9.ランスベル ―盟約暦1006年、秋、第7週―

 ランスベルが故郷の町に足を踏み入れたのは、実に一〇年ぶりのことだった。町の中はほとんど変わっておらず、どこに何があるかも手に取るように分かる。だが、同時に違和感もあった。


 当時七歳のランスベルがこのような深夜に外出するなどあり得なかったし、自分の背が高くなったせいなのか、王都の大きな建物を見慣れたせいなのか、町の建物が小さく見えて道も狭くなったように感じる。


 そして、最大の違和感は所々に立つ帝国兵である。帝国兵たちには、特に警戒態勢という雰囲気はない。


 やっぱり、ホワイトハーバーにいる帝国軍と魔術師は連携していないんだ――ランスベルは確信した。


 アンサーラの魔法は姿を見え難くしてくれるが、完全に消すわけではない。音も抑えてくれるだけだ。アンサーラは完全に無音で動いているが、ランスベルとギブリムはそうはいかない。自分たちが足手まといになって誰かに見咎められてしまうのでは、と心配したが運良くそうはならなかった。


 アンサーラの先導のおかげで誰にも見つかる事なく、ランスベルは懐かしい生家までやって来た。家を囲う生垣は、やはり昔より低くなったように見えたが、形は昔のままだ。生垣のアーチの下には木製の扉があり閉まっている。篝火が焚かれ、帝国兵が四人いた。生垣の向こうにも帝国兵の兜が見える。庭に一〇人はいるようだ。見えない位置にもっといるかもしれない。


 アンサーラが目で合図する。ランスベルが頷くと、彼女は一人だけ離れて行った。アンサーラが離れてしまうと姿を隠す魔法は弱まる。ランスベルとギブリムは木の陰でじっとしていた。緊張の時間が過ぎていく。


 ランスベルの強化された感覚はアンサーラの位置をはっきりと捉えていたが、帝国兵は生垣に沿って忍び寄るアンサーラに気付いた様子はない。かなり接近したところで、彼女は顔の前で掌を上に向けて開き、何かを囁いた。すると、その掌から桃色の小さな花びらが舞い、風に乗って兵士の一人の眼前を過ぎていく。その兵士は急にフラフラして、隣の兵士に寄りかかった。


 寄りかかられた兵士は迷惑そうな顔をして帝国語で何か言ったが、続けて同じ状態に陥る。残りの二人も同様に、大した騒ぎになることもなく、門前にいた四人は全員地面に寝転んだ。


 アンサーラが手で合図してきたので、ギブリムを一人残し、ランスベルは隠れ場所を出て彼女に合流する。ふと違和感があって、ランスベルは兵士の一人を見下ろした。胸元の首飾りが気になる。


「行きましょう。それほど長くは持ちません」

 アンサーラが囁き、ランスベルは頷いてその場を離れた。


 途中にいた帝国兵を眠りの魔法で眠らせながら進み、ランスベルは自分の生家へ侵入した。館の裏まで入り込むと、アンサーラは二階の窓を見上げ、ほとんど助走もなしに跳び上がった。壁の僅かなへこみに足をかけて、窓枠に手をかけ、もう片方の手で窓を開けようとする。しかし鍵が掛かっているようで開かない。アンサーラはブーツからナイフを抜き、窓枠に刃を入れて前後に動かした。


 木の割れる小さな音がして木屑がパラパラと落ちてくる。誰かに聞かれやしないかとランスベルは周囲を警戒したが、帝国兵が来る前に窓は開いた。ひらりとアンサーラが中に入る。


 ランスベルは数歩下がり、助走をつけて跳躍した。窓枠に手をかけたところで、その手をアンサーラが掴む。その細腕には驚くほど力があり、ぐいっとランスベルの身体を引き上げた。


 窓から侵入した部屋は、かつてランスベルの部屋だったところだ。昔と変わらない懐かしい自分の部屋がそこにあるとランスベルは思い込んでいたが、実際にはまったく面影が無い。


