1.ギャレット ―盟約暦1006年、秋、第10週―

 ブラックウォール城の一室で、ギャレットは柔らかいベッドに横になったまま石造りの天井を見つめていた。思い返せばブラックウォール城にいる間、この石造りの天井を眺めてばかりのような気がする。


 外から聞こえる鶏の鳴き声と、明り取りの小さな窓から差し込む薄明りが夜明け前だと教えてくれた。冷たい石壁に囲まれた部屋は寒く、暖炉に火が入るのもそう遠くなさそうである。


 最近あまり動いていなかったギャレットは深夜に一度起きてから、ほんの少しうとうとした程度でまた目が冴えてしまっていた。〈クライン川の会戦〉で痛めた背中は思ったより悪く、快復までに一〇日間もベッドで過ごさなければならなかったのだ。


 それから今日まで、凝り固まった背中の筋肉をほぐしながら少しずつ身体を慣らしてきた。もう痛みはなく完治したと言っていいだろうが、念のため、ゆっくりとベッドから身を起こして足を床に下ろした。敷き藁の感触を足の裏で確かめてから、靴に足を突っ込む。肩や首をゆっくり回して問題ないのを確認するのが習慣になりつつあった。


 与えられた部屋は貴族にとっては一般的な造りの個室である。ギャレット個人の持ち物は馬以外に何一つサウスキープから持ち出せなかったので、部屋に置かれているものは全て人から貰った物だ。ベッド脇に立てかけられた長剣ロングソードはサラから貰った彼女の亡夫ロクスのものだし、部屋の隅に立ててある長弓ロングボウは〈クライン川の会戦〉で放置したのをエッドが拾ってきてくれたものだ。


 そして見事な一揃いの甲冑。これはヴィルヘルムを救った褒美としてグスタフから贈られたものである。


 〝誓いを果たした騎士にはそれ相応の鎧が必要だ〟とは彼の弁だが、わざわざ防具職人を部屋に寄越してギャレットの身体に合わせて調節までさせた。儀礼用の華美なものではなくギャレット好みの実用的なもので、着たまま前転や側転をしても飾りで自分自身を傷つけることはなさそうだ。


 〈クライン川の会戦〉から敗走してヴィルヘルムをブラックウォール城まで連れ戻した時、ギャレットはすでに意識が朦朧としていた。背中の怪我が酷くて高熱が出ていたのだ。だからグスタフがギャレットのベッドを訪れた時の事は、記憶の中でぼんやりとしてはっきり思い出せない。


 グスタフがギャレットの手を取り、「ヴィルヘルムを守ってくれたな。ありがとう」と言って頭を下げたような気もするが、夢か現か定かでない。あのグスタフがギャレットにそのような事を言うとは思えないので、半分は夢ではないかと思っている。


 実際に、褒美として甲冑を持ってきた時は以前同様のしかめ面だったし、思いやりや感謝を態度で示す事はなかった。


 黒っぽい石で造られた部屋に木製の家具が置かれただけの室内で、異彩を放っているのはテーブルに置かれた真っ赤な林檎だ。昨日、突然やってきたフランツが置いていったものである。


 ギャレットはベッドから立ち上がると、林檎を手にとって上に放り投げた。天井付近まで飛んだ林檎が落ちてくるところを横から引っ掴む。背中に痛みは全く無い。それに満足して手の中の林檎を見つめた。


 この林檎こそ、これから起こりうる問題そのものなのだ。


 〈クライン川の会戦〉から生還したファランティア軍の兵士のうち、ブラックウォール城に入れたのは七〇〇人程度だと聞いている。迫るアルガン帝国の追撃部隊を前にして門を開放しておくわけにもいかず、城門は閉じられ、橋は上げられた。以来、一度も開かれていない。


 その頃ギャレットは熱で朦朧としていたのだが、仮に意識があったとしても、どうする事もできなかっただろう。ブラックウォール城には篭城する以外の選択肢は無かった。アルガン帝国軍の動きは素早く、あっという間に城は包囲されてしまったという。


 それから熾烈な攻城戦が始まったかというと、意外な事にそうはなっていない。アルガン帝国軍はブラックウォール城の周囲に陣を布き、鼠一匹外に出すつもりはないというほど厳重な警戒をしているが、城を攻めてくる気配は今のところ無いままだ。


