15.マイルズ ―盟約暦1006年、秋、第12週―

 帝国軍の占領下にあるサウスキープの町は現在、ファランティア南部方面の前線基地となっている。丘の上にあった古い砦は改修が進められ、壁や門の再建も進んでいる。サウスキープという名に相応しい、城砦としての機能を取り戻しつつあった。


 帝国軍が焼き払ってしまった町は放棄されたままだが、砦の南東に広がる緩やかな裾野には新たな町の建設も進んでいる。


 兵士のための宿舎、食堂、倉庫が優先的に作られ、今は来年以降に入植してくる予定の農民たちの家に取り掛かっている。まだ軍隊の駐留地という景観だが、家が増えれば、より町らしくなっていくだろう。


 壁や門の再建が急がれたのは、ファランティア軍の攻撃に対する備えというよりも、捕らえたファランティア人を逃がさないためと、野盗化した現地民の侵入を防ぐためだ。現在の戦況ではファランティア軍がサウスキープを攻撃するというのはあまり考えられない。


 サウスキープに常駐している帝国軍兵力は約一〇〇〇〇で、ファランティア側が対抗できる兵力はキングスバレーと王都ドラゴンストーンにしかない。どちらもサウスキープから遠く北に離れている。


 〈クライン川の会戦〉で南部のファランティア軍は蹴散らされ、今はブラックウォール城に篭城している七〇〇人程度が軍隊として機能しているのみである。


 この戦況で、なぜブラックウォール城へ攻撃を仕掛けないのか、という疑問を持つ兵士は多いと思われた。思われた――というのは、そのような疑問をはっきり口にする一般兵士はいないからだ。


 それはマイルズも同様である。輜重しちょう隊長に過ぎない自分には思いも寄らない考えが皇帝陛下にはあるのだろう、と思うことにしている。


 マイルズの隊に与えられた任務は、ブラックウォール城を包囲している部隊へ補給品を運ぶ事だ。テッサニアから来た物資を受け取り、目録と照合して間違いがないか確認し、荷車に載せる。荷車を牛に取り付けたら、輸送計画に従いサウスキープを出発する。ブラックウォール城の包囲部隊に届けたら、受領した証として目録に一筆もらい、サウスキープに戻る。この繰り返しである。


 一般的に輜重しちょう隊は楽な任務だと思われている。確かに戦場を突っ切って味方に物資を届けるわけではないから、前線に比べれば危険は少ない。

 しかし野盗化した地元民や落ち延びた兵士が食料欲しさに襲ってくる事はあり得る。それに、ここ二週間の間に何人かの帝国兵が行方不明になっているのもマイルズには気がかりだ。


 マイルズは馬上から指示を出して、三台の荷車を守るように隊員を配置したが、彼らの動きには後方部隊にありがちな油断が見て取れた。だが、それを叱責するような事はしない。自らの心の内に目を向ければ、隊員たちと同じような油断――戦場で殺し合いをするわけではないという安心感と言ってもいい――が自分にもあるからだ。


 〝他人を責める前に、自らの在り様を問いなさい〟

 子供の頃に教会で聞いた教母の言葉を、マイルズは心の中で繰り返した。


 マイルズの輜重しちょう隊は新設された門から出発して街道に出た。そうすると、街道の両側に並ぶ不気味な死体の列が嫌でも目に入る。串刺しにされたファランティア人の死体とその残骸である。


 いっそ目を閉じ、馬に任せて進みたいくらいだが、サウスキープのすぐ近くだからといって隊長であるマイルズが目を閉じるわけにはいかない。


 目立つようにと、一番高い場所に晒されているのが、サウスキープの占領戦において単身で帝国軍に向かってきたファランティア騎士である。肉は鳥やら獣やらに削ぎ取られてしまったので、生前の姿はもう予想すら出来ない。その騎士の戦いは、サウスキープの帝国軍兵士の間で笑いぐさになっていた。しかし、そこにはある種の恐れもあるのでは、とマイルズは思っている。


 たった一人で軍隊と戦おうとするなど正気の沙汰ではないが、そうさせる何かがファランティアにはあるのではないか――という理解不能なものに対する恐れだ。


 それが魔法であったなら、マイルズの苦悩も多少は和らぐだろう。決して口には出さないが、マイルズは疑問を抱いている。無残な死体の列を街道に晒すという行為が本当に必要なのか、というだけでなく、この戦いの大義そのものに対しても。


