9.ランナル ―盟約暦1006年、秋、第11週―
エイクリムを守るために残された衛士は一五人いた。そのうち、物見塔で見張りにつく者、城へと続く門を守る者、城を守る者を除いた七人が、谷を下って町へと至る道の入口を守っている。ランナルはその中の一人だ。
振り返って道を下った先にあるエイクリムの町を見ると、静かで、全ての商店と家が門戸を閉ざしている。しかし怯えて隠れているのではない。町が戦場となれば女、子供でも武器を取って戦う。今も手近なところに武器を置いて様子を見ているはずだ。
谷に吹き込む冬の到来を告げる風が、さあっと湖に波を立てた。絶壁に当たった風と波は跳ね返り、複雑な波紋を水面に描いている。
隣にいるストルンが、槍を杖代わりにしたまま大きなあくびをした。
ランナルと共にいる六名は全員、戦場での働きを認められて衛士に任じられた者なので、戦いに際して必要以上に緊張した様子はない。
特にストルンはそうだ。髪も髭もほとんど白くなった歴戦の衛士で、この場にいる者の中では最年長である。
問題なのは、主戦場である〈黒の門〉に行けなかった事だ。衛士たちは働く場所が無くなったと思い、すっかりやる気を無くしている。スパイク谷が勝利した場合は、帰還した戦士たちが語る戦場での自慢話に付き合わなければならないし、負けた場合は大挙して押し寄せるであろうオークと勝ち目のない戦いをしなければならない。
死後の事を考えれば、後者のほうがましだ。一人でも多くの敵を道連れにしてやる、と吼えながら戦う自分を想像すると、それは勇者らしい戦いに思える。
その想像はすぐに現実を離れ、ランスベルとアンサーラの戦いが混ざり込んで、ランナルはランスベルのように壁を蹴って飛び回り、アンサーラのように目にも止まらぬ剣さばきで何人ものオークをばったばったと斬り捨てた。
しばしそのような妄想を楽しんでいても、周囲にはなんの変化もなく、問題は何も起こらない。聞こえるのは風の唸りだけである。
ふいにストルンが言った。
「そういえば、あのエルフの娘っこはどこに行ったんだろうな?」
エイクリムの守備隊――と言えば聞こえはいいが、ようはお留守番――にアンサーラがいるというのはランナルにとって不思議な事だった。
ストルンを含む他の戦士たちはエルフを物語でしか知らないので、か細い少女のような外見から常識的に想像できる範囲でしかアンサーラを判断できない。しかしランナルはアンサーラが超人的な剣士だと知っているから、〈黒の門〉に行かない理由が分からなかった。
ちびのヨルンがのんびりした口調でストルンに答える。
「天気も良いし、お散歩でもしてるんかねぇ」
「そういえばランナルよぉ」と、太鼓腹のヴェルクが口を開いた。
「なんで剣を背中に吊るしてんだ? それじゃ抜き難いだろう」
ランナルは肩に手を伸ばして、背中に吊るした剣の柄に手をかけた。これはランスベルの真似だが、もちろんそんな事は恥ずかしくて言えない。ランナルは別の答えを求めて、ランスベルに同じ質問をした時の事を思い出した。
〝先代から受け継いだ剣なんだけど、僕には大きすぎて。それに――〟
その言葉の続きをランナルは答えとする。
「正面の敵から剣が見えないから、長さとか形が分かり難くなんだよ」
「おー、そうかぁ」
ヴェルクは素直に感心してくれた。
しかしヨルンはヴェルクほど素直ではなく、横槍を入れてくる。
「そんなの意味なくね? 敵が目の前に来るまで剣を抜かねぇの? 一回抜いて、また戻すのかよ?」
ヨルンは馬鹿にしたような笑みを浮かべている。言われてみれば確かにそうだとランナルも思ったが、負けずに言い返した。
