10.エリオ ―盟約暦1006年、秋、第5週―

 エリオはレッドドラゴン城内にある大塔グレートタワー一階の玄関ホールで待たされていた。アルガン帝国の初代皇帝レスターの名代として登城するにあたり、何の連絡もせず、葬儀の前日に突然やって来たのだから仕方ない。


 侍従らしき男がやって来たので、やっと謁見できるかなと思ったが、冷えた茶を温かいものと取り替えただけだった。

「もう少々お待ちくださいませ」と男は苦笑いして、待たせているという認識はあると示した。


 玄関ホールにある細長い窓からは果樹園と二階建ての館が見える。初秋の涼しい風に乗って、花の甘い香りが入ってきた。館の周囲に作られた庭園にある低木の、小さな黄色い花の香りだろうか。


 エリオのいる一角は玄関ホールの西側で、普段から謁見を待つ人が待機する場所のようだった。壁に沿って長腰掛けベンチが並び、小さなテーブルや一輪挿しの花瓶などがいくつか置かれている。


 見たところ花瓶はなかなか高値が付きそうな品だ。盗まれる心配はしていないのだろうかとエリオは思った。玄関ホールは人通りもあるし、近衛兵も立っているが、隙だらけだ。


 不用心だな――ファランティアに来てから何度目か、エリオはそう思った。


 ホワイトハーバーから一般の乗客と共に川船に乗ったエリオは、四日間の船旅を共用の大部屋で過ごした。ホルストがオーダム家の馬車で送るとか、川船を貸し切るとか申し出てきたが全て断った。そんな事をすれば目立ってしまうし、もともと一人で動く予定だったからだ。


 ソレイス川を行く川船に乗り合わせたのはお互い知らぬ者同士に見えた。エリオが自分の場所と定めた船室の隅で、その隣を自分の場所としたのは老婦人――名前は聞き流してしまった――で、一人で王都まで行くと言う。


 それなりに良い身なりをした老婦人は盗賊にとって格好の獲物だ。だが、それを警戒している様子はないし、護衛も連れていない。老婦人はエリオにも話しかけてきて、どこそこの誰々であるという身の上話などしてきた。


 エリオはトーニオと名乗り、テン・アイランズの商人で、王都までドラゴンの葬儀に参列しに行くと嘘をついたが、老婦人はまるで疑う様子を見せない。


 この老婦人だけが特別なのではなく、他のファランティア人たちも他人に対して警戒心が無さすぎた。荷物を置いたまま甲板に行ってしまうなど当たり前である。逃げ場のない船の上とはいえ海上ではないのだから、荷物をひったくって川に飛び込まれたらどうするつもりなのかと、エリオは真剣に考えてしまった。


 川船はとてものんびりしていて、護衛は初老の男が一人いるだけだ。抜いたことがあるかどうか怪しい古びた短剣ショートソードを腰に下げ、六尺棒クォータースタッフを支えに一日中ウトウトしていて役に立ちそうもない。


 しかし船を襲うような連中の影も形もなく、警戒しているエリオが馬鹿らしくなるような平穏な旅で、何事もなくハスト湖畔の桟橋に到着した。


 王都ドラゴンストーンの白竜門はドラゴンの弔問に訪れるファランティア人で混雑しているかと思っていたが、一〇人程度が整然と並んでいるだけだった。門を守る衛兵は、エリオの常識からすれば簡単すぎる検査しかせずに通してしまうからだ。エリオが引き続きトーニオと名乗り、テン・アイランズの商人だと言っても全く怪しまない。


 そうして王都に入ったのが三日前のことである。エリオはトーニオとして二日間を城下で過ごし、今日になって登城してきた。


 窓の外を眺めていると再び侍従がやって来て、やっとエリオは大広間に案内されることになった。

「アルガン帝国初代皇帝レスター陛下の名代として、エリオ・テッサヴィーレ様、参られました!」

 侍従の名乗りが終わるのを待って、エリオは大広間に入る。


 テッサヴィーレというのはテッサ王族の親類を表す姓で、エリオはそういう事になっているのだが、いまだに慣れない。玉座に向かいながら居並ぶ顔を見ても、見知っている者は一人もいなかった。


 エリオは玉座の前に立ち、優雅に帝国式の礼をして頭を垂れる。


「このたびはご心痛、お察しいたします、テイアラン四九世陛下、アデリン陛下。わたくしはアルガン帝国属領テッサニアの執政官ロランドより、皇帝陛下の名代として参列するよう仰せつかりました、エリオ・テッサヴィーレと申します」