 マイルズは敬虔なミリアナ教徒である。アルガン帝国の拡大と共に広まったミリアナ教は、帝政に移行する以前のアルガン王国時代からあった。魔法根絶を目指すという帝国の大義は、聖女ミリアナの教えが根本にある。


 聖女ミリアナはかつて魔獣を生み出す邪悪な魔術師を倒して、アルガン王国を救った救国の乙女だ。聖女は迷宮の底に潜む魔術師を倒して王国を解放すると、こう宣言した。


 〝私たちに魔法は必要ありません。自らの力で世界を拓いていけます〟


 エルシア大陸人の例にもれず、マイルズも子供の頃は魔獣に怯えて暮らした。アルガン帝国がその恐怖から解放してくれたのは事実であり、その大儀は正しいと信じている。しかし、今回の戦争に関してはどうか。


 ファランティア側が一切交渉に応じないというのは事実である。最初の使者であったテッサニアのエリオは酷く残酷な方法で殺されたと聞いている。そして、サウスキープから王都に向かったモディウスも殺された。


 モディウスは事務官としてサウスキープにいた人物で、マイルズも目録に関して何度か話している。親しかったわけではないが、大人しい人物で、殺されなければならないような人間ではない。


 これらの使者殺しについては確かに罰せられるべきだ。しかし、だからと言って、ファランティア人を串刺しにして晒す理由にはならない。


 本来、この死体を杭に刺して並べておくというのは魔獣を遠ざける方法の一つだ。仲間の死体を見て近寄らなくなる魔獣は多い。アルガン帝国から魔獣に関する知識が伝えられる前は、魔獣がそのように普通の獣のような反応をするとは思われていなかった。そして、ファランティア人は魔獣でも獣でもない。


(もし、悪名高き魔術師の国ブレア王国の魔女アリッサとその一党が生きていて、ファランティア王を操っているという噂が真実なら、邪悪な魔女からファランティア王国を解放するという大儀が成り立つ。それなら、あのファランティア騎士の行動も、魔法で正気を失わされていたと説明できる……しかしそれでも、串刺しにして晒す理由になるだろうか……)


 いつものように、そんな苦悩に苛まれている間にマイルズの隊はサウスキープから離れ、無残な死体たちは見えなくなった。


 街道沿いには死体の代わりに立て看板が現れるようになる。そこには現地人に対する帝国からの呼びかけが書かれていた。武装を解除して帝国への帰属を申し出れば受け入れられる、衣食住と仕事の心配はなくなる、という内容である。


 あのように死体を晒しておきながら、こんな呼びかけに意味があるのかとも思うが、ある程度の効果はあった。冬を越すためには背に腹は換えられない、というわけだろう。


 サウスキープで壁を立て、建物を建てているのは占領時に捕らわれたファランティア人だが、投降した者もそこに加えられる。確かに衣食住の心配はなくなるが、厳重な監視下で作業を強いられ、奴隷に近い扱いである。


 その事も含め、今回の戦争は聖女様の教えから外れてしまっているのではないか、という思いがマイルズを苦しめていた。強い不安感が胃を不快にさせる。


(もしそうであれば……我々が道を外れ、邪悪な行いをしているのなら……その過ちを正すために聖女様は我々を罰するだろう)


 マイルズは子供の頃、教会で教母から何度も聞かされた話を思い出した。


 人間の解放者である聖女ミリアナには戦うことを厭わない激しい側面もある。魔術師や魔獣のような魔法に属するものだけでなく、広義の意味で人間に仇なすものを邪悪とし、雷鳴と共に消し去ると言われている。雷鳴に怯える子供たちに教母はよくこう言い聞かせていた。


「あれは、聖女様が邪悪を滅ぼしているのです。だから、恐れることはありません。もしあなたが邪悪の徒であるならば、その時こそ恐れなさい」


 すでに少年時代を過ぎようとしていたマイルズは、教母に問うた。


「聖女様は、〝人の弱さを赦しなさい〟と教えています。その弱さゆえ、邪悪に手を染めてしまった時、どうしたら聖女様に赦しを乞うことができますか?」


 教母は微笑み、こう答えた。


「すべてを投げ捨て、身一つになって大地に身体を投げ出すのです。きっと、聖女様はお赦しになるでしょう」


 思い出から現実に戻り、マイルズは天を仰いだ。


 故郷のエルシア大陸よりも青い、雲一つない空が広がっている。聖女様のお怒りがある前兆は見られない。しかし聖女様のお怒りは、普通の雷とは違うのだから前兆などないかもしれない。


