9.トーレン ―盟約暦1006年、冬、第10週―

 王都の戦いは終局に向かいつつあった。

 城へ後退するファランティア王国軍と、それを追うアルガン帝国軍が小競り合いをしながら、最後の戦場になるだろうレッドドラゴン城に向かっている。


 上位王の指示でトーレンが潜んでいる白竜門付近は完全に帝国軍が押さえていて、通行するファランティア人はいない。


 〝白竜門が見える場所に潜み、レスターを待ち伏せろ〟と命令された時、森での待ち伏せなら慣れているがこんな所ではやったことがない、とトーレンは言った。それに対するブランの答えはこうだ。


 〝木で出来た森じゃなく、建物で出来た森だと思えばいいだろ?〟


 それは言い得て妙であった。現に、他の仲間もその説明で納得している。ブランは優れた戦士というだけでも尊敬に値するが、時々見せる賢さも周囲から信頼を得る理由の一つだ。


 五つの門で待ち伏せている戦士長はトーレンを含めて全員が竜の葬儀に同行していたから王都が初めての者はいない。今にして思えば、これを見越した人選だったのだろうか。


(いんや、さすがにそれは無い。もしそうなら、賢いどころか気味が悪りぃ)


 暇を持て余したトーレンがそんな事を考えていると、白竜門付近で動きがあった。窓枠の影からそっと目を細めて観察する。


 白竜門の門塔は帝国軍に占拠され、扉は破城鎚ラムによって破壊されていた。数人の兵士が、扉の残骸と破片を除けて道を作る。


 そこへ、ごろごろと車輪の音を立てながら、馬三頭に引かれた大型の馬車が入って来た。窓は盾で覆われていて中に誰が乗っているのかは分からないが、甲冑に身を包んだ騎士六人に守られている。


(あれが獲物に違いねぇ!)


 トーレンは直感的にそう思った。大当たりなら皇帝レスターだが、外れでも要人のはずだ。


 坂道に差し掛かって、のろのろと向かってくる馬車を横目にトーレンはブレナダン通りの反対側にある建物に視線を送る。門側からは見えない位置に味方の手が出てきて、ぐっと握り拳を作った。了解の合図だ。


 トーレンは舌なめずりして長弓ロングボウの弦に指を這わせ、窓の下に立てておいた矢の一本に手を伸ばす。


 この部屋には他に、帝国兵の死体が一つあった。トーレンたちが潜むこの建物に運悪く入ってきてしまったのだ。絞め殺したので血の匂いはしないが、糞尿の臭いが強くなってきている。だが、風上にいる獲物に勘付かれる事はないはずだ。


 戦いを前にして興奮が全身を駆け巡り、殺戮への期待に心が躍る。


 トーレンはこの時間が一番好きだった。戦いの最中は二番目だ。そして戦いの後は、祭りが終わった寂しさが残るだけなので嫌いだ。


 この襲撃が失敗するかも、などとは微塵も考えていない。信頼できる北方人の仲間が三〇人もいるのだ。矢をつがえて弓を引く。


(さあ、もうちょい、もうちょい近くに来い……)


 その時、さっと一瞬だけ風向きが変わった。

 馬が鼻をヒクつかせ、不安げな声を出す。トーレンの放つ獣臭を嗅ぎつけたのかもしれない。


 トーレンは躊躇わず矢を放ち、立ち上がって二本目を射た。ほぼ同時に、仲間の矢も飛ぶ。さすがによく分かっている――トーレンはニヤリとした。


 建物の一階に潜んでいた北方の戦士たちが扉を蹴破って飛び出し、馬車を取り囲もうと駆け寄る。白竜門にいる帝国兵たちは騒ぎに気付いて声を上げているが、トーレンは気にせず射撃を続けた。


 普通の兵士なら問題ないが、甲冑を着込んだ騎士を矢だけで射殺すのは難しい。隙間無く装甲に覆われているからだ。それで、トーレンは馬を狙った。馬も装甲を纏っているが、騎士のように全身覆われているわけではない。鎧われていない部分を狙って矢を射込むと、馬はがっくりと膝を追って前のめりに倒れ、馬上の騎士を地面に叩き落した。騎士は立ち上がる前に、北方の戦士たちに取り囲まれて殴り殺される。


 北方の戦士は名誉を重んじるが、戦場における待ち伏せ、不意打ち、奇襲、複数で一人を攻撃する、といった行為は名誉を損なうものとは考えない。戦闘は喧嘩と同じで勝たなければ意味がない。勝つために、できる事は何でもすべきなのだ。この場には難癖つけてくるファランティア人もいない。


 手元に用意した矢が尽きる頃、馬車を引く馬は三頭とも死んでいた。これで敵は逃げられなくなったわけだが、馬車の中の人物は外に出てくる気配がない。


 ちょうどトーレンのいる建物に向かってくる帝国兵がいたので、二階の窓から帝国兵の死体を投げ落としてやる。幅広の片手剣ブロードソードを掴んで一階に駆け下り、死体の下でもがいている帝国兵を殺す。


 のんびり戦いを楽しんでいる時間は無い。白竜門から向かってくる敵の増援を、こちらの長弓ロングボウが抑えておける時間はあと僅かだ。


 トーレンは熊を模した鉄の面甲を下ろし、獣じみた咆哮を上げて突撃した。仲間と剣を交えている騎士に、身体を丸めて体当たりする。甲冑を着込んだ騎士でさえ、トーレンの体当たりには耐え切れず地面に倒れた。その身体を踏み台してトーレンは馬車に飛び付き、力ずくで盾を引き剥がす。


 盾の下、窓から突き出された細い剣がトーレンの熊の毛皮を切り裂き、腕に鋭い傷を付けた。かなり上物の剣だな――と、思いつつ窓から馬車の中を見る。


 馬車の中には見事に装飾された黒い鎧を着た金髪の若者がいた。起毛で縁取られた赤いマントを身に付け、頭には王冠を乗せている。手にはトーレンを傷つけた細い剣を持ち、すでに引き寄せて再び突こうという体勢だ。


(金ぴかの上物、大当たりだ!)


 声に出さずトーレンは笑って、纏った熊の毛皮を太い腕に巻きつけた。金髪の若者が剣を突き出すのに合わせて腕でそれを受ける。上等な鋭い剣は毛皮と太い腕を貫通したが、トーレンは痛みを無視して笑いながら、腕を持ち上げた。


 金髪の若者は剣を手放す事も引き抜く事もできず、柄を握ったまま腕を上げて胴体を晒してしまう。


 小さな窓へ強引に上半身を突っ込んで、トーレンは幅広の片手剣ブロードソードを突き出した。剣先が若者の首を切り裂き、大量の出血が馬車の内装を濡らす。致命傷だ。


 そのまま車内に侵入しようとしたトーレンであったが、ずんぐりした身体がつかえて入れず、諦めて一度窓から身体を引っこ抜く。


 ざっと周囲を見回すと、味方が敵を押し留めておくのも限界のようだった。急いで馬車の背後に回ると、ちょうど味方の一人が斧を振るって馬車の扉を壊し始めている。


「俺の獲物を横取りするつもりか!」


 トーレンは唸って味方を強引に押し除け、扉を蹴破ると、獲物が逃げ込んだ穴に突っ込む熊のごとく馬車に飛び込んだ。


 がたがたと揺れる車内から、金髪の若者をむんずと掴んで外に引っ張り出す。若者は血塗れで青ざめ、虫の息だ。


「こいつの首は、上位王への土産にもらってく!」


 トーレンは敵にも味方にも見えるように大げさに剣を振り上げてから、若者の首を刎ねた。

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