2.ギブリム ―盟約暦1006年、冬、第9週―

 ギブリムはバンとボルドから食料を分けてもらっていた。第二区画で補給した残りが心許なくなっていたのだ。今はそれを再び荷物に詰めなおしている。


 その作業の間に、バンはこれまで何度か口にした話題を再び始めた。


「ヴァルデンは、最後の竜騎士が戦士ではないとおっしゃっていましたけど、あれはどういう意味だったのですか?」


 ギブリムはバンを一睨みしたが、彼は無邪気な顔で平然としている。バンも一〇〇歳を越えたはずだから、子供らしい愚直さではなく、無邪気さを装った強かさであろう。


 ブリンもバンという家名を名乗るようになったのであれば当然、始祖ギブリムの教えは理解しているはずだ。だからギブリムは言葉を変えて答える。


「戦う力があれば戦士というわけではあるまい」


 そうは言ったものの、あのダーガとの戦いは見事としか言いようがなかった。戦いへの迷いを捨てたランスベルは、まさに氏族の中で語り継がれてきた偉大な戦士たる竜騎士そのものだった。


 ボルドがバンの肩を小突く。


「しつこいぞ、バン。我々はあの戦いしか見ていない。ヴァルデンは共に旅して来られたのだ」


 バンは不満げにボルドを見て、言い返す。


「それまで戦士でなかった者が、戦いに際して突然に目覚める事はある。そういう話はいくつもあるじゃないか」


(そういう事なのかもしれんが……)


 いや――と、ギブリムは思い直した。ランスベルが戦士であるかどうかは問題ではない。ただ誓約したとおりに、ランスベルを守ってエルフが導く目的地まで旅をし、そこで〈竜の灯火〉を渡すだけだ。ランスベルは常に守るべき存在だという事を忘れてはならない。同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。


 そして、この話題もそろそろ終わりにすべきだ。


「少なくともあの戦いだけ見れば、俺もバンと同じように感じただろう」


 ギブリムがそう言うと、バンは笑顔になった。自分の意見をギブリムが認めたという事は、つまり氏族において正しい意見であるという事なのだ。


 ふん、と鼻息も荒くボルドに胸を張るバン。

 ボルドは怪訝な顔を返してから、ギブリムに携帯食料を差し出しつつ言う。


「ヴァルデン、若輩者の言葉に耳を貸す必要はありませんぞ」


 ギブリムはそれを受け取って、荷物に詰めた。


 別の部屋にいるランスベルとアンサーラが話すのを止めて立ち上がり、荷物を持って家から出て行った。ギブリムが感知できているのだから、バンとボルドも感知しているだろう。


 バンは自分の携帯食料を荷物に戻しながら、独り言のように言う。


「なにしろ〝ダーガ殺し〟ですからね。認めないわけにはいかないでしょ。白竜騎士カティヤの再来ですよ。竜騎士ってのは、誰でもダーガを殺せるものなんですかねえ」


 ――ギブリムがまだ幼かった頃、白竜騎士カティヤがフレスミルを訪れた。その姿をギブリムも見ていたらしいのだが、思い出せるのは英雄広場に立つ彫像のほうだ。ドラゴンとその傍らに立つ細身の女性である。まだ少女と言ってもいいかもしれない。しかしカティヤの姿は忘れてしまっても、大人たちの混乱は良く覚えている。


 成人してから聞いた話によれば、突然フレスミルを訪れたカティヤは無茶な要求をした。ある人間たちに都市の通行を許して欲しいというのだ。


 竜騎士は例外としても、異種族の立ち入りを許すなど前例のない事である。しかも、それが以前はエルフの支配下にあった人間の子孫だというのだから、ドワーフたちが怒るのも当然であった。


 カティヤはどんな見返りが欲しいかとドワーフに尋ね、ドワーフはダーガ討伐を要求した。当時、〈世界の果て山脈〉の西の峰を住処とするダーガにドワーフたちは苦しめられていたのだ。そのダーガはどういうわけかドワーフの鎧を集めていて、中身のほうは食ってしまうのだった。


 氏族の総力を挙げてのダーガ討伐は決定していたが、その戦いで失われる戦士の数を考えれば、慎重にならざるを得ない。当時のヴァルデンである祖父ドルドスが臥せっていたのも影響しているだろう。


 カティヤはしばらく悩み、そして承諾した。竜騎士といえどもダーガと戦うには相応の覚悟が必要だったのだろうと言われている。


 結果としてカティヤはダーガを退治して、ドワーフは〈世界の果て山脈〉を南から北へ抜ける人間の通行を許した。


 幼いギブリムが初めて人間を見たのはその時で、大アーチ橋を歩いて渡る人間の行列を上のテラスから見物した。そのような光景はただ一度の例外で、二度と目にすることはないはずだった。