 城壁から外を眺めるとアルガン帝国軍の野営地を見る事ができる。包囲が始まって最初のうちは、トンテンカン、トンテンカンとまるで日常の大工仕事のような音を響かせて攻城兵器を組み立てていた。


 それが完成すれば間違いなく攻撃を開始するだろうとブラックウォール城の人々は考えていたので、戦えない者は怯え、戦える者は焦った。いっそ撃って出るかという意見もあったそうだが、そうすれば確実に城は落ちる。城壁という優位を捨てて自分たちよりも大軍を相手に勝てるはずがない。


 すでに攻城櫓は三台も完成していて、門を打ち破るための屋根付き破城槌も二基が完成している状況だ。


 しかし、それらの準備が整ってもアルガン帝国軍は攻めてこなかった。


 城を攻める方法はいくつかあるが、帝国軍は兵糧攻めを選択したのだろう。もしかしたら他に何か事情があるのかもしれないが、そんな事は考えるだけ無駄である。これからの事を考えるほうが重要だ。


 ブラックウォール城内の食料を調べた結果、春まで篭城は可能だという事が分かった。ただし、それは命を繋ぐだけという意味で、体力のない老人や病人は命を落とすかもしれないほど過酷な節約をしなければならない。


 それがはっきりした後は、当然、それでどうするという議論になる。仮に春まで耐えたとして、まともに食べていないやせ細った騎士たちでどう包囲を解くのか。


 ブラックウォール城の現状を知らせるために放った伝書鳩も、城に向かってくる伝書鳩も、全て射落とされ外部との連絡は絶たれた状況だから、王都からの援軍があるかどうかも分からない。


 選択肢としては、降伏して開城する、いっそ突撃して討ち死にする、援軍を期待して篭城を続ける、の三つが考えられる。


 ギャレットは、どの選択肢もあり得ると考えていた。

 突撃は論外のようにも感じられるが、突撃した連中が犠牲になっている間に、戦えない者や運の良い兵士は逃げおおせる可能性もある。最後の手段と考えれば、全くの無駄ではない。そんな事に期待するくらいなら、降伏して開城したほうがマシだが。


(つまり、この林檎……食料が最大の問題というわけだ)


 手の中の林檎を見つめてギャレットはそんなふうに思い、そしてあと何回、瑞々しい林檎が食べられるだろうかと味わって食べる。


 ファランティア人はあまり生で林檎を食べないが、ギャレットは生の果物を食べるのが好きだ――という、どうでもいい会話をフランツは覚えていて、生のまま持ってきたのだろう。彼は忙しなく動いているようで、この林檎を持ってきた時も置くだけ置いてすぐに行ってしまった。


 アルガン帝国軍が兵糧攻めをするつもりだとしても、他の手段を何も講じないとは限らないし、防衛側も準備は必要である。城壁の上に岩や砂を運び上げたり、篝火を焚いて絶やさないようにしたり、敵がトンネルを掘っていないか見るため城壁沿いに水桶を置いたり――やる事は山ほどある。


(俺もそろそろ働かないと、小さな林檎すら貰えなくなってしまう)


 ギャレットは革のズボンとブーツに履き替えると、服の上から鎧下の綿入れキルティングコートを着てベルトを締め、ロクスの長剣ロングソードを腰に吊るした。


 まずはフランツと会い、何が必要で、何ができるかを確認する事から始めよう――と、彼の部屋に向かう。


 夜明けの薄暗い城内を歩き、城で働く人々とすれ違う。皆うつむき、小声で挨拶を交わして通り過ぎていく。まるで挨拶の声すら帝国軍に聞かれては困るというように。


 アルガン帝国の包囲軍が攻めてきたら、明日が迎えられるかどうか分からないのだ。剣を突きつけられたような緊張感によって、精神的に疲弊しているのだろう。


 暗い顔をした彼らを見ていると、ふつふつと怒りが湧いてくる。だが、それは意外な事に、彼らに対してではなく自分自身と帝国軍に対してだった。


 フランツは部屋にいなかった。


 この広い城内を探して回るのは時間の無駄な気がして、どうしたものかと廊下の窓を押し開けて外に目を向ける。窓から見えるのは北の中庭で、本来は身分の高い人々の場所だが、今は慌てて逃げ込んだ避難民のテントも混ざり合って乱立している。


