8.クレイブ ―盟約暦1006年、秋、第7週―

 クレイブは疲れ果て、重い足取りでホワイトハーバーまで歩いて戻った。ジョスリンはかなり後方を、足を引きずりながら付いて来ている。ドワーフに盾を投げつけられて怪我をしたのだ。


 生き残ったのは、この二人だけだった。


 傭兵二人が死んだのはクレイブの予定どおりで、口封じの手間が省けたが、ガスアドに変装していたデリックまで殺されてしまうとは思わなかった。

 しかし、クレイブはこれを自分の過失だとは考えない。ドワーフが竜騎士の味方に付いているなどと予測できる者などいない。しかも、只者ではなかった。


 満月とはいえ夜の暗闇で指揮するために、クレイブは感知系の魔術をいくつか維持していた。そのおかげでドワーフの武具が並々ならぬ魔法の道具だと見抜けた。ドワーフを見たのは初めてだったが、彼らの作り出した道具を見た事ならある。知人の魔術師が、同じ物を作れないかと研究していたからだ。


 だが、知人が所有していた物より、あのドワーフが身に着けていた武具のほうが数段上だと感じた。もしあの武具がドワーフにとっては一般的なものだとしたら、人間のそれとは雲泥の差だ。


 そしてもう一人、あの場には魔法使いがいた。遠目に見えただけだが、あの細身の人影はエルフだろう。エルフは、竜騎士を包囲するために展開させていた帝国兵一二人をあの短時間で皆殺しにしてしまった。


 いや、あのエルフもドワーフもきっと、それぞれの種族では相当な実力者なのだ。そうでなければ、熟練した戦闘魔術師バトルメイジである自分がこんな失態を演じてしまうはずがない――クレイブは自分にそう言い聞かせる。


「止まれ!」


 ホワイトハーバーの町に入ろうかという辺りで、誰何の声が上がる。見ると、巡回中の帝国兵三人組だ。疲れて、物思いに耽っていたため接近するまで気付かなかったのだ。


 ちっ、とクレイブは舌打ちした。ただでさえ苛ついているところに、命令口調で話されて頭に血が上る。殺してやろうかと思ったが、今はそれどころではないと考え直した。


「審問官のクレイブだ……」


「は? もっとはっきり言え!」


「審問官のクレイブだ!」


 こいつはいつか必ず殺す――そう心に決めて、クレイブは怒鳴った。


「は? えっ? 審問官殿でありますか?」

 途端に慌てふためく兵士。


(なんでこんな間抜けが帝国軍にいるんだ)

 忌々しく思いつつ、クレイブは努めて冷静に話した。


「そうだ。所用で町の外に出ていたのだが、連れが派手に転んでしまってな。司令部まで戻るのに手を貸してくれ」


「はっ」と、兵士は敬礼した。


 兵士の手を借りて、クレイブとジョスリンは司令部まで戻ってきた。ジョスリンには手当てを受けさせ、クレイブは自室へと戻る。


 戸棚にあるエルシア大陸産の強い蒸留酒を酒杯に注ぐと、一気にあおった。強い酒が喉を焼きながら胃の中に落ちていく。それで一息つくと、変装用のサイズが合わない服を脱ぎ捨てて、黄色の帯に縁取られた黒いローブに腕を通した。


 審問官のローブを身に着けると落ち着く。それは、自分が特別な存在である証しだ。


 クレイブはそれから、〈幻視会話ヴィジョン・トーク〉のために魔術道具を組み立てにかかった。棒で三角錐を作り、鏡をぶら下げる。呪文を唱えてしばらく待っていると、鏡が振動してぼんやりした像を映し出された。


 鏡の中の男はクレイブと同じ審問官の格好をしているが、深く被ったフードから見える顎と口元にはまだ幼さが残っている。前置きを抜きにして、クレイブは鏡の中の男に話しかけた。


「竜騎士の件だが、やはりドラゴンの遺灰とは別に、何か力の源になるものがありそうだ。遺灰の一部を持ち歩いている程度の力ではなかった」


 事前にジョスリンが行使した〈探知ロケーション〉の呪文によれば、ドラゴンの遺灰は今も王都ドラゴンストーンにある。もし最初の襲撃時、ドラゴンの遺灰を使ってクレイブを退けたのなら、王都を離れた竜騎士はただの人間に過ぎないはずなのだ。


