11.マイラ ―盟約暦1006年、秋、第5週―
王家の霊園は思っていたより寂しい場所ではなかった。
季節の花が計画的に植えられているので、真冬の時期以外なら常に花を見ることができそうだ。鳥たちが歌い、冬ごもりを前に木の実を集めている縞リスが無邪気な目で人間たちを見ている。美しく整備された庭園のような場所で、白い石室が記念碑のように整然と並んでいた。
この美しい世界の中で、自分たちは招かれざる者ではないか、とマイラは感じていた。王家の人々と特別な貴族の集団に、平民である自分が一緒にいるという居心地の悪さとは別に。
王家の霊園に入るのは、マイラにとっても初めての事である。レッドドラゴン城の中であれば侍女はどこにでも立ち入る可能性はあるが、王家の霊園だけは別だ。
平民のマイラが王家の霊園にまで付いて来ることが許されたのは、ランスベルが「竜舎に関わった人の同行も許可してほしい」と希望し、テイアランがそれを許したからだ。マイラだけ特別に、というわけではない。シモーヌやウィルマも一緒にいる。
ドラゴンの墓となる石室は一際大きく、小さな家ほどの大きさがあった。石室の中にまで立ち入りを許されるのは、王家の人間と竜騎士だけだ。すなわち、テイアラン王とアデリン王妃、アデリンの父で南部総督のグスタフ公、それに竜騎士ランスベル卿だ。それ以外の貴族はマイラたちと同様、棺が納められるのを見送っている。
静かに納棺が進む中、マイラは両手をしっかりと握り締め、ブラウスクニースの冥福を祈った。ふと、ブラウスクニースの訃報を聞くことになった朝を思い出す。
(あの朝、初めて竜舎に行った時の話をアデリン様としたのは何かの前触れだったのかもしれない……)
マイラが初めて竜舎を訪れたのは、侍女になって八週ほど経った頃だった。
竜舎を担当できるかどうか試すためだ。当たり前だが、ドラゴンの恐怖に耐えられる者しか竜舎の担当にはなれない。
この時、すでにマイラは何があっても逃げ出すまいと心に決めていた。
その理由は、彼女が城勤めを始めるようになってから、何度も城内で見かけた亜麻色の髪の騎士にある。
学生時代、好きな男子が現れた時、〝どうやってそれと分かるのか〟というのは、年頃のマイラたちにとって興味深い話題だった。貴族の娘たちで結婚相手を自由に選べる者は少ないが、マイラを含む裕福な平民の娘は恋愛もできる。
やがて、そんな友人の一人が在学中に結婚を決めたので、マイラたちはその疑問をぶつけてみた。彼女は笑って、「あなたたちも〝その時〟になったら分かるわよ」とだけ言った。
マイラはこの件について、かなり懐疑的であった。それまで経験したことがないのに、何がどう分かるというのか。初めて月のものを経験した時だって、何か恐ろしい事が始まったのだと、訳も分からず泣き出してしまったくらいなのに。
しかし、そんなマイラにも〝その時〟は来たのだった。城内を颯爽と歩く亜麻色の髪の騎士を一目見た瞬間に、マイラは〝彼がそうなのだ〟と分かってしまった。
だからもし今、マイラが「どうやってそれと分かるのか」と尋ねられたら、きっと「その時がくれば分かるわよ」と答えるのだろう。
タニアに偶然を装って尋ねると、その騎士は金竜騎士ランスベル卿だと教えてくれた。だから彼とより親しくなるためには、竜舎の担当にならねばならないのだ。
試練の日、マイラは緊張したままウィルマに付いて行った。この時ばかりはウィルマも「無理だったら、私の袖を掴んで引っ張るのよ」と優しく言ってくれた。
竜騎士はこれに立ち会わないという決まりがあるらしく、期待していたランスベル卿との対面は無かった。
初めて見た金竜ブラウスクニースは、薄暗い竜舎の中で金色の身体を丸めて眠っているように見えたが、そのような穏やかな姿であったにもかかわらず、想像以上の恐怖がマイラの心を圧倒した。
次の瞬間にも、巨大な口が一瞬にしてマイラを捕らえ、剣のような牙で生きたままズタズタにされるのではないか――それはただの妄想であったが、マイラは実際に痛みを感じたような気がして悲鳴を上げそうになってしまった。