 帝国式では、礼を受けた相手の許可があるまで顔を上げてはならないとされている。


「お顔を上げてください、エリオ殿」

 テイアランが帝国の作法を知っていて良かったと思いながら、エリオは顔を上げた。おかげで足元を見ながら話さずに済んだ。


「レスター陛下が来られないのは残念でありますが、遠いところからお越しいただき、ありがとうございます」


 テイアランの物言いは柔らかく穏やかだ。年齢は三五歳だと聞いていたが、もっと若く見える。顔に傷や痣はないし、鼻が折れた痕もない。肌は手入れされていて、髭はきれいに剃られている。そういえばファランティアの男性は髭を伸ばす習慣がないのだった、とエリオは思い出した。


 筋肉質ではなく、痩せても太ってもいない中肉中背の身体つきをしている。表情は柔和で、ロランドとは対照的だ。


「葬儀は予定どおり、明日に執り行われます。部屋を用意しましたので、今宵はゆっくりとお休みください」


 テイアランの言葉に、エリオは心底安心したというふうに応じる。


「葬儀に間に合わず、皇帝陛下の信頼を裏切ってしまうのではと、ここまで気が休まる暇もありませんでした。お心遣い感謝いたします」


 少々芝居がかってしまったかと思ったが、特に気にされた様子はない。


「後ほど、晩餐の席にてお話しましょう」と、テイアランが言うのを合図に、侍女が案内のために近寄ってきた。


「お心遣い、ありがとうございます、陛下」

 エリオはもう一度頭を下げて、侍女の案内に従い大広間を後にした。


 実際に謁見していた時間より、待たされた時間のほうがずっと長かったが、エリオはそういうものだと分かっているので気にしなかった。それよりも興味を引いたのは、大広間にいた人物のうち、三〇代後半くらいの赤毛の女性と、一緒にいた黒いクセ毛の太った少年だ。


 赤毛の女性はおそらく、〝ブレア王国の魔女〟と呼ばれたアリッサ・エイデン・ブレアだろう。


 太った少年のほうは、一五歳くらいだろうか、二〇歳にはなっていまい。何となく、どこかで見たことのある顔に思えて気になる。それもつい最近だ。しかし考えてみても、結局分からなかった。


 侍女に先導されて、エリオは大塔グレートタワーから出た。果樹園の向こうに見える二階建ての館に向かっているようだ。城内の様子はある程度聞いているので、そこが迎賓館だと見当は付く。いつ何が役に立つか分からないので、素早く目をやって建物の位置関係やその他細かい部分にまで気を配りながら歩いた。


 目の前を歩く侍女は髪を持ち上げていて、歩くのに合わせて束ねた髪が揺れている。わずかに色の濃い肌色の首筋が、揺れる髪の間から見えた。


「すみません、お嬢さん」


 エリオが声をかけると、前を歩く侍女は少し驚いた表情で振り返る。

「はい、なんでございましょう?」


「以前にどこかで……お会いしたことはありませんでしたか?」


 侍女はきょとんとした表情で答えた。

「いえ、覚えがありません。エリオ様はファランティアにいらしたことがあるのですか?」


「いや、今回の訪問が初めてです。ということは、会っているはずがありませんでしたね」


「そう思います」

 侍女は微笑んだ。緑色の瞳に微かな困惑が見て取れる。


「困らせてしまってすみません。実はこれ、テッサで良く使われる、女性と知り合うための口実なのです」


 エリオが笑って誤魔化すと、侍女も緊張が解れたように笑顔を見せた。


「お名前を伺っても?」


「タニアです」と、侍女は答えた。


 二人は再び歩き出し、迎賓館の中に入った。館の一階は仕切りのない大きな部屋になっていて、大きな窓から差し込む日光に照らされて明るい。布を被されたテーブルなどが並んでいる。


