5.アレックス ―盟約暦1006年、秋、第7週―
閃光とすさまじい轟音の後、アレックスは目を保護するために上げていた盾を下ろした。兜で覆っていたにも関わらず、轟音のせいで頭がガンガンする。〈みなし子〉の傭兵ジョシュも目を白黒させていた。
オーダム家の三人に変装した魔術師たちが同時に放った雷撃は、空気を焼き、広範囲の地面をえぐった。周囲は白煙を上げ、小さな炎があちこちに残っている。
アレックスも魔術師が炎を出したり、突風を起こしたり、敵の矢を防いだりするのは見た事がある。しかし、ここまでの破壊をもたらす呪文は初めてだ。この呪文一発で、少なくとも五〇人の兵士を殺せるだろう。
(帝国にこんな隠し玉があるとはな)
アレックスは横目に三人の魔術師を見て思った。しかも彼らはミリアナ教の審問官という立場にある。
魔法排斥というアルガン帝国の理念は、ミリアナ教とも一致している。その信仰を正すための審問官を隠れ蓑にするなどと、誰かは知らないが、考えた人間は悪趣味な皮肉屋に違いない。
アレックスがそんな事を考えていると、ジョシュが魔術師に言った。
「竜騎士は捕らえるって話じゃ――」
ホルストに変装している審問官のクレイブは、ジョシュが言い終わる前に早口で答える。
「この程度では死なない。腕か足が残っていたら切り落とせ」
そう言って、次の呪文を唱え始める。
(これで死なないなんてどんな化け物だよ)
半信半疑でアレックスは盾を構え、前方に目を凝らした瞬間だった。
ぼっ、と白煙に穴を穿ち、何かが飛んだ。その進路上にあったジョシュの頭は兜ごと潰れて破裂し、頭部を失くした身体は痙攣しながら膝を折る。
クレーラに変装していた女魔術師のジョスリンが、空中に光の玉を作り出して周囲を照らした。
白煙の向こうにあった低木は地面ごと抉られて影も形も残っていないが、その前で、ずんぐりした人間に似た生き物が太く短い手をこちらに向けて伸ばしていた。その体勢から、そいつが何かを投げ、それがジョシュの頭を砕いたのだろうと推測するしかない。
重そうな全身鎧を身に付け、鼻まで覆った古びた兜の下からは赤銅色の髭が胸まで広がっている。左手には見事な金属製の盾を持っていた。全身から白煙を上げてはいるが、髭が燃えているわけではないので、何らかの手段であの雷撃を防いだということになる。何を投げたのか知らないが、他に武器は持っていないようだ。
そいつの背後に、聞いていたランスベルの特徴と一致する若者が立ち尽くしている。完全に無傷だ。アレックスがそれらの状況を見て取ると同時に、クレイブが指示を出した。
「ドワーフは我々がやる。お前は竜騎士が逃げないよう時間稼ぎをしろ」
どうやらアレックスを捨て駒にして時間を稼ぐつもりのようだ。その事に気付いたところで、アレックスのやる事は変わらないし躊躇もない。アレックスはそういうふうに出来ている。
アレックスは手にしていた
そして盾の陰から出た時、ドワーフの手には見事なハンマーが握られていた。さっきまで何も持っていなかったはずなのに、だ。
(こいつも魔法使いか)
そう思いながらも躊躇うことなく、アレックスは剣を抜いて走り出す。
魔術師の誰かが放った轟炎がドワーフとアレックスの間に壁を作った。念のためハンマーの射線を避けながら、背後に居るはずの竜騎士を狙って回り込む。炎の壁の向こうで、魔術師の攻撃が光と音を発する。
炎の壁が低くなった時には、すでに竜騎士まで一気に接近できる距離に迫っていた。ドワーフは魔術師を敵と見做して盾を構えて前進していたので、炎で見えない間にすれ違った形だ。
竜騎士もあのドワーフと同じくらいの化け物かもしれないが、より与し易い相手だ――と、アレックスは見抜いた。
ドワーフには戦い慣れした戦士の風格がある。しかし、竜騎士のそれは新兵のものだ。しかも戦いの中で戦いを忘れている。
(こいつは死ぬ奴の顔をしている)
アレックスは一足飛びに距離を詰めると、腕の一本はもらったとばかりに剣を振り下ろした。
竜騎士は驚いた顔をして、背中の剣を抜こうとしたが間に合わず、半分ほど鞘に入ったままの状態で背を向けてその一撃を受け止めた。鋼が激突する音を響かせながら身体を回転させて剣を弾き、アレックスと正対する。その時にはすでに剣を抜き切っていた。
むしろ驚かされたのはアレックスのほうだった。今の一撃を受けきれるはずはなく、その後の動きも信じられないほど速い。
守勢に回ると危険だ――という直感に従って、アレックスは咆哮を上げながら猛烈な勢いで剣を打ち込む。右に左にと一方的に斬り込みながらも、アレックスは驚異に目を見開いていた。
竜騎士は絶対に間に合わないはずの攻撃を受け流し、体格的にも体勢的にも受け切れないはずの攻撃を受け止め、フェイントに引っかかっても本命の一撃に反応する。