「剣なんて、がっちがちに鎧を着た相手には通用しねえじゃん。普段使うなら斧とか
「はっはっは」と、ストルンが声を上げて笑った。
「調子が出てきたな、ランナル。最近口数が減ったって皆が言ってたぞ。なんか面白い話をしてくれよ。その必殺剣以外でな」
ストルンに言われて、すぐに口から飛び出しそうになった話をランナルはぐっと飲み込んだ。ここ最近、立て続けに秘密の話を聞いてしまい、それを言わないようにと意識するあまり口数が減ってしまっていたのだ。
ランナルが何か言おうとして思い止まったのに気付いたのか、ストルンが怪訝な顔をする。
その時であった。
敵襲を告げる角笛の音が谷に響き渡る。見ると、反対側の崖上にある物見塔から衛士がランナルたちに向けて角笛を吹いている。
「えっ、敵? マジかよ?」と、言いながらヨルンが兜を拾い上げた。
「〈黒の門〉で何かあったのかな?」
緩めていた腹回りの止め具を絞め直しながら、ヴェルクが続く。
ストルンはさすがに冷静であった。兜の紐を締めながら素早く指示を出す。
「ヨルン、エリック、上に行け。弓だ。他の者はこの場で壁を作るぞ。ヴェルク、一列目の中央に立て。オラフ、ロニーはヴェルクの左右に。ランナルは俺と二列目だ。ヨルンたちの槍は俺らにくれ」
衛士たちもまたさすがに戦い慣れていて、最初の瞬間こそ戸惑いを見せたものの、すぐストルンの指示に従って動く。
谷を下るこの道は、横に三人も並べば充分に壁となる。三人で一列目、二人で二列目を作れば、二人以上倒されない限りは壁として機能する。
しかし欠点もあった。敵は道を下ってくるわけだから、上を取られるという不利が生じる。それを補うためには崖の上、頭上に弓兵を配置する必要があった。
ヨルンとエリックは馬に飛び乗ると道を上へと駆けていく。残った五人が列を作ったところで、二度目の角笛が響いた。
一度目は敵発見の報で、二度目は敵接近の報だ。三度目が鳴った時、敵が視認距離に入ったという意味になる。物見塔の上の衛士は、身振りで合図を送ってきている。ランナルは目を凝らしてその合図を読み取り、口に出した。
「敵は……一〇人くらい、かな?」
「何人で来ようが、ここなら戦うのは一人ずつだ」と、ストルンが言う。
「奇襲部隊にしても少なすぎねぇか。そんな人数じゃ町も城も制圧できないぞ」
そう言ってランナルは頭上を見上げた。ヨルンたちの姿はまだ見えない。
三度目の角笛が響いて、谷を下る道の入口に、豚顔のオークが姿を現した。
オークは人間同様に体格差があるものの、平均して人間より体格が良い。だから三人も並ぶと道は窮屈そうに見える。
一〇人のオークたちは隊列を作るわけでもなく、適当な一群となって道を下り始めた。盾を打ち鳴らし、牙をむいて威嚇したり、かかって来いと言うように手招きして挑発してくるやつもいる。
ランナルは戦いの前の緊張感を心地よく感じていた。これから敵を殺して勝利を手にする自分を思うと、早くその瞬間を迎えたいと気が急く。頭上から口笛の音がして、ヨルンたちが配置に付いたのが分かった。
迫ってくるオークたちの先頭にいる一人が、衛士たちの隊列を崩したいのか、両手を開いて防御を解き挑発してみせた。
いいぞ、あの馬鹿を殺っちまえ――ランナルがそう思った時、頭上のヨルンたちが矢を放つ。
この至近距離で放たれた
オークの悲鳴を想像して、ランナルはニヤリとした。だが次の瞬間には、驚きに目を丸くする。
矢はオークたちの眼前で不自然に孤を描いて向きを変え、一本は谷底に大きく逸れていき、もう一本は山側の崖に突き刺さった。オークたちは豚鼻を鳴らして笑う。
「魔法だ!」
いち早くランナルは叫んだ。
