条約が完成したら、彼がブランにそれを届けることにもなっていた。


 会議室の入口を守る近衛騎士が扉を開き、モーリッツが衣擦れの音と共に入ってきた。


「陛下、お待たせしてしまいまして、大変、申し訳ございません」

 そう言って、ゆっくりと禿頭を下げる。ハイマンはそれを横目に片眉を上げた。


 慌てて来た様子の一つも見せればいいものを――と、テイアランは思った。おそらく、ハイマンも同じように思ったのだろう。


 しかし、王というものは威厳を保つため堂々としているべきだとテイアランは教えられてきた。だから努めて平静に応じる。


「うむ、本来であれば条約が最優先であるが、南部から報告があったのでな」

 そう言って、手で三つの紙片を指し示す。


 それはブラックウォール城に戻った南部総督グスタフ・ベッカーからもたらされたものだ。サウスキープから脱出した住民と衛兵併せて一五三人を城に保護したという内容で、敵が帝国軍であることは軍旗や紋章を目撃した人々の証言から確定的である事や、町に火を放ち住民を殺害するという蛮行についても書かれている。


 また、次男ゴットハルトが生死不明であり、早々にサウスキープへ出撃したい旨と援軍の要請、さらにサウスキープ防衛を放棄して住民と共に脱出した自由騎士ギャレット卿の処遇について王の判断を仰いでいる。


 この知らせを受けた時、テイアランは悲しみよりも怒りを覚えた。民を守るのが王の務めだと物心付いた頃より教え込まれてきたのに、何もできなかった事が悔しかった。


 さすがのモーリッツも無表情ではいられなかったようで、目を細めて眉間に皺を寄せた。読み終えた紙片をテーブルの上に戻し、黙って自席に腰を下ろす。それを見届けてから、テイアランはハイマンに問うた。


「ハイマン、軍の編成はどうなっている?」


 ハイマンは腕組みを解き、背筋を伸ばして答えた。


「はい、陛下。軍を編成し、南部へ進軍させるには一〇日以上かかります」


「ふーむ」と、今度はテイアランが腕を組んで考えた。


 サウスキープからブラックウォール城までは徒歩で三日から四日あれば十分だ。サウスキープを壊滅させた帝国軍がそのまま進軍していたら、今頃はブラックウォール城で戦いが起こっているかもしれない。伝書鳩によるやり取りは最短でも二日の遅れが発生する。


 城主のグスタフはアデリンの実父なので、テイアランにとっては臣下であると同時に義父でもある。そうした関係はもちろんのこと、ファランティア王として南部を見捨てるわけにはいかない。テイアランの中ですでに出兵は決定的となっていたが、詳細までは考えが及んでいなかった。


「この件で意見のある者は?」

 テイアランが問うと、ハイマンが手を挙げた。

「ハイマンの考えを聞こう」


「はい、陛下。グスタフ公は末息子が生死不明で焦っているのでしょうが、ここは自重させるべきです。敵軍について情報収集させつつ、その間に近隣の領主、貴族らに命じて兵をブラックウォール城に直接向かわせます。合流した者から順次、軍に組み込むようにすれば良いかと。グスタフ公ならば統制が取れるでしょう」


