12.ランスベル ―盟約暦1006年、秋、第5週―

 迎賓館は、大塔グレートタワーの西にあって庭園の中にある大きな独立した館である。全方位に大きな窓が取り付けられていて、庭園や隣接する果樹園がよく見えるように作られている。


 二階部分の半分は吹き抜けの通路になっていて、北側と南側、二つのテラスへ出られる。残り半分は宿泊する賓客のための部屋になっていた。


 ランスベルは一人、迎賓館から外に出た。玄関の短い階段を下りて庭園に出ると、生垣で切り取られた小さな一角まで歩く。そこは迎賓館の明かりと中にいる人々の声が微かに届く距離だが、角度的に窓からは見え難い場所だ。


 バラの生垣に囲まれ、中央には小さな噴水があり、細い金属で植物の蔓を再現した見事な装飾のベンチが一つだけある。噴水は止まっていて、水の湛えられた円盤の静かな水面には小さく月が映っていた。この場所は王妃のお気に入りということもあり、庭師が特別に手をかけたバラは美しく咲き誇っている。


 葬儀の後に夜会が催されるのは、死者が安心して生者の世界を離れられるよう残された人々の元気な姿を見せる、という意味があるのはランスベルも当然知っている。また、故人の近親者が悲しみを和らげるためでもあるだろう。実際多くの参列者がランスベルに声をかけてきた。


 しかし、ドラゴンと竜騎士の絆を本当の意味で理解している者は一人もいない。

 ブラウスクニースを失った悲しみはランスベルの心に影を落としていたが、それよりも、まるで自分の心が半分になってしまったような喪失感のほうが大きかった。


 年老いた金竜は自分の死期を悟っていたので、ランスベルにも覚悟はしておくようにと何度も言っていた。それで、もしブラウスクニースが死んでしまったらどうなるだろう、と想像してみたことはある。ずっと部屋に閉じこもって泣いて暮らす自分を思い描いたが、ブラウスクニースはランスベルの想像を笑ってこう言った。


『わしの死に衝撃を受けたお前は混乱し、泣き喚くに違いないが、泣くのはそれきりだろうよ』


 ブラウスクニースが言ったとおり、あの日を最後に涙が出ることはなかった。たぶん、ブラウスクニースと一緒に心の半分は死んでしまったのだろう。そして心の半分と命が残されたのは、果たすべき使命があるからだ。


(明日、陛下に暇を告げなければ)


 ランスベルがそう決心した時、誰かが迎賓館からこの場所にやってくる気配がした。バラの生垣の門から気配の主を見ると、迎賓館の明かりを背負って女戦士が大股で近寄ってくる。


「ヒルダ王女」

 ランスベルは女戦士に先んじて呼びかけ、頭を下げた。


「竜騎士殿。金竜殿は、ザンネンだった」


 北方訛りで、ぶっきらぼうに聞こえるが、彼女の青い瞳は真摯であった。金髪に青い瞳はブラウスクニースと同じだとランスベルは思った。


 ヒルダとは一度挨拶をしたきりなので、ほぼ初対面である。男性と同じような服装をしていて、体格も並みの男より筋骨逞しい。表情は硬く、読みにくい。豊かな金髪は背中に届く長さがあり、自然に流している。背が高いのでランスベルは見上げねばならず、まるで大人と子供のようになってしまうが、年齢はそれほど違わない。


「アンタと、ちょっと話がしたくてね。探していた」


 ランスベルは少し意表を突かれたが、「なんなりと。王女様」と答える。

 するとヒルダは怒ったように唸り、金髪を背中に跳ね上げて言った。


「その王女様っての、やめてくんないかな。アタシはそういう柄じゃないんだけど」


 そう言われても呼び捨てにするわけにはいかない。ランスベルが困っていると、ヒルダは「スパイク谷のヒルダとか、槌矛メイスのヒルダとか……単にヒルダでもいいけどさ」と言いながら、生垣の中に入ってきた。肩幅の広い彼女を通すため、ランスベルは道を開けた。


 ヒルダは噴水の水盤に指先を入れて、水を弄んでいる。何か話さなければいけないような気がして、ランスベルは話題を探し、一つ思い付いた。


「スパイク谷と言えば、白竜騎士ビョルン様の出身地ですよね」


 竜騎士ビョルンは、最後の白竜騎士になった人物である。


「そうさ。スパイク谷では誰でも、白竜騎士ビョルンの歌を聞いて育つんだ。鉄と同じくらい硬い魔獣の皮を素手で引き裂いたとかさ。あれって本当なのか?」


 白竜騎士ビョルンは、竜爪ドラゴンクロウを好んだと聞いたことがある。竜爪ドラゴンクロウというのは竜騎士の鎧についている隠し武器で、その名のとおり、鋭い爪が指先から出るようになっている篭手の事だ。本来は予備武器で、普段の戦いで使うようなものではない。とは言え、竜語魔法によって強化された竜騎士の力で竜爪ドラゴンクロウを使えば鋼鉄の鎧でも引き裂けるだろう。あるいは特別な竜爪ドラゴンクロウがあるのかもしれない。ランスベルは竜騎士の全てを知っているわけではない。


「ブラウスクニースなら喜んで教えてくれたでしょうが……もしかしたら、本当に素手で引き裂いたのかもしれません。でもたぶん、竜爪ドラゴンクロウを使ったのでしょう」


 そう言って、ランスベルは詳しい構造を伏せたまま、竜爪ドラゴンクロウについて説明した。ヒルダは小さな噴水を一周すると、水盤から手を離し、服で指先から水を拭き取った。


