12.ロランド ―盟約暦1006年、冬、第7週―

 ロランドにしてみれば、この勝利は必然であり、喜ぶようなものではない。


 聖女軍は帝国兵の不満や不安に付け込んだ流言と裏切り工作、強襲や不意打ちによって勝利してきた。会戦に持ち込んだ時点で勝利は確実だったのだ。あとは普通に、当たり前に戦えばよい。


 聖女軍はそもそも軍隊と呼べるようなものですらない、とロランドは断じていた。

 最も危険だったのは会戦が始まる前夜までだ。


 夜陰に紛れての不意打ち程度ならまだしも、馬やテントへの放火、食べ物や飲み水に毒を入れるくらいの事はするかもしれないとロランドは警戒していた。


 あるいはブラックウォール城のファランティア軍と協力しての挟撃や、裏をかいてサウスキープを直接狙うなども考えられた。


 そのどれに対しても対策は講じてあったが、結局どれも実行されなかったので無駄骨を折った事になる。


 この戦いにおいて、賭けと呼べるような不確定要素は二つあった。


 その一つはトーニオが聖女を殺せるかどうかで、これには成功した。


 その結果、戦いが早期終結してテッサニア軍の被害は抑えられ、次の一手がより確実なものになった。逃げた敵の数が多いほど、ファランティア軍と聖女軍は混じり合って混沌とした集団になる。そこにテッサニア人が数人紛れていても、誰も気付くまい。


 残る不確定要素は、逃げてくる味方に対してブラックウォール城が門を開くかどうかだ。南部総督のグスタフ公は厳格な人物と聞いている。自分と同じ種類の人間なら、門を閉ざしたまま味方を見殺しにするかもしれない。


 この賭けに勝つか負けるか、それはもうすぐ分かる。


 戦いに勝利したロランドは自らの目で賭けの結果を見ようともせず、戦場から南に半マイルほど離れたテッサニア軍の野営地に戻っていた。周囲は移動の準備で騒がしい。最初から一時的なものとして設営されていたが、それでも四〇〇〇人以上の軍隊が寝泊りしたのだ。残った兵士や召使いたちが声を掛け合い、作業を急いでいる。


 その野営地の中心にロランドはテッサニアの騎士たちと共に立っていた。目の前には二人の人間が足を折りたたんで腰を曲げ、額を地面に付けるような姿勢でうずくまっている。手足を後ろで縛られているため、そういう姿勢にならざるを得ない。


 聖女軍に与していた帝国兵の多くはテッサニア軍に投降した。彼らはこの二人と〝畏れ多くも聖女を騙った女〟に騙されていたのだと主張している。


 二人のうち一人はなかなか体格の良い小麦色の肌をしたエルシア大陸人だ。聖女軍では司教を自称していた男で、マイルズという名前だと聞いている。全身が切り傷と打ち身で赤黒く腫れ上がり、ぐったりして身動ぎもしない。


 もう一人は少年のように小柄で、混血らしく外見では何人とも分からない。くせのある金髪は半分以上が血に染まっていた。気絶するほど頭を殴られたせいだろう。ジョンという名で、聖女の使徒と呼ばれていたらしい。


 名前が間違っていたとしても、二人が聖女軍の中心的な人物なのは間違いない。ミリアナ教徒にとって白衣を着ることが許されるのは聖女本人、大司教、枢機卿、そして聖女の使徒とされる特別な人物だけだ。


 皮肉な事に二人とも、味方であった聖女軍の元帝国兵によって袋叩きにされているところをテッサニア兵に捕縛されたおかげで助けられたような形になった。ロランドは聖女軍の首謀者を生死問わず捕らえるよう指示していたのだ。


 マイルズは聖女がいた壇上で意識の無いまま数人に蹴られていた。


 ジョンのほうは壇上からかなり離れた場所で見つかった。聖女が死んで、すぐにその場から逃げ出したという証言がある。だが、逃げ切れなかったようだ。しかし逃げていた分だけ、マイルズよりも暴行を受けた時間が短かったのだろう。怪我の具合は多少軽く見える。


 聖女と呼ばれていた少女の遺体はまだ見つかっていない。しかし、その死は多くの人間に目撃されているので確実である。


 たった一人の少女の死が、〈第二次クライン川の会戦〉とでも言うべき戦闘を終わらせた。


 聖女軍だった者たちの多くは逃走し、テッサニア軍は追撃に移っている。ここからは迅速な行動が必要だと言ったのはロランド自身だが、彼らの処遇を後回しにする事はできない。物事は、きっちりと一つずつ進めていかねば気が済まない性分のせいだ。


 ロランドの隣に立つ副官のベルナルドが、うずくまる二人に向かって威圧的に問う。


「マイルズとやら、顔を上げろ。貴様、帝国人だろう。姓名と所属を述べよ」


 だが、マイルズは反応しなかった。ベルナルドが目配せをし、騎士の一人がマイルズの髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。


 マイルズは元の顔形が分からないほど殴られていた。その顔は青黒く、目は半開きのまま何も見ていない。誰の目にも死んでいるのは明らかだったので、髪を掴んでいた騎士は手を離した。マイルズの頭は力なく地面に落ちて、ごつんと音を立てる。皮膚が裂け、血が流れた。