 テイアランは頷いた。正しい判断と思える。

「北方連合王国の援軍は待てないだろうか」


 テイアランが問うと、ハイマンは即答した。


「どんなに早くとも、四週はかかりますし休息も必要となるでしょう。待っていては手遅れになります。最初の戦闘は、我々だけで行うと考えたほうがよろしいでしょう」


 〝戦闘〟という言葉にいまだ現実感がない事をテイアランは歯がゆく思った。サウスキープの人々にとっては、まぎれもない現実のはずなのだ。

 〝王は民と心を同じくせねばならぬ〟という父の言葉が思い出される。


「ハイマンの方針で良いように思う。任せる」


「はい、陛下。お任せを」と、ハイマンは胸に手を当てて頭を下げた。


 それから、テイアランは思い切って自身の考えを口にした。

「余もブラックウォール城に行くべきか――」


 言い終わる前に、ハイマンとアリッサが同時に同じ言葉で反対した。

「それはなりません、陛下!」


 遅れてモーリッツが、「ご再考を」と頭を下げる。


 反対しなかったのはステンタールのみだ。

「どうぞ陛下の御心のままに。〈王の騎士〉たるこのステンタールと近衛騎士団は、陛下がどこにおられようとも守り抜いてみせましょう」


 ハイマンはステンタールを一瞥して、早口に付け加える。


「陛下、陛下が出陣を決断なさるには時期尚早です。まだ現地の状況も、敵の動きも分かりません。陛下は玉座より指揮をお取りください」


 続けてアリッサも口を開く。


「陛下、先日ご報告申し上げたとおり、帝国にも魔術師はおります。敵の魔術師から陛下を守るにはそれ相応の準備が必要となり、その点においても今はこの城が最も安全です」


 魔術師が竜舎を襲撃したのは、〈ドラゴンの遺灰〉を求めての事だとテイアランは聞いていた。だが、その魔術師がアルガン帝国の者だと聞いたのは、襲撃から四日後、ドラゴンの葬儀の翌日だった。


 にわかには信じられない事実であったが、アリッサが過去に帝国の魔術師団に属していた事まで説明したので、信じざるを得なかった。そうでなくとも実際のところ、テイアランも魔術に関しては無知なので、彼女の言う事を信じる以外にない状況である。


 それを歯がゆく思う気持ちは、ステンタールのほうがより強いだろう。アリッサが退室した後、ステンタールははっきりとアリッサへの不信を口にした。その事実を知りながらなぜ黙っていたのか、というのはもちろんの事、夜会の日にテラスでエリオと親密な様子だったという話をした。


 その日の深夜にエリオが牢を破って姿を消し、ステンタールはすぐにアリッサを拘束するようにと進言してきた。事前に帝国の秘密を話すことで、エリオ逃亡を助けたと疑われないようにしたのではないか――というのが彼の言い分である。


 それはさすがに妄想が過ぎると却下したものの、もしステンタールとアリッサのどちらを信じるか、と問われれば迷い無くステンタールを信じるだろう。だからテイアランもアリッサには注意を払うようにしていた。実際、今も何か隠しているような気がする。


「アリッサ殿がそう申すなら、そうなのでしょう」と、モーリッツが言う。


 アリッサは貴族ではないが、宮廷魔術師という立場に就いてから、モーリッツは敬称を用いている。ハイマンが身を乗り出すようにして続いた。


「ならば、なおのこと敵の出方を見ませんと。御身に何かあれば、正統な王家の血筋も絶えてしまいます」


 ハイマンの言葉はぐさりとテイアランの胸を刺し、それが止めになった。〝早く世継ぎを〟という無言の圧力をテイアランは常に感じてきたのだ。


「……わかった。私は王都に留まる。だがいつでも出陣できるよう準備はしておくように」


 テイアランがそう言うと、ハイマンは安堵した様子で「はい、陛下」と頭を下げた。そして、この話は終わりと言うように話題を変える。


「して、ギャレット卿の処遇についてはどういたしますか」


 正直なところ、テイアランはギャレットという人物の顔を思い出すことができなかった。それを察してか、ハイマンが説明する。


 ギャレットは傭兵団〈みなし子〉の脱走兵で、定住を望んでファランティアに来た。アリッサのような亡命と同じといえばそうだが、傭兵はどの国の人間でもないので、流れ者とでも言ったほうが適当である。過去、トーナメントに一度だけ出場して優勝しており、その褒美として自由騎士の称号を得ている。


 そこまで説明されても顔は思い出せなかったが、自由騎士という言葉は思い出した。彼に自由騎士の称号を与えてはいかかでしょう――と、ハイマンから進言され、そのようにしたのだった。


 自由騎士という言葉はファランティアの長い歴史の中で変遷してきた。個人ではなく信条に仕える者だったり、金次第で仕える相手を変える者だったり、単に馬と装備を持っているだけの平民が自称したり、と様々である。