 ランスベルの持ち物は何一つ残っておらず、ガスアドの部屋と仕切っていた壁は取り払われて、二部屋が一続きになっている。ランスベルの部屋は、ガスアドの領域に塗り潰されてしまったようだ。


 少し寂しい気分になったが、扉の前で聞き耳を立てているアンサーラから合図があり、再び現実に集中する。南側の窓は庭と館正面から見えるので、近寄らないように気をつけてアンサーラと合流した。


「戦いの心構えをしておいてください。先ほど兵士を眠らせたとき、微かに魔術の気配を感じました」


「うん。首飾り?」


 聞き返すと、アンサーラは頷いた。二人とも同じ気配を感じたのなら、間違いないだろう。兵士たちが身に着けていた首飾りは、何らかの魔術に関わる物だ。


 ランスベルは目を閉じて、いつでも剣を抜けるよう意識した。

 パーヴェルと訓練したとおりに戦えばいいんだ。相手の事は考えるな――と、自分に言い聞かせ、目を開く。


 扉の外に気配はない。二人は廊下に出た。廊下には大きな窓があるので、その下を潜るようにして素早く進む。突き当たりにある両親の部屋は昔と変わっていなかった。とても懐かしい匂いがする。しかし二人の姿は無い。

 アンサーラと共に一階に下りたが、居間にも台所にも誰もいない。


「もう一つの建物のほうでしょうか?」


 小さな声でアンサーラが問いかける。ランスベルにとっては、勝手知る我が家である。


「二つの建物は地下の倉庫で繋がっているんだ。こっちだよ」


 ランスベルはアンサーラを先導して、台所の奥の小さな扉を開いた。地下への狭い階段が現れる。階段の先には扉があって、今は閉まっていた。二人はほとんど身体を密着させて扉の前まで階段を下りる。向こう側の気配を探ろうと扉に触れた瞬間、ランスベルの目は細い魔力場が扉を貫通して発生したのを捉えた。


『竜の盾!』

 ランスベルは素早く竜語魔法を叫んでアンサーラを庇う。


 木の扉を貫通して、光線がまっすぐに走った。だが、二人の身体に到達する直前で見えない壁に遮られ、光の粒子となって弾けて消える。扉に空いた穴は黒く焦げていた。防御のために〈竜珠ドラゴンオーブ〉から引き出された力の大きさから、かなりの威力がある魔術だとランスベルには分かった。続けて二発、三発と連続して光線が打ち込まれる。全て『竜の盾』が防いでくれた。


 ランスベルは扉を蹴破った。アンサーラは一瞬でするりと室内に入り込む。ほぼ同時に地下室内がぱっと明るくなり、突然の強い照明にランスベルの目はくらんだ。魔術で作り出された光の玉が天井付近で強い光を放っている。


 再び光線がランスベルを狙ったが、『竜の盾』によって防がれた。〈竜珠ドラゴンオーブ〉の力はランスベルの感覚で言えば無限だが、なるべく消耗したくない。


 視界の隅で影がサッと動いたかと思うと、「うっ」という声がした。戦い慣れているアンサーラは、ランスベルがのろのろしている間にも、奥にいたもう一人の魔術師に接敵して斬りつけていた。彼女の剣は魔術師の防御魔術を切り裂いたが、致命傷には至らなかったようだ。黒いローブを切り裂かれ、血を流しながらもその魔術師は次の呪文を唱えている。


 しかし、戦いと言えるほどの攻防にはならなかった。想像を絶する素早さでアンサーラは動き、瞬きの間に、左手の剣で魔術師の喉を切り裂き、残像を残して背後に回りこむと、右手の剣で背中から心臓を貫いた。魔術師のフードが背中に落ち、現れた顔は女だった。呪文を唱えていた口をぱくぱくさせたまま、自分の胸から生えている剣先を見て、信じられないという顔で絶命する。


 ランスベルと正対している、もう一人の魔術師は黄色い帯に縁取られたローブを着て、反りのある短刀を右手に持っていた。そして、その足元にはランスベルの両親が座らされている。