「くそっ」というヨルンの声が頭上から聞こえて、さらに矢が飛んだが、いずれも一射目と同様に大きく射線を捻じ曲げられてしまう。
オークたちは狂ったように笑いながら、突進してきた。
「備えろ!」
ストルンの号令に従って、一列目の衛士たちは盾を前に出して片足を後ろに下げ、突進に備えた。激しい音を立てて盾と鎧が激突する。オークたちは坂を駆け下りる勢いそのままに体当たりしてきたのだ。
体格に劣る右端のオラフはオークを受け止め損ねて押し倒されたが、倒したオークも勢い余ってそのまま谷に転げ落ちていった。ここから下まではかなりの高さがある。仮に生きていても五体満足で戦線復帰してくることはないだろう。
意識が飛んだらしいオラフをストルンが後ろに引きずるのに合わせて、ランナルはオラフを飛び越えて前衛に出た。そのまま目の前のオークに槍を突き出す。そいつは盾を前面に構えていたので、盾を突いて後ろに押しやるつもりの一撃だった。しかし槍は盾の表面を滑るようにして穂先が逸れ、受け流される。
鉄の枠で補強されただけの平らな木の盾なのに、手に伝わる反動は木を打ったものではない。見えない力によって表面を滑らされる奇妙な感触だった。矢を逸らした魔法は、槍の穂先に対しても同様に働くのかもしれない。
ランナルには、それ以上考える余裕はなかった。槍が逸れると思っていなかったため、つんのめってしまったのだ。盾の向こうでオークが斧を振りかぶるのが見える。ランナルは死を意識した。全身が硬直する。
だが、その瞬間は訪れなかった。後列からストルンが槍を突き出して敵を牽制してくれたおかげだ。
この最初の衝突で衛士たちに大きな損失は無かったが、オークは一人が転げ落ちて戦線離脱した。そして敵が魔法の援護を受けている事と、身に着けた装備に見劣りしない実力の持ち主である事が分かった。精鋭揃いの衛士が、まだ一人も倒せていないのだ。
衛士とオークはお互いの間合いを測って睨み合う。その隙に、ストルンが大声で指示した。
「ヨルン、弓はもういい。後ろに回りこめ! オラフ、さっさと立て!」
ランナルも肩にかけた盾を腕に滑り落とし、固定用の革紐を短く掴んで構えた。敵との距離が近すぎて槍の間合いではないので、その場に捨てて後ろに蹴り出し、背中の剣を抜く。
〝敵が向かってくるのに合わせて剣を抜く――〟
ランスベルの言葉が脳裏を過った。だが、そんな事は不可能だ。剣を抜こうとしている間にやられてしまうに決まっている。結局は、常人離れした速さで動けるからこそ可能なのであって、普通の人間であるランナルには真似のできない芸当なのだ。
この時はっきりと、ランナルはランスベルをずるいと思った。彼に与えられた力が、なぜ自分には与えられなかったのか。
アンサーラとランスベルの秘密の訓練を見たあの日から、ランスベルもまた別世界の人間になってしまっていた事に、今更ながら気付く。
再び、衛士とオークは接近戦を繰り広げた。お互いに相手の攻撃を誘って隙を突こうと牽制し合う。だが敵には魔法の援護があり、衛士たちにはストルンの援護があるので、両軍とも損失は無かった。ストルンは二列目から槍で攻撃していたが、敵を倒そうという意図の攻撃ではなく、味方が攻撃できるように隙を作ろうと狙ってのものだ。
経験豊富なストルンの援護にオークたちは思い切った攻撃ができずにいる。敵の魔法は槍を完全に無効化するほどではないのかもしれない。
(くそっ、どうすれば……俺に竜騎士の力があれば……)
そんな思いが頭に浮かんだ時、ランナルは見た。空中に何か透明な球体が浮かび上がっている。そしてオークたちの荒い息や挑発の声に混じって、歌のような旋律が聞こえた。それはアンサーラの呪文のように美しいものではなかったが、同種のものだ。球体は水の塊で、人間の頭くらいの大きさがある。水がそのような形で空中に浮かぶ現象など自然には起こらない。