 その隅で、朝日を遮る城壁の影の中、数人の男が剣を手にしていた。騎士たちが訓練しているようだ。ギャレットは久しぶりに身体を動かしたくなって、そこに行ってみる事にした。


 混沌とした北の中庭を抜けて、窓から見えた城壁の下までやってくると、若い騎士がギャレットに気付いて声を上げる。


「ギャレット卿!」


 呼び止められるとは思っていなかったギャレットは、怪訝な顔をしてその若い騎士を見返す。知らない男だ。


「もうお身体は大丈夫なのですか?」と、見知らぬ若者は尋ねてくる。


「ん、まあ……」


 ギャレットの表情に気付いたのか、若者は礼をして名乗った。


「失礼しました、ギャレット卿。私はパウエルと申します。去年の春にグスタフ公より騎士の叙任を受けました。クライン川での貴方の戦いぶりを見て感銘を受けた者です。どのようにすれば、あんな戦いができるのですか!?」


 興奮気味なパウエルの声に気付いたのか、周囲にいた他の騎士たちも「ギャレット卿だ」「自由騎士殿」などと言いながら寄ってくる。


 突然、有名人になってしまったようでギャレットは戸惑った。彼らは口々にクライン川での戦いについて話し、武器の扱いについて教えを乞うてきた。暗い顔をした者は一人もいない。


 このような若者たちがまだ残っているうちに手を打てればいいのだが――と、ギャレットは思った。しかし、今できるのは彼らの質問に答えるくらいだ。


「わかった、わかった。見るよ。その前に俺も病み上がりの身体をほぐしたいんだ。そうだな……君、手合わせしてくれ」


 パウエルを指差してギャレットは言った。


 練習用の重い剣と防具を付けてパウエルと対戦した後、続けて二、三人と手合わせしてから彼らの訓練を見て忠告を与える。そうしているうちに太陽が城壁の中まで照らし始めた。


 ギャレットは練習用の重い剣と防具を投げ捨てて一息つき、ふと疑問に思った。傭兵団で訓練を担当した事もあるギャレットだが、傭兵団でやったのと同じように教えてしまって良かったのだろうか、と。


 〈みなし子〉にいた少年たちは、大抵が嫌々ながら訓練を受け始め、戦場から生還すると必死に訓練するようになる。生き延びるためには何をすればいいかを理解して帰ってくるからだ。彼らは死への恐怖に尻を叩かれて訓練に励む。


 そういう意味では、この若い騎士たちも同様かもしれなかった。だが、あの暗い目をした少年たちと、この若い騎士たちはまるで違う。ここにいる若者たちは、自らの死に対して納得できる理由を持っている。少なくとも表面上は、そうであるように振舞っている。


 それは誇りとか愛とか名誉とか、そういった騎士道が教える精神的な充足があるからだろう。実際に死が目前に迫った瞬間もそう思っていられるか分からないが、騎士道には死を美化しているような面がある。


 〈みなし子〉の少年たちは自らの死に理由など求めない。生きている間、勝利している間は飯を食い、飲んで、女を抱くことができる。死んだら終わり。それだけの事だと、自分に言い聞かせている。死に無関心でなければ、生きていけない。死はただの現実で、美しくも汚くもない。


 どちらが良いのか、ギャレットには分からなくなった。


 夢を見ながら死んでいけたほうが本人は幸せかもしれない。しかし、その夢が生きているうちに覚めてしまったら――クライン川で見たヴィルヘルムの涙をギャレットは思い出した。


 そんな事を考えながら、訓練に励む若い騎士たちを見ていると、フランツがこちらに歩いてくるのに気が付いた。手を挙げると、向こうも手を挙げて応じる。フランツはやって来るなり、ギャレットを見て言った。


「もう大丈夫そうだ」


「ああ、ずっと寝ていてすまなかった」


 ギャレットは姿勢を正して言った。フランツは「いや」と首を左右に振ってから続ける。

「ところで、私を探していたようだが」


「そろそろ俺も働こうと思って。何かできる事は?」


 フランツは手を顎に当てて考えながら話した。


「うーん、そうだな……色々あると言えば、あるのだが……うん、今、見ていて思ったのだが、騎士や兵士たちを訓練してもらうのは良いかもしれない。包囲された状況下で訓練などおかしいかもしれないが、気晴らしは必要だ。じっとしていると不安が大きくなるばかりだから……エッドには弓の訓練を頼んである。ギャレット、君には剣や槍などをお願いしたい」