 一〇年ぶりだが、あまり変わっていないように見えた。今度は変装や偽物ではない。


 魔術師は仲間が倒された事に気付いたはずだが、気に留めた様子も無く指先をホルストの頭に向けた。口元に残忍な笑みを浮かべ、その指先から、父の頭を貫通するように直線状の魔力場が発生する。


 ランスベルには考える時間も、迷う時間もなかった。アンサーラに匹敵する素早さで、ランスベルは反射的に竜剣ドラゴンソードを抜き投げる。剣はまっすぐ矢のように飛び、魔術師の顔面を貫通して深々と突き刺さった。その衝撃で魔術師の身体は浮き、断末魔のように指先から一瞬だけ魔術の光線が放たれる。それはホルストの頭をかすめて、壁に黒い線を残す。魔術師は地下室の壁に、頭を剣で貫かれて張り付けになり、死んだ。


 一瞬のうちに全てが終わってから、やっと反応したクレーラが「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。


 二人の魔術師が死んだことで光の玉は消え、室内は再び暗闇になった。アンサーラが魔法で緑の光を呼び出し、室内の闇を払う。


 ホルストは魔法の光の中でずいぶんと弱弱しく見えた。記憶の中の、胸を張った父の姿とは違う。クレーラは「ランスベル!」と嬉しそうな声を上げた。


「お父さん、お母さん……」


 何を話すか決めてあったはずなのに、ランスベルは言葉に詰まった。ホルストとクレーラはゆっくりと立ち上がる。二人とも拘束されていたわけではないのだ。


 ランスベルは両親の横を通り過ぎて、魔術師の身体から剣を引き抜いた。死体が床に落ち、血と脳漿が壁にべったりと残る。死の臭いが地下室に充満する。吐き気を我慢して、刀身を魔術師のローブで拭ってから鞘に戻した。両親を殺そうとした相手なので、思ったより罪悪感はない。だが、それ以上は考えないようにして死体に背を向ける。


「ううっ」

 クレーラが口を押さえた。ホルストも同様に蒼白な顔をして、死体、ランスベル、アンサーラ、死体の順に目を泳がせている。


「お父さん……」


 ランスベルが呼びかけると、ホルストはびくりと顔を向けた。


「お父さんの計画も目的も僕は知らない。でも今ならここから逃げ出せる。王都の北側ならまだこれからの事を考える時間はあるはずだよ。僕はこれから北に向かうから好きなところまで連れて行く。お金もできるだけ渡す。お願いだから僕と来て」


 なるべくゆっくりと、はっきりと話すことを意識してそう言い、ランスベルは手を差し出した。その手を呆然と眺めながら、ホルストは小さな声で答える。


「そんなことできるわけがない……」


「なんで――」というランスベルの問いは、ホルストの言葉に遮られた。


「そんなの無理に決まってる。うちの資金はお前が生まれた翌年には底を突いていたんだ。今ある資産も財産も全てテッサから無期限で借り入れているものだ。帝国の執政官のロランドだぞ。この家も俺たちも、ずっと前からロランドのものだったんだ。だからお前を竜騎士にと言い出したあの爺さんだって追い返した。だってそんなこと俺が勝手に決められるわけないだろう!?」


 ホルストの声量と身振りは興奮して徐々に大きくなっていく。


「ああ、そうだ。俺か悪いんだ。俺には商才が無かった。運も無かった。残った財産で守りに入ったのはお前たちのためだぞ! 俺のためじゃない! お前たちのためにやったんだ。それなのにお前はあの爺さんと一緒に家を出て行って、俺がこんなに苦しんでいたのに銅貨の一枚も送って来やしない! 今さら来て俺達をこんな目に遭わせておきながら、何が一緒に来いだ!?」


