4.ランスベル ―盟約暦1006年、秋、第8週―

 ホワイトハーバーを脱出したランスベルたち三人は、本来の目的地である〈竜の聖域〉を目指して旅立った。


 ランスベルとアンサーラは馬に乗り、途中でギブリムのために荷運び用のポニーを購入した。元より乗用ではないポニーなうえ、優れた乗り手とは言えないギブリムでも通常より速く旅する事ができたのはアンサーラの魔法のおかけだ。


 心配していたアルガン帝国軍や魔術師の姿を見ることもなく、三人はファランティア北部へと入った。


 ファランティア北部は山の多い地形で、山と山の合間や、高地に点々と町があり、それらが街道で繋がっている。そのため街道を外れて旅しようとすれば、山中の道なき道を行かねばならず、移動速度は落ちる。それならば速度を維持したほうがよい、という判断で三人は街道を進んだ。


 北部最大の町ソルトレーンで物資を補給した一行は、人々の注目を集めながらも早々に立ち去り、ファランティアの北の境界である〈剣の峠〉を越えて、北方地域に足を踏み入れた。


 ランスベルにとってファランティアを離れるのは初めての事だったが、それを感慨深く思う余裕はなかった。これほど長い間を馬に乗って過ごした経験が無いため足腰の痛みに耐えなければならなかったし、ふとした瞬間にホワイトハーバーの出来事が思い出され、物思いに沈んでしまうからだ。


 そのためランスベルにしてみれば、山道を馬に揺られていたらいつの間にかファランティアを出ていた、という印象である。


 ファランティアと北方の境界〈剣の峠〉には、落石に備えた木の壁がいくつか立てられている程度で関所もなく、衛兵がいるわけでもない。地面に線が引いてあるわけでもないし、景色や空気が突然変わるわけでもない。


 〈盟約〉の力が及ぶ範囲をファランティアだとするならば、〈剣の峠〉付近はファランティアとは言えない。ここを境界としたのは人間同士の取り決めによるものだ。これまでの歴史上、ファランティアと北方の行き来が制限された事はなく、この取り決めが領土問題に発展する事もなかった。


「ランスベル」

 アンサーラに呼ばれて、物思いに沈んでいたランスベルは顔を上げた。


 まだ昼前の時間だが、雲が厚く周囲は薄暗い。こういう時、アンサーラの瞳は金と銀が混ざることなくせめぎ合い、常に揺らめく神秘的な色合いになる。金と銀の揺らめきに、ランスベルは思わず魅入られた。


「ランスベル?」と、アンサーラがもう一度呼ぶ。


「あ、うん。なに?」


「先程も言いましたが、この先は、より魔獣に注意してください。常に戦いを意識して」


 そう言って、アンサーラは東のほうを見やる。その視線を追うと、尾根の尖った辺りに何羽かの鳥が群れて旋回していた。この距離でも見えるという事はランスベルの背丈ほどの幅があるという事であり、ハーピーの可能性が高い。


「うん、わかった」


 ランスベルは頷いて答えた。心構えが重要だという事をアンサーラは常々、ランスベルに説いている。


「それと、人間にも、だ」


 後ろからギブリムが言った。ドワーフの声を聞くのは今日になって初めてだ。ランスベルは首を後ろにひねって聞き返す。


「人間に?」


「北方では、町の外で人間を見かけた場合、敵だと思って警戒したほうがいい」


 アンサーラに視線で問いかけると、彼女も小さな顎を引いて、同意した。


「ギブリムの言うとおりです。道で人間の姿を見つけても、あなた方ファーラランティーアの人間はあまり警戒しないので気になっていました。ファランティアだけが特殊なのだと理解してください」


 ファランティアという言葉は元々エルフ語だと、ランスベルは道中で教えてもらった。テイアランという名も同様に正しい発音は異なる。アンサーラは時々、正しい発音が混じったが、すぐにファランティア語の発音で言い直した。


 エルフ語の発音のほうが正しいのだから気にしなくてもいいのに、とランスベルが言うと、彼女はこう言った。


 〝より古いというだけで正統性を主張し、それが正しいとするなら、新しいものは全て間違っている事になってしまいます。今はファランティアという発音を使っている人間のほうが多いのですから、そちらを正とすべきです〟


