2.ギャレット ―盟約暦1006年、秋、第7週―

 ギャレットは逃げ込んだブラックウォール城で軟禁状態となっていた。

 ギャレットには敵に背を向ける行為を恥と思うような騎士道精神はないが、ファランティアの騎士道を考えれば、予想できることではあった。


 石造りの部屋の冷たい壁に背を預けながら、同じく石造りの天井を見上げ、一緒に逃げてくれた衛兵たちにも処分が下るのだろうか、などと考える。


 サウスキープとブラックウォール城の間を横切るクライン川を渡るまでに、衛兵の半数が死亡したが、おかげで住民への被害は三割弱に止まった。それはギャレットの予測とほぼ同じであり、上出来だと言えよう。問題はゴットハルトを含む一部の人々を置き去りにしてきてしまった事であった。


 それを、〝住民を守る〟という義務の放棄と判断される可能性は高い。それにゴットハルトは王家に近い人間でもある。ゴットハルトの姉アデリンは王妃なのだ。極刑もありうる。


 かつてのギャレットなら、〝まぁ、俺の一生はこんなものか〟と諦められただろう。だが今は、心の奥底にわだかまりを感じていた。


 この部屋は牢ではないので大きな窓が付いている。そこから見下ろすと、ブラックウォール城内の中庭に露店が連なる市場が見えた。領民が秋の収穫物を売り買いし、物々交換している。南のサウスキープが帝国軍に占領され、戦いが迫っているにも関わらず、この市場が閉鎖される気配は今のところない。それでもいつ閉鎖になるか分からないので、人々は今のうちにと活発に取引していた。


 傍目には活気ある日常生活に見える。戦に追われているのを除けば、それはギャレットが好きな光景だった。


 傭兵団〈みなし子〉を脱走して、決死の思いで〈魔獣の森〉を抜けてきたギャレットたちは、目の前に広がるファランティアの地を見ても自由を得たという開放感は感じられなかった。おそらく自由や平和というものを経験したことがなかったからだろう。


 疲れ果てて傷ついたギャレットたちはサウスキープの町の近くで衛兵に発見された。事情を話して投降した時のファランティア兵の第一声は、のん気なものだった。


「〈魔獣の森〉を抜けてきたのか!? 命知らずだなあ!」


 最悪の場合、投獄されて傭兵団に送り返されるかもしれないと恐れていたギャレットだったが、そうはならなかった。今と同じように軟禁状態となった後、より詳しい事情を聞かれ、そして「どうしたいか」と聞かれたのだ。


 ギャレットにとって自分の人生を、自分で決定するのは初めてだったので、その瞬間は印象深く覚えている。


 ギャレットは衛兵隊に入った。今にして思えば他の仕事もできただろうが、当時のギャレットは剣を振るう以外の仕事はできないと思い込んでいたのだ。ジョンは一緒についてきたが、エッドは狩人として生計を立てると言い出した。ギャレットよりも思考が柔軟で適応力があったのだろう。もっとも当時は、ファランティアに弓兵隊がないからだと思っていたが。


 そう、ファランティアには弓兵隊がないのだ――と、ギャレットは思い出から現実に思考を引き戻した。


 子供時代の遊びや狩猟に弓を使うことはあっても、戦いに飛び道具を用いるのは卑怯とされているのがファランティア騎士だ。戦場での一騎打ちが騎士の戦いだと真剣に考えられている。ゴットハルトだけが特別に古風なのではない。彼の行動はファランティア騎士の模範的なものだった。


(いや、それでもゴットハルトは特別だったんだろう)


 ギャレットは思い直した。あれほど愚直に騎士道を貫き、死地に向かっていけるような人間は稀なはずだ。しかしファランティア人の常識では、騎士や貴族は捕虜となって身代金と交換されるのが普通なので、命までは取られないと思っていたのかもしれない。


 実際、ファランティアで開催されるトーナメントの集団戦では打ち倒された騎士は兜を取られて相手方の捕虜となり、最後にそれぞれの捕虜の価値を合計したものを比べて勝敗を決める。捕虜の価値は、過去の戦績や身分で決まる。


