5.ヒルダ ―盟約暦1006年、秋、第10週―
部屋を出たヒルダが大股で廊下を歩いていると、ランスベルが小走りで追いかけて来た。それはランスベルが小さいからではなく、ヒルダの足が長いからだ。大抵の人間は、ヒルダと一緒に歩く時、早足になる。
ヒルダはもやもやとした気分だった。それは彼女が嫌いな感覚で、今すぐどうにかしたかった。それで、マグナルから言われたとおりに客間へは向かわず、城の裏庭へと向かう。初めて城にやって来たランスベルは当然、後に付いてくる。
この城の裏庭は、太陽が真上にある短い時間しか日が差し込まない。裏庭というより城と囲いの隙間で、すでに昼を過ぎた今は城壁が落とす影の中にあった。灰色の雲に覆われた空の下、冷気が溜まっている。
裏庭に出たところで、ランスベルはヒルダの背中に問いかけてきた。
「大丈夫ですか?」
客間ではなく裏庭に案内された理由を問うてはいない。おそらく部屋でのやり取りと、ヒルダの態度から何かを感じ取ったのだろう。声には気遣いが感じられる。
北方では、ランスベルのように繊細さを表す男は珍しい。北方の男性に繊細さが皆無だという事ではない。繊細さは弱さと見做されるので、態度に表さないのだ。
だからレッドドラゴン城の小さな庭で初めて言葉を交わした時、ヒルダはとても新鮮に感じた。そしてヒルダの不躾な質問に対してランスベルが見せた正直さに好感を覚えた。
ヒルダは振り向き、ランスベルを正面に見据えて言った。
「手合わせを願いたい。ファランティアの竜騎士殿」
そして腰の
「えっ、今ですか?」
なぜヒルダがそんな事を言うのか、分からないのだろう。
相手に剣を抜かれたにも関わらず、まだ剣に手をかけもしないランスベルは隙だらけで、飛びかかれば倒せるような気がした。もっとも、後ろにいるドワーフはそれを許さないだろう。伝説に謳われた戦士に相応しい威圧感を放っている。
「僕の剣もあなたの剣も、真剣ですよ。練習用の剣ではありませんけど――」
まだ身構えもせず、そんな事を言うランスベルに、じれったくなってヒルダは斬りかかった。もちろん剣を抜かせるためで、本気ではない。
ヒルダの手足は長く、素早さもあるので、相手の間合いの外から一気に飛び込む戦法が得意だ。長身と手の長さを活かして頭上から振り下ろされる武器は恐るべき一撃となる。
ヒルダが斧や
しかし、ヒルダの予想を超えてランスベルはこの飛び込みに反応していた。背中の剣に手をやりながら、身体を無防備に開くようにして素早く後ろに跳び退る。ヒルダの剣は止める必要もなく空を切った。
腕を伸ばしきった体勢のヒルダは完全に無防備となっていた。もし実戦であったなら、ランスベルが剣を抜く前に武器を引き戻せなければヒルダは死ぬだろう。
ランスベルの動きは、繰り返された訓練によって身に付いたものだ。おそらくランスベル自身、考えるより早く反射的に身体が動いたに違いない。その証拠に、まだ驚いた顔をしている。
ヒルダが
予想通り、長い剣を両手で構えてランスベルは後ろに下がった。両者は間合いを取って対峙する。
(見た目に騙された……面白いじゃないか、ランスベル。これで終わりにしてくれるなよ)
ヒルダは目を輝かせてランスベルを見つめた。ヒルダの気持ちを察してくれると期待して。ランスベルはヒルダから目を離さずに、ドワーフに呼びかけた。
「ギブリム、僕とヒルダさんが傷付かないようにしてもらえる?」
ドワーフは腕を組み、気に入らない様子で「ふん」と鼻を鳴らした。
「頼むよ」
再度ランスベルが言うと、ドワーフは渋々、承諾した。
「わかった」
ギブリムが少し離れた場所で地面にどっかり腰を下ろすと、奇妙な感覚が足元から伝わってきた。目に見えない圧力のようなものが全身を覆っていく。冷気が和らぎ、ほんのりと暖かい。守られている、と感じる。
