14.テイアラン ―盟約暦1006年、秋、第12週―
レッドドラゴン城内の〈王の居城〉から大広間へと続く通路で、テイアランは腰掛けに座り、組んだ両手に額を当てて頭を垂れていた。そのような姿は王たる者、決して人に見せてはならないものだ。つまり、この場所にはテイアラン以外に誰もいない。
この通路から大広間に続く出入口には厚い垂れ幕がかかっていて、その向こうにはステンタールがいつもの様に立っているはずだ。そこには彼以外にも、重臣たちと、帝国軍の使者が待っている。
帝国軍の使者が何を話すのか、ほとんど予想がついていた。
南部はブラックウォール城が包囲されたままで、帝国軍が自由に歩き回っている。
東部へ続く街道ではハイマン自ら戦っているが、大広間にいる帝国軍の使者は東部のホワイトハーバーから来たと言っている。それが本当なら、少なくともハイマンは勝利していないだろう。
帝国軍の使者が来ているとの知らせを受けた時、モーリッツは「とはいえ、最悪の事態ではありません」と言った。モーリッツの言う最悪の事態とは、帝国軍がハイマン将軍の首を掲げながら王都の前までやって来て、テイアラン出て来いと叫ぶ事だ。
「使者は単騎でやって来ました。おそらく、東部での戦いが決着する前に使者だけが先行したのでしょう。敵は勝利を確信していますが、続けて王都の軍と連戦するほどの余力はないのかもしれません」
テイアランが反感を覚えるほど、モーリッツは冷静でいつもどおりの口調だった。黙ったままのテイアランに、モーリッツはゆっくりと頭を下げながら、こう付け加えた。
「しかしながら陛下、ご決断を。条件はどうあれ、ここで降伏するか否か。その後の交渉については私がお助け致します」
戦争継続という事になれば、まともな〝交渉〟などできはすまい。つまり、モーリッツは暗に降伏を勧めているのだとテイアランは理解した。
(それで、テイアラン四九世はどう決断するのだ?)
テイアランはまるで他人事のように自問した。選択肢は二つしかない。帝国に降伏するか、しないかだ。
ファランティア王国をどう存続させるか、民の暮らしはどうなるのか、という問題はこの選択が為された後に考えればよい。だが、そうした悩みが次から次へと湧き起こってきて、うまく考えがまとまらない。
そして何よりも、後世の人々はテイアラン四九世をどう評するのか――それを思うと、テイアランは恐ろしかった。
降伏した場合、無能な王、臆病な王と評されるのか、それとも英断と評してもらえるのか。戦争を継続した場合はどうか。現状から考えれば、蛮勇と評されるだろう。それとも勇気ある王と言われるだろうか。
こういう時どうすればいいのか、誰も教えてくれなかったし、教えを乞う事もできない。同じ王という立場の人間になら相談できたかもしれないが、今はそんな人間も近くにいない。
くそっ、とテイアランは口に出さないよう注意して毒づいた。
(ブラン、ブラン、ブラン……お前は今どこにいるのだ!?)
同盟を組み、共に帝国と戦うと約束してくれた頼もしい北方連合王国の上位王。そしてテイアランにとって唯一の友人と言っていい男は、まだ王都に姿を見せてもいない。
垂れ幕の向こうに立つステンタールが身動ぎして、鎧がかちゃりと音を立てる。答えは出ないが、時間切れだった。使者の話を聞く前から恐れをなしたと思われるのは一番駄目だ。
テイアランは立ち上がって服装を正し、最後に王冠が斜めになっていないか確認すると、垂れ幕の向こうにいるステンタールに呼びかける。
「行くぞ」
ステンタールが垂れ幕の向こうで、鎧を鳴らして道を空ける気配がした。続けて侍従がテイアランの入場を大きな声で告げる。幕が持ち上げられ、テイアランは大広間に足を踏み入れた。
テイアランはとにかく、威厳を保つことに集中した。焦っているようにも、恐れているようにも見えてはならない。堂々と大股で歩き、ステンタールを伴いながら玉座に向かう。すでにこの場に来ている帝国軍の使者は見ないようにした。
モーリッツや書記官のコーディー、宮廷魔術師のアリッサ、ハイマンの不在を任されている副将軍のライマーなどにも目を向けない。
ただまっすぐに前を見て、玉座の前まで来ると、テイアランはマントを翻して大広間を見渡すように一拍置いてから座った。長年の経験と人々の目が、テイアランを完璧な王として振舞わせてくれる。
ここまで来て、テイアランはようやく帝国軍の使者を見た。大広間にいるファランティア王国の人々は、テイアランが玉座に腰を下ろすまで頭を垂れていたが、帝国軍の使者は不遜な態度で膝を付くことも礼をすることもなく、まるで王のように堂々として玉座を見上げていたのだった。テイアランが視線を合わせないようにしていた事に気付いたかもしれない。
しまった、とテイアランは思った。
帝国の使者は誰の許しも得ないまま声高に話し始める。違和感はあるが、十分にファランティア語を話せていた。
「ファランティア王テイアラン四九世にお伝えする。私はアルガン帝国軍ホワイトハーバー駐留軍バーナビー司令官の代理として、アルガン帝国初代皇帝レスター陛下のお言葉を預かる者である。テイアラン四九世は王冠を下ろし、降伏を申し出よ。慈悲深き皇帝陛下はファランティア王国の降伏を受け入れてもよいと申されている。さすれば、皇帝陛下は寛大にも、ファランティア人が我が方の使者を再三にわたり殺害せしめた件について、断罪せぬと仰せである。ただし、二度の会戦およびそれに付随する戦死者への補償は免れるものではない。降伏の後、ファランティア王国は帝国の属領としてその名を残すであろう」
ぎりっ、というステンタールの歯軋りがテイアランにまで聞こえた。その全身から発する剣呑な空気さえ感じることができる。その他の重臣たちは誰も身動き一つせず、ただ黙ってテイアランの言葉を待っていた。
使者を殺害した件とやらが何の話か分からなかったが、それについて誰かに尋ねたり考えたりはしなかった。そんな余裕は無かったからだ。
詳細な条件についてはモーリッツが言ったように今後の交渉次第なのだろうが、基本的には戦費の補填のみでファランティア王国は存続させると使者は告げている。これはモーリッツと相談した時、もっとも良い条件だと言われたものだ。
テイアランはちらりとモーリッツを見た。モーリッツは横目で視線を返す。
〝良い条件です。降伏なさい〟と、その目が言っているような気がした。
(しかし、本当にそれでいいのか?)