 いずれにしても、ゴットハルトと言い争ったまま別れてしまった事がギャレットには心残りであった。あの状況でアルガン帝国が人質を取るとは思えないが、生き延びていてくれたらと思う。


 あるいは戦死しているにしても、敵兵の一人か二人でも殺していればファランティア騎士で初めて敵兵を討ち取ったという名誉を得られるだろう。

 命と引き換えにするほどの名誉とは、ギャレットには思えないが。


 誰かが石造りの階段を上がってくる足音がして部屋の前で止まった。見張りについている衛兵と言葉を交わしている。声はくぐもっているが普通に聞こえてきた。城主のグスタフ・ベッカーがギャレットを呼んでいるらしい。


 扉を開けて入ってきた衛兵は同じことを言い、ギャレットは彼に従って部屋を出た。


 ブラックウォール城はレッドドラゴン城よりも一回り大きな城で、六つもの塔を持ち、城壁は石造りで高く堅牢である。盛り土の上に建てられた方形の城は、どの方位から見てもその名のとおり黒い壁に見えた。内部は南北に回廊で仕切られていて、西壁に接して天守キープがある。その他の施設や建物も壁際によっているので中庭は広い。


 南側には門塔と主門があり、堀を渡る橋が下ろされ、常時使える唯一の出入り口になっている。東にも門はあるが、そちらの橋は引き上げられたままで常用されない。北壁にある埋門うずみもんもその名のとおり普段は閉ざされている。


 貴族など身分の高い人々が生活するのは仕切られた中庭の北側で、南側は庶民が集う場になっていた。ちょうど今、市が開かれているのも南の中庭である。


 衛兵に従って東側の壁の内部にある通路を歩きながら、縦長の矢狭間やはざまから外に目を向けると、城の周囲に広がる穀倉地帯が見える。収穫を控えた穀物が秋の風に吹かれて黄金色の波を作っていた。


 地理的に考えても、サウスキープから帝国軍が北上する場合避けて通れる場所ではない。多少早くてもすぐに収穫すべきだとギャレットは思った。


 ギャレットが通された城の一室には、ベッカー家当主にしてこの城の主グスタフ・ベッカーが長子ヴィルヘルムを伴って待っていた。


 グスタフは、ゴットハルトの容姿を年相応にして太らせたらこんな感じだろうという立派な体格をしている。額から頭頂部にかけてつるりと剥げているが、両耳の上に残った白髪は張り出していて、ふさふさした長いもみ上げと繋がっていた。


 ヴィルヘルムはゴットハルトと身長こそ同じくらいあるが細身で、ひょろ長い印象である。


 部屋には他に、ベッカー家の家令ベルントと老神官のローマン、それにギャレットもよく知るフォーゲル家の親子がいた。ギャレットは自由騎士としてサウスキープで食客となっていたから、二人には恩も面識もある。


 ギャレットはグスタフにひざまずき、頭を下げた後で、ちらりと横に視線を向けてフォーゲル家の二人に軽く会釈した。二人とも渋い顔つきだ。


「陛下より沙汰があった。ギャレットよ、卿の行動について判断は保留となった。次の沙汰あるまで卿の身柄はわしが預かる」


 体格に見合ったグスタフの重厚で大きな声が頭の上から降ってきた。


 保留というのは少し意外であった。自分の行動を評価するような人間が王の側にいるのだろうか――と、考えてみても、ギャレットは王の側近たちの顔も名前も覚えていない。唯一記憶にあるのはハイマン将軍くらいだ。


「畏まりました。陛下のご沙汰に従います」


「顔をあげろ、ギャレット。この場におれ」


 ギャレットは顔を上げてグスタフの厳しい顔を見た。常にそういう顔なので、感情は読み難い。ヴィルヘルムも父に倣っているのか渋面であるが、ギャレットを見る目つきには敵意がこもっている。ゴットハルトを見殺しにしたと思っているのだろう。事実なので弁明するつもりはない。情状酌量の余地はありそうなものだが。