「お互い傷付かないようにギブリムが守ってくれます。だけど、僕の剣は防ぎきれないかもしれないので真剣のつもりでお願いします」
「最初からそのつもりだけどね」
そう言い返して、ヒルダは身構えた。腰を落として足を開き、間合いを測る。ランスベルは剣を両手で持ち、中下段で斜めに構えた。
ヒルダが技巧を凝らした戦いや駆け引きをした事はほとんど無い。間合いとタイミングさえ合えば、ヒルダの振り下ろす一撃が避けられる事も受けられる事もほとんどないからだ。仮に避けられたとしても、ランスベルのように反撃可能な距離の中で見切ったように回避した相手は、今まで数えるほどしかいない。
ほとんどの相手は受け止めようと身構えるが、そうなれば武器ごと相手の頭なり肩なりを打ち砕いてしまうし、仮に上手く武器や盾で受け止めても衝撃で動きが止まるから、二度、三度と続けて叩くだけで仕留められる。
力ずく、と言えばそうなのだろうが、恵まれた体格を活かした戦い方なのだ。そうして実戦の中で間合いとタイミングを測る術に習熟してきた。
そんなヒルダの経験で言えば、ランスベルに仕掛けるタイミングはいつでも良かった。体格で劣るランスベルは、本来ヒルダにとって警戒すべき相手ではないからだ。しかし、先ほど見せた体捌きは見事としか言いようがない。
本気でいく――そう心を決めたヒルダは突進し、頭上から必殺の一撃を振り下ろした。単純だが無駄のない動きで、相手に防がれた後の事を考えていない迷いのない一撃だ。
しかし、剣先は地面に当たった。ランスベルは間合いの外まで跳び退っていて、そこから剣の長さを活かしてヒルダの武器を持つ手を狙って突いてくる。ヒルダは素早く剣を上げて、その突きを弾きつつ、剣を引き戻す。
相手と剣を合わせるような戦いをするつもりは無かった。ヒルダはただ愚直に、同じ攻撃を繰り返した。もしランスベルが体勢を崩せば追撃して終わりにするつもりだったが、徐々に目が慣れてきたのか、体勢を崩すどころか間合いを見極めつつある。
しかしそれはヒルダも同様であった。ランスベルの防御に隙はないが、反撃はいまいちだ。やはり体格に武器が合っておらず、重すぎるのだ。そして思い切った攻撃をしてこない。防御を意識し過ぎているのか、手加減しているのか――いずれにしても気構えの問題だと思えた。それは弱点となる。
ヒルダは覚悟を決めて飛び込んだ。完全に振りぬくつもりで、頭上に掲げた剣を振り下ろす。
ランスベルは間合いを見切っていた。剣先を下にして上段に構えたまま、お互いの剣が触れ合うかというほどの距離で、その一撃を避ける。そしてそのまま、上段から剣を突き下ろす。
二人の身長差によって、ランスベルの反撃はヒルダの腹を狙うような攻撃になっていた。普通なら、完璧な反撃になったはずだった。
ヒルダはそのまま剣を手放し、ランスベルの突きを横に交わして、地面を蹴り体当たりした。普段着のまま鎧を着た人間に体当たりしたというのに痛みはほとんどない。ドワーフの魔法のおかげだろう。
二人は地面に倒れると、ごろごろ転がりながら上になろうと争った。しかし体格に勝るヒルダが取っ組み合いで負けるはずもなく、ランスベルを組み伏せると腕を顎の下に当てる。そのまま体重をかければ喉を潰して窒息させられる体勢だ。
勝った――と、ヒルダが思った瞬間、ぞくりとした感覚があった。ランスベルが手をヒルダの腹に当てている。ほとんど密着した状態では殴れるはずもないが、ヒルダは竜騎士の篭手に仕込まれている武器の話を思い出した。
二人はお互いの息が触れ合う距離で、荒く白い息を吐きながらしばらくそうして呼吸を整えた。先に口を開いたのはヒルダのほうだ。
「アンタが窒息するのと、アタシの臓物が引っ掻き回されるのと、どっちが早いと思う?」
「たぶん、僕が窒息するほうが早いでしょう」
ランスベルの答えには遠慮が含まれていたが、それでも自分の勝ちだと思えば気分は良い。
「ははっ、そうか、アタシの勝ちだね!」