テイアランは自問する。モーリッツの言うとおりに降伏してしまっていいのだろうか。
常々、ハイマンとモーリッツの対立に悩まされてきたテイアランだったが、今はハイマンが城を離れている事が残念でならなかった。ハイマンがモーリッツに反対意見を述べる時、中には単純な意趣返しもあったが、正論もあったのは事実だ。今はモーリッツの意見だけに流され過ぎている気がする。
そうだ、とテイアランは思いついた。
(この場は返答を保留し、様子を見よう。時間稼ぎと思われても構わん)
だがその考えは、帝国軍の使者によってすぐに不可能となった。
「返答はこの場でいただく。さあ、決断なされよ」
「きさま――」
怒りに満ちたステンタールが剣に手をかけて前に出ようとした。テイアランはそれを手で制する。
テイアランは使者を殺すよう命じた事は一度もないし、むしろエリオにはこちらの看守や衛兵を殺されているのだが、ここで事実にするわけにはいかない。テイアランは立ち上がってマントを払った。
(降伏しかないのか……)
迷いは晴れず、口を開くその瞬間まで決断できないまま、テイアランは答えようとした。
その時、大広間の扉が大きな音を立てて開いた。
何事かと目を見張ると、そこには鎧を纏った巨漢の王が立っている。供の戦士たちもかなりの体格だが、彼らよりも一回り大きい。兜で顔の半分は隠れていても、それがブランなのは間違いなかった。
(ブラン!)
テイアランは心の中で歓喜の声を上げ、現実でも情けない声を上げそうになったが、何とか耐え切った。
「待たせたな、テイアラン王よ」
謁見の間に声を響かせ、兜を外しながらブランは堂々と歩いて来る。彼の戦士たちも後に続いた。ブランたちの着衣は乱れ、鎧には赤茶色の汚れが付着していた。それが血だと分かったのは、彼らが大広間に入って来た途端に血の臭いがしたからだ。
ブランは兜を放るようにして背後の戦士に渡すと、大股で歩いて帝国軍の使者の前まで来た。使者をまるで意に介さないように、「どけよ」と左手で突き飛ばす。巨漢のブランに突き飛ばされて、帝国軍の使者はよろけて数歩下がると尻餅を付いた。
ステンタールが鼻で笑う。テイアランも同じ気分だ。
ブランは胸に手を当て、同じ王に対する礼儀を示してから軽く頭を下げた。
「遅くなって申し訳ない。思いのほか、準備に手間取ってしまったのは俺の不徳の致すところだ。その代わりと言っては何だが、土産を持参した」
ブランが手で合図すると、戦士の一人が手にしていた包みを放り投げる。それは血に塗れた帝国軍のマントで、落ちた拍子にはらりと解けて中の物が見えた。
大広間にいる数人が、「ひっ」と息を呑む。出てきたのは、取って付けたような口髭と顎髭をした男の生首だったからだ。
そうしたものを見慣れていないファランティア人たちは顔を背ける者がほとんどで、テイアランもそうしたかったが、当然そんな事はできない。こみ上げてきたものを飲み込む。
ブランは、ちょっと寄り道したという風に言い放った。
「東のほうでハイマン将軍が戦っていると聞いたもんでな。要らぬ世話と思ったが助太刀してきた。こいつの名前は知らんが、敵の指揮官っぽいぞ」
北方の戦士の一人が、尻餅をついている帝国軍の使者の前にしゃがみこんで尋ねる。「おい、おめえ。こいつ、なんて言うんだ?」
使者は擦れた声で、「バ、バーナビー司令官……」と呟いた。
ブランはニヤリとして言った。
「バーなんとかっていうらしいぞ。それで我が盟友テイアラン王よ。この帝国人はどうする?」
テイアランはこの時ほどブランを頼もしいと思った事は無かった。彼の登場で、今までの悩みが嘘のように消えてしまった。
「良い土産だ。感謝する、ブラン上位王。そこの帝国人は、この首の持ち主の代理だそうだが、であれば同じ運命を辿るのが筋だろうか?」
テイアランがそう言うと、ステンタールが楽しげに同意する。
「そうでしょうな」
そう言って剣の柄に手をやり、一歩踏み出す。再び、テイアランはステンタールを手で制した。
「まあ待て、ステンタール。とはいえ、この大広間で血が流された事は一度も無いのだ。その伝統を私の代で終わりにしたくない。帝国人よ、その首は持ち帰るが良かろう。そして先ほどの答えだが……」
テイアランは一呼吸置いてから、握りこぶしを振り上げ、誇らしげに宣言した。
「戻ってレスターに伝えるがいい。ファランティア王国は、北方連合王国と共に帝国の一方的な侵略に立ち向かうと!」
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