 他にも色々あるような気もしたが、考えてみれば、戦う以外に得意な事がないのも事実だ。


「わかった」とギャレットは頷き、それから気になっていたことを尋ねる。


「ところで、ヴィルヘルムの具合はどうなんだ?」


 フランツは目でさっと周囲を見てから、〝ここから離れよう〟と言うように手を小さく動かして歩き出した。


(あまり人に聞かれたくない内容のようだな)


 ギャレットは不安を感じながらもフランツに付いて行き、二人は城壁まで歩いた。

 周囲に人気がないのを確認して、フランツは小声で話す。


「ヴィルヘルムは良くない……いや、命に別状はない。ただ、腰の怪我はかなり悪く、影響が脚に出ている。杖を使えば歩けるが、以前と同じく動けるようになるかどうかは……難しい、という事だ」


 脚が使えない、というのは騎士として絶望的であった。地上で戦うのはもちろんの事、馬を御するにも脚は必要だ。


 ギャレットは「そうか……」としか言えなかった。


 フランツも「うん」と言って続ける。


「私も忙しくてあまり訪ねていないのだが、部屋に閉じこもったまま、ほとんど誰とも会わないようだ。もし君が、その……見舞いに行こうと考えているなら、今は止めておいたほうが無難だと思う」


 ギャレットは黙って頷いた。


 ヴィルヘルムが思い描いていた騎士の夢は潰えた。それはあの戦いで涙した時か、脚が元通りに動かないと知った時かは分からない。フランツが心配しているように、もしかするとヴィルヘルムはギャレットを恨んでいるかもしれない。夢を見たまま逝くことが望みだったとしたら、その機会を奪ったのはギャレットである。


 そうしたのはグスタフとの誓いを果たすためだったが、ゴットハルトの二の舞にしたくないというギャレットの個人的な想いもあったかもしれない。


 ギャレットは今こそゴットハルトに尋ねたかった。

 あれで良かったのか、と。

 あんたは満足して逝けたのか、と。


 そんな思いとは別に、ギャレットは尋ねた。

「グスタフ公はどうしてる?」


 フランツは眉根を寄せて、やはり小声で答える。


「父が補佐についている。ヴィルヘルムの件については動揺していたが、その場で取り乱されることはなかった。ただ、一昨日から体調が優れないとの事で部屋におられる。やはり責任を感じておられるのかもしれん」


 ギャレットには父親の気持ちも、城主の気持ちも、南部全体の人々の命を預かる南部総督の気持ちも、分からない。隊員の命を預かる隊長の気持ちすら、分かっているとは思えない。


 傭兵時代のギャレットは隊員の命を大切に感じた事はない。優先すべきは与えられた役割をこなす事であり、隊員の命を守る事ではなかった。自分の命すら、優先順位で言えば二番目だったし、そうでなければ小隊長には任命されていない。


 隊員は使える奴と使えない奴の二種類しかおらず、生きているか死んでいるかは関係ない。一番たちが悪いのは、生きているのに使えない奴だ。目的達成のために、そういう隊員を死地に立たせて間接的に殺した事すらある。


 今にして思えば、それは極端すぎる考え方だったが、単純で迷う必要もなかった。


(だが、今は迷っている……俺が傭兵では無くなったからなのか、それとも……)


 黙っているギャレットにフランツは言った。

「これから父と朝食を摂りながら話す。君も同席したまえ」


「さっき林檎を食ったところだ」


「本当に生のまま食べたのか……いや、この話を続けるのにここは相応しくない。それにグスタフ公の事は父のほうがよく分かっている」


 そう言いながら、ギャレットの返事を待たずにフランツは歩き出してしまった。追いかけながらギャレットは言う。


「言っておくが、俺は城攻めや篭城については詳しくない」


「そこまで期待してはいない。だが、今はどんな情報でも無いよりましという状況だ。君しか気付けない何かがあるかもしれないだろう」


 早足で歩くフランツに止まる気配はないので、ギャレットは諦めて彼に続いた。


 普段はグスタフや彼の家臣が食事している部屋に入ると、テーブルにはフィリベルト一人が座っていた。その顔にはありありと苦渋が浮かんでいる。他には飲み物が入った水差しを持った侍従が一人いるだけだ。


