4.ギブリム ―盟約暦1006年、冬、第7週―

 ギブリムはランタンで周囲を照らしながら、第一区画中層を目指して下へ下へと進む。〈ドワーフの感覚〉が捉える、自分の歩く振動の伝わり方や反響、身体が押しのける空気の圧力などで周囲の状況はほぼ正確に掴める。自分たちの街の中はやはり落ち着く。


 地上で過ごす間、うっかり地面から足が離れた途端に空へ向かって落ちていく、という恐ろしい夢を何度か見た。もちろんそんな事はあり得ないと分かってはいるが、無意識に感じていた不安のせいだろう。


 実際、地下に入ってからは、そんな夢は見ていない。


 〈ドワーフの感覚〉があっても明かりを持っているのは、壁についた細かい傷や汚れなどは視覚に頼らなければ判別できないからだ。


 今いる第一区画上層は家や施設と、それを繋ぐ通路で構成されている。人間が想像する地下都市に近い構造だ。建物は全て扉が外されているので、通りすがりに中を覗くことができる。すべての部屋を調べて回っていると時間がかかり過ぎてしまうので、入口から中を覗き見る程度で先へと進んだ。


 灰色小人の痕跡が見つかれば駆除するつもりであったが、まだ見つかっていない。あの時アンサーラが止めなければ始末できたのに、と忌々しく思う。


 下へ向かう道は階段だけではなく、折り返しのある長い坂道などもある。折り返しから通路が出ている場所もあって、似たような景観が多く迷いやすい。


 幼い頃は第一区画で暮らしていたギブリムだが、上層まで来たことは記憶の中で一、二度しかない。地図無しですいすい歩けるほど詳しくは無かった。地図と標識を確認しながら進んでいる。


 灰色小人の住処も、それ以外の怪しいものも見つからないまま、ギブリムは梯子を伝って黒光りする冷えた溶岩に覆われた横穴へと下りた。溶岩は加工されていて、天井は半円状のアーチになっている。床は緩やかな階段状で、まっすぐ続いていた。前方から吹き込んでくる温かい空気に逆らって進むと、その先には幅一六フィート程の地溝があって橋が架かっている。


 この地中にある裂け目によって、第一区画は南北に分かれていた。


 上層では一六フィート程度の裂け目だが下へ行くにつれて広がり、第一区画中層では半マイルにも及ぶ。そこに架けられた大アーチ橋を北へ渡ると、地表に出られる門のある区画に出られる。門の先は〈世界の果て山脈〉の北側である。


 ギブリムが橋を渡っていると、下から空気の圧力が向かってくるのを感じたので手すりに掴まった。ごう、と音を立てて下から風が吹き上げてくる。アンサーラのような体重の軽いエルフなら飛ばされてしまうかもしれないほどの風だ。


(ここを渡る時は、注意してやらねば……ん?)


 吹き上げてきた風に乗って、か細い声のようなものが聞こえた気がした。


 手すりを掴んだまま耳を澄ます。再び風が吹き上がってきたので、今度は注意して聞いていると、やはり声が聞こえた。しかし、それがドワーフの声なのか、別の生き物なのかは判別できない。だが下に何かいるのは間違いない。


 ギブリムは橋を渡って北側の通路に出ると、少し歩を早めて、さらに下へと向かった。中層に行くには、再び北側から南側へと渡らなければならない。次の橋は広がっていく地溝の幅に合わせて一六四フィートの長さがある。


 その橋の上でもう一度、下からの音を聞き取ろうと耳を澄ませていると、甲高い鳴き声が聞こえた。ドワーフの声ではなさそうだ。


 すでに半日は歩き続けてきたギブリムだが、その声の正体を確かめるまでは休む気にはなれない。橋を渡りきって南側に戻り、湾曲した通路を小走りに進む。


 途中の部屋は無視し、がちゃがちゃと鎧の音を反響させながら走っていくと、前方に音が抜けていく場所があった。そこは中層の巨大地溝を上から眺望できるように作られた大きなテラスへ通じる出入口だ。


 テラスに出たギブリムは縁まで走り、転落防止用の高い手すりの間から顔を出して下を見た。


 半マイルもの幅がある巨大地溝は、ドワーフにとってもまさに暗闇でしかない。


 地溝の底までは二マイルもあるので、〈ドワーフの感覚〉でも反響を捉えられず空洞に感じるのだ。だが今は違った。地溝を横切る大アーチ橋に小さな松明の炎が点々と見え、それを持つ甲高いキーキー声の人型生物自身を照らし出している。