唐突に水の球は蛇のように伸びて空中を素早く這い進み、ランナルの耳元をかすめていった。思わずの動きを追って横目で背後を見やる。
水の蛇はまっすぐストルンに向かって飛んだ。それに気付いたストルンは槍でその蛇を叩き落そうとしたが、塊に見えても水は水のようで、パシャッという音を立てて少し飛び散っただけだ。水の蛇は首に巻きつき、そして鼻と口からストルンの体内に侵入していく。
「げぼぉっ、がぼあっ!」
まるで溺れているような声を出してストルンが喉を押さえた。いや、溺れているようなのではない、溺れているのだ。ストルンは何とか水を吐き出そうとしているが、水に意思があるかのようにまとわり付いて離れず、どんどん体内に入っていく。ストルンは胸を叩き、喉を掻きむしり始めた。
「うわあぁー!」
ついにオラフが悲鳴を上げる。ランナルもまた恐怖に絶句した。それは恐ろしい魔法の力に対するものだけではない。
地上で死んだ者は大地の神の軍勢に加わるはずだが、地上にいながら溺れ死んだ者はどうなるのか。大地の神の領分ではなく、大海の神の領分でもないとしたら――今まで疑う必要のなかった死後が、突然、不確定になってしまった。死がとてつもなく恐ろしいものに変わってしまった。
オークたちはこの隙を黙って見てはいなかった。
敵が斧を振り上げたのに気付いて、ランナルは慌てて視線を戻して盾を上げる。オークの斧が盾の半分にまで食い込む。太ったオークが体重を乗せて打ち下ろしたその一撃は強烈で、ランナルは衝撃に打ち倒されてしまった。盾が手を離れて谷底に落ちていく。
(死にたくない!)
ランナルは混乱し、戦場で初めてそう思った。必死に転がってオークの踏みつけを避け、顔を上げると、ヴェルクが両膝をついて地面に座り込んだ所だった。両手で押さえてはいるが、裂かれた太鼓腹から鮮やかな桃色の腸が出ている。
左端のロニーはまだ立っていた。崖を背にして
さっ、と黒い影がランナルの顔に被さった。
見上げるとオークが斧を振りかぶっている。醜い顔で、余裕たっぷりに、残忍な笑みを浮かべて。
今だ、剣を突き出せ――と、ランナルの中で誰かが叫んだ。しかし身体は反応しない。時間がゆっくりと流れていく。
一瞬、オラフの援護に期待した。だが、オラフの悲鳴は遠のいていく。逃げ出したのだ。
(あのクソ野郎、そのまま死の世界まで行っちまうがいい)
少なくとも、ランナルは哀れなストルンと違って大地の神のもとへ行けるはずだ。そう思えば、少しはマシな気分になる。オークが振り下ろした斧は、確実にランナルの頭をかち割るだろう。
強い耳鳴りがして目が痛くなり、ランナルはぎゅっと目を閉じた。次の瞬間、強い力で身体が引っ張られる感覚があり、直後に発生した強風によってランナルは地面に押さえつけられ、今まさに斧を振り下ろしていたオークも押し倒されて地面に倒れる。
何が起こったのか、と混乱する思考の中で、これは二度目だとも感じた。そして、ランナルは何が起こったのか理解した。
戦場の中心に、流れるような漆黒の髪をした細身の女性が立っている。二本の剣は腰の鞘に収まったままだ。
「申し訳ありません。思ったより足止めされてしまいました」
涼やかな声が静まり返った戦場に流れる。
ランナルに止めを刺そうとしていたオークだけでなく、他のオークたちもアンサーラの魔法で地面に倒されていた。それで、オークたちの最後尾にいる一団が見えるようになった。
