14.ギャレット ―盟約暦1006年、冬、第10週―
「俺の名はギャレット。ファランティアの自由騎士だ。俺はお前に挑戦する。俺と戦え!」
ブランとは初対面だったが、ギャレットは相手を間違えなかった。聞いていた特徴と外見が一致していたし、王冠を被っているのは一人しかいなかったからだ。
その場にいた七人の北方人たちは唖然として、それからブラン以外の全員が笑い出した。
「こいつ、何言ってんだ?」
「負け戦で頭がおかしくなっちまったんだな!」
「いやいや、待て待て、レスターの送り込んだ刺客かもしんね!」
ブランが真顔で一歩前に出ると、周囲の北方人は黙ったが顔はニヤけたままだ。
「北方の、それも王に対する〝挑戦〟の意味が分かっているのか? そもそも、挑戦権は北方人にしかない権利だぞ」
ブランの言葉に、ギャレットは用意していた答えを口にする。
「なら、俺には北方人の血が流れている事にする。俺は両親も分からない混血児だ。だから北方人の血が流れていないとも限らん。嘘とは言い切れまい」
「ふははははっ!」
今度はブラン一人が大笑いした。樽のような胸を膨らませ、両手を腰に、大口を開けて城内に響き渡るような大声で。
「ははは……なるほど、面白い奴。いいだろう、挑戦を受けてやるぞ。条件を言え」
周囲の北方人たちから笑顔が消えた。
「上位王!?」
「今は時間が――」
しかし、ブランはそれらの言葉を遮る。
「時間はかけん」
ギャレットも同意見だ。
「俺も時間をかけるつもりはない。俺が勝ったら、お前から帝国軍に停戦を申し入れろ。お前が勝ったら、俺を好きにして構わない」
「ははっ!」と、ブランはまた楽しそうに笑った。
「お前に、この戦と吊り合う価値があるってわけか。つくづく面白い奴だな」
この短いやり取りの間で、ギャレットの呼吸もだいぶ整ってきた。走り回ったおかげで身体も温まっている。ギャレットは身構えた。
「戦ってみれば分かる。先に血を流したほうの勝ちでいいか。条件を果たしてもらう前に死なれると困るからな」
ギャレットの提案にブランはニヤリとして「いいだろう」と頷き、自分の手元を見る。
「おっと、
そう言って、腰に吊るした
ブランは裾が太ももまである
対するギャレットは頭からつま先まで金属で覆われた全身甲冑である。方形の盾に、
ギャレットは盾を足元に置き、兜の面甲を上げて止め具を外して脱いだ。勝利条件を考えると、全身を甲冑に覆われていてはあまりにも有利すぎる。
それは騎士道精神的な意味で卑怯だからという理由ではなく、後から〝対等な状況での勝負ではなかったから無効だ〟などと言われないためである。
しかし、ブランはギャレットの行動を誤解した。
「確かに、何人とも言えん顔立ちをしているな。逆に言えば、何人とも言える。だが敢えて有利な装備を捨てるあたりはファランティア騎士らしい」
ブランは剣を持ち上げ、中段に構えて宣言する。
「では、始めるか」
ギャレットは無言で盾を持ち上げて、同じく剣を構えた。
そして、二人の戦いは始まった。
身長はブランのほうが頭一つ高く、横幅はギャレットの二倍ある。得物はギャレットの
周囲の北方人たちは少し離れて戦いを見守っていた。手出ししてこないかと少し不安になったが、ブランはそれを気にしながら戦えるような相手ではなさそうだ。ファランティア騎士との試合では感じた事の無い威圧感がある。
ギャレットは気を取り直して、目の前にいる巨漢の王に集中した。〝時間をかけるつもりはない〟という言葉どおり、先に仕掛けてきたのはブランのほうだ。
顔の前で交差させた腕の隙間から眼光鋭くギャレットを睨みながら突進してくる。それが並みの相手であったなら、相手が自分の間合いに入った瞬間を狙って打ち落とせば良い。だが、ブランは人並み以上どころではなかった。
その巨躯からは想像もできない速度で一気に間合いを詰めると、左上段から剣を斜めに振り下ろす。その剣速は尋常ではなく、まさに空気を切り裂く勢いだ。
ギャレットは剣が振り下ろされる瞬間、剣先の角度が変わったのに反応する事しかできなかった。前に出していた左足を引く。ブランの攻撃はギャレットの左足を狙ったものだった。
