3.ギャレット ―盟約暦1006年、秋、第7週―

 戦いを控えたブラックウォール城には連日、新たな騎士とそれに従う兵士らの集団が到着していた。城壁の内側で開かれていた市場はすでに閉鎖され、そこには色々な紋章を掲げたテントが乱立している。


 城から街道を南に行くと、ベッカー家の直轄領とフォーゲル家の領地とを分けるクライン川がある。グスタフは、そこに掛かる橋を前線として部隊を常駐させた。この川は穏やかな流れの浅瀬が続くので、橋を使わなければ渡河できないというわけではないから、橋そのものは重要ではない。


 サウスキープから街道を北進すると、森や丘の合間など視界の悪い地形が続き、再び視界が開けるのはクライン川に差し掛かった辺りからだ。そこからブラックウォール城までは平地が続き、南部の一大耕作地となっている。クライン川で敵を押し止めなければ、畑は踏み荒らされ、人の住む地域が戦場になってしまう。


 街道封鎖している前線と城とを行き来しているギャレットは、城に戻ってくるたびに新しいテントを発見していた。今も新品の鎧を着た若い二人の騎士が、大声で戦場での名誉を競い合おうと意気投合して話している。


(一人はただ武器を振り回してみたいだけの馬鹿で、もう一人は臆病者に見られたくないという見栄っ張りだ)


 ついそんな事を考えてしまって、いかんなと自戒するギャレットであった。


 傭兵の間では実績のない若い騎士を馬鹿にする風潮があって、その頃の考え方が癖になっているのだ。


(彼らは肩を並べて一緒に戦う味方だ。自分の命を救ってくれるかもしれない。そんな風に見てはいけない)


 ブラックウォール城は避難してきた領民も収容しているので、騎士や兵士や女子供などたくさんの人々が一緒くたに押し込められている。人間だけでなく、彼らの馬や家畜の臭いも混ざって充満しているので、野外に慣れた鼻にはきつい。


 人に当たらないよう注意して馬を進めていると、羊皮紙を手に数人の騎士らしき男たちと話しているフランツを見つけた。


「フランツ卿!」


 ギャレットが呼びかけると、フランツはそれに気付き、話を切り上げて歩いて来た。


「戦いは近いぞ。前線ではエッドだけじゃなく、他の兵士も帝国軍の斥候を見ている。街道周辺を調べているんだ。こちらも、もっと斥候を出すように指示してきた。斥候同士の遭遇戦が始まったら、すぐ戦いになる」


 馬を下りるなりギャレットはそう言った。最近では人目がある場所でも、二人は敬語を使わず話すようになっている。


「いよいよか……その前にジョンとクララについて何か分かると良いのだが」


 フランツは期待のこもった眼差しを向けたが、ギャレットは首を横に振った。


 フォーゲル領の偵察から戻ったギャレットたちは現状をグスタフに報告したが、ジョンについては行方不明としか言っていない。実際、彼の身に何が起こったのか、ギャレットたちは誰も知らないのだ。捕虜を殺害したクララとかいう娘を追いかけて森に入って行き、そのまま戻って来なかった。


 明るくなってから周囲を捜索し、二人の足跡を見つけたが途中から入り乱れ、小川に入ったところで見失ってしまった。それが偶然なのか、追跡をまこうとしたのかも分からない。


 ジョンから逃げ切れるほどクララが速いとは思えないし、ジョンがクララに返り討ちにされるとも思えない。もしクララを見失ったのならジョン一人で戻ってくるはずだし、万が一返り討ちにあったとしても死体がどこかにあるはずだ。


 結局、時間をかけて捜索する余裕もなく、ギャレットたちはブラックウォール城に帰還しなければならなかった。ギャレットは前線と城の間を行き来しながら、今もそれとなくジョンを探している。しかし手かがりすら得られていない。


 フランツはため息をつき、天守キープへと歩き出した。ギャレットも並んで続く。歩きながら、フランツは話し始めた。


「残念な話が続いてしまうが、例のエッドの案も駄目だった。クロスボウに長弓ロングボウで対抗するという話のことだが――」


 クロスボウに対抗する手段を考えていたフランツに相談されて、ギャレットはおとり作戦や挟撃作戦を提案した。ギャレット自身も指揮した経験のある作戦だからだ。要は目標を分散すれば被害は少なくて済む、という作戦である。その話を聞いていたエッドは当然のようにこう言った。


「俺ならクロスボウの射程外から長弓ロングボウで射ち合いますけどね」


 ギャレットもフランツも「それだ」と手を打ったが、長弓ロングボウそのものもさることながら、扱える人間を揃えるのが難しかった。


 しかし命中精度は低くとも、鍛えている騎士ならばそれなりに弓を引けるだろうし、いきなり突撃よりは被害が抑えられるのではと、騎士に長弓ロングボウを持たせる案をフランツが進言していたのだった。