 フレスミルの中をコボルドや灰色小人が走り回り、ダーガが飛び回る光景を目にするなど、ドワーフの誰が予想しただろう――。


 ギブリムが黙々と荷物を詰めている間も、バンとボルドの会話は続いている。


「〝ダーガ殺し〟を認めないとは言ってないぞ」

 ボルドがむっつりと言う。


「現に、我々二人の命を救ったのはヴァルデンと竜騎士殿だ。まあ、あと、あのアンサーラもだが……とにかく、竜騎士殿がダーガを仕留めてくださらなければ、この区画を放棄するにしても大変な問題になったはずだ。ダーガの遺体についてはバン家が交渉すればよいが、それとは別にやはり氏族としても何かを――あいや、これは失礼、ヴァルデンの前で出過ぎた事を申しました」


 気にするなというつもりで、ギブリムは軽く頷いた。

 少なくとも、英雄広場にランスベルの彫像は立つだろう。ボルドはすでにランスベルの姿を描き留めている。


 先ほどまで拘っていたはずのバンが、もうその話題はいいよと言わんばかりにあっけらかんとして「やっぱり、この区画は放棄する事になるかね」と話題を変えた。


「むう」とボルドは唸ってから、「まあ、当然そうなるだろう」と答えた。


 ギブリムの世代は、まだこの街で過ごした記憶が残っている。より上の世代の老人達は寂しく思うかもしれない。最後に一目、生家や街並みを見たいという要望が出るのは確実で、それを考えるとやはりダーガを始末してくれたランスベルへの恩義は大きい。


 だが、それに報いる機会は与えられない――その事を思うと、ギブリムはやりきれない気持ちになるのだった。


 〈竜の聖域〉に入った者は戻って来られないと言われている。


 それはほとんど忘れ去られた知識で、だからバンもダーガの代価について〝戻って来るまでに決めておいてくれ〟などと言ったのだ。


 荷物を詰め終えたボルドは、鞄を閉じようとして手を止めた。


「ヴァルデン、食料はこれで大丈夫ですか。念のため、もう少しそちらにお渡ししましょうか」


「いや。あと四、五日なら帰路を含めても足りるだろう」


 ギブリムは聞き耳を立てていたわけではないのだが、別室にいた二人の会話が聞こえてしまっていた。おそらくアンサーラもそれは承知のはずだ。


「あと四、五日ですか……」

 感慨深げにボルドが呟く。さすがのバンも神妙な面持ちになった。


 ギブリムが誓約に求めた願いは、〈大地の門〉の場所を知る事である。それは失われた古の技術で作られた魔法の門で、ドワーフ発祥の地であり、始祖の地である故郷の次元ドワーフホームに通じている。


 この世界で世代を重ねてきたドワーフにとっては、始祖の地の存在と共に語り継がれてきた伝説のようなものだ。だが、ニムスガトラム――遥かな故郷と呼ばれるようになった世界が存在するのは確かである。ミスリルやアダマンテインといった、この世界には存在しない伝説の金属で造られた武具がその証拠だ。


 ギブリムもミスリル製の鎖帷子チェインホーバークを身に着けているし、召喚する七つの武器は全て純粋なミスリルかアダマンテインで造られている。


 それらニムスガトラムで造られたとされる品々はドワーフを魅了してやまない。伝説によればニムスガトラムにはミスリルやアダマンテインの鉱脈が豊富に存在すると言う。そして、それらの所有権は始祖の子たるドワーフにある。


 ギブリム氏族が地中を掘り進んでいるのは〈大地の門〉を探すためだが、全ての氏族がそうしているわけではない。〈大地の門〉など伝説に過ぎないという氏族もあれば、ドワーフを魅了して地中を彷徨い続けさせるための呪いだという氏族もある。この世界で新しい生き方を探す放浪者も多くいる。


(いずれにせよ、誓約が果たされた時に真実は示される)


 そう思うと、ギブリムは微かに皮膚が泡立つのを感じた。もちろん期待と興奮によるものだが、そこに恐怖が潜んでいるのも否定できない。〈大地の門〉が現存していない、という結末もあり得るのだ。


 そんな残酷な真実を告げる役目を負う可能性もギブリムにはある。だが、ギブリム氏族は戦士の一族だ。仮にそんな残酷な真実がもたらされたとしても、それに負けたりはしないとギブリムは信じている。


 三人のドワーフはそれぞれ荷物をまとめると、金属の止め具をカチリと固定した。全員がそうするのを待っていたように、バンがギブリムを誘う。


「明日からヴァルデンとはまたしばしの別れです。今日は一杯やりませんか」


 ギブリムの返事も待たず、バンは荷物に括り付けていた円筒形の革袋の口紐を解き、ガラス製のビンを取り出した。その中身はドワーフであればいわずもがな、火酒である。薬物に対して強い抵抗力を持つドワーフであっても、一杯で酔ってしまうような代物だ。


 ドワーフの火酒は氏族ごとに原料から製法まで全く違う別物なのだが、その事は他種族にあまり知られていない。人間であれば味わう前に一口飲んだだけでひっくり返ってしまうからだ。


 ボルドもニヤリとして自分の火酒を取り出したので、その夜は三人で酒を飲み交わす事となった。

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