10.マイラ ―盟約暦1006年、秋、第7週―

『お父さん、お母さん、お元気ですか。私は元気です――』


 その先に何を書くべきか迷って、マイラは長い間ペンを手に、書きかけの手紙を見つめていた。頭の中では色々なことが浮かんでは消えてを繰り返していたが、文字にしようとすると上手く行かない。一番伝えなければいけない事は、王都に残ると決めた事だ。


『お父さん、お母さん、お元気ですか。私は元気です。家に帰るようにとの事でしたが、私は城に残ります。ごめんなさい』


 駄目だ、なんか素っ気ない――。

 両親は心配するはずだ。自分の決意と、今まで育ててくれた感謝を込めたほうがいい。


『お父さん、お母さん、お元気ですか。私は元気です。私、城に残る事に決めました。私を生んで育ててくれてありがとう。お父さんとお母さんの子供に生まれて幸せでした』


 なにこれ、遺書みたいじゃない。こんな手紙が来たら逆に心配だよ――。

 突然、部屋の扉が開いたので身体が飛び跳ねるほど驚いた。


「ごめん、驚かせちゃった?」


 振り向くとタニアが、いたずらっぽい笑みを浮かべて部屋に入ってくるところだ。


「あ、ううん。どうしたの?」


「ちょっと忘れ物をね」


 そう言ってタニアは部屋を横切り、自分のクローゼットを開いて手を突っ込んだ。そして口が縛られた小さな袋を取り出すと、懐にしまいこむ。袋からはチャリチャリと軽い音がした。マイラの視線に気付いたタニアはクローゼットを閉め、机までやって来て手紙を覗き込む。


「あっ、ちょっ……」


「まだ全然書けてないじゃない!」と、呆れたように言う。


 マイラは今日の午後、ウィルマの指示で仕事を外された。それというのも、実家へまだ手紙を返していない事を知られてしまったためだ。


 侍女のうち、城に残ったのは主に王都出身者と、南部や東部の出身者で王都のほうが安全だから戻ってくるなと言われてしまった侍女たちだった。北部や西部など戦争の影響が少ないと見られている地域の出身者は逆に、王都より安全だからと実家に戻って行った。


 マイラの故郷プレストンは西部の中心的な都市なので帝国軍が進軍する可能性は高い。とは言え、王都を無視して西部を攻める可能性は少ないだろうから王都よりは安全と考えられている。だから両親を納得させるきちんとした理由が必要なのだが、それが上手く書けなくて困っているうちに、親元からの手紙に返事を書いていない唯一の侍女になってしまっていた。


 ウィルマからも帰郷を勧められていたマイラだが、すでに城に残ると決めている。マイラが予想以上に抵抗したせいか、最終的にウィルマのほうが折れた。


「……分かりました。ただし、そこまでの決意があるなら、きちんとご両親にもそれを伝えなくてはいけませんよ」


 それが三日前の会話である。


 マイラは自分の手紙を隠しつつ、誤魔化すようにタニアへ尋ねた。

「タニアはなんて書いたの?」


「普通だよ。王都のほうが安全だし戦時こそ城に残る侍女は必要でしょ、とかなんとか」


 タニアは東部の出身だったはずだ。東部にはファランティア最大の港町ホワイトハーバーがあって、そこは今、帝国軍に占領されてしまっている。


「ホワイトハーバーの近くだっけ?」


「全然。もっと南。ドーン山脈のほう。言っても分からないよ」


「それでも、心配だよね」


「まあ、そうね」


 まるで他人事のような物言いにマイラは少し戸惑った。タニアは突然、冷酷な人間のように振舞う時がある。


「じゃあ時間ないから行くわ。早く書きなさいよ」


 そう言ってタニアはマイラの返事も聞かずに出て行ってしまったので、マイラは扉に向かって答えた。


「わかってるよ……」


 そして再び、手紙に向かう。タニアの言った〝戦時こそ侍女が必要〟というのは使えるかもしれない。なんとなく、マイラの言いたい事にも近いような気がする。


『お父さん、お母さん、お元気ですか。私は元気です。心配させてしまってごめんなさい。でも私は王都に残ります。今のような時だからこそ、自分にできる事をしたい――』


 今度は扉を叩くノックの音で、マイラのペンは止まった。


(ああ、もう、なんか書けそうな感じだったのにぃ!)


 ノックの主を恨んで立ち上がり、勢いよく扉を開いた。そこには近衛騎士が立っている。いつもどおりに武装していて、二人だ。普段、侍女の宿舎に男性が入ってくる事はないのでマイラはびっくりした。


「失礼、マイラ。ちょっと部屋の中を見せてもらうよ」


 騎士の一人がそう言った。最近は忙しく動き回っているが、以前はいつも城内に立っていた彼らとは顔見知りだ。とはいえ、男性に部屋の中を見られるというのは抵抗感がある。


「あの、この部屋は私だけじゃなくて、相部屋だから、タニアにも聞かないと……」


「申し訳ないが、事前に許可をもらうつもりはないし、部屋を片付けられても困るのだ。これは陛下のご指示だ」


「でも……」


 陛下のご指示、と言われてしまえばどんな反論も不可能なのだが、それでもマイラは抵抗感を隠せなかった。


 騎士たちはマイラを咎めることなく無視して「失礼する」と部屋に入って来てしまう。それから「しばらく部屋の外に出ていてくれ。この事は口外せぬように」と言ってマイラを部屋の外へと追い出した。