 エリオは気にもしていないが、タニアが説明した。


「お見苦しいかもしれませんが、ご容赦くださいませ。こちらは葬儀の後の夜会で使われる予定になっております。エリオ様にご滞在いただくお部屋は二階にあります」


「いえ、このように明るくて綺麗な館は見た事がありません。素晴らしいです」


 エリオが自然な笑顔でそう言うと、タニアもつられた様に笑顔になった。二人は曲線を描く階段で吹き抜けの二階通路に上がり、奥まで歩いて扉の前に来た。


「ご滞在の間は、こちらのお部屋をお使いください。晩餐までの間、もしご用がありましたら一階に城の者がおります。遠慮なく申し付けください」


 そう言ってタニアは扉を開ける。


「ありがとう、タニアさん。ところで失礼ですが、あなたは召使いというわけではないのですよね?」


 なるべく魅力的な笑顔を心がけてエリオは問うた。タニアはエリオが何を聞きたいのか分かった、という様子で答える。


「ええ、そうです。外国の方には不思議かもしれませんけれど、ファランティア王国では侍女と召使いの違いが曖昧で……私も貴族ではなくて、平民なのです」


「ほう、何か特別な血筋の方とか、事情がおありとか……ああ、いや、失礼」


 少し大げさに慌てて見せたエリオに、タニアは笑顔で答えた。


「ふふっ、いえ、ファランティアでは平民でも侍女としてお仕えできるのです。ファランティアで三人目の女王陛下であらせられたテイアラン三八世陛下が、城で働いていた女性の召使いを全員侍女となさった事が始まりです」


 エリオは腕を組んで、顎鬚に触れながら感心して言った。

「ほう、歴史にお詳しいのですね」


「学校で、その、勉強しましたので……では、また後ほどお迎えに上がります」


 タニアは会話を切り上げて、深々と頭を下げてから立ち去った。エリオは笑顔で軽く手を振って見送り、それから部屋に入る。


 扉を閉めて部屋の中を調べたが、おかしな点は無い。襟を緩めて長椅子に腰を下ろし、背もたれに頭を預けて天井を見上げる。

(タニアか……)

 心の中で呟く。ブレア王国の魔女や太った少年よりも気になる女性だった。


 晩餐までの時間、エリオは城内を散歩して過ごした。勝手に出歩くのは無理だろうと思いつつ、頼んでみるとあっさり了承されてしまったのだ。衛兵の一人が付いて来たが、それが監視のためなのか、それとも言葉どおりに〝道案内のため〟なのか、分からなくなってしまうほどファランティア人の対応はエリオにとって非常識だ。


 一通り城内を歩いて部屋に戻ると、晩餐の準備が出来たと知らせがあった。身支度を整え、タニアに案内されて晩餐のため大広間に向かう。


 大広間は謁見した時と違い、長テーブルが出されて晩餐の準備がされていた。

 そこに居並ぶ面々のうち、テイアラン王とアデリン王妃以外は初対面だったが、そのうち二人は外見で誰か分かる。


 北方のブラン王は噂どおりの大男だし、その隣にいるずんぐりした白髭の壮年の男がルゴス王だろう。金髪の大女が何者かは分からなかったが、スパイク谷のヒルダ王女だと紹介される。


 一人だけ浅黒い肌をしたテン・アイランズ人はテメルという名で、島主――島を支配する領主や王のようもので一〇人いる――全員の名代だという。まだ若く、場に馴染めないようで緊張していた。


 末席には家臣が三人同席していて、彼らは謁見の時にも大広間にいた人物だ。〈王の騎士〉ステンタール卿、ハイマン将軍、モーリッツ内政長官と紹介される。


 そうして、お互いの紹介が済んでから晩餐は始まった。楽団が演奏する音楽の中、手の込んだ料理が運ばれてくる。


 ファランティアの貴族の晩餐では、並べられた料理から好きなものを食べるのではなく、食事を供する側が順番に運んできたものを食べる。

 料理が来たら食べて、次の料理が来るまでが会話の時間、そして料理が来ての繰り返し。会話が弾んでいても、次の料理が来れば中断せざるを得ない。食べながら話すのはマナー違反である。


 事前にそう聞いていたエリオだが、自分のペースで食べたり話したりできないのは面倒だった。それに、食事用のナイフやフォークも一般的な道具ではない。他ではファランティア文化の影響を強く受けているテッサニアの都市国家タルソスの貴族が用いているくらいだ。もちろん、エリオは初体験である。


 周囲の人の使い方を盗み見て、それに合わせたが、使ってみると手が汚れないというのは確かに良いかもしれないと思った。そして意外な事に、北方人の三人も器用に食器を扱っていた。