「はい」


 ギャレットは返事をして立ち上がり、少し距離を置いてフランツ・フォーゲルの隣に立った。


 それからグスタフは一同に向かって話し始める。


「陛下より現状をより詳細に調べて報告するように、との命があった。確かにサウスキープ以外の我が領地の状況は確かめねばならんし、帝国軍の動きも調べねばならん」


「斥候を出して、調べさせましょう」と、フィリベルト・フォーゲルが言った。グスタフより年下だが同世代で、腹の出た中年太りの体型は鍛錬された騎士の身体ではない。


 斥候を出すだけでは駄目だな――とギャレットは思った。

 秋の収穫物に溢れているこの時期、それらが帝国軍の腹を満たす前に回収するなり廃棄するなりすべきだ。その事を進言しようかと考えている間も、グスタフとフィリベルトの会話は続いている。


「うむ。それと、使者はどうなっておる?」


 フィリベルトは目を伏せて首を左右に振った。

「戻りません」


 ずっと軟禁状態にあったギャレットは何の話か分からなかった。隣にいるフランツが小さな声で教えてくれる。


「ゴットハルトの身代金交渉の使者を送ったのだ」


 ギャレットは軽く頭を下げて、教えてくれた事に感謝した。フランツはフィリベルトの息子とは思えない鍛えられた身体つきをしていて、剣術の筋も悪くない。ギャレットは彼に請われて稽古に付き合う事が多いので、良く知っている。


 だん、とグスタフが肘掛を拳で叩いた。

「交渉するつもりなどないということか。礼儀を知らぬ連中だ」

 その口調には怒りと焦りが滲んでいる。


 アルガン帝国軍が身代金要求などするはずがないとギャレットは知っていた。


 ドラゴンの葬儀で王都に行っていたグスタフ一行がブラックウォール城に戻ってすぐに、ギャレットは奇襲された夜の出来事を説明してあった。帝国軍が敵の戦意喪失を狙って残虐な行為をする事や、騎士同士の戦いをせず、ファランティアでは卑怯者の武器とされるクロスボウを持った部隊を運用する事も伝えた。帝国製のクロスボウがファランティアのものよりずっと高威力である事も。


 だが敢えて口にしていない事もある。それはゴットハルトについてだった。そこに話が及んだところでグスタフの顔色が変わったのに気付いたからだ。さすがに南部総督だけあって、うろたえたり、怒鳴ったりはしなかったが、禿頭のてっぺんまで真っ赤に染まり、肩をわなわなと震わせていた。


 だからもしゴットハルトが生きているなら戦意喪失のために使われるだろうとか、死んでいた場合も、遺体に残酷な仕打ちをするかもしれないとは言えなかった。今は威厳を保っているが、抑え込んだ怒りが爆発して僅かな手勢で出陣してしまうのを心配したのだ。単身で帝国軍に突撃していったゴットハルトのように。


 ギャレットは考えるのを止めて、発言した。

「グスタフ公、進言してもよろしいでしょうか?」


「聞こう」


「私が少人数で、偵察任務に就きます。その間に、グスタフ公は戦いの準備を指揮なさってください」


 グスタフは厳しい顔でギャレットを無言のまま睨みつけた。だが、ヴィルヘルムは黙っていなかった。


「こいつ、逃げるつもりですよ、父上」


 憎らしげに、ほとんど断定するように言う。

 そこへフランツが口を挟んだ。


「ご心配なら私が同行しましょう。グスタフ公のお許しがいただければ、ですが」


 ギャレット含め、その場の全員が唖然とする。誰にとっても予想外の申し出だったに違いない。フランツの顔は真剣で、冗談を言っているわけでないことは一目瞭然である。


「フランツなら信頼できますが……」と、ヴィルヘルムが言葉尻を濁した。


「しかし、敵情をこそこそ嗅ぎ回るなど、名誉ある騎士のすべきことではないぞ」


 グスタフは暗に制止しつつ、フィリベルトに視線を送る。それを受けてフィリベルトは息子に問う。


「どういうつもりだ?」


「どうもこうも。我々は陛下より、現状を調査して報告するようにと仰せつかっているのです。ならば自分の目で確かめ、正確なところを報告するしかありません。それに私が監視役と監督を兼ねるなら、一同納得すると考えました。いかがか?」


