4.ランスベル ―盟約暦1006年、秋、第7週―
その夜、ランスベルは満月の光に照らされた故郷の町を眺めていた。
砂浜は満月の光を受けて白く、対照的に海は黒く見える。海に映り込んだ月が形を変えながら波間に浮かんでいた。海の香り、そして響く波音は、予想していたよりもずっと懐かしく心に染み入る。
町の南、湾を見下ろす丘の中腹にランスベルたちはいた。目印のひょろりとした低木の下に座り、隣にはギブリムがいる。月下のドワーフは、そのずんぐりした鎧姿とも相まってごつごつした岩のように見えた。アンサーラも近くにいるはずだが、気配は無く姿も見えない。
三人で旅を始めた直後は、人間的な気配があまりしない二人に違和感しかなかったが、それも徐々に慣れてきた。
〈盟約の丘〉で、家族を人質に取られていると相談した時、アンサーラは意外にも「行きましょう」と迷わず言い、ギブリムも同意した。逆にランスベルのほうが、〈盟約〉が云々、責任が云々、と反対するような事を言ってしまったほどだ。
そんなランスベルに、アンサーラは言った。
「私たちは何百年もの間、〈盟約〉を守り、それが果たされる時を待ちました。いまさら数日の寄り道があったくらいで気にしません。それに〈竜の聖域〉へ行くなら心残りは無いほうが良いでしょう」
竜騎士にエルフにドワーフという三人組は目立ちすぎるので、なるべく人目に付かないよう人里離れてホワイトハーバーまで旅してきた。
ランスベルは野宿に慣れていなかったが、アンサーラは快適に過ごす方法をよく心得ていたし、魔法を使って野営地を隠したり草の寝床を作ってくれたりした。ギブリムは料理の心得があり、捕らえた獲物を調理してくれた。二人に助けられてばかりでランスベルの自尊心は傷つき、落ち込んだ。
「わたくしもあなたくらいの年頃には何もできませんでしたよ」とアンサーラは言ったが、それで安心するほどランスベルは素直ではない。パーヴェルとの長く辛い修行の日々はなんだったのかと、悲しくなる事もあった。
それでも旅を通じて、三人は打ち解けていった。元より同じ目的を持つ仲間だという意識もある。
いつしか敬称なしで呼び合うようになったが、ランスベルはギブリムという名前が個人名ではないという事だけ少し気にしていた。バスクスと名前で呼びたいのだが、本人がギブリムと氏族名で呼ぶように言うのである。それについてアンサーラは、それがドワーフの文化なのだと教えてくれた。
ホワイトハーバーの近くまでやって来た三人は、近くの岸壁に点在する洞窟の一つを隠れ場所にした。そこはホワイトハーバーの子供なら誰でも知っているような場所で、ランスベルでさえ一人で探検に来たことがある。それほど秘密の場所ではなかったが、入口はアンサーラが魔法で隠してくれたし、ドワーフは地面や空気の振動を感知するので、何かが近づけばすぐに分かる。
そこを拠点にしてから二晩続けて、アンサーラに町へ忍び込んで様子を探ってもらった。旅を始めてから知った事だが、エルフは一〇〇日に一回程度の睡眠で十分らしい。そのおかげで、ランスベルにもある程度の事情が見えてきた。
ホワイトハーバーの占領に父が関わっているらしいと判断せざるを得なくなった時は、さすがに衝撃を受けた。四大商家のうち他の三家の当主は拘束されていて、オーダム家だけは自由を許されているという状況を説明できる理由はそれしかない。
思い出の中の父は、確かに家の中では暴君のごとく君臨していたが、客や取引相手に対して横暴に振舞うことは無かったし、野心家には見えなかった。野心家という意味では、兄のガスアドのほうがしっくり来る。家の中でのみ暴君だった父と違い、ガスアドは家の中でも外でも暴君として振舞っていた。子供の頃のまま大人になったのだとしたら、ホワイトハーバーの支配者を目論むのも分からないではない。
だが、それが事実だとランスベルは信じていなかった。街道に晒されている串刺しになった人々を見た時、ランスベルは胃の中のものをぶちまけた。悪臭を放ち、苦悶の表情で身をよじりながら朽ちていく人々の姿はこの世のものではない。人を人と思わぬ悪行、としか言いようがない。
故郷の町の人たちを、あんな目に合わせたという自覚が、父にしても兄にしてもあるのだろうか。そうなると分かった上での行動なのか。それとも今は後悔しているのか――いずれにしてもランスベルにできる事は一つしかない。助けを求められた以上、手を差し伸べるだけだ。
レッドドラゴン城でモーリッツから受け取った兄からの手紙には、助けに来てくれ、と書かれていた。アンサーラに置いてきてもらった手紙を見た彼らが、ここに来るなら助け、来ないなら諦める。それだけだ。
「来たようだ」と、ギブリムが静かに言った。
ランスベルは思わず安堵のため息を漏らしそうになった。来ると言うことは、少なくとも現状を良かれとは思っていないのだ。自分の差し伸べた手を掴んでくれたように感じて、ランスベルは嬉しくなった。
「五人だ。二人は武装している」
オーダム家の人が町の中を歩くとき、必ず護衛が付いているのは分かっていた。護衛は監視も兼ねているのだろうとギブリムは言った。だから護衛から逃れようとすれば逆に危険だと判断し、そのまま連れて来るようにと手紙に書いたのだ。人を傷つけるのは嫌だが、助けを求める家族のためならやってみせる。
ギブリムは立ち上がり、古びた兜を被った。ランスベルも腰を浮かせて、小さな声で竜語魔法を唱える。
『ブラウスクニース、我に力を』
〈
ギブリムの言ったとおり、二人の武装した兵士が前にいて、一人は
兵士の後ろにいる三人が両親と兄だろう。家族と会うのは一〇年ぶりであったが、何か違和感があった。強化された感覚は細かな動きまで察知できる。三人の歩き方は何となく年齢に合わないような気がする。
胴回りの太い男が兄なのだろうが、腹の揺れが不自然だ。まるで詰め物をしているような――ランスベルが不安げにギブリムを見たのと、背後からアンサーラの声がしたのはほぼ同時だった。
『これは罠です。この場を包囲するように武装した敵の集団が動いています』
葉が擦れるような囁き声が、風に乗ってはっきりと聞こえた。アンサーラの魔法だ。
『包囲されるまえに敵を片付けます。目の前の五人は任せます』
ランスベルの強化された感覚は少し離れた場所に潜んでいるアンサーラの気配を捉えていたし、声も耳に届いていたが、まるで頭に入ってこなかった。
――罠って何が?
――なんの話をしているの?
あり得る状況は、両親と兄が来る場合と来ない場合しかないはずなのだ。あの手紙が帝国軍に見つかってしまったのか。取り上げられてしまったのか。それが一番この状況を説明できる。
家族が――自分の事を帝国軍に話すなんてあるはずがない!
二人の兵士が左右に離れるのが見えた。両親と兄であるはずの三人が手を前に向け、魔力場が発生する。それが見えていても、ランスベルは呆然と立ち尽くすのみ。
「ランスベル!」
ギブリムが叫んだ。そして閃光が、世界を真っ白に変えた。
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