エピローグ
エピローグ ―統一歴47年、初春、5日―
「……そして、光のドラゴンと竜騎士は空の彼方へ飛び去っていきました。おわり」
ちょうど話が終わると同時に、暖炉の火がパチンと爆ぜた。椅子に座って話をしていただけなのに、身体が重くなったような疲労感がある。私も年を取ったもんだわ――と、マイラはため息混じりに思った。
話を聞かせていたひ孫のフェルナンドは、男の子らしく竜騎士の話が気に入ったようで毎夜続きをせがんでくる。
「えー、おわり? でも、ひいばあちゃんの、他のお話と違うね。なんか変」
「そうかしら」
本人から聞いた話だからね――とは言わず、マイラはとぼけた。
話の細部が違うのはもちろんだが、世間で語られる〈光の竜騎士〉の結びはこうなっている。
〝その後、光のドラゴンと竜騎士を見た者は誰もいません。けれども、今も空の彼方から私たちを見守っています。悪しき者には罰を、善き者には祝福を授けるために〟
しかし、マイラはこの部分が嫌いだった。彼女の知る亜麻色の髪の騎士にそんな役目を押し付けて欲しくない。またここで会えますよね――若く愚かだったマイラとの小さな約束を守ってくれた彼に。他人の願いを背負って生きた彼に。
それに、フェルナンドに語って聞かせた〈光の竜騎士〉が世間のものより長くなってしまったのも事実だった。ここ数年、やたらとあの頃の事を思い出すせいで、かなり詳細な部分にまで話が及んでしまったのだ。
とはいえマイラも全てを知っているわけではないので、どうなったか分からない登場人物も多い。それがフェルナンドには〝お話〟として違和感なのかもしれない。
例えば、あの夜に窓から飛び出していったタニアがどうなったのかマイラは知らない。彼と二人で幸せに暮らしたなら良いな、と時々思い出す事はある。
〈王都の戦い〉直後の混乱の中で姿を消したアデリンがどうなったのかも知らないし、城にいた多くの人々の中ではっきりしているのはニクラスくらいだ。彼については良い思い出も、悪い思い出も、たくさんある。
「ほんとうに続きないの?」
「本当に続きはないの。ひいばあちゃんの知ってるお話はこれで終わり」
フェルナンドは頬を膨らませ、口を尖らせて不満を表した。その表情にニクラスの面影を見て不思議な気持ちになる。
もしこの話の続きを語るなら、それは彼女自身が経験してきた歴史になってしまう。幼子が喜びそうなドラゴンも、エルフもドワーフも出てこない。戦争や戦いの話も男の子であるフェルナンドには興味深いかもしれないが、彼女には人間同士の殺し合いにしか思えなかったし、思い出したいものではない。
マイラにとって〈王都の戦い〉が光の竜騎士の出現によって幕を閉じたのは疑う余地もない事実で、彼の物語もそこで終わる。だが、彼の実在を疑う人は年々増え、今ではほとんど信じられていない。
勝敗は決したと誰の目にも明らかだったので、戦いを止めるのにちょうどいい頃合だったとか、雲の切れ間から差し込む光がそう見えたとか、そもそも作り話だという人もいる。
もし本当にドラゴンがあそこにいたのなら、どうして誰も〈ドラゴンへの恐怖〉を感じなかったのか――と言われれば、マイラにも答えなどない。
いずれにせよ停戦は成立して、翌日にはレッドドラゴン城でブラン上位王とレスター皇帝の話し合いが行われた。その席上でファランティアは北方連合王国とアルガン帝国とに切り分けられ、ファランティア王国は消滅した。
しかし、たくさんの人が死んだ〈王都の戦い〉ですら、その後も続く長い戦争の緒戦に過ぎなかった。のちに〝テストリア統一戦争〟とブラン上位王が呼んだ、二〇年近くにも及ぶ長い戦乱の――。