 マイラは羽ペンを持ったまま、廊下に立ち尽くすことになった。怒りがふつふつと沸いてくる。


 騎士たちの探しているものが何か、マイラに想像できるのは牢から脱出したエリオだけだが、そんなすごい離れ業の持ち主が侍女のスカートの中に隠れているわけがない。扉の向こう、部屋の中から聞こえてくるクローゼットを開ける音や引き出しを開ける音を聞いていると、ますます嫌な気分になってくるのでマイラは東棟の外に出た。


 東棟を出て外気に触れると寒さに身震いする。今日は朝から天気が悪く、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様であった。日差しがないせいか、空気が冷たい。冬が一足先にやってきたような日だ。


 庭師のアントンと料理人見習いのニクラスが並んで歩いてくるのが見えた。二人とも練習用の防具を身に着け、槍に見立てた棒を持っている。アントンは長身で手足も長いので様になっているが、寸胴で背の低いニクラスには全く似合っていない。


 彼らが本来の仕事とは別に戦いの訓練をするようになって一週間経つが、明らかに怪我の減ったアントンと違い、ニクラスはまだ訓練のたびにどこか痛めていた。今も肩を押さえて顔をしかめている。二人のほうもマイラに気付いたようで、アントンが手を上げた。


「戦いなんて向いてないんだよ、ニクラス……」


 機嫌の悪いマイラはそれを無視して呟き、彼らに背を向けて城の北のほうへと歩き出した。


 以前は人気の無かった城の北側も、今はたくさんの人がいて騒がしい。各地からやって来た騎士や貴族、彼らに従う兵たちが鍛冶場に出入りするようになったのが原因だ。常に金床を叩く音が響き、見知らぬ男たちがたむろしている。


 鉄と油の臭いの中、臭い革鎧やら体臭のきつい男たちやらの間を、マイラは下を向いて通り抜けた。


 ここを抜ければ、竜舎が見える。竜舎が――マイラが顔を上げると、竜舎の前にも数人の見知らぬ男たちがいて、ふいに酷く悲しくなった。


「これが竜舎というものか」

「きっとそうでしょう」


 近づくと、彼らの会話が自然と耳に入ってくる。貴族然とした男がマイラに気付いて声をかけてきた。


「おい娘、これが竜舎か?」


 しかし、マイラは唇を噛んで小走りに竜舎まで行くと、預かっている鍵で扉を開けて中に入ってしまった。


「なんだ、あの娘は」

「無礼な」

「まあ、まあ」

 などと言う声が扉の向こうから聞こえる。


 南の厩舎も馬で一杯になり、急遽馬止めを作らなければならなくなっても、竜舎はまだ開放されていなかった。だから中はランスベルが出て行った時のままだ。

 外が騒がしいので、以前のように静かな場所ではなくなってしまったとしても、中に入ると気分が落ち着く。


 マイラは今でも時々ここに来て、中を掃除していた。竜舎を今後どうするかは決まっておらず、何の指示もないので仕事を継続しているというのもあるが、ランスベルがいたこの場所を守っていると思うと自分の存在に意味があるように感じるのだ。


 マイラは塔の階段を上ってランスベルの部屋だった最上階まで行き、本棚からしおりを挟んでいた読みかけの本を取り出すと、椅子に座る。


 この本を読みに来ている――かつて、ランスベルに会うためだった口実は、今は竜舎に来るための口実になった。


 だから本の内容そのものに、それほど興味があるわけではない。ただの口実であっても、読まないのは不自然なので目を通しているに過ぎない。すでに本棚の本は一通り読み終えている。それでもここに来て本を開き、文字を目で追うのが、マイラにとって大切な習慣になっていた。


 ハッ、とマイラが目を開いた時、部屋の中は真っ暗になっていた。眠ってしまったらしい。鍛冶場の音はまだ聞こえているが、昼間ほどではない。たぶん夕方、夕食前くらいの時間だろうとマイラは予想した。慌てて立ち上がろうとして本を床に落としてしまい、手探りで本を見つける。そうこうしているうちに闇に目が慣れてきて、部屋の中が薄ぼんやりと見えてきた。


 本を本棚に戻して、階段を下り、扉に施錠して東棟に走る。今日中に手紙を書き上げなければ、ウィルマに怒られてしまうからだ。

 自室に飛び込むと、タニアの姿はなく部屋は暗かった。扉を開け放し、廊下の灯りをもらって部屋の燭台に火を灯す。


 部屋の中は騎士たちが調べていった気配が残っていた。元に戻したつもりかもしれないが、微妙に物の位置が違っていたり、クローゼットの扉にスカートの裾が挟まっていたりする。それに気持ち悪さを感じて整理しようかと思ったが、手紙のほうが優先度は高い。


 机に向かう途中にちらりとタニアのベッドを見ると、昼間着ていた服が脱ぎっぱなしになっていた。タニアは一度戻ってきて、また出掛けたようだ。


(どこに行ったんだろ)


 疑問に思ったが、今は余計な事を考えている場合ではない。羽ペンは竜舎に置いてきてしまったらしい。机から新しいペンを取り出して、手紙に向かう。


『お父さん、お母さん、お元気ですか。私は元気です。心配をかけてしまってごめんなさい。でも私は王都に残ります。今のような時だからこそ、自分にできる事をしたい――のです。まだ一年も経ってないけど、友達も出来たし、よく分からないけど、やるべき事もできました。城の人たちに守ってもらえるように頑張ります。これからは毎月手紙を書きます。お父さん、お母さんも気をつけてね』


 勢いに任せて書き上げる。見返すと変な言い回しもあるが、もうこれでいいかなという気持ちになった。朝にはインクが乾いているだろうから、明日ウィルマに渡せば良いだろう。


(良かった……間に合った)


 ほっとしたら小腹が空いてきたので、マイラは使用人たちの食堂へ行こうと机から立ち上がった。


 きっとタニアも、そこにいるはずだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る