相手の初撃をかろうじて回避したギャレットは体勢を整えようとして、ぎょっとした。ブランが空いている左手でギャレットの盾を掴んだのだ。とてつもない怪力で盾はびくともしない。
ギャレットは瞬間的に、考えるより早く反応した。
盾を押し除けようとするブランの力に抵抗するのを止めて、盾を手放しつつ裏からブランの頭を狙って突きを入れる。
足の揃った不利な体勢からの攻撃では、鋭さはあっても致命傷を与えるような威力はない。だが、傷つけさえすれば勝利なのだ。
ギャレットは勝利を確信した。
しかし、ブランは死角からの突きにすら反応してみせた。下から振り上げた剣でギャレットの突きを逸らす。剣は王冠をかすっただけだ。
ギャレットは素早く剣を引き戻しながら後退し、距離を取った。
ブランは追撃して来ず、楽しそうな声をあげる。
「一撃で仕留められなかった奴は数えるほどしかいないぞ。取れたのが盾一枚とはな!」
そう言って、奪った盾を遠くに放り投げた。見守る北方人の一人がその盾を拾う。
今や彼らも真剣な表情で、二人の戦いを見ている。
ギャレットは戦慄を覚えた。ブランは予想以上に人並み外れた怪物だ。本来なら下がって距離を取るべきではなかったのだが、力でも速度でも優るブランを相手に接近戦を続ける事はできなかった。
傭兵としての経験から言えば、ブランのような怪物とは一対一で戦うべきではない。数人で取り囲んで、誰かを犠牲にしつつ討ち取るような相手である。
だが、今は一対一で戦う以外にない。
ならば、どうする――。
「確かに、お前にはこの戦に釣り合う価値があるかもしれん。殺れる時に殺っておくべき敵だ。さあ、続きをやるか」
ブランは再び、
ギャレットはブランの突進に備えてさらに距離を取る。
〝自分より大きくて強い相手と戦うにはよぉ――〟
顔も名前も覚えていない傭兵の声が蘇る。ギャレットがまだ少年だった頃、同じ部隊にいた男だったような気がする。
〝ビビらねぇで飛び込むしかねぇんだ。腹の下に入っちまえばこっちのもんよ〟
その教えは、男からギャレットへ、ギャレットから他の少年兵へと受け継がれていった。ジョンもその一人だ。
〝傭兵も騎士も同じでしょ〟
ジョンとの最後の会話が蘇る。確かにそれは一理あった。戦いの場において、傭兵も騎士も違いはない。
(だけどジョン。戦いの先に見据えているものが違うんだ。自分が死んでも世界は続いていくっていう当たり前の――)
ギャレットは覚悟を決め、足を開いて腰を落とし、剣を中下段に構えた。
気配を察したのか、周囲の北方人が息を呑む。
ギャレットは命を捨てる覚悟で突進した。
ブランは待ち構えなかった。自らも前進してくる。相手が何を狙っているにせよ、受身に回って有利になることはない、というのは実戦を知る者には常識である。
間合いに入った瞬間に、ブランは剣を横に一閃した。
それは完璧なタイミングで、人の目で見切れるような剣速ではない。
北方人たちは〝決まった〟と思ったに違いない。ギャレットの頭部が宙を舞ったかと見上げる者さえいた。
しかし、ブランの剣はギャレットの背中に接触して火花を散らしただけだった。
ギャレットはブランが剣を横に薙ぐのに賭けて、剣を潜るように前転していたのだ。肩から落ちるようにして、ごろりと一回転し、起き上がりながら剣を突き上げる。ブランからはギャレットが一瞬消えたように見えたはずである。それでも彼は反射的に身を反らした。
ギャレットの
ばっ、と血が飛び散った。
「ぐおぁあ!」
ブランは獣じみた怒りの咆哮を上げ、丸太のような脚でギャレットの肩に蹴りを入れた。
まだ立ち上がってさえいなかったギャレットは蹴りをまともに受けて身体ごと持ち上げられ、跳ね飛ばされる。甲冑の肩部分が歪み、止め具が弾け跳ぶほどの威力で衝撃に目が回る。
ブランのすさまじい殺意に総毛立ち、ギャレットは立ち上がろうと努力した。しかし、間に合わなかった。怒りで我を失ったようにブランは剣を振り上げる。
そして、まだ立ち上がれずにいるギャレットの頭部を狙って振り下ろした。
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