 二人に出会ってから、ランスベルは自分が無知だと自覚させられてばかりだった。だから今回もきっと、二人が正しいのだろう。


「うん、気をつける。でも二人を見て襲い掛かるような人がいるとは思えないけど……」


 エルフとドワーフの戦いぶりを目の当たりにしたランスベルでなくとも、彼らがどれほど人知を超えた存在であるかは伝説やおとぎ話の中で語られている。

 しかし、アンサーラは首を横に振った。


「そんな事はありません」


 まあ、伝説やおとぎ話を信じている人のほうが少ないか――と、ランスベルは思ったが、ギブリムは違う理由を口にした。


「むしろ積極的に襲うだろう。俺やお前の武具を売れば一財産になるのは一目瞭然。命を賭ける価値があると考える人間もいる」


 実感を伴ったものではないにせよ、ランスベルは納得して頷いた。


 そんな話をしながら〈剣の峠〉を進み、北方側に抜けると一気に視界が開ける。峠の頂きに到達したのだ。眼下に広がる森はファランティアのものと違い針のように尖った木が多く、それが延々と針の床のように続いている。


 灰色の空を映した帯が、針の森を横断して南北に分けていた。この距離からでも見えるという事は、かなり大きな河に違いない。そのさらに向こうへ目をやると、曇り空でも遥か北の彼方に〈世界の果て山脈〉が見えた。視界の端から端まで壁のように続いていて、その名のとおり世界の北の果てだとされている山々だ。


 アンサーラによれば目的地はその山脈の向こうで、山脈を越えるための道はギブリムが知っているという。〈世界の果て山脈〉の向こうにある誰も見た事のない世界を想像すると、ランスベルの胸は高鳴った。心にわだかまる思いを一時忘れるほどに。


 一陣の冷たい風が峠道に吹き込んできてランスベルの顔を打ち、壮大な景色に奪われた心は現実に戻った。いつ雪が降り出してもおかしくない寒さだ。竜騎士の鎧が冷気を防いでくれなかったら、冷えた金属鎧のために体温を奪われて死んでしまうのではないかと思えるほどである。


 峠道を抜けて下りの山道に入ると、視界は再び尖った木々と山肌に遮られた。山を下りながら、もし人間の賊と出くわした場合にどう戦うか考えてみる。


 竜語魔法はあまり使うべきではない。普通の人間が相手であれば、パーヴェルに叩き込まれた剣術で十分戦えるはずだが、手加減するほどの余裕は持てそうにない。竜語魔法で気絶させたり、吹き飛ばしたり、あるいはアンサーラに眠りの魔法を使ってもらうなどすれば殺さずに済むかもしれない――ランスベルはちらりとアンサーラを見た。彼女はその視線に反応する。


「どうかしましたか?」


 ほんの一瞬注意を向けただけでもアンサーラは勘付く。そして、その瞳は心の中まで見透かしているようで、誤魔化す事もできない。ランスベルはもごもごと正直に答えた。


「いや、その……山賊と戦いになったらどう戦うかなと考えてて……」


 実際には、〝どう手加減して戦うか〟を考えていたのだが、ランスベルはそう答えた。


「手加減すべきでない」


 そんな心中を見抜いたかのように、背後からギブリムが言った。アンサーラも同じ意見のようだ。


「自分と同じ種族の者を殺したくないという気持ちは分かりますが、わたくしもギブリムと同意見です。今まさに剣を振り下ろそうとしている相手を、言葉で止める事はできません。竜語なら可能でしょうが、魔法にしても武力にしても、力で屈服させてから話をするのでは、本心から聞いてもらえると思えません」


「うん……」

 煮え切らない返事をして、ランスベルはアンサーラの言葉について考えてみた。


 確かに、もし自分が誰かに身動きできない状態にされてから説教されたとして、それを素直に受け止めるだろうか。獲物に「やめろ!」と言われて、剣を引くだろうか。


 自分が間違った事をしていると悩みながらの行動なら、それで剣を止める事もあるかもしれない。だが、例え間違っていると分かっていても、やるしかない状況だったらどうか。例えば父が言ったように――


 考えているうちに、いつの間にか思考は両親の事にすり替わっていて、嫌になったランスベルはため息をついて考えるのを止めた。だいぶ山を下ったにも関わらず、吐く息は白いままだ。