 大アーチ橋の上にいたのはコボルドの大群だった。


 身長はドワーフと同じかより低く痩せっぽちで、顔は犬のように前に長いが身体の一部は柔らかい鱗で覆われている。目は爬虫類のそれだ。裸という概念があり、小動物の毛皮を継ぎ合わせて全身を覆っているため、体毛があると勘違いする者もいるが実際には無い。人間の昔話などで犬人間のように語られる事があるのは、それが原因だろう。


 粗末な木の盾と、尖った何かを付けた手製の槍で武装している。中には古びた剣や手斧を持っているコボルドもいた。


 コボルドの大群は、横幅三〇フィートの大アーチ橋の上にひしめき合って円陣になっている。その中心には二人のドワーフがいるが、それが誰かまでは見分けられない。ギブリムはテラスからドワーフ語で叫んだ。


「おい、そこの二人! 南に向かえ!」


 何匹かのコボルドが上を向いてキーキー騒ぎ、ドワーフの一人がこちらを見上げた。ギブリムは通路に戻って、大アーチ橋を目指して走る。


 コボルドはそれほど危険な生物ではない。魔法も使えないし、手にした武器は原始的なものだ。ざっと見て二〇〇匹はいたようだが、それでもギブリム氏族の戦士なら切り抜けられるだろう。


 だからギブリムが走っているのはコボルドのせいではない。コボルドは他の爬虫類に似た生物に従っている事が多いのだ。例えばリザードマンである。


 直立して歩くトカゲかワニのような外見をしたリザードマンは見た目通り寒さに弱いが、〈世界の果て山脈〉で生活している部族も少数ながらいる。温泉の湧き出る温かい地下に生息している連中で、ドワーフとも衝突した事があった。


 リザードマンの皮膚は厚く鱗は硬い。独自の言語を話し、知能も高く、道具を使いこなす。原始的な魔法を使う者もいる。


 最も楽観的な考えはコボルド単独というものだが、最も悲観的な考えはリザードマン以外のものに従っている場合である。その場合、ギブリムが駆けつけたところで二人を助けられるかどうかは分からない。


 ギブリムは通路の先にある塔までやって来た。仕掛け扉を開き、第一区画中層へと下る螺旋階段に入るため、床に据え付けられた装置の取っ手ハンドルをぐるぐると回転させる。歯車が音を立てて回転を始めて、分厚い鉄の扉が軋みながら左右に開いていく。


 自分が通れる程度に開いたところで取っ手ハンドルを固定し、扉の間から螺旋階段へと飛び降りた。片足が階段の縁で滑って落ちそうになったが、踏ん張って耐え、階段を駆け下りる。


 中層に入って少しの間は上層と似た通路や階段が続く。しかし、あまり複雑ではないので〈ドワーフの感覚〉を頼りに駆け抜け、大アーチ橋に続く廊下に出た。


 この廊下は幅六〇フィート、高さ三〇フィートの広さがあり、第一区画中層の玄関口にあたる場所だ。見事な彫刻が施された柱が等間隔で並び、天井のアーチを支えているように見える。中層南側の各地区へと続く通路の入口が柱の間に並び、それぞれに識別記号が刻まれ、案内標識もあった。


 まだ第一区画にドワーフが住んでいた頃、ここに露店が並んでいたのをギブリムは覚えている。今はすっかり撤去され、痕跡も残っていない。


 その代わりに今は、ゴミやガラクタとしか思えないものが所々に散らばっていた。コボルドたちの持ち物だろう。リザードマンがいるなら、ここに住居を作ってもおかしくないが、そのようなものは見当たらない。


 ギブリムは嫌な予感がして、足を速めた。

 前方に大アーチ橋へと続く門が見え、その向こうにひしめき合うコボルドと松明の灯りが見える。


 がちゃがちゃと鳴る鎧の音が廊下の中を反響して大きな騒音になっているので、コボルドたちはギブリムの接近に気付いていた。集団の一部がギブリムを迎え撃つつもりか、振り返る。


 走り続けてきたせいで、さすがに息が切れていた。それでも、激しく呼吸を乱したまま魔法のハンマーを呼び出してコボルドの群れへと投擲する。


 走ってきた勢いそのままに投擲されたハンマーは唸りを上げて飛び、コボルド三匹をバラバラにして即死させ、その向こうにいた何匹かに重傷を負わせた。さらに数匹のコボルドが跳ね飛ばされて橋の上から放り出され、甲高い悲鳴を上げながらハンマーと一緒に地溝へと落ちていく。