「ところで、竜騎士殿とはまだお会いできていません。お悔やみを、と思うのですが……」


 エリオが話を切り出すと、微妙な空気が流れた。ステンタールとハイマンはお互いに目配せしている。モーリッツが、ふっくらした体型に相応しいゆっくりした口調で答えた。


「ランスベル卿は明日の葬儀まで喪に服されております。明日になればお会いできますよ」


「そうですか……竜騎士とドラゴンの絆は、親子、夫婦のそれより強い特別なものと聞きます。ご心痛はいかばかりか、独り身のわたくしには想像しかできません」


 やはり何かあったな――と、思いつつエリオは当たり障りのない言葉を返した。


 三日前の夜、王都に到着したばかりのエリオは旅の疲れもあって朝までぐっすり寝てしまったのだが、夜中にレッドドラゴン城で閃光が走り雷鳴が轟いたという話を宿で聞いた。目撃者は多数いて、その日は雷雲などなかったという。魔術師のいない世界で生きてきたファランティア人と違い、エリオはすぐに魔術師の仕業だろうと考えた。


 アルガン帝国内に秘密の魔術師団が存在するという噂はエリオも知っている。それについて調べるようにロランドから指示されたことがあるからだ。テッサニアの魔術師たちは帝国本土に連行されて火刑に処されたという事になっている。だが、返された遺体はもはや判別不能だったというし、他にも連行された後に行方のはっきりしない魔術師が数人いた。確証はないが、秘密の魔術師団が存在する可能性は高いとロランドには報告してある。


 魔術師団が実在し、活動しているのならエリオの仕事に与える影響は大きいかもしれない。


 ブランが大きな声でエリオの言葉に反応した。

「独り身という事だが、エリオ殿は王家に連なる系譜の出と聞いた。面構えもいい。言い寄る女は多いのではないか?」


 エリオは自然な笑顔で応じる。

「わたくしなど、全然です。それより、ブラン陛下のほうがそういった機会は多いのではありませんか?」


「ふむ、淑女もおられる晩餐の席で、真実を語るわけにはいかんな」

 そう言って、ブランは豪快に笑った。


 面白い切り返しだ――と、エリオは思った。ブラン王は無骨な武人で、猪突猛進の猪武者と言われているが、意外と頭の回転は早いのかもしれない。


 最初に挨拶してから一言も話していなかったルゴスが口を開いた。

「真実はさておき、ブランもいいかげんに身を固めるべきだ。跡継ぎの事も考えねばならん」


 そこで音楽が変わり、次の料理が運ばれて来る。


(おしゃべりの時間は終わりというわけか。面倒だな。確か、スケイルズ諸島のルゴス王には息子がいたはずだ。同行させていないのか?)


 エリオは疑問に思った。一年ほど前に北方を二分する大きな戦があった事はエリオも知っている。アードの王とスパイク谷の王がこの場にいないのはその影響だろうか。


 その後も会話する機会は何度かあったものの、疑問の答えは得られないまま晩餐は終わってしまった。


 翌日、エリオは馬車に乗って葬列に加わっていた。乗っている馬車に屋根は付いていないので、周囲を見渡すことができる。


 レッドドラゴン城を出発した葬列は今、城から白竜門までまっすぐ伸びる幹線道路――ブレナダン通りというらしい――をゆっくり南下しているところである。通りの両側は、弔問に訪れたたくさんのファランティア人で溢れている。


 人を押しのけて前に出ようとする者もちらほらと見えるが、押しのけられた人々は嫌な顔はするものの、暴力に訴える者は一人もいない。この人ごみの中で財布を狙う子供の姿も見えない。皆、衛兵の誘導に従って静かに並んでいる。


 ブラウスクニースの死から三〇日を経てもなお、涙を流す人はたくさんいた。これだけの人々に悼まれた者は、王でさえ一人もいないのではないか――と思うほどで、ファランティア人にとって、ドラゴンがいかに特別な存在かをエリオは改めて思い知った。


 ドラゴンの遺体を収めた大きな棺を乗せた台車は、すでに通りを半分以上過ぎている。ドラゴンは死ぬと、白骨を残して自らを灰にしてしまうと言われているが、それが本当かどうか知る人間はこの世界に一人しかいない。台車の上で棺の隣に立つ、竜騎士ランスベルだ。


 初めて見る奇妙な形の、しかし見事な甲冑を身に着け、剣を立てて柄頭に両手を置き、身動ぎ一つせず像のように立っている。兜の面甲が閉まっているので表情は分からない。葬儀が始まる前に挨拶する機会はあったものの、会話というほどのものはできていない。

 台車の左右には馬がつながれていて、馬番が一緒に歩いている。


 前方には黒いマントを着た七大神の神官たちが、金の鎖で吊り下げた油皿に灯された小さな火を消さないようにゆっくりと歩いていた。風のある日には風よけを立てる事もあるが、今日は必要なさそうである。