 ロランドは何の感情も見せず、また実際に何の感情も抱く事無く、命じた。


「反乱の首謀者として、首を帝都に送れ」


「はっ」

 騎士の一人が近くにいた兵士を呼びつけ、死体を運ばせる。


 ベルナルドは次に、ジョンに命じた。

「顔を上げろ」


 しかしマイルズと同じく、ジョンも反応しなかった。別の騎士が髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。顔の右側が酷く腫れ上がり、目もほとんど開かない状態であったが、左目は腫れた瞼の奥からロランドをじっと見ている。


 酷い顔であっても、ロランドはそこに溢れる若さを見た。人を騙して操り、策を弄するような種類の人間ではない。ただの愚かで無謀な若者だとロランドは判断した。それでも、問わねばならない。


「お前があの娘を聖女に仕立て上げたのか。それとも、そこのマイルズによって娘と共に仕立て上げられたのか?」


 ジョンは無言のまま答えない。


「お前……ファランティア人ではないな。どこの誰だ?」


 声が擦れたので、咳払いを挟んでロランドが問う。やはり、ジョンは何も答えない。


 騒がしい野営地の中で、二人を中心にしたその場だけが沈黙に支配された。


 ロランドはジョンの風貌から何か手がかりはないものかと観察し、そしてふと思い出す。そういえば、〈みなし子〉から脱走した小隊がいたな――と。


 顔も名前も知らないが、当時から〈みなし子〉と契約していたロランドは脱走者の報告を受けていた。〈魔獣の森〉へ逃げ込んだと聞いて記憶に残っていたのだ。当時の〈魔獣の森〉を、たかが数人で抜けるなど不可能に思えるが、その後の消息は確認していない。ファランティアにたどり着いていた可能性はある。


「〈みなし子〉の脱走兵か?」


 沈黙を破ったロランドの言葉に、ジョンの眉がぴくりと反応した。どうやら正解だったようである。


 であれば、傭兵団に引き渡すのが筋であろう――ロランドはそう考えてベルナルドに指示した。


「拘束しておけ。ただし捕らえた帝国兵と一緒にはするな。牢の中で殺されるかもしれん。それから捕虜の目録を作成しておけ」


 ロランドは踵を返す。その瞬間、ジョンは小さな声で、しかしはっきりと言った。


「もしクララと出会っても、あんたは殺されなかっただろうな。あんたは帝国兵じゃないし、もう死に捕らわれているから」


 その言葉を侮辱と捉えて、ジョンの両側に立つ騎士が「きさまッ!」といきり立った。しかしたとえ忠誠心からの行動であっても、ロランドは勝手を許さないと彼らは理解している。騎士たちは怒鳴っただけで何もしなかった。


 ロランドは背を向けたまま命じる。

「首をはねろ」


 それだけ言って歩き出す。その場にいるロランドの臣下たちは驚きにぽかんと口を開いて、すぐには反応しなかった。ロランドが今までに一度下した指示を撤回した事など無いからだ。


 しかしこの時、騎士たち以上に驚いていたのはロランド自身であった。


 ベルナルドが最初に動揺から立ち直り、騎士の一人を「おい」と言って小突く。それで騎士たちも呪縛から解放されたように動き出した。


 ロランドの背後でジョンが押さえつけられる音と長剣ロングソードの鞘走る音がして、それから剣が振り下ろされたのが分かった。


 ジョンは悲鳴の一つも上げなかった。ロランドがちらりと肩越しに背後を見た時に、ちょうどその頭が地面に落ちて転がった。


 ロランドは撤収作業に追われる野営地を足早に横切り、自分のテントまで戻った。彼のテントにはまだ手を付けられていない。入口に立つ二人の近衛兵に向かって、ロランドは命じる。


「ここにいる必要はない。他を手伝え。お前もだ」


 近衛兵は「はっ」と返事をしてから、「は?」と聞き返してきた。


 同じ事を二度も言いたくないロランドは答える代わりに睨みつける。近衛兵たちは慌てて「閣下の御意に従います」と小走りに去って行った。その背中を見送ってから、ロランドはテントに入る。


 テントは大きく、布は分厚いので外の騒がしさを遮ってくれた。だからテントの中は静かで、自分の呼吸に混ざる異音が聞こえるほどだった。


 ロランドは分かりきった事を指摘されるのが――もっと言えば図星を指されるのが――嫌いだ。


 どこの馬の骨とも知れぬ若造に、最も気にしている隠し事を指摘されたという事実が怒りを何倍にもしていた。目を血走らせ、顔を真っ赤にして剣を抜き、「ふん!」と力いっぱい地面に突き立てる。長剣ロングソードは半ばまで地面に突き刺さった。


 地面を睨みつけるロランドの視界の中、ポタッ、と赤い雫が落ちる。

 胃がひっくり返るような激痛に、顔を歪める。


 声を漏らしてもおかしくないほどの痛みだったが、出したのは鼻血だけだ。異物感が身体の内側で膨れ上がり、口を押さえた途端、喉の奥から血の塊が出てきた。押さえた指の隙間から臭くて赤黒い血がねっとりと糸を引いて垂れる。


 ロランドは死に捕らわれている――それは事実なのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る