(こいつが反撃に転じれば俺は死ぬな)
アレックスは他人事のように、冷静に分析していた。
「なにをしている!」
そこへ、ドワーフの銅鑼声が響いた。
「今は戦え、ランスベル!」
ドワーフがもう一度叫んだ瞬間だった。全身の毛が逆立ち、鋭い痛みが全身を這い回る。目の中で光が弾けると同時に視界から色が消えた。
(ドワーフに隙ができた。魔術師は俺もろとも竜騎士を殺る気だな)
アレックスは覚悟して、心の中で自分の命を手放したが、そうはならなかった。
全身に焼け付くような痺れを感じる。耳鳴りがして、世界は色を失ったままだが、全ての動きがゆっくりと遅く見える。倍の速さで動いていた竜騎士が、今は普通だ。魔術師が何かしたのは間違いないが、それが何なのかはどうでも良かった。同じ速さなら勝利は確定的だ。
剣先を右から左に流す。剣先を追った竜騎士に致命的な隙が生まれた。アレックスはそのまま開いた面甲の中に剣先を刺し込んで致命傷を与えることもできたが、殺してはまずいんだったな、と思い出して狙いを変えた。
回り込みながら剣で竜騎士の足を払う。鎧に守られていても骨に響くような重い一撃だったが、金属を叩いたのではない不思議な感触があって、剣はブーツを切り裂いただけだった。しかしバランスを崩すには充分だったようで、竜騎士は仰向けに転倒する。そのまま流れるような動きで剣先を下に向け、両手で柄を握って一歩踏み出す。
魔法で身を守っているなら手加減は無用――と、アレックスは体重をかけて剣を突き立てようとした。竜騎士は目を見開いている。
(なまじ見えているだけに恐怖だな)
その時、視界の端で何かが動き、アレックスは反射的に身を仰け反らせた。
ドワーフの持っていたハンマーが唸りをあげて、胸の前を通過する。そこにあった剣を砕いてバラバラにし、飛び去っていった。
アレックスは素早く周囲の状況を確認した。
ドワーフは先ほどの反応よりも鈍重に見える動きで、盾を女魔術師のジョスリンに投げつけ、アレックスのほうに身体の向きを変えている。ジョスリンはゆっくりとした動きで両手を上げ、目を細めている。もう間に合わないな、とアレックスは思った。
その少し離れたところでは、クレイブが両手をアレックスに向けて呪文を唱えている。腹に詰め物を入れてガスアドに変装していた魔術師のデリックは、血溜まりに倒れていた。大量に吐血し、胸は穴が開いたように潰れている。最初に頭を潰されて死んだジョシュの身体はうつ伏せに倒れたままだ。
それらの状況を確認してもまだ、ドワーフは素手のままアレックスに向かって突進してくる途中だった。
アレックスは折れた剣をドワーフの顔に向けて投げつける。ドワーフは目を閉じることもなく少し頭を下げただけで、それを兜で弾いた。剣は甲高い音を立ててドワーフの後方に跳ねていき、突進は一瞬たりとも止まらない。そしていつの間にか、手に槍が握られている。腕の長さの違いを十分に補えるものだ。
(やはり、戦い慣れている)
アレックスは竜騎士の上から飛び退いた。さっきまでアレックスの身体があった位置にドワーフの槍が突き出され、倒れていた竜騎士も苦し紛れに剣を横に凪ぐ。
そのまま後ろにステップを踏んで後退し、近くにあるまともな武器を探したが、ジョシュの死体が持っている剣くらいしかない。アレックスはジョシュの死体まで走って剣を抜き取った。竜騎士を見ると、ドワーフに庇われながら後退を始めたところだ。
盾を投げつけられたジョスリンは倒れたままで、クレイブはアレックスへの呪文に集中している。
どうする――と、アレックスは自問した。
冷静に考えれば、手練のドワーフを突破して竜騎士を手に入れるのは難しい。しかし、今まで経験したことのない魔術の力が全身を駆け巡っている。竜騎士は戦意喪失し、ドワーフの足手まといになっている。
(この機会を逃せば……やってみるか)
アレックスはそう決意して、一歩踏み出した。その瞬間だった。
「がっ!?」
突然、激痛を伴い全身が痙攣を始める。色の無い視界が徐々に赤く染まり、耳の中で何かが破裂して音が消えた。身体の自由が効かなくなる。
今まで感じたことの無い、全身が細切れにされていくような痛みにアレックスは悲鳴をあげた。だが痙攣する喉から出るのは「がっ、ががっ」というおかしな音だけだ。全身の皮膚が裂けて身体がバラバラに砕け散ったような痛みを最後に、アレックスは声にならない叫びを上げて地面に倒れた。
「壊れたか。ここまでだな」
意識が途切れる瞬間に、クレイブの声が聞こえたような気がした。
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