5.ギブリム ―盟約暦1006年、冬、第10週―

 地上への出入口があるコー族の洞窟内は、別れを惜しむ人々の声と涙に溢れていた。


 族長に次ぐ権威があるらしいドルイドのイムサが、ギブリムは信頼に足ると説得しても、ここに残るという者は減らなかった。主に年長者を中心とした二二人のコー族が残る事になり、イムサ自身もそこに加わっている。


 南へと旅立つ三〇人のコー族は、生まれ育った土地と、そこに残る彼らと、永遠の別れになる。南への道は一方通行で戻っては来れないとはっきり説明するようイムサには言ってあるので、彼らも理解しているはずだ。


 今日はまさしく出発する好機であった。氷雪嵐ブリザードの気配もなく、天候は落ち着いている。このような日は次の季節までないだろう、とイムサは言った。


 それは、今日を逃せば洞窟に閉じ込められるという意味であり、そうなれば半数以上が寒さと飢えで死ぬということである。


 往路と同じく強行軍で戻って来たギブリムは二日間寝ていないが、高揚感が眠気と疲労を上回っていた。なにしろ、〈大地の門〉の位置という重要な情報を持って仲間のもとへ戻れるのだ。


 そんなはやる気持ちを抑えて、ギブリムは出入口付近で壁を背にコー族たちの様子を見ていた。族長のロジウはすぐ隣に立っている。彼はギブリムへの信頼を示すためか、努めて一緒にいるようだった。


「私、悪い族長」


 唐突にロジウが小さな声で呟いた。ギブリムが反応して彼を見上げると、若き族長は独白を続ける。


「南の言葉、南の伝承、イムサから学びました。族長の役目、違う。南に行く、私の希望。心臓、強く動き、楽しい。でも、それ、私だけ」


 ロジウが感じているらしい罪悪感は、ギブリムにとって理解し難いものであった。ドワーフの氏族とは単なる血縁者の集まりではない。むしろ血縁より、同じ始祖の教えに共感し、同じ思想を持った集団である。


 個々のドワーフに考え方の違いはあっても、氏族全体として同じ目的を共有していれば問題はない。意見の食い違いがあるとすれば、目的そのものではなく、達成方法についてだ。


 コー族をドワーフの氏族に当てはめて考えるなら、〝コー族の存続〟という目的に対して三つの達成方法があり、個々人によってそれぞれ選択がなされたと見做せばよい。その結果として、アシニッドになる氏族、ここに残る氏族、南へ逃れる氏族、と三つに分裂してしまったのだ。


 もちろん分裂を避けるのが最良だったろう。ロジウがコー族分裂前にどれだけ発言力があったのかギブリムは知らないが、意見を一つにまとめられなかった事に対しての罪悪感というなら話は分かる。ロジウが個人的に〝南に行くのが夢だった。楽しみだ〟と思う事は、それと何の関係もない。


 だからギブリムは、むっつりと答えた。


「もっと自分に自信を持て。迷いがあっても見せてはならん。族長らしくしていろ。これ以上、コー族が分裂しないようにな」


 ロジウは少し驚いたようにギブリムを見てから、ぐっと顎を引いて胸を張った。その横顔は戦いに向かう戦士のようである。年恰好が近いせいか、ロジウにランスベルの面影が重なる。


 (ランスベルにも、こんなふうに言ってやれば良かったのか)


 そう思うのは、ランスベルと共に地表世界を旅した影響だろうか。かつての自分なら、「気にするな」と一蹴したはずだ。


「出発、命令する」


 ロジウが決心したように言って、その場を離れる。


「うむ、外で待つ」


 若き族長は肩越しに振り向き、目で了解の意を示した。


 洞窟の外は数日前にも増して凍り付いていた。地面は固く、ランスベルやアンサーラの足跡は完全に消えて、夜の闇の中をぼんやりした白い平坦な大地が黒い壁のような〈世界の果て山脈〉まで続いている。


 フレスミルに到着するまで荒れなければいいが――と、ギブリムは天を仰いだ。風は穏やかで、空を覆う薄い雲の隙間から星さえ見える。


 もし移動中に氷雪嵐ブリザードが戻れば、付いて来られない者は見捨てなければならないだろう。


 ここに来る途中で出会った獣に襲撃された場合も、ギブリム一人で全員を守りきるのは無理だ。犠牲者が出る可能性は覚悟しておかねばならない。


 到着したら門にいるはずのバンとボルドに事情を話して、コー族をフレスミルに入れる。竜騎士との取引の件は事後承諾になってしまうが、氏族評議会と連絡を取り終えるまで外に待たせていたら、コー族は全員凍死してしまう。


 フレスミルに入った後も、コー族を置いて第二区画に戻るわけにはいかない。崩れた門を埋め、第一区画を放棄する作業のためにドワーフたちが第二区画から上がってくる。彼らとコー族の間には、ギブリムが立たねばなるまい。


 〈世界の果て山脈〉の南へ通じる門は雪の下に埋もれているはずだし、真冬の山中にコー族を放り出すわけにもいかないから、春までは彼らを第一区画のどこかに留め置くことになるだろう。


 春までにドワーフとコー族との間で起こりうる問題や衝突について考え始めると、ギブリムは頭の痛くなる思いだった。氏族評議会も相当に荒れるのは間違いない。


(だが、これは〈盟約〉とは別の……ランスベル、お前とギブリムとの取引だ。始祖の名にかけて、コー族を一人でも多く南へ送り出す)


 空に瞬く星に向けてそう心の中で語りかけた時、遠くで何かが光った。そこから一筋の光が尾を引いて、すさまじい速度で南に向かって飛んで行く。直感的に、ギブリムはそれが何か分かった。


  (ランスベルか!)


 背後でざわつく人の声に振り返ると、ロジウを先頭にコー族たちが洞窟から出て来たところで、誰もが天を見上げて何か言いながら光を指差している。


「あれはランスベルだ」

 ギブリムはそう教えてやり、再び空に目を戻した。


 光は、ぐんと高度を上げて〈世界の果て山脈〉さえも飛び越えて行く。

 それを見送ってから、ギブリムはコー族たちに向けて言った。


「行くぞ。俺たちも出発だ」

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