 常に威厳を保とうとしていた父の姿はもはやなく、ホルストは喚き続ける。


「俺だって辛かったんだ。でも仕方なかったんだ。帝国にお前を差し出せば、俺たちもガスアドも助かって家も残る。ガスアドはお前みたいには生きられない。あいつは愛想良くできても、他人に頭を下げられない。それじゃ商人はやっていけないんだよ。俺もあいつに残してやれる金なんてない。どうやって、あいつが生きていけるようにしてやれるか、俺とクレーラがどれだけ悩んだか知っているのか。お前は……自分勝手すぎる。もっと俺の苦労を分かれ!」


 最後には目を血走らせて、ホルストは怒りをぶつけた。ランスベルは反射的に、カッとなって頭に血が上った。その怒気に気圧された父は勢いを失くし、半歩下がる。ランスベルが怒りの言葉を口にする前に、肩に手が置かれた。


「時間がありません、ランスベル」


 アンサーラの声は冷たい冬の風のように、ランスベルの熱を僅かに冷ましてくれた。金色の瞳に、怒りに歪んだ自分の顔が見えたような気がして怒りを自覚する。努めて激情を飲み込み、両親に向かって震える声で訴える。


「……僕はもうここには戻ってこない。だから本当に、本当に、これが最後なんだ。僕の言うことを聞いてくれる?」


 ランスベルはなんとか冷静を装っていた。父の顔を見たら怒りが再燃しそうで、顔は背けたままだ。


「お母さんを連れて行け。お前が無理やりに攫っていったと言う」


 ホルストはクレーラの背中を押して、ランスベルのほうに押しやった。


「わかった。お兄ちゃんはどこにいる?」


「商業会館だ。あそこは軍の司令部になっているから連れ出すのは無理だ」


 ランスベルはアンサーラに目で問いかけた。アンサーラは残念そうに目を伏せて首を横に振る。救出は無理のようだ。


「そうか……」

 先手を打たれていた。人質を分散していたのだ。


 本当にこれでいいのか分からないまま、ランスベルは母の手を取ろうとしたが、クレーラは手を引っ込めてそれを拒否した。


「ごめんね、ランスベル。お母さんも行けない」


「えっ?」


「お父さんとお兄ちゃんを置いていけないし、わたしホワイトハーバーから出た事なんて一度もないのよ。知らない土地で一人暮らしなんて無理だわ。分かるでしょう?」


 ランスベルには分からなかった。母はまだ五〇歳を越えていない。別の土地で新しい暮らしを始めるのが無理だと言うのが理解できない。


「ごめんね、ランスベル。助けようとしてくれて、ありがとうね。お父さんとお兄ちゃんを許してあげてね……」

 クレーラの言葉は、最後に涙で揺らいだ。


 母の涙はランスベルの心に杭のように深く突き刺さり、息ができないほど胸を締め付けた。立ち尽くすランスベルの肩に、アンサーラが再び手を置いて申し訳なさそうに言う。


「ランスベル、わたくしたちがここにいる事は敵に知られています。本当にもう行かないと……ギブリムが一人で戦っています」


 ギブリムが上で戦っているのはランスベルにも分かっていた。ランスベルは拳を握り締めて両親に問う。


「帝国は魔術師の存在を秘密にしている。それを知った二人を放っておくとは思えないよ……それはつまり……分かるよね?」


 ホルストは顔を背けたままだったが、クレーラの涙に濡れた瞳には決意が見て取れた。


 二人を眠らせて無理やりにでも連れて行くべきだろうか、とランスベルは考えた。このまま置いていけば、きっと酷い事になる。だが無理やり連れて行っても、そのまま〈竜の聖域〉まで一緒に旅する事はできない。どこかで置き去りにしなければならない。しかし、せめて生きているだけマシではないか……だが少なくとも母は、ガスアドを置き去りにしたと一生悔やんで苦しむだろう。


「先に行っています」


 アンサーラが階段に足をかけてそう言い、一陣の風のように駆け上がっていった。ランスベルもその後を追って歩き出す。そして階段の前で一度だけ振り向いた。


 ホルストはいつの間にかランスベルより小さくなっていた。今も肩を縮めて、顔を背けたままだ。対照的に、その隣に居る母はランスベルの目を見ていた。涙が頬を伝うのをそのままに、小さく手を振っている。