「父上?」


 異変に気付いたフランツが声をかけると、フィリベルトは顔を上げ、侍従に命じた。


「人払いをしてくれ」


「畏まりました」


 侍従は水差しをテーブルの上に置き、ギャレットの脇を通って部屋から出て行った。フランツはますます怪訝な顔をして問う。


「何事です?」


 フィリベルトは近くに寄れと手招きした。よほど重大な何かが起こったらしい。フランツはテーブルに近寄ったが、ギャレットはその場に留まって言った。


「私も退室していましょう」


 フィリベルトはそれを拒まなかったが、フランツは「いや、君もいてくれ」と言った。フィリベルトはそれも拒まなかったので、ギャレットも同席する。


 二人がテーブルに着くと、フィリベルトは頭を抱えて呟いた。

「困った事になった……」


「どんな問題ですか?」と、フランツが問う。


 フィリベルトは話したいのか話したくないのか、しばらく迷ってから、意を決したように小さな声で言った。


「グスタフ公は身体の調子が悪いのではなかった。気力の問題だ。それというのも……ヴィルヘルムがいなくなった」


 ギャレットは驚いてフランツを見た。彼もまた驚いた顔をしている。ギャレットがフィリベルトに問う。


「亡くなった、という事ですか?」


「いいや、部屋から姿を消したのだ。城にある金目の物を持ち出して……城を出たとグスタフ公は言っている」


 包囲されたこの状況下で――とは敢えて言わずに、ギャレットは疑問を口にした。

「城を出るって、どうやって出るんです?」


「グスタフ公から聞き出したのだが、ベッカー家の者しか知らない秘密の抜け道がこの城にはあるらしいのだ。部屋にヴィルヘルムがいないので、城内をベルントと二人で探したらしい。だが見つからず、もしやと思いその通路の入口を調べたところ、使われた痕跡があったということだ」


(なんてことだ……それがもし、皆に知られたら……)


 ギャレットは絶句した。敵に包囲された城から一人だけ抜け出すなど、騎士道に邁進していたヴィルヘルムとは思えない行動だ。


 今度はフランツがフィリベルトに尋ねた。

「この規模の城ならもしや、とは思っていましたが、その抜け道については父上もご存知だったのですか?」


「いいや。家令のベルントにさえ秘密にしていたようだ。知っていたのはグスタフ公とヴィルヘルム、それにアデリン陛下のみということだ。いや、まあ、ゴットハルトもだが……」


 フランツは腕を組んで唸った。そして顎に手を当て、少し考えた後に口を開く。


「ヴィルヘルムが城を抜け出したのはいつです」


「四日前の晩から、二日前の朝までのどこかだ」


 その答えを予測していたらしい口調でフランツは言った。


「ここ数日間で、帝国軍に変わった動きは見られませんでした。ヴィルヘルムは帝国軍には捕まらずに抜け出せたのかもしれません。もし捕らえられていた場合、その抜け道が敵に利用される可能性もありますから、抜け道についてグスタフ公に教えて頂いて見張る必要があります」


 フィリベルトはため息をついて額に手を当てた。

「グスタフ公の落胆ぶりは尋常ではない。そのような話をせねばならんとは……」


「必要なことです。父上」


 きっぱりと言い切るフランツに、フィリベルトも「わかっている」と頷いた。フランツは話を続ける。


「抜け道については、すでに知ってしまった人間以外にその存在が漏れぬようにせねばなりません。もし噂程度にでも知られれば、これから先の厳しい戦いの中でそこから逃げ出そうと目論む者は必ず出ます。グスタフ公の体調不良も秘密にしたいところですが無理でしょう。療養中という事にして、父上と私とで乗り切るしかありません。父上は抜け道について聞き出せたら私に教えてください。ギャレットに抜け道の中を調べてもらいます。ヴィルヘルムはまだそこにいるかもしれませんから」


 フィリベルトは「うん、うん」と乗り気ではないものの、フランツの案に同意を示した。ギャレットも異論はないというように頷く。最後にフィリベルトは息子に問うた。


「して、抜け道の中にヴィルヘルムがいなかったら、どうする?」


「どうもしません。今までどおり部屋に篭っているふりを続けるしかありません。探しに行くなんて無理です」


 フランツは怒りを滲ませて答えた。それはこの場にいる三人とも、そしておそらくはグスタフ公も、分かっていた事だった。

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