「――弓を撃って、接近する敵に被害を与える、あるいは動揺して隊列を崩したら、突撃に転じる……というのは、やはり、卑怯だと」


 ギャレットにとっては予想どおりで、元より無理だろうと思っていた。それに、大した訓練もしておらず組織化もされていない騎士にいきなり長弓ロングボウを持たせて効果があるかどうかも疑問であった。だから、それほど残念と言う様子もなく言う。


「だが、戦い方を考えなければならない、と思わせたなら半分は成功だろう。どうだった?」


「ああ、弓に対抗する昔ながらの戦法を使うつもりらしい。騎士を盾持ちの歩兵で囲んで、じりじり接近するというものだ」


「そうか……それじゃ、隊列を組んでくれそうな騎士は見つかったか?」と、ギャレットは続けて問う。


「うむ。そちらはそれなりに。隊列を組んで突撃するという戦い方は、古き時代の騎士の戦い方でもあるしな」


 フランツと話しているうちにギャレットは自分が勘違いしていた事に気付いた。ファランティア騎士の戦い方は未発達なのではなく、戦いのないまま騎士道だけを追求した結果、退化してしまったのだ。だからファランティア人の言う古き時代の戦い方というのが、逆に集団戦法であったりするのだ。


 天守キープに入ったギャレットはフランツと共にグスタフに謁見し、前線での状況を報告した。その場にはフィリベルトや家令のベルントもいる。グスタフは報告を受けて、言った。


「ならばこちらも迎え撃たねばならん。陣を置く場所を選ばなければならぬが……」


 そう言ってグスタフはフランツを見た。フランツの動きがよく、頭の回転も速い事はグスタフも評価しているのだ。視線の意味を悟って、フランツは頭を下げる。


「私が行って、見て参りましょう」


 そのやりとりを横目に、やはり野戦をするのか、とギャレットは思った。


 最初から篭城を匂わせて押したり退いたりする戦いは傭兵の頃に経験がある。城攻めする側だったギャレットたちにとっては本当に大変だった。


 全体の動きや詳しい戦術までは覚えていないが、そういう戦いができたら良いのにと思ってしまう。グスタフは最初から、会戦をする前提でしか考えていないようだ。とはいえ、絶望的と悲観しているわけでもない。


 帝国軍がどれくらいの戦力で進軍してくるかは斥候の報告待ちだが、ブラックウォール城に集結したファランティア軍は三〇〇〇人近い。


 サウスキープに奇襲を仕掛けてきた時の帝国軍は三〇〇人くらいだった。後続部隊が合流したとしても、二〇〇〇人程度だと予想できる。それ以上の大部隊がサウスキープのすぐ近くに伏せていたとしたら、いくらなんでも気付かれる。その予想が的中すれば、数の優位で戦える可能性はあった。


「それでは全軍に出立の用意をさせねばな」


 そう言ってグスタフが立ち上がったのを見て、その場にいる全員がぎょっとした。


「まさか、グスタフ公も出陣なさるおつもりで?」


 思わずそう言ってしまったのはギャレットであった。同調するようにヴィルヘルムが進言する。


「父上はブラックウォール城の城主です。前線の指揮は私にお任せ下さい!」


「私と父が補佐に付きます。グスタフ公は城におられるべきです」と、フランツも続いた。フィリベルトもその流れで、うんうんと頷く。


 グスタフは顔を歪ませるほど苦悩している様子であった。何をそんなに悩む事があるのか、ギャレットには分からなかった。

 やがてグスタフはどっかりと座りなおし、搾り出すように言った。


「わかった。そのように任せる……」


 一同がそれぞれの役目を果たすために部屋を出て行こうとすると、グスタフはギャレットを呼び止めた。他の者が出て行って二人きりになるのを待ち、グスタフは苦悩を滲ませて言った。


「ギャレット、ゴットハルトの事は……卿に責任はない。ただ、ヴィルヘルムだけは……あの子だけは、命に代えても守るとこの場で誓え」


 その言葉で、グスタフが何に悩んでいたのかやっと分かった。自分が前線に出ることで、ヴィルヘルムを城に残したかったのだろう。

 そんな親の気持ちを、想像はできても実感はできない。しかし、ギャレットは迷わずグスタフに従って膝を付き、頭を垂れた。


「次の戦い、命に代えてもヴィルヘルム様を守ると誓います」


 ギャレットにとっては、〝誓い〟も〝命令受理〟と同義である。そしてグスタフは、いわば雇い主のようなものだ。


「その誓い、守れよ。自由騎士」

 グスタフは静かにそう言った。

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