 神官団の後ろを歩く近衛騎士たちも黒いマントを着て、金色に輝く儀礼用の剣をまっすぐ上に立て、整列して歩いていた。一糸乱れぬ動きで、足の動きまでも揃っている。戦いを知らない騎士団ということだが、戦場でも同じように統制された動きができるのだろうか。剣は金箔を張ったものだろう。まさか純金ということはあるまい――そんな事を考えているうちに、そういえばファランティアでは六大神なのだったとエリオは思い出した。


 七柱の神のうち、天空の神ゼフィスはドラゴンの姿をした神だとも言われている。ファランティアではドラゴンが自らを神と崇めることを禁じたため、天空の神ゼフィスも信仰の対象ではなくなったという。だからテストリア大陸で一般的に信仰されている七大神は、ファランティアでは六大神なのだ。


 アルガン帝国の属領になるまではテッサニアでも七大神が信仰されていたから、その葬送儀礼はエリオの見知っているものと大きな違いは無い。葬儀の主役とも言える客人まれびとの神ソロン――生と死の世界を行き来できる唯一の神で、魂を死の世界へ導くと言われている――はファランティアでもテッサニアでも信仰の対象である。


 棺を載せた台車の後方には、貴族たちの一団が続いている。その中にテイアラン王とアデリン王妃の馬車もあった。エリオの乗った馬車は、王を中心とした貴族たちの一団の後ろにある。


 ブランたちも同乗する予定だったが、彼らは黙って馬車に揺られるような人々ではなかったので、広い馬車にエリオとテメルの二人だけが座っている。テメルはずっとそわそわしていて落ち着かない。このような大役を務めるに相応しい人物ではないのだろう。


 貿易海に浮かぶ一〇の島からなるテン・アイランズは世界で最も富める国であり、ファランティア文化の影響を強く受けているが、今ではファランティアを〝古き王国〟と揶揄してもいる。かつてはファランティアを宗主国とまで公言した島主もいるというのに、代表者として島主でもない名代を一人送ってくるだけというのも、実利を重んじるテン・アイランズ人らしかった。


 テン・アイランズで使われているバンカー硬貨は、貿易海に面した国々でもっとも信用度の高い通貨である。白金貨、金貨、銀貨、銅貨の大きさと純度は寸分の違いなく統一されているのだが、その基準になっているのはファランティア貨幣だ。ファランティアでは早くから貨幣の大きさと純度が定められていたのである。


 北方の人々は、この葬列にあって唯一自由を許された存在のように振舞っている。ブランたちが同行させている戦士たちは、みな儀礼用の装いではなく、実用的な装備をして馬に乗っていた。整列することもなく、適当にまとまって馬を進める彼らはまるで文明社会に紛れ込んだ蛮族のようだ。


 羽織っているマントも他の人々のように黒一色で染め上げた絹ではなく毛皮で、種類も形も大きさも、まちまちである。中には驚くほど獣臭い毛皮を身に着けている者もいた。

 身体のどこかに巻きつけてある色とりどりの布は、それぞれの家系や所属集団を表しているものだ。


 一際立派な毛皮を羽織っているのがブランで、その巨体を支える乗馬もまた大きく、人馬一体となればこの上なく目立つ。


 ルゴスは鈍く輝く濃紺色の鱗鎧スケイルメイルを身に着けている。兜の下から出ている豊かな灰色の髭が鎧に被さっていた。


 北方の戦士たちの中で女性はヒルダだけだ。兜から出た金髪は後ろで編まれ、背中で左右に揺れている。編んだ髪を止めている髪飾りは黄金と銀を組み合わせた繊細な細工物で、唯一の女性的な装飾品だった。


 エリオは女性と知り合うことにやぶさかではないが、ヒルダとはまだまともに話していない。


 葬送の列は、王家の霊廟に向かうためブレナダン通りから、二つの環状道路の外側である外環状道路に入った。こちらはブレナダン通りに比べると幅が狭いため、人々の列も片側だけと定められているらしい。皆、道路の右側に寄っている。


 ここからぐるりと王都を半周して、城の北側にある王家の霊廟に向かう予定だとエリオは聞かされている。王家の霊廟にはすでに四体のドラゴンが葬られているとテイアランが言っていた。


 これだけの人に悼まれ、これほど壮大な葬儀で送ってもらえたブラウスクニースは幸せだとエリオは思う。


 例えそれが、より多くの死を呼び込むきっかけになるとしても。

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