14.ギャレット ―盟約暦1006年、冬、第7週―

 ギャレットは大広間にいた。グスタフとフランツ、ベルント、それにベッカー家とフォーゲル家の近衛兵が合わせて六人いる。全員が完全武装して、入口の扉を見ていた。甲冑を身に着けたグスタフは巨大な金属の塊で、今はどっしりと城主の座に腰を下ろしている。


 テッサニア軍はすでに城内へ入り込んでいた。門を閉めるためにフィリベルトが向かったとフランツは言っていたが、門が閉ざされたという報告はない。パウエルに兵を率いて門塔へ向かうよう命じていたが、その後どうなったかも分からない。


 フランツは口を引き締め、顎を引き、険しい表情であった。フィリベルトに何かあったのは確実で、自ら門塔に向かいたかったはずである。しかしグスタフがパウエルにそれを命じても、何も言わなかった。それは彼がグスタフ公に仕える騎士だからだ。


 やがて怒号と悲鳴、金属のぶつかり合う戦いの音が大広間にまで聞こえてくるようになった。戦いの場は天守キープの入口から後退して大広間へと近付いてきている。


 もうすぐここが戦場になると、この場にいる全員が分かっているだろう。それを待って、ギャレットはずっと言うべきかどうか悩んでいた事を進言すると決めた。グスタフの前で膝を付き、頭を垂れて言う。


「グスタフ公。例の隠し通路から脱出してください。途中に敵がいても、今ならそれほどの数ではないはず。俺が道を開きます」


「聞かなかった事にしてやろう」


 グスタフは感情のない声で答えた。近衛兵たちは抜け道と聞いて顔を見合わせる。しかしギャレットは黙らなかった。


「東方では、君主が城を失う事はよくあります。ですが、失った城は取り戻せばいいのです。それで名誉は回復します。ここは脱出して、再起を図りましょう」


 グスタフはいつもどおりの大声を浴びせる。


「屁理屈を申すな。東方とファランティアでは名誉に対する考え方が違うと、お前自身分かっていよう。それに城はまだ落ちておらぬ」


「グスタフ公が死ねば、城は落ちます」


「わしが逃げても、同じだろう」


 ギャレットの言葉にグスタフは間髪入れず、そう言った。城主の座の肘掛に手を付き、重そうに立ち上がる。


 戦いの音は、扉のすぐ向こうまで迫っていた。もはやいつ敵がこの部屋に突入して来てもおかしくは無い。フランツが剣を抜き、六人の近衛兵に「扉を固めよ」と命じた。自らも扉の前に立つ。


 鉄で覆われた熊のようなグスタフは盾を手にして鎧を鳴らし、一段高い上座を下りながらギャレットと話を続けた。


「少しは学んだと思うたが、まだ分かっておらぬようだな、ギャレットよ。己の命よりも大切なものはあるのだ」


「命よりも名誉が大切という事ですか」


 ギャレットの脳裏をゴットハルトが過ぎった。この親にして、あの息子あり、という事なのか――床を見つめてそんな風に思うギャレットの肩にグスタフは手を置く。


「違うな」


 顔を上げたギャレットは、グスタフが今までに無く穏やかな顔をしているのに驚いた。


「名誉とは、個人に帰するものではない。個人の名誉のみを追及するのは間違いなのだ。ギャレット、お前には父母の記憶がないと聞いた。むろん、祖父母も、それ以前の血筋についても知らぬのだろう。また、子を成した事もない。ゆえに、お前が理解できなくとも無理はない。今は名誉と言っているが、別の言葉に言い換えてもよい」


 グスタフは手で、ギャレットに立つようにと命じた。それに従って立ち上がると同時に、大広間の扉がドンと大きな音を立てる。続けて、ドン、ドン、と衝撃を受けて扉が激しく揺れる。


 グスタフはちらりと扉のほうを見てから、ベルトにつけた小さな革の入れ物を力ずくで外した。止め具が折れても気にした様子はない。それをギャレットの胸に押し付ける。


「もしこの城を取り戻すとしたら、それはわしの役目ではない。ヴィルヘルムかアデリンか、あるいはその子らの役目であろう。抜け道を使って城を出て、ヴィルヘルムを探し、これを渡すと誓え、ギャレット卿」


 中を見ずとも、それが何かギャレットには分かった。ベッカー家当主の証、ブラックウォール城の正当な後継者の証である〈黒い太陽〉に違いない。


 単に高価な品というだけでないのはギャレットにも分かるが、それでも言わずにはいられなかった。


「こんな石を届けるより、生きている貴方を届けたほうがヴィルヘルムは喜ぶはずです」


 大きな音を立てて、分厚い扉が傾いた。その向こうに敵兵の姿が見える。扉を押しのけようとした敵兵を、味方の近衛兵が槍で突き、悲鳴が上がった。戦いが始まったのだ。


 グスタフはギャレットの肩を掴み、年齢にそぐわない、しかし体格に見合った怪力で引き寄せた。突き出たグスタフの腹を覆う胴鎧がギャレットの鎧と当たってがつんと音を立てる。