 空気はひんやりと冷たく、まるで冬のようだった。本格的な冬はこれから訪れるのだと聞いて、エルシア大陸の人々は不安な日々を過ごしている。


 地元民が〈北の森〉と呼ぶ森林が見えてくると、さすがに隊員たちも警戒心を強めた。サウスキープから半日と離れていない場所とはいえ、地元民は詳しいだろうから、潜んでいる者もあるかもしれない。


 無事に〈北の森〉を通過し、さらに進むと視界が開けてクライン川が見えるようになる。ファランティア軍と帝国軍の最初の会戦があった場所だ。川にかかる橋は無傷のまま残っている。


 橋を渡ってさらに進んでいくと、街道は少しでこぼこした地形の中に入っていく。二つの丘陵に挟まれて両側が崖のようになっている場所もあり、道中で最も危険な所だ。マイルズは隊員の二人を斥候として放ち、隊の進行速度を速めて一気に通り抜けようと考えた。


 左右の切り立った崖が、馬上にいるマイルズでも見上げるような高さになった辺りで、突然、不気味な生暖かい風が吹き抜ける。馬たちが不安げにそわそわして耳を伏せた。その理由はマイルズにも分かる。風に血の臭いが混ざっているのだ。


 隊に警戒を呼びかけようとした時、斥候に出していた隊員の声が響く。


「敵襲!」


 それが襲撃の合図だったかのように、前方の崖から数人の男が滑り降りて道を塞いだ。左右の崖の上にもぞろぞろと敵が現れる。


 二〇人に満たない人数で、鎧も身に着けておらず、農民のような格好をした者がほとんどだ。脱穀用の棒や、すき、長柄のかぎなどの農具で武装している。中には革鎧を身に付け、斧で武装した兵士くずれのような者もいるが、数人だけだ。


 対するマイルズの部隊は、斥候に出した二人を除くと一〇人なので数の上では負けている。しかし全員が鎖帷子チェインメイルを身に付け、片手剣とクロスボウを持ち、馬に乗っている者は馬上槍ランスを主武器として持っていた。見た目どおりなら、装備も練度も差は歴然である。


 だからこの時、マイルズが感じていた恐れは敵そのものに対してではなく、そのような武装で帝国軍に襲い掛かろうという無謀さ、あるいは狂気に対してだった。笑いぐさになっている、例のファランティア騎士と同種の〝何か〟を感じたのだ。


 崖の上にいる農民たちが両手で岩を持ち上げる。確かに、技量のない農民が剣で切りかかってくるよりも脅威だ。当たり所によっては大怪我しかねない。


「投石に注意しろ。クロスボウ用意。前方の敵を排除する!」


 マイルズは盾で頭を庇いながら叫んだ。上から投げ落とされた石が、ごつんと盾に当たる。


 隊員たちも盾で自分と御者を務める仲間を庇った。御者をしていた兵士は手綱を放してクロスボウを構える。荷車を引いているのは牛で、軍馬ではないので、道を塞ぐ人間を見て立ち止まってしまった。


 前方の敵を排除するため、馬に乗った二人が馬上槍ランスを手に前方へ馬を走らせる。


 あっという間に戦いは終わる――と、マイルズは確信していた。


 敵は訓練された兵士ではない。勝ち目がないと分かれば、すぐに逃げ出すだろう。もし死ぬまで戦うなら、できるだけ苦しまないように殺してやるだけだ。


 マイルズがそんな事を考えていた時、盾の下から、ほっそりとした白い足首が見えた。ブーツや頑丈な靴ではなく、家の中で履くような柔らかい皮製の靴を履いているので、くるぶしまで見えている。


 思わず盾を持ち上げて、その足の持ち主を見上げた。脛の辺りから白いスカートの裾が見え、そのまま一続きに首まで覆っている。寝巻きのような室内着である。首は細く、顔はまだ幼い。黒っぽいこげ茶色の髪は不気味な風の中で乱雑に舞い、薄い茶色の目は見開かれ、その瞳は赤く光っているようにも見える。


 このような集団であれば、農家の娘が紛れ込んでいても不思議ではない。しかし手にした小剣スモールソードは帝国軍のものだ。戦いを前にして怯んだ様子も、気負った様子もなく、らんらんと目を輝かせて仁王立ちしている。