「ふーん、その武器は面白いけど……そのまま篭手でブン殴ったほうが早そう」


 竜騎士の武術には徒手格闘の技もあると聞いたことがあるので、ビョルンは徒手格闘の達人だったのかもしれない。だが、そこまではランスベルも説明しなかった。


「もう一つ聞いてもイイかな?」

 ヒルダはランスベルのほうへ向き直った。ごく自然に、左手を剣の柄に乗せている。

「アンタ、本当に竜騎士なの?」


 ランスベルは質問の意図が分からず、困惑した。確かに、一七歳にしては童顔だとよく言われるし、小柄だという自覚はあったので、〝騎士らしくない〟という意味だと解釈する。それはランスベルも気にしていた事だった。


「いや、悪い意味じゃないよ。口下手で悪かった」


 ヒルダがそう続けたので、ランスベルは、顔に出てしまったかと心配した。


「いえ、よくそう言われます」と、慌てて答える。


「そうなの?」

 ヒルダは、顎に手を当てて考えるような仕草をした。


 どうも会話が噛み合っていない気がする。北方人の話すファランティア語は方言が強くなってしまって通じ難くはあるものの、意思疎通に問題はない。だから言葉の問題ではなく、文化の違いが問題なのかもしれない。


 ランスベルはそんな風に考えたが、実際には全く違う理由によるものだった。


「さっきも言ったけど、白竜騎士ビョルンはスパイク谷の英雄でね、歌になってるんだ。ビョルンの生涯が歌われているんだが、王以外は四番までしか知らない」


 ヒルダが何を言おうとしているのかわからず、ランスベルはただ聞いていた。


「王にだけ伝えられる五番目の歌、アタシも知ってるんだ。もしオヤジが次の王に伝えられなかったら、アタシが伝えろってさ。ま、オヤジが死んだらアタシが継ぐからいいんだけど……その五番目の歌にはビョルンの最後が歌われているんだ」


 まさか――ランスベルは嫌な予感がした。


「ここで歌うつもりはないけど……ドラゴンが死んだ時、ビョルンは頭がおかしくなっちまった。そしてすぐに死んだ。竜騎士は皆そうだと最後にビョルンは言ったって歌われている。竜騎士の宿命だって」


(竜騎士の秘密を、一部とはいえ話してしまうなんて……)

 ランスベルは少なからず衝撃を受けた。


 ヒルダは立ち尽くすランスベルのつま先から頭の天辺まで見て、続ける。

「でもアンタはおかしくなっちまったようにも、死にそうにも見えない。だから、もしかして歌が嘘なんじゃないかって思っちまったら、確かめずにはいられなくなった」


 ランスベルには、その歌は嘘ですと言う事もできた。だがヒルダの青い瞳は真剣そのもので、嘘をつくのも、誤魔化すのも躊躇われた。ランスベルは悩み、そしてこう答えた。


「それは本当のことです。ただ僕の場合は、ブラウスクニースが助けてくれたのです。方法は説明できませんが……」


 ヒルダはそれを聞いて、明らかに安堵した様子を見せる。


「そうか。アタシの大好きな歌が嘘じゃなくて良かった。でもなんか、答えにくい事を聞いちまったみたいで悪かったね。だけど答えてくれてありがとう。安心したよ」


 そう言って、普通に頭を下げる。王女に頭を下げさせたところを誰かに見られてはまずい。ランスベルは慌てた。


「ああ、いえ、その代わりというか、その歌の事と今の話は秘密にしておいてください」


「わかった。秘密にしよう」


 そう言ってヒルダは笑顔を見せた。子供のような笑顔だな、と思ってからランスベルは失礼な事を考えてしまったと反省する。


 その時、金属音を響かせながら迎賓館に近付いてくる気配があって、ランスベルは剣の柄に手をやった。ドラゴンの遺灰が力を残している期間も昨日までだし、魔法の警告もないので敵ではないはずである。ヒルダも気付いているようで、剣の柄を握っている。


 様子を見ようとランスベルは生垣の外に出ようとしたが、ヒルダに腕を掴まれ、生垣に隠れるように手で指示された。


 こんな時、北方の戦士なら勇猛果敢に、猪突猛進に、相手の前に堂々と出て行くものとランスベルは思っていたので、少し意外であった。ヒルダは低く屈んで生垣に隠れている。ランスベルはそこまで屈まなくとも頭を低くするだけで隠れられる。


 少しの間そうして隠れていると、二人のいる場所から相手の姿が見えるようになった。近衛騎士団である。先頭を歩くのは〈王の騎士〉ステンタールだ。


「敵ではありません。近衛騎士団とステンタール卿ですね、どうしたんだろう?」


 ランスベルがそう言って出ようとすると、ヒルダにまた腕を掴まれた。


「あいつらがその、コノエなんたらでアンタの知り合いでも、まだ状況は分からないだろ?」


 ヒルダの言うとおり、ただ事ではない雰囲気である。そういう警戒心と注意深さは学ぶべきものだと思えた。


 ステンタールは迎賓館の裏口に騎士を行かせ、入口にも騎士を残し、自分は二人の騎士と共に中へ入って行く。ランスベルは緊張して様子を窺った。

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