 フランツは平然と答えた。誰も反対する理由が思いつかないのか、黙って顔を見合わせるだけだ。異論なしと見たのか、グスタフは許可した。


「よかろう。だが二人だけというわけには行くまい?」


 それにはギャレットが答える。


「サウスキープから脱出した衛兵を一名お貸し下さい。それと衛兵ではありませんが、狩人を一人」


 フィリベルトは諦めたようにため息交じりに言った。

「いいだろう。好きにしてよい」


「はい、ありがとうございます。準備でき次第、出発します」


 ギャレットがそう言うと、グスタフは〝行け〟というふうに手を払った。それを退出の許可と見て、ギャレットは一礼すると部屋を出た。


「それでは私も失礼します」と言って、フランツが後に続く。


 部屋を出て少し城内を歩き、人目の無さそうな場所でギャレットは立ち止まって振り返った。


「どういうつもりなんです?」


 ギャレットの問いに、フランツは肩をすくめた。

「君も父と同じ事を聞くのだな。理由は先ほど話したとおりだ」


「グスタフ公の言うとおり、名誉ある任務ではありませんよ。道中は野宿も多いですし、少々手荒な事をするつもりでいます。貴方にそんな事ができるとは思えないのですが」


 フランツは腕を組んだ。

「私とヴィルヘルムは君とトーナメントで戦った。覚えているか?」


 突然何を言い出すのか、とギャレットは困惑した。言われるがまま思い返してみても思い出せない。全員が顔まで覆う兜に全身鎧だったのだ。袖なしの軍衣サーコートに付いている紋章まで確認していない。


「まあ、印象に残らないくらいあっけなく倒されたからな。私は悔しかった。こんな悔しいことがあるかというくらいにだ。それからは君を目標にして鍛錬してきたつもりだが、君と私には決定的な違いがある。それを学ぶには、これ以上の機会はあるまいと思った」


 確かに、トーナメントで自由騎士の称号を得てからというもの、フランツはよく稽古を申し込んできた。だが、そんな思いがあったとは知らなかった。


「……わかりましたよ。ただ、現場では私の指示に従ってください。あなたの命を守るためにも」


「わかった。約束しよう」


 フランツは微笑んで、手を差し出してきた。ギャレットは渋々、その手を取る。


「状況がこうでなければ、ヴィルヘルムも同行したはずだ。彼は君の技量に惚れ込んでいたからな。その君が弟を置き去りにして逃げてきたとなれば、ああいう態度にもなる。許してやってほしい」


「気にしてませんよ」


 二人が城を出て、市を横目に歩いていると前方からサラと娘のララ、それにジョンの三人が歩いてくるのが見えた。


 サラの夫ロクスが最初の戦死者になっていた事を、ギャレットはジョンから聞いていた。しかし逃避行の最中にそんな話をする余裕はなく、まだ伝えられていなかった。クライン川を渡ってブラックウォール城の領内に逃げ込むまでは、もっと考えなければいけない事、気にしなければいけない事がたくさんあったのだ。


 ジョンがギャレットに気付き、小走りで向かってきたので、サラも娘を抱き上げて自然と付いてくる。


「隊長、よかった」というジョンの言葉に、「うん?」とフランツが反応した。


 フランツはサウスキープの衛兵隊長である。ジョンは衛兵なので「隊長」と呼ぶならフランツのほうが正しいのだが、ギャレットに向かってそう呼びかけたので不思議に思ったのだろう。


「傭兵時代の呼び方がまだ抜けてないんですよ」


 ギャレットはフランツに説明し、それからジョンに向かって言った。


「とりあえず判断は保留になって、別の任務に就くことになった」


「もちろん俺も連れて行ってくれるんですよね?」


 ジョンがそう言った時、サラが追いついてきた。


「ギャレット様、お礼にも伺えず、申し訳ありませんでした」


 サラが深く頭を下げる。ギャレットは何故だか慌てた。


「礼など不要です。それよりご主人の剣をずっと返せずにいてすみませんでした。今から返却してもらうので、お返しします」


 結局、ギャレットはブラックウォール城までロクスの長剣ロングソードを借りたままだった。そのためギャレットの持ち物と思われて没収されてしまったのだ。


 サラは視線を下げる。その瞳は翳っていた。


(ロクスの事を聞いたのか)


