7.テイアラン ―盟約暦1006年、秋、第4週―

 レッドドラゴン城の大広間は扉が開かれたままになっていた。これは王が来訪者を歓迎しているという意味である。


 王都に到着した北方からの賓客を出迎えに行かせた使者が大広間へ戻って来たので、テイアランは玉座で居住まいを正した。背後に立つステンタールが身動ぎして、その鎧が音を立てる。


 大広間には他に、ハイマンやモーリッツなど主要な貴族たちと竜騎士ランスベルがいた。加えて一歩下がったところに女魔術師のアリッサと太った少年の魔術師――確かドンドンという名だ――が控えている。


「アルダーの王、オリクの息子ブラン王、参られました!」

 使者が声を張ってブランの来訪を告げたが、言い終わる前に北方からの一団はぞろぞろと大広間に入ってきてしまった。慌てた使者が早口に付け加える。

「スケイルズ諸島の王、ブリューナクの息子ルゴス王、参られました!」

「スパイク谷の王、スヴェン王の娘ヒルダ王女、参られました!」


 先頭に立つ、樽のような胴体に分厚い胸板の熊に似た大男がブランである。

 北方民族の間では正装となっている毛皮のマントに、腰にはアルダー地方の者を示す黒・黄・赤の縞模様の腰布を巻いている。鎖帷子チェインメイル鉄の胸当てブレストプレート鉄の籠手ガントレットを合わせているため、鎧の立てる音は騒々しい。

 以前に会った時より、精悍さが増したようにテイアランは感じた。額についた新しい傷のせいか、首が隠れるくらいまで伸びたごわごわの髭のせいか、あるいはその両方によってか。


 ブランに続いて大広間に入ってきたのがルゴスだ。ブランと同じくらいの横幅だが、背は頭一つ分小さく、胸まで伸びた髭は七割ほど白髪になっている。

 幼い日に感じた〝怖いおじさん〟という印象は変わっていない。鋭い眼光は当時のままで、身にまとう雰囲気は体型ほどには丸くなっていなかった。


 ルゴスと並ぶようにして入ってきたのは、豊かな金髪を編み上げた女性だ。テイアランは彼女と面識がなかったので、使者の口上からヒルダ王女だと判断した。背丈はブランと変わらず、肩幅も広いので、並みの男よりも立派な体躯である。


 三人は堂々と大広間を歩き、玉座の前に立った。右手で拳を作り、左胸に当てて一礼する。北方における王に対する礼儀作法である。三人を代表するようにブランが口を開いた。


「謹んでお悔やみ申し上げる。また、アードの王、ヤルマールの息子ヤルマール王は体調が優れんため、俺が名代を務めることを許して欲しい」


 北方にある四つの地方――アルダー、アード、スケイルズ諸島、スパイク谷――にはそれぞれ王がいる。その中で最も在位が長いスパイク谷のスヴェン王がいないのであれば、次に在位の長いルゴス王が代表して挨拶するのが普通だろう。しかし、まるでブランが代表者のように振舞っている。テイアランはそれを不思議に思った。とはいえ、この場でそれを問う事はしない。テイアランは丁寧に応じた。


「もちろんです、ブラン王。遠く北方からご来訪いただき、ありがとうございます」


 ブランとは幼い頃から何度も会っている旧知の間柄であるが、公の場で友人のように振舞うのは良くない。それはブランも分かっているようだった。


「金竜ブラウスクニース様には俺もお会いしたことがある。穏やかな方であった」


 ブランの言葉に、テイアランは深く頷いた。

「まさしく。我が民を深く愛してくださいました」


 そして顔を上げると、ちょうどヒルダと目が合う。

 並みの男以上に屈強な体格ではあるが、顔は整っており、美人と言っていい。こめかみの辺りから頬骨にかけて走る赤みを帯びた傷跡がよく見えるように、金髪を編んで後頭部に持ち上げている。それは彼女が戦士である証なのだろうが、テイアランには理解できなかった。女性なのだから、傷跡は隠したほうがいいに決まっている。


 ヒルダもまたテイアランを観察しているようであった。二人の視線に気付いたのか、ブランが紹介する。

「そういえばヒルダとは初対面でしたな。スヴェン王の娘で、女とは思えぬ恐るべき戦士です」


 ファランティアの女性であったなら、そのような紹介では侮辱とさえ思うだろう。だが北方の女戦士であれば、最強の戦士と評されるブランにそう言わしめたのは名誉なことに違いない。