「この石ころに込められたものを、この石と共に受け継がれてきたものを、お前が理解できなくとも許してやる。だが誓え、ギャレット!」


 鬼気迫るグスタフの眼光に圧倒され、ギャレットは〈黒い太陽〉を受け取ってしまった。そして、受け取ってしまったからには言わざるを得なかった。


「……誓います」


 グスタフはニヤリと笑い、ギャレットを突き飛ばすようにして離れた。腰に吊るした剣を抜いて叫ぶ。


「フランツ、ギャレット卿の脱出を援護しろ!」


 その時、フランツは扉を乗り越えて槍を潜り抜けた敵兵を切り倒したところだった。


「はい! 来い、ギャレット!」


 ギャレットもまた剣を抜き放ち、グスタフに軽く一礼して駆け出す。


「その誓い、守れよ。自由騎士」


 最後にグスタフはそう言い、兜の面甲を下ろした。



 ギャレットに先んじて、フランツは盾を構えると斜めに倒れかけている扉を飛び越えて廊下に躍り出た。


 それまで扉越しに槍の突き合いをしていたところに突然、重装備の騎士が出てきたので敵兵は慌てる。槍を突き出してきたが、狙いの定まっていない穂先はフランツの鎧のわき腹を打っただけだ。フランツは反撃せずに剣を手元に引き寄せ、盾を構えて防御に専念する。


 ギャレットはフランツの背後から狭い隙間を通り抜けて廊下に出たが、それを読まれていたのか、敵兵が顔面に向けて槍を突き出してきた。


 次の瞬間、またもや敵兵は驚かされたに違いない。甲冑であるにも関わらず、ギャレットは曲芸師のように仰け反って槍を避けると、その下で身体を回転させながら潜り抜け、剣を構えた姿勢で敵兵と正対したのだ。


 相手が槍を引き戻すのを待たず、フランツが盾で槍を跳ね上げた。道ができたので、ギャレットは戦うのを止めて駆け出す。フランツも付いてくる。


 二人の背後で「追え!」とテッサニア語の命令が聞こえて、二人の敵兵が追いかけてきた。


 ギャレットとフランツは廊下を曲がった。続いて追いかけてきた敵兵の一人が角を曲がったところで転倒する。フランツが床に置いていた盾に足を取られたのだ。もう一人はバランスを崩したものの、倒れるまでには至らなかった。


 しかしそれで充分だった。ギャレットとフランツは二人の敵兵を殺し、抜け道の入口に向かう。


 途中、走りながら廊下の窓から外の様子を窺うと、中庭での戦いはほぼ終わっていた。立っているのはアルガン帝国の軍衣サーコートを着た兵ばかりで、城の制圧に向けて動き始めている。


 二人は敵兵に出会う事もなく隠し扉の前まで来た。ギャレットが周囲を確認して隠し扉を開き、その間にフランツがランタンを用意する。明かりを持ったフランツを先に隠し通路へ入れると、ギャレットも続いて入り、内側から隠し扉を閉めた。


 二人は地下の広い部屋まで狭い階段を下りて行き、そこでやっと一息つく。


「入るところを誰かに見られただろうか?」


 ギャレットの心配に、フランツは「わからん」と言って肩をすくめた。


「入るところは見られてなくても、私が出るところを見られるかもしれない。だから先を急いでくれ」


 そんな事をフランツが言うので、ギャレットは驚いた。


「戻るつもりなのか?」


「ああ」と、何の迷いも無くフランツは頷く。


 なぜ――ギャレットは問おうとして、止めた。


 フランツはグスタフ公に仕える騎士であり、彼が受けた命は〝ギャレットの脱出を援護する〟だけだ。このまま逃げてしまえば、それは不名誉な行いとなる。


 そこまで理解できても、やはりギャレットは〝なぜ〟と思ってしまうのだった。上に戻るという事は、死ぬために戻るという事だ。そこにどんな意味があるというのか。おそらくギャレットのために、フランツは言った。


「ギャレット、誰のために剣を振るうのか、という問いは、どのように生きるか、という問いによく似ている。私はグスタフ公から騎士に叙任され、忠誠を誓った時にそれを決めた。以来、迷わずに生きてこられた。だから今も迷ってはいない」


「ああ……」


 ギャレットは小さな声で呟く。それを見て、フランツは肩をすくめて言った。


「君はグスタフ公に仕える騎士ではない。だから行く。私は戻る。単純な話だ」


「そうだな……」としか、ギャレットには言えなかった。


「では、さらばだ、ギャレット卿。自由騎士というのも難儀なものだな」


 フランツはそう言って微笑み、踵を返して階段に戻り始める。


 ギャレットは別れの挨拶というものをあまりしたことがなかったので、結局大したことは言えなかった。


「フランツ・フォーゲル卿、生きていたら、また会おう」


 フランツは立ち止まって振り向き、力強く頷いて、階段を上がって行った。




〈次章へ続く〉

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