〈王都の戦い〉の後、マイラはニクラスと共に故郷プレストンへ戻り、結婚して、宿屋の一つを継いだ。しかし、帝国領に組み込まれたプレストンを巡って北方連合王国軍と帝国軍の戦いが起こり、二人は命からがら逃げだすはめになってしまった。
路頭に迷わずにすんだのは、ニクラスが城でパン作りを学んでいたおかげだ。どこの何人であろうとパンは食べるのだ。二人は戦いを避けて町を転々としながら、北方連合王国軍にも帝国軍にもパンを作って売り、生き延びた。
やがて戦場は〈魔獣の森〉以南へ離れていき、マイラたちはプレストンに戻る。そして末の娘が生まれ、彼女の成長と共に町は復興していった。
その後、ブラン上位王がテストリア王に即位して、ブラン統一王と呼ばれるようになって以来、大陸全土を巻き込むような戦争は起こっていない。それでも大きな動乱は何度かあり、マイラの知る多くのものが時代の波間に消えていった。
ブラン王もレスター皇帝も、もういない。
最後までファランティアの名を掲げたファランティア自由騎士団も忘れ去られてしまった。
アルガン帝国の後継者を名乗る国は、六つだか七つだかあるらしい。
世界はまるで変ってしまった。マイラの青春時代がおとぎ話のようになってしまうくらいに――。
「ひいばあちゃん、りゅうきしの話してよう」
可愛いフェルナンドがせがむ。
マイラはフェルナンドのふさふさした髪の毛を撫でた。フェルナンドが生まれてからは、戦争も動乱も起こっていない。だからこの子は戦争を知らない。
でも、知らなくていいとマイラは思う。敗戦の悲惨さを忘れてはならない、帝国に支配された屈辱を忘れるな、と声高に叫ぶ人たちは今でもいる。しかしマイラは忘れる事で前に進むという方法を選んで生きてきた。
どちらを選ぶかはフェルナンドと、彼の世代が決めるべきだ。古い者が古い考えを押し付けるのは間違っている。
〝選択する機会そのものを奪ってしまうのは、なんだか傲慢な気がして……〟
記憶の底から、一瞬懐かしい声が浮かんで、泡のように消えた。亜麻色の髪の彼が、氷の国で族長に語った言葉だったろうか――。
「フェルナンド、もう寝る時間でしょ。ひいばあちゃんも疲れちゃったって」
食器を入れた水桶を抱えて、マイラの孫でフェルナンドの母、ライサが戻ってきた。
「まだ眠くないし……」
「早く寝ないと、魔獣が来てあんたの足をかじるわよ」
フェルナンドは好機を得たとばかりに、鼻息も荒く反論する。
「魔獣なんて怖くないもん。だって、魔獣が来てもアンサーラが退治してくれるんだよ。ねー?」
ライサは恨めしそうに祖母を見た。余計なことを教えてくれたわね、とその目が語っている。
魔獣が現れると、どこからともなく現れて退治していく漆黒の髪をしたエルフの女剣士アンサーラの噂は今も絶えない。彼女もまた、マイラと同じく古き時代の名残だ。
ライサは〝なんとかしてよ〟と無言のまま訴えている。マイラはため息で答えた。
「そうねえ、じゃあ明日からは、〈はじまりの竜騎士〉の話をしてあげようか。でも、お母さんの言う事をちゃんと聞かない子にはしてあげないよ」
マイラがそう言うと、フェルナンドは「りゅうきし!」と叫んで跳び上がる。
「そうよ、はじめて竜騎士になった人の話でね……エルフやドワーフも出てくるよ」
フェルナンドはパッと顔を輝かせて笑った。
「ひいばあちゃん、やくそくね!」
その笑顔を見ながら、マイラは心の中でニクラスに語りかける。
私の知っている竜騎士の話を全部してあげるまで、あんたのところへは行けそうにないわ――と。
〈完〉
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