 テイアランは軽く会釈した。

「スパイク谷のヒルダ王女、どうぞよろしくお願いします」


 ヒルダは表情を変えず、「こちらこそ」と会釈を返した。


 続く言葉をテイアランは待ったが、彼女はそっけない返事だけで黙ったままだ。一瞬の気まずい空気に、少し慌てて言う。


「ああ、長旅でお疲れでしょう。部屋を用意させていただきました。まずはゆっくりなさってください」


 その言葉が合図となって、侍女たちが案内のために前へ出て来た。


「うむ、ではお言葉に甘えさせていただくか」


 そう言ってブランは案内に従ったが、去り際にテイアランへちらりと視線を送る。

 積もる話は後でな――と、その目は語っていた。テイアランも軽く頷いて了解の意思を示す。


 結局、テイアランがブランと積もる話ができるようになったのは晩餐も終わり夜も更けた頃だった。


「久しぶりだ、ブラン。前は、父上の葬儀の時だったかな」


「ああ、俺が来る時はいつも葬式だ。縁起が悪いな」


 ブランに提供した部屋を訪ねたのはテイアランのほうだ。晩餐の後、光沢のある絹のチュニックにゆったりしたズボンという楽な服装に着替えて来た。


 対するブランは鎧を脱いだだけという格好で、巨躯を長椅子ソファに預けている。手を伸ばせばすぐ届くところに幅広の片手剣ブロードソードが立てかけてあった。一見なんの変哲もない剣だが、変わった銘があったような気がする。


 王ともなれば、たとえ城壁に守られた旧知の友の家にいても剣は手放さないものか――と、テイアランは思った。きっと習慣なのだろう。

 二人はファランティア産のブラッドワインで乾杯した。


「北方ではまだ戦いが続いているようだな」


 テイアランはブランの額にある新しい傷跡に目を止めて言った。ほんの一〇年の間でさえ、北方に争いが無かった時代はない。テイアランはそれを悲しい事だと思っているが、物心ついた時からそのような世界に生きるブランは違うらしい。


「〝汝欲するならば勝ち取れ〟ってやつだ」と、北方人の信条を表す言葉を引用してニヤリとする。


「ファランティアにいる間はやめてくれよ。ここでは、殺さなくても手に入るから」


 そう言ってテイアランが手を叩くと、侍女たちがチーズやパン、乾燥させた果物などを持って部屋に入って来る。


「分かってる。北方人はファランティアでは戦わないと知ってるだろ。それに葬式で死人が出たら、また葬式をしなきゃならんし、俺は葬式をハシゴしなきゃならなくなる」


 そう言いながら、ブランはいたずらっぽくウインクした。それはテイアランに向けてではなく、若い侍女に向けてだ。


「し、失礼します……」

 食べ物を並べ終えて、その若い侍女――マイラは慌てて出て行った。マイラはアデリンのお気に入りで、ブラウスクニースの訃報を知らせたのも彼女だ。


 侍女たちが全員退室して扉を閉めると、テイアランはブラッドワインの香りを楽しんだ。


「葬式の話はよそう。それより、私の結婚式に来てくれなかったのは悲しかった」


 そう言ってテイアランがワインを口に含むと、ブランもワインを飲む。


「去年はちょうど大きな戦いがあって離れるわけにはいかなかったんだよ。お前が気にしてるこの傷とも関係ある話だ。聞きたいか?」

 ブランは額の傷跡を指差して言った。


 ファランティア人はこの三〇〇年間、戦争を経験していない。北方の戦いはファランティア人が好む騎士道的な名誉ある戦いとは違うが、気にならないと言えば嘘になる。それにブランは武勇伝を話したがっている様子だ。


「ぜひ、聞かせてくれ……ああ、でも生々しい描写はいらない」


 子供の頃からブランの話には生々しい残酷描写が付きもので、テイアランはそれが苦手だった。ブランも同じ事を思い出したのだろう、「そうだったな」と笑って、話し始めた。


 事の発端は、アード王ヤルマールの息子ジグリンが、スケイルズ諸島に属する小さな漁村を略奪した事である。

 ちょうどその漁村を訪ねていたスケイルズ王ルゴスの息子ヤールクが戦いに巻き込まれ、その時の怪我が元で死んでしまった。息子を殺されたルゴス王は怒り、ジグリンを殺すと宣言して軍を召集する。