三人のオークに守られて、ランナルがこれまで見たこともない人型の生物がいる。オークと一緒でなければ、それが話に聞いたオークの女王だとは思わなかっただろう。
すらりとしたアンサーラがそのままヒルダくらいの身長になったような体格をしているが、均整の取れた美しさはない。手足が奇妙に長く、不気味であった。ほとんど首のない豚顔のオークと違って首は長く、すっきりとした鋭利な印象の顔が乗っている。耳はナイフのように尖って左右に長く、美しいと言ってもいい顔にある唯一の違和感は下唇から突き出た小さな牙だけだ。全身の皮膚は黒曜石のように黒く艶やかである。
衣服のようなものはほとんど身に着けておらず裸同然の格好で、大きく垂れた乳房の先と、股間だけが隠されている程度だ。白い塗料で全身に紋様を描いていて、色とりどりの石や宝石を使った装身具を身に着けていた。腹部はぽっこりと丸くなっている。
オークたちはアンサーラを見て、オーク語で何か言いながら彼らの女王を見た。女王もまたオーク語で答え、短いやり取りを交わす。内容は理解できないが、混乱したオークたちを女王が叱りつけたようにランナルは感じた。
その間に、アンサーラは手をストルンに向けて呪文を唱える。オークの女王のものと比べると、それは美しい歌声のようだ。
「魔法は解きました。水を吐き出させればその方は助かります。お願いします、ランナルさん。こちらはわたくしが引き受けます」
分かった、と言う代わりにランナルの口から出た言葉は「あっ」という驚きの声だった。
ヨルンが斧を、エリックが剣を手にオークの女王の背後へ忍び寄っていたのだ。二人がオークの女王に斬りかかるのと、立ち上がったオーク三人がアンサーラに斬りかかるのはほぼ同時だった。
オークが一歩を踏み出す前に、アンサーラは二本の剣を抜きながら別々のオークを斬った。一人はヴェルクのように腹を切り裂かれ、もう一人は喉を切り裂かれる。
そのまま流れるような動きでオークの間をすり抜け、前方を向いたまま、二本の剣で肩の上から背後に突きを入れる。それは二人のオークの後頭部に入り、剣先は眉間まで貫通した。無傷だった三人目のオークは即死し、腹を裂かれたオークには止めになった。
アンサーラが瞬く間に三人のオークを始末したその向こうで、ヨルンとエリックもまた血を流して倒れゆく。
オークの女王は、〈オーク剣〉と呼ばれる独特な武器を手にしていた。両端に刀身が付いた剣だ。刀身に血は付いていないが、地面に飛び散った血が二重の円を描いている。ヨルンとエリックの血だろう。
それから繰り広げられた戦いは、現実のものではないようだった。アンサーラの動きは優雅な舞踏のようで、流れように足を運び、捉えどころのない風のようにオークたちの間をすり抜けていく。長い髪が地面に付くほど背を反らせたかと思えば、よくしなる枝のように勢いをつけて回転してみせる。二本の剣はまるで腕の延長のように剣先までがしなやかに動き、払ったり、突いたりするたびにオークが一人ずつ死んでいく。
恐ろしくも美しい死の舞踏に付き合えるのは、オークの女王だけだった。アンサーラの目にも止まらぬ動きに匹敵する速さを女王は持っていた。長い腕をしならせて振り回す〈オーク剣〉はとてもランナルに見切れるものではない。
もしオークの女王と戦っていたら、一瞬でランナルたちは死んでいただろうし、死の直前まで女王の動きを美しいと感じていたかもしれない。しかしアンサーラと見比べてしまうと、女王の動きは雑で下手だった。同じ速さと強さを持っているのかもしれないが、技量において両者には決定的な差がある。
実際、味方のオークと連携して襲い掛かっているにも関わらず、一方的に倒されているのはオークのほうなのだ。