 一行は山道の出口にある町――ランスベルの感覚では村と呼ぶほうが相応しい――ロッキングインに立ち寄った。


 アンサーラの魔法があるとはいえ、馬とポニーには休息が必要だったし、それは乗り手たちも同様だ。食料などの物資も入手しなければならない。


 ロッキングインは、まっすぐに伸びる背の高い木々に囲まれた森の中の町で、建物は木を組んで作られたものが多く、石材はその補強や土台に使用されているのみだ。加工した石材やレンガで造られた建物が多い王都ドラゴンストーンとは明らかに違う。二階建て以上の高い建物は見当たらず、大通りや広場も舗装されていない。


 人々の服装も毛皮を加工したものと織物が半々という感じで、織物の服が主なファランティアとは違った。北方訛りはきついが、通じないというほどではない。


 宿泊もできる大きな居酒屋を見つけて中に入ると、一続きの大広間になっていて中央の床には長方形の炉があった。炉には壁や煙突が付いておらず、高い天井に溜まった煙は排煙孔から出て行くようになってはいるが、燻されたような臭いが充満している。


 奥のカウンターにいる店主と話し、部屋を借りると、無愛想な店主は通路を指差した。大広間に併設された建物は四つに仕切られて小部屋になっている。他に客はいなかったので、ランスベルたちは一人ずつ一部屋を占有した。


 部屋で一息ついたランスベルたちが広間に戻ると、来た時には居なかった戦士が二人、目に付く位置に座って睨みを利かせている。店主が呼んだのだろう。


 三人はカウンターで食事を頼んだ。店主は無口な性質に見えたが、アンサーラとギブリムが気になるらしく、ちらちらと視線を向けてくる。結局は、食事を出すついでに話しかけてきた。


「俺がこの店を継いでから人間以外のお客さんは初めてだ。どこから?」


「〈剣の峠〉を通って、ファランティアから来ました」


 ランスベルがそう答えると、店主は少し自慢げに〈剣の峠〉と呼ばれている由来について話した。


 〈剣の峠〉という物騒な名前で呼ばれるようになったのは、かつて山賊行為が横行していたからで、複数の山賊団が獲物の取り合いから争いになる事も多かったという。その抗争を勝ち抜いた山賊の子孫が現ロッキングインの住民だという話だった。


 ランスベルには、先祖が山賊だと自慢する意味が理解できなかったので、苦笑いするしかない。店主はランスベルの表情に気付かない様子で、カウンター近くの壁に貼り出されたいくつもの人相書きを顎で示して言った。


「あんたら腕が立ちそうだ。見かけたら退治してもらえると助かるんだがな」


 見ると、人相書きには全て〝ロッキングイン町長ならびにアード王はこの者を気にかける事はない〟と書かれている。つまりは無法者と認められた人間であり、殺しても何をしても問題にされないという事だろう。


 ちょうど食事時だったのか店内に人は多く、前の戦争はどうだったとか、ブラン上位王の軍に合流して共に戦うのが楽しみだとか、わいわい語らう声が聞こえてくる。


 ランスベルは改めて、ここがファランティアの外なのだと実感した。


 これ見よがしに武器をちらつかせている男の視線にも、聞こえてくる会話にも居心地の悪さを感じて、さっさと部屋に戻る。食料の購入について店主と話す以外には、朝まで部屋で過ごした。


 スパイク谷を目指す一行は、ロッキングインを出て北東に進路を取った。空は灰色の厚い雲に覆われ、森の中は薄暗く、寒かったが何事もなく一日が過ぎる。


 その翌日、山賊に出会ったらどう戦うかランスベルが答えを出す前に、一行は山賊に出会ってしまった。


 前方で道を塞ぐように二人の男が立ちはだかっている。それぞれ斧と剣で武装していた。たった二人でどうするつもりなのか――とランスベルは思ったが、周囲の気配を探りながらアンサーラが警告する。


「速度を上げて、このまま直進しましょう。止まると囲まれてしまいます」


 それから魔法の言葉を囁いてポニーの頭に手をかざす。ポニーの目から恐怖の色が消え、落ち始めた速度が元に戻る。


 わかった、と言わんばかりにギブリムが腹を蹴ると、魔法のかかったポニーはポニーらしからぬ速度で走り出した。ギブリムの手にはいつの間にか斧槍ハルバードが握られている。