 ギャレットはちらりとジョンを見た。ジョンは無言で頷き、その考えを肯定する。サラは目を上げて言った。


「ロクスの剣ですが、もし宜しければギャレット様に貰って頂きたいと思っていたのです。ここまで何もできない私たちをギャレット様は身を挺して守ってくださいました。そのギャレット様の手に夫の剣があった事で、なんだか主人が一緒に守ってくれているような気がして……救われていたのです。この城の人はギャレット様の事を悪く言う人もいますけど、ギャレット様は私の命だけでなく心も救ってくださいました。本当に、ありがとうございました」


 サラは膝を付いて頭を垂れようとしたので、ギャレットは慌てて肩を掴んで阻止する。

「いやいや、俺のほうこそ剣が無かったら死んでいましたし……」


 そのように感謝されて、ギャレットはますます戸惑ってしまった。戦いの結果、感謝された経験は今まで無かったのだ。戦いの中で人を救った事もあったかもしれないが、その人たちの感謝は傭兵ではなく正規兵や指揮官に向けられるものだった。


 それに実際のところ、ギャレットにはサラを守ろうという意識は全く無かった。たまたま、生き残った人の中にサラがいたというだけの事だ。戦いに巻き込まれた一般人が死ぬか生きるかを決めるのは運だけだとギャレットは思っている。だから、感謝するなら自分の幸運にするべきだ。

 しかし、彼女の申し出を断る理由もギャレットには無い。


「……わかりました。ご主人の剣、使わせてもらいます」


「はい」


 ギャレットとサラの立ち話は幼い娘を退屈させたらしく、ララは不機嫌になってぐずり始めた。


「サラさん、俺は隊長たちと一緒に行きます。すみません」


 ララの頭を乱暴に撫でてジョンが言った。ララはますます不機嫌に怒りの声を上げる。


「止めなさい、ララ。ええ、一人で大丈夫だから――それではギャレット様、失礼いたします」


 不機嫌なララを抱え直して、サラは何度も頭を下げながら市場へと歩いて行った。


 サラの姿が遠くなってから、ギャレットはジョンに問う。

「ロクスって、どんなやつだったんだ?」


「人が良いだけの、ただの太ったおっさんでした」


 そう言いながらも、ジョンが無関心を装っているのは明らかだった。

「そうか」と、ギャレットは一言だけ答えてこの話題を終わりにした。


「ジョン、エッドを探して兵舎の食堂まで来るように伝えてくれ」


「どっちの兵舎ですか?」


 ジョンに聞き返されてもギャレットには分からなかった。フランツが助け舟を出す。


「ブラックウォール城には兵舎が二つある。サウスキープの衛兵たちは南の兵舎を使っている」


「どうも」

 ギャレットはフランツに礼を言ってから、ジョンに答える。

「南の兵舎だ」


「了解しました」


 ジョンはそう言うと、人を避けながら走って行った。あっという間に姿が見えなくなる。


 それを見てフランツが言った。

「足が速いな」


「そのせいで戦場働きに出るのも早かったんです」


 歩き出しながらギャレットが言うと、フランツは驚きに目を丸くした。

「彼は確か、まだ一八くらいだったはず。何歳から傭兵として働いていたんだ!?」


 何に驚いているのかよく分からないギャレットは適当に答える。

「さあ、本当の年齢は誰も知らないので。たぶん八歳とかそのくらいじゃないですか」


「八歳だと? 親は何をしていたのだ」


 フランツには〈みなし子〉の事は話していなかったな、とギャレットは思い出した。


「俺たちがいた傭兵団〈みなし子〉は、その名のとおり全員親がいないんです。中には事情があって、そういう事になっているやつもいましたけどね。物心付く前から傭兵団で育ったやつも大勢います」