女王以外のオークを倒したアンサーラが、竜巻のように回転しながらオークの女王に斬りかかる。女王は〈オーク剣〉を回転させて迎え撃った。両者の間に旋風が巻き起こり、激しく火花が散る。
アンサーラとオークの女王は死の舞踏を舞い続けたが、オークの女王は徐々に追い詰められていった。オークの女王がオーク語で叫びながら突きを放つ。それは苦し紛れの攻撃で、それこそアンサーラの狙いだったのだろう。
アンサーラの腕と一体になった剣が蛇のように、女王の突き出した刀身を這って、〈オーク剣〉を持つ手の親指を斬り飛ばす。そしてもう一本の剣が心臓を狙って突き出されたが、それは女王が腕を盾にして阻んだ。
親指を失って〈オーク剣〉を手放してしまった女王だが、憤怒の表情で腕に刺さった剣はそのままに、アンサーラを捕まえようと長い手を伸ばした。アンサーラは女王の腕に刺さったままの剣を手放し、素早く地面に足を投げ出すと女王の股の下を滑って潜り抜け、背後に回り込む。
そして、「はっ」という気合の声と共に飛び上がって剣を横に一閃した。
それで勝負はついた。女王は振り向いて背後を見たが、回転したのは首だけだった。そのままぐらり、と身体が傾き、肩の上から頭が落ちる。転がったその顔には驚きの表情が張り付いたままだ。続いて倒れた女王の身体の向こうで、着地したアンサーラが立ち上がる。
アンサーラはゆっくりと長く息を吐いた。恐るべきエルフの女剣士でも、余裕のある戦いではなかったようだ。同時に、彼女の右足首に巻きついていた植物の蔓がはらりと解けて地面に落ちる。
その魔法の蔓をいつから準備していたのかランナルには分からなかったが、女王の股下を潜る時に自分の身体を引っ張らせるのに使ったものだろう。でなければ、ほとんど助走のない状況で、あれほど素早く滑り抜けられるはずがない。
アンサーラが剣を取り戻して鞘に収めると、ランナルは我に返った。まだ崖を背に盾を構えたまま立っているロニーと目を合わせて、自分たちの見たものが現実だと確認し合う。ストルンが水を吐き出して、息を吹き返したので、ランナルはほっとして胸を押すのをやめた。
「こちらの方は助けられるかもしれません。やってみます」
倒れたヨルンとエリックの様子を見に行ったアンサーラは、そう言ってヨルンの傷の手当を始める。
ランナルは立ち上がり、落ちている自分の剣を拾って、ヴェルクの横に立って仲間を見下ろした。地面に横たわるヴェルクにはまだ息があった。ふっ、ふっ、と浅く短い呼吸を繰り返し、顔は土気色になっている。もう助からないのは一目瞭然だった。ヴェルクは苦しみに顔を歪ませたまま、薄目を開けてランナルを見た。潤んだ瞳はこの苦しみを終わらせて欲しいと懇願している。
「さらばだ、ヴェルク。〈大地の館〉でまた会おう」
ランナルの言葉を聞いて、ヴェルクは微かに頷くと目を閉じた。ランナルは剣先を下に、両手で柄を握って狙いを定め、体重をかけて一気に突き下ろす。剣は逸れることなくヴェルクの顎の下に入り、一息で首の骨を絶って地面に達した。おそらく痛みを感じる間もなく、〈大地の館〉へと旅立てたはずだ。
ランナルは立ち上がり、仲間を半ば断頭した状態で突き立っている自分の剣を見つめた。戦いの直前にしていた他愛のない会話を思い出す。
(何が必殺剣だよ……)
剣を見つめながら自虐的にそう思った。そして剣から目を背けて、ヨルンを手当てしているアンサーラを見る。彼女こそ、ランナルが求める勇者そのものであった。
そして自分は、そうではないのだ。
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