 後になって分かった事だが、この事件は偶発的なものではなかった。ヤールクがその漁村を訪れることをヤルマールは知っていて、息子のジグリンに討ち取らせようと手練の戦士たちを付けて送り出していたのだ。

 同時に使者をアルダーとスパイク谷に送り、スケイルズ諸島の戦士たちがアード地方に進軍してくるのを迎え撃とうと持ちかけていた。撃退した後は、スケイルズ諸島を略奪する権利を分かち合おうとまで言ったらしい。


 ブランはこの申し出をあっさりと断り、スケイルズ諸島に味方すると宣言した。

 スパイク谷のスヴェン王はアードに味方する事にしたので、アルダー・スケイルズ対アード・スパイク谷という、北方を二分する戦いになってしまった。


 なぜブランがスケイルズ諸島に味方したのか、テイアランには聞くまでもない。アード王ヤルマールのやり口が汚いと感じたのだろう。だが真の理由は、〝一対三では喧嘩にならないから〟ではないかとテイアランは半ば確信している。そんな事を考えている間にもブランの話は続いた。


 〈骨の湿原〉で両陣営は激突した。そこはアルダー地方とアード地方の中間にあり、古くから戦場として選ばれてきた場所である。


 一度目の戦いは引き分けに終わったが、二度目の戦いではスパイク谷勢が同盟を解消して撤退したため、アードが大敗を喫する事となった。この戦いで宣言どおり、ルゴスはジグリンを殺して息子の仇を討った。


「なぜ、二度目の戦いの時にスパイク谷は退いたんだ?」

 テイアランが当然の疑問を口にすると、ブランは待ってましたとばかりに身を乗り出す。

「それはな、一度目の戦いの時に、俺とヒルダの一騎打ちがあって――」


 一度目の戦いの最中、ヒルダはブランに接近してきた。二人は激しく打ち合い、お互いの息がかかるほど近くに組み合ったとき、ヒルダは提案した。

「アタシが勝ったらアルダー勢を退かせろ」

 ブランは面白がって言い返した。

「ならば、俺が勝ったらスパイク谷を退かせるんだな」


 そうして始まった二人の戦いについて話している間が、ブランは一番楽しそうだった。ヒルダの恐るべき槌矛メイスがブランの剣をへし折った事や、組み合ってヒルダを地面に押さえ込んだら耳を食いちぎろうとしてきた事、それらに対してブランはどう反撃したか、などなど。


「俺たちの戦いがあんまり激しかったもんで、皆自分の戦いを忘れて見入っちまうほどでさ」とニヤニヤしながら言う。


 最終的にブランが勝利し、ヒルダは約束を守ったというわけである。


「この傷は、その時ヒルダに付けられたものだ。あいつは普通じゃない。お前も気を付けろ」


 ブランは酒をあおると、そのままどっかりと長椅子ソファに背中を預けた。何をどう気を付けるのか分からないが、テイアランは残った疑問を口にした。


「しかし、ヒルダ殿は王ではないのに、どうして軍を退かせる事ができたんだ?」


 その疑問は、ブランにはあまり興味のないものだったらしい。そっけなく答える。


「知らんが、〝挑戦権を行使するぞ〟とでも脅したんじゃないか。いかにスヴェン王でも老いた身でヒルダを相手にするのは無理だし、代理戦士のマグナルも今や腹の出たおっさんだからな」


「挑戦権か……」


 テイアランも挑戦権については知っている。かつては北方全域にあった慣習だが、今も実効力を持っているのはスパイク谷だけだ。挑戦権は北方の人間が生まれながら持っている唯一の権利とされているもので、一生に一度だけ、誰を相手にしても行使することができる。

 一騎打ちをして、勝ったほうは負かした相手から何でも好きなものを得られる、というものだ。物でも、命でも、王の座でも。

 いかにも北方らしい野蛮な慣習だが、スパイク谷のような場所には必要なのかもしれない、と理解することもできる。


「ところで今回の葬儀、あいつは来ないのか」


 突然ブランがそう言うので、テイアランは「あいつ?」と聞き返した。


「レスターだよ。あいつが皇帝陛下とはな」


 ブランはふざけて大げさに、アルガン帝国式の敬礼を適当にやって見せた。


 ブラン含め、北方の人間がファランティアに来るのはそれほど珍しい事ではない。同じテストリア大陸にあって、今でこそ文化圏を別にしているが、元は同じファランティアの民だ。通じ難くなってしまったが、言葉も同じである。