 クレイブは無意識に右肩を掴んだ。レッドドラゴン城で竜騎士と戦った時に傷つけられたところだ。〈治癒ヒーリング〉の呪文によって傷は完治し、傷跡も痛みもないが、あの時の恐怖と苦痛の記憶はクレイブの心に刻み込まれている。


「何か、ね……それは手に入ったのか?」


 鏡の中の男が若い声でそう言った。クレイブは恥辱に耐えながら答える。


「いや、逃げられた」


「失敗した? 三人かがりで?」


(くそが。一度ならず二度までも、と言いたいのか?)


 クレイブは心中で毒づいた。

 こいつに言い訳みたいなことを言わなければならないとは――苦々しく思いながら話を続ける。


「手練のドワーフとエルフが味方していた。理由はわからん。デリックはドワーフに殺された」


 鏡の中の男、アベルはクレイブよりずっと年下だ。だが〈選ばれし者〉なので、同じ審問官という地位にあり、セドリック枢機卿からも特別扱いされている。


(こいつといい、あの竜騎士といい、俺が望んでも得られない力を持っている。なぜ俺には与えられなかったんだ)


 そう思うと、クレイブの怒りは殺意に近いものにまで高まる。


「絵本のお話みたいだな、竜騎士にエルフにドワーフ……」

 そこまで言って突然、アベルは声をひそめた。


「どうした?」


「待て――誰だ?」

 アベルは振り向きながらそう言って、そのまま動かなくなった。


「おい?」と、クレイブが呼びかけても返事しない。


 クレイブはさっさとこの会話を終わりにしたかったので、相手の反応を待たずに本題を告げた。


「何でもいいが、審問官を増援に寄こしてくれ。今すぐに、だ。もしかすると今夜中に竜騎士たちが襲ってくるかもしれんからな」


 しかし、アベルは振り向いた姿勢のまま反応しない。横顔の口元は微かに動いていて、ぶつぶつと何か言っている。何を言っているのか聞き取ろうと鏡に耳を近づけると、ギィンという不快な音を立てて鏡が鳴動し、映像は消えて、それきり反応が無くなった。


「くそっ、耳が……なんなんだ。おい、返事をしろ。おい!」


 クレイブは再び呪文を唱えて相手を呼び出そうとしたが、やはり応答しない。


「ふざけるなよ、くそが!」


 クレイブの忍耐は限界を越え、鏡をひったくると壁に向かって投げつけた。三角錐を構成している棒を手にとって振り回し、家具やらベッドやらをめちゃくちゃに叩きまくる。


 しばらく怒りに任せて暴れた後、肩を上下に揺らして息を荒げながら、クレイブはベッドに腰を下ろした。手負いのジョスリンと二人であの化け物どもの相手をしなければならないのかと思うと、絶望的な気分になる。


 セドリック枢機卿に直接連絡を取って指示を仰ぐか、とも考えたが、魔術道具は今めちゃくちゃに壊してしまったし、なにより無能だと思われてしまう。それだけは我慢がならない。


 あの人質を上手く使うしかないな、とクレイブは考え始めた。人質は三人もいるのだから、一人くらい殺しても問題ないはずだ。竜騎士の目の前で殺して見せて、逆上したら残った人質を盾にして逃げればいいし、戦意を喪失してくれれば勝ち目も出てくる。


 それに三人を一緒にしておく必要もない。一人は司令部に確保しておけば良いのだ。殺すなら兄より両親のどちらかのほうが効果的だろうから、兄のガスアドを司令部に呼び出せばいい。


 クレイブはこの計画が気に入った。

「くっくっくっ……」

 思わず笑いがこみ上げてくる。


(二度も俺をこけにした事、後悔させてやるぞ。目の前で親を殺されたら、あのガキどんな悲鳴を上げるかな)


 再び無意識に右肩を掴みながら、クレイブは残忍な笑みを浮かべた。

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