ヒルダは臆面も無く勝利を宣言して、ランスベルの上から退いた。そして倒れたままのランスベルに、満面の笑みで手を差し伸べる。ランスベルも微笑んでその手を取り、立ち上がった。
「ここ、誰も来ないですね」と、土を払いながらランスベルが言う。
「ああ、だから一人になりたい時とか便利なんだ。あと、気に入らない事があった時とかね」
笑顔のままヒルダは裏庭の隅に生える一本の木を指差した。その木にはたくさんの傷がある。全てヒルダがむちゃくちゃに剣やら棒やらを振り回して付けたものだ。両手で幹を抱え、引き抜こうとした事もある。ランスベルはそれを見て笑いながら言った。
「あんな風にならなくて良かったです」
ヒルダの剣は地面へ斜めに突き刺さっている。ランスベルはそれを引き抜き、土を払ってからヒルダに差し出す。それを受け取って鞘に戻す間に、ランスベルは自分の剣を拾い上げた。
「いきなり付き合せて悪かったね」
ヒルダがそう言うと、ランスベルは首を左右に振る。
「いえ、僕もそういう時があるので、分かります」
「そうなの?」
「はい。答えの出ない事って、ありますよ。特に親兄弟とか、難しいですよね……」
そう言って、ランスベルは自分の剣を背中の鞘に戻した。
「なんかさ、親父には――」
不意に口を突いて出た素直な言葉に、ヒルダ自身も驚きつつ、話を続ける。
「親父には、無理をして欲しくないんだ。だけど、そういう話をすると親父は怒る……誇りを傷つけられるんだろうね。親父を傷つけたくないけど、心配しないなんて無理だ。アタシは黙ってるなんてできない性分だしさ」
「そうですね……」
ランスベルはそう呟いて、少し間を置いてから続けた。
「人を思いやることが間違いなんて、そんなはずありません。でもブラウスクニースと思考を共有した経験があると、言葉はすごく不便に感じます。僕は父と一〇年間別れて暮らしていたのですが、久しぶりに再会したらお互いに全然話が通じなくて驚きました……同じ言葉を話しているのに、意味が理解できないというか……」
ランスベルは悲しげに肩をすくませる。
「そういえば、アンタと初めて話した時にもそういう感じがした」
ヒルダは初めてランスベルと話した時の事を思い出して、そう言った。
「実は、僕もそう思っていました……そこは同じだったのですね」
「あははっ、そうだな」
遠慮がちな笑みを浮かべるランスベルに対して、ヒルダのほうは遠慮なく笑った。
しかし、ヒルダは父と話していて言葉が通じていないと感じた事は一度もない。父は常にヒルダの真意を汲み取っていたし、ヒルダも父の心情は手に取るように分かった。だからこそ、これを言えば父は傷つく、と分かっている言葉を口にしてしまう自分に腹が立つのだ。そしてたぶん、父が老い衰えていくという抗いようのない現実にも腹を立てている。
せっかく晴れた気分に、もやもやが戻ってくる気配がしたので、ヒルダは汗で重くなった髪に指を突っ込んでかき上げ頭を振って髪を広げた。冷気が髪の中に入り込み、さっぱりする。それから自分を見上げるランスベルに向かって胸を張り、腰に手を当てて言った。
「付き合ってくれて、ありがとう。少し気が晴れた。今回はアタシの勝ちだが、挑戦はいつでも受けて立つよ」
「はい。でも、その時は練習用の武器と防具を使いたいです」
ヒルダの笑顔に、ランスベルは苦笑して答えた。
ランスベルが戦いを好まない性格なのはヒルダにも分かる。だから挑戦してくる事はないのだろう。
(魔法なしでもあれだけ戦えるのに……変なやつだ)
初めて言葉を交わした時から、ヒルダにとってランスベルは〝変なやつ〟だ。
(でも、ま……悪くない。うん、悪くはない)
最後にそう付け足して、ヒルダはランスベルたちを客間に案内すべく裏庭を後にした。
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