 特に地方同士の問題を話し合いで解決する場合や、協定を結ぶ時など、会合はファランティアで行われるのが慣習となっている。北方の人々にとってファランティアは中立地帯として機能しているのだ。


 その点では、同じテストリア大陸でも南部のテッサニアとは事情が異なる。テッサニア人もファランティア発祥の人々であるが、〈魔獣の森〉によって断絶してしまったせいでほとんど交流がない。テッサニアはむしろ海を隔てた南のエルシア大陸から文化的な影響を受けている。言語も変化し過ぎて別のものになってしまった。


 そのため、テッサニア人ですら王都ドラゴンストーンにやって来るのは珍しかった。エルシア大陸の人間ともなれば、なおの事である。しかし、テイアランがまだ幼い頃、その珍しい出来事があった。エルシア大陸にある小国アルガンから二人の王子がファランティアにやって来たのだ。


 兄の名前はサイラス、弟の名前はレスター――現在はエルシア大陸を統一したアルガン帝国の初代皇帝である。


 ちょうどその頃、北方で大きな戦いが終結したところで、戦後処理のために北方人がファランティアに来ていた。その中にブランもいた。だから子供の頃、テイアランとブランはサイラスとレスターに会っている。年齢も近かったので、一緒に遊んだ記憶もあった。


「本人は参列できないので名代を送る、という返答をもらっている」


 テイアランが答えると、ブランは「そうか。残念だよ」と言った。それは心の底からの言葉に聞こえたので、テイアランは不思議に思った。

 記憶の中のレスターは、ブランに気に入られるような子供ではない。兄のサイラスというなら話は分かるが。


「もしサイラスが生きていたら……いや、こういう事は言っても始まらんな」


 もしかして名前を思い違えているのかとテイアランは思ったが、ブランがそう続けたので、間違えているわけではないと分かった。サイラスは何年も前に死んでいる。


 サイラスとレスターに会ったのは二〇年も前の事で、鮮明に覚えているわけではないが、記憶の中のサイラスは明るく快活な少年だった。ブランとはすぐに仲良くなって、出会って半日で、まるで何年も前からの友人のようになった。


 サイラスはどこで覚えてきたのか、突然ブランを指差してニヤニヤしながらこう言った。

「赤毛の子供熊」


 本気で侮辱する意図は無かったとブランにも分かっていたに違いない。彼は「てめえっ!」と言って立ち上がり、笑いながら逃げていくサイラスを追った。その横顔は楽しそうだった。


 笑い合いながら駆けていく二人を、テイアランはなぜか追うことができなかった。それまで感じたことのない胸のざわつきが、嫉妬あるいは羨望のようなものだったと今なら分かる。


 その時、二人の背中を見送っていたのはテイアランだけではない。レスターは誰とも目を合わせず、言葉も話さず、根暗な印象のぽっちゃりした少年で、サイラスから決して離れようとしなかった。そのレスターが、その時だけは兄を追いかけなかった。


 だからテイアランとレスターの二人は立ち尽くしたまま、ブランとサイラスの背中を見つめ続けていた。


「なんで、そんなに――」


 気になるんだ、と続けようとした言葉は、ブランの大きな声に遮られた。


「んで、お前はどうだった。結婚して色々変わったんじゃないのか? 子供はまだなのか?」


 強引に話題を変えられ、テイアランは慌てる。

「え? ああ、子供はまだなんだ」


「もう一年だろ。ちゃんとヤってんのかよ?」


 ブランが指を卑猥に動かしたので、テイアランはため息をついた。こういう下品さにはどうしても馴染めない。


「ん、なんか問題がありそうだな。よし、俺が相談に乗ってやろう!」


 ため息の意味を勘違いしたブランが、両手で自分の膝をバシッと叩いて身を乗り出す。


「いや、いやいや、そういうことではなくてだな――」


「言っておくが、俺のほうが抱いた女の数は多いはずだぞ! お前は何人だ。言ってみろ、勝負しようぜ!」


 テイアランは恥ずかしさに顔が赤くなるのを感じた。部屋の外には近衛騎士とアリッサがいるはずだ。ブランの大きな声は部屋の外でも聞こえているに違いない。


 戦いの話をする時と同じくらい目を輝かせるブランを見て、はあ、とテイアランは再びため息をついた。

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