 フランツは唖然としたまま聞いている。


「ジョンは足が速かったから、伝令とか戦場の後始末とかで重宝されてました。俺は指揮ができると思われたらしく隊長として教育されました。そんな感じで、それぞれ適した役割を与えられるんです。長槍兵隊、弓兵隊、騎兵隊……そういうふうに部隊単位で契約するのが普通なんですよ。人を集めて並べて、突撃して、後は各自の判断で乱戦するような戦いはファランティアの外ではやってない――です」


 フランツが黙り込んでしまったのに気付き、ギャレットは言い過ぎたかと思って話すのを止めた。


 その後、ギャレットは没収された品物を返却してもらいに行き、フランツは地図を取りに行った。南の兵舎に到着して食堂に入ると、若い男が数人集まってサイコロ遊びをしている。グスタフの召集に応じた領民だろう。これから収穫というこの時期は兵士を集め難い。ギャレットが見たところまだ数えられるほどしか集まっていなかった。


 空いている場所に荷物を置き、腰を下ろしてすぐにフランツが食堂に現れた。見るからに貴族という格好をしたフランツが入ってきたので、サイコロ遊びをしていた若者たちはぎょっとして道具を隠したが、もう遅い。フランツはちらりとそちらを見て眉間に皺を寄せたが、何も言わずにテーブルを挟んでギャレットの反対側に座った。


「先ほどの話だが……あまり気分の良い話ではなかった」

 むっつりとフランツが言う。やはり気に障っていたようだ。


「すみません」とギャレットは謝った。


「だが、学ぶべき事だとも感じた。今後、機会があったら話して欲しい」


 サウスキープにいたのがゴットハルトではなくフランツだったら――と思わずにはいられない。


「わかりました。ただ、俺には小隊長の経験しかありません。任された部隊を言われたとおりに動かすのが役割で、他は見聞に過ぎません」


「それでも……いや、十分だ」

 フランツは少し悔しそうに言った。


 少しして、エッドを連れてジョンがやって来た。全員揃ったので、ギャレットはフランツから地図を借りて計画を説明する。ブラックウォール城から近く、サウスキープからは遠い位置にある村や農場から、ブラックウォール城に避難するよう伝えていく。そして、荷物は家財よりも収穫物を優先させ、持ちきれない収穫物は燃やすなり川に捨てるなりして廃棄させる――説明を聞いたフランツは目を丸くした。


「普通の偵察ではないのか?」


 ギャレットは頷く。


「昔の事ですが、敵領内を行軍しながら食料調達できると見越していたところ、燃やされていたことが分かり、いきなり食事が半分になった事があります。士気にも影響しました」


 フランツは腕を組み、眉間に皺を寄せた。


「そういう戦い方をするのか……農民は反対するだろうな。抵抗する者もいるかもしれん」


「協力してもらうしかありません」

 ギャレットは言い切って、続けた。


「今回の任務は俺が隊長として振舞います。その時になったらフランツ卿は離れていて下さい。強引にでも俺たちがやりますので」


 それを聞いてフランツはますます眉間の皺を深くする。


「憎まれ役になるというのか。先ほどから気になっていたのだが、君は名誉を損なう事に躊躇する気持ちはないのか?」


 ギャレットは即答できなかった。自分の中で、何かが引っかかっている。それが何なのか、ギャレットにも分からない。確実なのはファランティアでの暮らしがそういう感傷を芽生えさせたのだろうという事だけだ。


 物心付いた時には傭兵だったギャレットは、他人の命にも自分の命にも無関心だった。生きるか死ぬかという究極の問題に無関心なのだから、その他あらゆる事に無関心でいられたのかもしれない。


「気にしませんね」


 ギャレットは嘘をついた。今はもう一度、あの頃に戻る必要がある。


 ただ生きて、ただ死ぬだけだ――そう強く意識すると、鼻の奥にツンとした炎の臭いが蘇ってきて、戦場という故郷に戻ったような気分になった。


 その後、領内に詳しいフランツの助言を得ながら経路を決めた四人は出発の準備に取り掛かり、翌日の早朝にはブラックウォール城を出発した。

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