 マイルズは思わず「あっ!」と声を上げていた。その少女の姿は、かつて教会で見た聖女像にそっくりだったのだ。


 その瞬間、カッと閃光が周囲を真っ白に染めた。続いて響く轟音。それは雷鳴だ。


 つい先ほどまで晴天だった空から、突如として走った雷にマイルズは目を焼かれ、響く雷鳴に悲鳴を上げて顔を伏せた。耳の奥がじんじんと痛む。


 馬の背でうつ伏せになりながら、やっと目を開けた時、かすむ視界に現れたのは汚れた顔の農夫だった。マイルズの足を掴み、馬から引きずり下ろそうと引っ張る。混乱していたマイルズは馬の背から地面に転げ落ちてしまった。


 何が起こったのか分からなかった。前方に向かった二人の味方も落馬しており、農民たちに袋叩きにされている。放たれたクロスボウの太矢クォレルが命中した農民は一人もいない。太矢クォレルは崖や地面に突き刺さっている。


(あの……あの少女はどこにいる!?)


 まず隊の心配をし、反撃を指示するべきマイルズが最初に気にしたのはその事だった。


 落馬した部下を袋叩きにしていた農民たちの向こうから、白い服の少女が小剣スモールソードを手に歩いて来る。彼女が近寄ると、農民たちは道を開けた。


 倒れたままの兵士の上で少女が小剣スモールソードを振り上げる。剣先を下に向けて、左手を柄頭に乗せ、慣れた様子で一切の躊躇もなく突き下ろす。


 その一撃は正確に急所を貫いていた。断末魔の悲鳴を上げることもなく、びくんと身体を揺らして彼は死んだ。


 少女は立ち上がり、剣を抜いて、次の獲物に向かう。もう一人の部下は上体を起こして、腕で農民の攻撃を防いでいた。最初と同じく、少女が近くに来ると農民たちは離れていき、彼は目の前に現れた白い服の少女を見てから、きょとんとした顔でマイルズを見る。


 少女の白く細い腕が巻きつくようにして彼の目を塞ぎ、そして鋭い小剣スモールソードの刃を喉に当てて横に引いた。ぱっくりと赤い口が喉に開き、鮮血が吹き出す。


「ちくしょう!」


 毒づきながら、二人の隊員がクロスボウを少女に向けた。マイルズは思わず叫ぶ。


「やめ――」


 しかしその声は、再びの閃光と雷鳴にかき消された。


 マイルズが目を開くと、少女はすでに荷車の御者席に居た。クロスボウの太矢クォレルは二発とも外れている。


 少女も、彼女の仲間たちも――マイルズは少女が中心人物だと確信している――恐れる様子がないのは何故だ、とマイルズは自問した。すぐに、彼の中の信仰心が答えをくれる。


(雷鳴を恐れるのは邪悪の徒だけだからだ)


 少女の剣が閃き、また隊員が一人死んだ。


 もう一人の隊員が太矢クォレルを再装填しようとして、「くそぉっ!」と毒づき、クロスボウを投げ捨てる。めったな事では切れるはずのない帝国製クロスボウの強靭な弦が、ぷっつりと切れていた。


 もう間違いない――マイルズは確信を得た。


 荷車からひらりと飛び降りた少女が立ち上がる。


 マイルズは急いで盾を放り投げ、剣帯を外し、帝国軍の紋章が入った袖なしの軍衣サーコートを脱ぎ捨てた。


 目を見開き、口元に笑みを浮かべた少女が迫ってくる。鎧を脱ぐ時間はなかったので、諦めて地面に身を投げ出し、両手両足を開いて帝国語で叫ぶ。


「聖女様、私の罪をお赦し下さい!」


 もう間に合わないかもしれない、とマイルズは観念したが、聖女の裁きはやって来なかった。恐る恐る顔を上げると、少女はマイルズから完全に興味を失い、周囲を見回している。


 マイルズは大声で隊員たちに呼びかけた。


「死にたくない者は今すぐ私と同じようにしろ! 聖女様はお赦し下さる!」


 そして、もう一度、顔を上げて少女を見上げた。そこに立っているのは間違いなく、聖女ミリアナだ。熱狂と興奮で、マイルズは気絶しそうだった。


 聖女様が再び降臨なされたのだ! 過ちを正し、邪悪を消し去るために!




〈次章へ続く〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る