 ランスベルは猛然と突進するドワーフを追いかけた。もはや考えている時間はなく、覚悟を決めるしかない。


「背後を守ります。矢に注意を」


 そう言ってアンサーラは手綱から両手を離して剣を抜き、少し速度を緩めてランスベルたちの背後に付いた。挟み込んだ脚だけで馬を御している。


「お前は右、俺は左だ!」

 ギブリムが怒鳴った。


 ランスベルは頷いて、背中の竜剣ドラゴンソードに手を伸ばして抜き放つ。竜の力を借りていない今、その剣は見た目どおりに重い。山賊たちが退いてくれないものかとランスベルは期待したが、彼らは武器を構えて迎え撃つ態勢だ。その目は殺気に満ちている。


(やるべき事をやるんだ)


 ランスベルは自分に言い聞かせ、余計な迷いを頭から締め出そうと努力した。


 戦いの瞬間はすぐにやってきた。山賊が斧を振り上げる。ランスベルは訓練された動きで手綱を短く持ち、あぶみにかけた足を踏ん張って尻を浮かせると、すれ違いざまに速度と重さを乗せて上段から剣を振り下ろした。


 切れ味鋭い竜剣ドラゴンソードは山賊の斧の柄と一緒に腕を断ち、さらに肩口から胸まで切り裂いた。山賊が身に付けていた鎖帷子チェインメイルは、竜剣ドラゴンソードに対して何の役にも立たなかった。


 駆け抜けて、肩越しに背後を振り返ると、山賊が地面に倒れていくのが見える。手ごたえはあった。それを自覚した瞬間、ランスベルはぞっとした。


 だからすぐに前を向いて、もう振り返らなかった。併走するギブリムの視線を感じても気付かないふりをし続けた。剣を振り下ろす瞬間に肘を引いたのを、ギブリムは見抜いたに違いなかった。


 その日の午後、一行は小さな池のほとりで昼食のために足を止めた。


 厚い灰色の雲が薄れて弱々しい太陽の光が照らすようになり、雲の切れ間から青空が見えるようになっても、ランスベルの心は天気のように晴れはしない。手にはまだ、人を斬った感触が残っている。


 やるべき事をやったんだ――と自分に言い聞かせても、あの山賊に生きていて欲しい、死んで欲しくないという気持ちは消えない。斬った相手の死を確認できなかった事が、ランスベルを苦しめてもいたし、救ってもいた。


「ランスベル?」


 草を食む馬とポニーを呆然と眺めながら物思いに沈んでいたランスベルは、アンサーラに呼ばれて顔を上げた。


「うん、なに?」


「少し、付き合っていただけませんか?」

 そう言って、アンサーラはランスベルを誘った。


 二人は小さな池のほとりを歩き、少し広くなっている場所までやって来た。雲間から覗く太陽の光が池にきらきらと反射している。アンサーラは立ち止まって振り向いた。


「軽く手合わせしましょう。考えてみればお互いの剣をよく知りませんでしたし」


「えっ?」


 突然の申し出にランスベルは驚いた。アンサーラは構わずに続ける。


「ドラゴンの力を借りるのは無しにしましょう。それならお互いを傷つける心配はありません」


 ランスベルの返事を待たずに、アンサーラは二本の剣を素早く抜いた。先の尖った薄くて鋭い刃が、日光を反射して白く光る。


「え、え、ちょっと……」


「さあ、早く構えて」


 アンサーラは身体を斜めにして、両手の剣先を下ろした。自然に立っているように見えるが、それがアンサーラの構えなのだ。


 仕方なくランスベルは背中の剣を抜き、両手で正眼に構えた。


 その瞬間、風が動いたかと思うと、ランスベルの竜剣ドラゴンソードは手から跳ね飛ばされ、アンサーラの恐るべき白刃がぴたりと喉元に当てられていた。全身の皮膚がぞわっと粟立つ。