だが、マイラにはこの試練をどうしても乗り越えねばならない。
だから叫び声を飲み込み、逃げ出そうとする身体を無理やり制した。そのうち呼吸まで止まって気が遠くなり、気が付いたらベッドの上だった。
目覚めたマイラは傍らに人の気配を感じてウィルマだと思い、「すみませんでし――」と話しかけて絶句した。ベッド脇の椅子に腰掛け、彼女を看ていたのはウィルマではなく、亜麻色の髪の騎士だったのだ。
「謝る必要はありません。ブラウスクニースは、人がドラゴンを恐れるのは当然だと思っていますし……」
窓から入ってくる春の暖かい風がマイラの赤らんだ頬と、騎士の亜麻色の髪を撫でる。
「あ、いえ……そうじゃなくて」
「ああ、あなたをここに運んだのも僕ではないので、お礼ならウィルマ侍女長に――」
「それでもなくて。その、どうしてランスベル卿がここにおられるのか、という……」
憧れの騎士を見上げながら、マイラは呆然として言った。
「それは、その……」
ランスベルは困ったような顔をして、亜麻色の髪に手をやり、そして答えた。
「実は僕にもよく分からないのですが、ブラウスクニースがあなたを見舞いに行けと言うのです。理由を聞いても教えてくれなくて……竜舎で何かあったのですか?」
「わかりません、私にも……」
そこへタイミング悪く、ウィルマが部屋に入ってきて、ランスベルがベッドから離れる。
「それでは、僕はこれで」
ランスベルが数歩下がって言った。ウィルマは頭を下げる。
「ありがとうございました、ランスベル卿。マイラもお礼を申し上げなさい」
「あ、ありがとうございました! ランスベル様」
思いのほか大きな声が出て、ウィルマがわずかに片眉を上げる。ランスベルは少し困ったような表情のまま微笑んで、部屋から出て行った。
マイラはその時、ふと気がついた。
ブラウスクニース様が私の気持ちを知って気を利かせてくれたんだ――と。
「普通に考えたら、それしか……」
マイラの独り言に、「なんです?」とウィルマが反応した。それでマイラは自分が声に出していた事に気付いた。
「あ、いえ、なんでもありません」
ウィルマは先程までランスベルが座っていた椅子に腰を下ろして言った。
「竜舎の件だけど、気にしなくていいのよ、マイラさん。誰にでもできる事ではないのだから」
「いえ、たぶん、なんか……大丈夫な気がします。明日、また竜舎に伺います」
ウィルマが心底困惑したという顔をしたのは、今までのところ、この時が最初で最後だ。
思い出と共に悲しみが蘇ってきて、涙が出そうになるのをマイラはぐっと堪えた。竜舎を担当するようになって、ランスベルとは頻繁に顔を合わせるようになったが、ブラウスクニースはほとんど寝ていた。竜騎士以外とは話さないと言われているドラゴンだが、実は一度だけ、マイラはブラウスクニースと話したことがある。それはいつものように竜舎の掃除をしていた時だった。
いつも閉じられたままのブラウスクニースが目を開き、冬の空のように澄んだ青い瞳でマイラを見ていることに気付いたのだ。
マイラは驚き、ランスベルを呼ぼうかと考えたが、その前に気になっていた事を思い切って尋ねてみた。マイラが初めて竜舎に来た日の事だ。ランスベルが一緒では聞けない。ブラウスクニースは、マイラの思ったとおり、気を利かせたのだと答えてくれた。それから二人は少しの間おしゃべりをして、そしてドラゴンはある秘密をマイラに話した。
この出来事は二人の秘密になったが、今はもうマイラ一人の秘密になってしまった。
納棺が終わり、石室の中に入っていた人々が出てきて、扉が閉じられていく。ランスベルの背中を見つめながら、彼らはどれだけの秘密を共有していたのだろうかとマイラは思った。
たった一つの秘密でさえ、こんなにも重いのに――それを思うと、切なくなる。
そっと肩に手が触れ、顔を上げるとウィルマだった。
「よろしければ、行きましょう。夜会の準備に手が必要なはずです」
「はい。大丈夫です」
マイラは頷き、侍女長に付いて霊園を後にした。
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