「さようなら、お父さん、お母さん」


 聞こえるかどうか分からないような小さな声でそう言い、ランスベルは階段を上がった。


 一階にはもうアンサーラの姿は無かった。台所にある裏口の扉が開いていたので、そこから外に出る。すると、帝国兵三人と出くわした。


 帝国兵たちは突然出てきたランスベルにぎょっとしたが、すぐに戦闘態勢を取る。ランスベルより戦い慣れているのだ。驚いたランスベルは思わず跳躍して三人の頭の上を飛び越える。空中で剣を抜き、帝国兵の背後に着地すると、剣の柄頭を首の後ろにめり込ませて一人を気絶させた。振り向いたもう一人の顔面を殴りつけ、足を払って地面に叩きつける。三人目はすでにクロスボウを向けていたので、とっさに竜語魔法を叫んだ。


『離れろ!』


 力強く言って掌を向けると、帝国兵は見えない力に吹き飛ばされ、投げつけられた人形のように建物の角へ激突した。そのまま破片と一緒になって生垣に落下する。死んだかもしれないが、今は気にしている場合ではない。


 足元に倒れている帝国兵の腹にもう一発、拳を叩き込んで戦闘不能にするとランスベルは建物の陰から庭の様子を見た。


 庭ではギブリムが戦っていたが、接近戦になっていなかった。帝国兵は二名ずつの二列隊形を取り、クロスボウでの攻撃に徹している。ギブリムの魔法の盾は帝国製のクロスボウでも傷つかないようだ。命中した太矢クォレルのほうが砕け散っているが、その衝撃にドワーフの身体が揺れている。


 ランスベルたちが脱出するまでの時間稼ぎを頼んでいたので、そのような戦い方になっているのだろう。今しがたランスベルが倒した三人は、ギブリムを挟撃するために回りこんでいるところだったのかもしれない。


 地下でもう少しでも迷っていたら、あるいは戦わなかったら、ギブリムは挟撃されていた。そうならなくて良かったとランスベルは思った。


 ギブリムを援護するため庭に出ようとした時、アンサーラが黒い風のように帝国兵の背後から襲い掛かった。二本の白刃が閃き、後列の帝国兵二人が倒れる。突然の襲撃に驚いた前列の二人が振り向くと同時に、ギブリムの恐るべきハンマーが唸りをあげて飛んだ。帝国兵の一人を跳ね飛ばし、家の壁にまで穴を開ける。


 クロスボウでアンサーラを横殴りにしようとした帝国兵の攻撃は、あっさりと避けられ、アンサーラの剣がその喉を切り裂いた。


 一瞬で四人の敵が倒れ、出番の無くなったランスベルは建物の陰から出た。ギブリムとアンサーラも駆け寄ってきて、三人は合流する。ギブリムの手にはいつの間にかハンマーが戻って来ている。


 ランスベルは地下でのやり取りを知らないギブリムに手早く説明した。


「家には両親しかいなかった。兄は町の中心部にある建物にいる。二人ともここに残るって……」


 ぎりり、とランスベルは奥歯を噛みしめた。本当にこれでいいのか、という思いはまだ心中に渦巻いている。


 いずれ後悔するかもしれない――という不安。


 後でやっぱり助けてくれと言われても無理なんだぞ――という怒りに似た悔しさ。


 そして、父への怒りや、愚直な母への想いが複雑に絡み合っていた。


「いいのか」

 ギブリムに問われ、ランスベルは自分一人の問題ではない事を思い出した。


 無理やりにでも結論を出す――その覚悟でこの場に来たのだ。二人の仲間の背後に倒れている帝国兵たちは、そのために死んだのだ。


「彼ら自身が決めた事だ……」と、ランスベルは呻くように答える。


「そうか」

 ギブリムはそう言って、先に行け、と手で示す。


「行きましょう、ランスベル。なるべく戦いは避けます」


 アンサーラが走り出す。その影を追って、ランスベルは生家を、そして故郷を後にした。

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