「あなたは死にました」


 アンサーラは微笑んでそう言い、剣を引いて元の位置に戻った。


「さあ、剣を拾って。真剣にやってください」


 不意打ちに近い攻撃で少し頭に来て、ランスベルは剣を拾い、今度は集中して構えた。


 アンサーラの剣先が孤を描いて切り込んできたので、ランスベルは剣を突き出してそれを打ち落とす。剣先を下げながら剣を手元に引き寄せ、盾のようにして足運びで身体の向きを変えつつ、続くアンサーラの攻撃を受け止めた。お互いの剣が僅かに触れて、キィンと澄んだ音を立てる。


 それと同時にランスベルは竜剣ドラゴンソードを跳ね上げてアンサーラの剣を弾き、頭上で切り返しながら剣を振り下ろした。アンサーラは片方の剣でそれを受ける構えだ。


 幅広で長さもある重い竜剣ドラゴンソードを受け止めるには、その剣はあまりに頼りなく見えたので、ランスベルは剣を寸止めしようとした。しかし、アンサーラの剣は振り下ろされる竜剣ドラゴンソードをただ待ってはいなかった。斜めに剣を持ち上げて竜剣ドラゴンソードを受け、刃の腹を滑らせて軌道を逸らす。魔法の剣同士が擦れあって不思議な色の火花を散らし、攻撃をいなされたランスベルは体勢を崩した。


 あっ、と思った時には、アンサーラの姿はすでになく、またもやと悪寒が首筋から広がった。後ろに回り込んだアンサーラは、刃をランスベルの首筋に当てている。


「あなたは死にました。無用な手加減はおやめなさい」

 そう言ってアンサーラは剣を引き、再び元の位置に戻る。

 

 ランスベルはぐっと口を結び、剣を構えた。アンサーラ相手に手加減など不要だった。それに、なんだか遊ばれているようで怒りが湧いてくる。


「良いですね。時に怒りは必要です。集中して。迷いを忘れ――」


 アンサーラが言い終わる前に、ランスベルは気合の声と共に打ちかかった。アンサーラはランスベルの切込みを受け流し、避けて、回り込みながら左右の剣を別々に動かして攻撃してくる。まるで二人の人間がそれぞれの剣を操っているかのようだ。


 パーヴェルとの訓練に、二本の剣を巧みに操る相手との戦いを想定したものは無かったが、魔獣の中には複数の爪や触手で攻撃してくるものもいる。そうした相手との戦い方が、アンサーラとの対戦にも役立った。ランスベルは心に刻まれたパーヴェルの言葉をなぞる。


 〝敵に何本の腕があっても、狙いはお前だ。敵の動きに惑わされず、自分を守ればいい。やる事は変わらない〟


 それと共に、パーヴェルと訓練していた頃の懐かしい感覚がランスベルの全身を駆け巡った。スリルと興奮が身体を熱くさせ、戦いに熱中させる。


 それから二人は、ランスベルの息が上がるまで対戦を続けた。アンサーラの剣術はランスベルにとって完全に未知のもので、円の動きと線の動きを切り替えながら、フェイントを織り交ぜて攻撃してくる。二本の剣を使った二段構えのフェイントや、そうかと思えば、二本とも本命の一撃を加えてくる事もある。


 華麗に舞うアンサーラを追いかけるように、ランスベルはその剣技に全力で対処し続けた。しかし毎回、最後には「あなたは死にました」と言われてしまうのだった。


「ここまでにしましょう」


 涼しい顔でアンサーラが宣言する。対するランスベルは、肩で息をし、汗だくになっている。


「はあ、はあ……全然、駄目だった」


 そう言いながらも、ランスベルは清々しい気分になっていた。少なくとも戦っている間は悩みや迷いを忘れていられたし、身体が軽くなったように感じる。アンサーラは剣の柄に手を乗せて言った。


「そんな事はありません。もしエルフの力と素早さがあったなら、あなたの防御を崩すのは難しかったと思いますよ。あなたを訓練した方は特に防御を重視したようですね。あなたを守ろうとする、その方が見えるようでした」


 そう言えば、パーヴェルはいつも言っていた。

 〝自分の命を守れなければ、仲間の命も守れんぞ〟

 師の大切な教えを、ランスベルは忘れてしまっていた。


「ありがとう、アンサーラ……うん。きっと、そうだと思うよ」


 ランスベルが笑顔でそう言うと、光の中のアンサーラは銀色の瞳を細めて微笑んだ。

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