 現在は使われなくなって久しい言葉であり、実際テイアランもその称号がどういう意味を持つのか考えた事もない。それでグスタフも、どう扱っていいか分からないのだろう。


「みなの意見を聞こう」


 テイアランが意見を求めると、最初に口を開いたのはステンタールだった。


「ゴットハルト卿と共に戦った結果ならまだしも、戦いもせず逃げるなど騎士にあるまじきこと。称号剥奪のうえ極刑でもよいかと」


 これにはハイマンが反論した。


「ステンタール卿の言うことはもっともだが、戦場暮らしの経験とトーナメント優勝の技量は捨てるに惜しい。敵の戦略についても役立つ情報を持っているかもしれぬ」


 ハイマンの言うことはもっともだとテイアランは思った。平時ではモーリッツに食ってかかるだけの頑固者だったが、戦時において真価を発揮する人物なのかもしれない。


「モーリッツはどう思う」と、テイアランは発言を促した。


「はい、陛下。ギャレット卿は戦場経験の豊富な方と思われます。その卿が素早い撤退を決断されたからこそ、一五三人もの人が助かったのではないでしょうか。人命を守るのも騎士の務め。その功績を考慮せずに処罰すれば、他の騎士たちも萎縮してしまいます。平時なれば、騎士に自覚を促す意味もあるでしょうけれども、戦時においては逆効果かと存じます」


「うむ」とハイマンは頷いた。モーリッツと彼が意見を一致させるのは珍しい事で、テイアランはそれを重く見た。


「では、ギャレットの処分は戦時下ゆえ保留とし、一時グスタフに預けるとしよう」


 ハイマンは納得したという様子で頭を下げた。

「そのように致します」


 ステンタールが、がちゃりと鎧を鳴らした。〈王の騎士〉は納得していないのだろうが、テイアランの決定に異を唱えるような事はしない。


「よし、では――」と、テイアランが解散を口にしようとした時、アリッサが手を挙げた。


「お待ち下さい、陛下。この場の方々だけに、内密なご報告がございます」


 全員がアリッサに注目する。アリッサは少し躊躇いがちに話し始めた。


「竜舎が襲撃された時、現場に残されていたものを調べた結果、どのようにして城に忍び込んだのか分かりました。もしかすると、先日に牢から逃れたエリオ・テッサヴィーレとも関係があるかもしれません」


「聞こう」と、テイアランは発言を許可する。


「どのような魔術師であっても、世界中の好きな場所に転移テレポートすることはできません。分かりやすくご説明しますと、転移先に目印となるものが必要なのです」


「魔術の仕組みになど興味はない――いや、なんと言った?」

 ステンタールが聞き直し、アリッサが答える。


「目印です。転移テレポートする前に、行き先にそれがなければ行けないのです」


 それはつまり、敵の協力者が城内にいるか、あるいは城内に侵入できるか、いずれかであると告げていた。そのことを敢えて口に出す者もなく、全員がしばし沈黙する。


「魔術師が紛れ込んでいる、ということか」


 むっつりと、ステンタールが言った。アリッサは首を横に振る。


「いいえ、魔術師である必要はありません。ただ、その道具……陶器製のコインでしたが、それを置いていくだけです。それにもし城内へ魔術師が入れば察知できるようにしてあります」


「アリッサにだけ、な」

 間髪いれずにステンタールはそう言ってから、発言を続ける。


「普通に考えれば、エリオ・テッサヴィーレの仕業ではないか。近衛騎士団で調べたところ、葬儀の前日に到着したと言っていたエリオだが、門の通行記録には名前がなかった。だから魔術師の現れた一〇日前の夜にエリオが王都にいた可能性はある」


 事前に報告を受けていたテイアランも全く同じ事を考えていた。しかし、全てがエリオの仕業だという証拠はどこにもない。全ては推測に過ぎないのだ。そして、抱いた疑念をもう黙っていることはできなかった。


「エリオがいつから王都にいたのかは重要ではないかもしれぬ……帝国の動きは計画的で早すぎる。ブラウスクニース様の死を待ち構えていたのだとしたら……何年も前から帝国はファランティアを狙って準備してきたのだとしたら……何年も当たり前のように、帝国の手の者が城内を歩いていたのではないか……」


 沈黙が再び室内を支配した。疑念がゆっくりと、恐怖を伴いながら確信に変わっていくのをテイアランは感じていた。




〈次章へ続く〉

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