 ギブリムは足を緩めながら、今度は魔法の槍を召喚した。ハンマーの威力に驚いたコボルドが粗末な盾を構えて防御の姿勢を取る。しかし、そんなものは無意味だ。


 大きく息を吸って全身の筋肉を緊張させ、ギブリムは助走をつけて槍を投げつけた。盾の有無に関係なく五匹のコボルドが串刺しになって倒れる。それを見て恐れおののいたコボルドが後退したせいで、端にいたコボルドは半身を橋の外に押し出されて悲鳴を上げる。コボルドたちは愚かにも密集しすぎていた。


 囲まれていたドワーフも、コボルドの壁の向こうで戦っているようだ。南側――ギブリムのいるほう――に向かって来ている。


 ギブリムは斧槍ハルバードを召喚して両手で構えると、息を整えながらのっしのっしと前進した。


 敵を包囲していたはずのコボルドたちは、いつの間にか挟撃されている事に気付いたのか、混乱している。武器を捨てて命乞いする者や、北側に逃げ出す者も出始めた。味方に突き飛ばされて橋の手すりに乗り上げ、そのまま落ちてしまう不運なコボルドもいる。


 向かってくるコボルドを、まるで草刈りのように薙いでいると、二人のドワーフの姿が見えるようになった。


 一人はギブリムと同じバン家のブリンだった。最後に会った時はまだ家名を名乗っていなかったが、胸当てブレストプレートにバン家の紋章をあしらっている所を見ると、家名を名乗る事を許されたようだ。


 もう一人は紋章からボルド家の者だと分かる。


「ヴァルデン!」


 二人のドワーフはギブリムの姿を認めて声を上げた。しかし、安堵した様子ではない。二人は深刻な表情のまま、コボルドを蹴散らしつつ合流してきた。


 コボルドたちはもうほとんど総崩れという有様で、向かってくる者は少ない。


 ギブリムは斧槍ハルバードを消して、投げたままだったハンマーを呼び戻した。若いバンはそれを尊敬の眼差しで見ながら、息を弾ませて言う。


「もうここは通り過ぎたものと思っていました」


 なんと答えるべきか分からず、ギブリムは思わず言葉に詰まる。

 ボルドが真剣な表情で続いた。


「しかし、これは〝やつ〟を仕留める好機かもしれません。ヴァルデンがここにおられるという事は、竜騎士も一緒ですな。竜騎士の武器なら、〝やつ〟に通用するやも――」


 その時、凄まじい咆哮が響いて橋とその上にいる生き物たちを揺さぶった。


 聴覚だけでなく、〈ドワーフの感覚〉で空気の振動をも感じ取るドワーフにとっては二重の威圧感である。それでギブリムは、これが〝最悪の場合〟だったと知った。


「とにかく、橋の上はまずいです!」


 バンの言葉を合図に、三人のドワーフは南に向かって走り出す。だが、咆哮を聞いたコボルドたちは忠誠心を――あるいは恐怖心を――思い出したように三人の進路を塞ぐ。


 ボルドは戦闘用つるはしウォーピックの平らなほうでコボルドの頭を潰して、ギブリムに問うた。


「竜騎士は近くまで来ているのですか!?」


「いいや」と、ギブリムは首を横に振る。


「最後の竜騎士は戦士ではないのだ」


 ギブリムの言葉に、バンが「えっ!?」と素っ頓狂な声を上げる。


 地溝の下から翼を広げた巨大な怪物が向かってくるのをギブリムは感じて、廊下に逃げ込むのは間に合わないと悟った。盾を召喚して近くにいたコボルドを叩き殺すと、ハンマーを頭上で回転させ、怪物が頭を出す瞬間を待つ。


「ヴァルデン、ダーガと戦う気ですか!?」

 バンが驚きに声を上げる。


 ギブリムは答えなかった。その行動を見れば、言葉にせずとも分かるはずだからだ。


(ランスベル……俺は戦うぞ)


 心の中でそう呼びかけ、そして赤黒い影が橋の下から飛び出した瞬間に、その先端――頭部――を狙ってハンマーを投げつける。あらゆるものを粉砕してきた恐るべきハンマーは正確に、巨大な怪物の頭部を捉えていた。


 怪物は爬虫類を思わせる大きな目でハンマーを見て、首をかしげて頭部から伸びる長い角で受ける。


 がぁん、という大きな音がしてハンマーは弾き飛ばされた。衝撃に、怪物の長い首の先にある頭が左右に振れる。


 形だけ見れば蝙蝠に似た巨大な翼を羽ばたかせ、長い尾を振ってバランスを取りながら、ドラゴンそっくりの怪物はドワーフたちの頭上で身を翻した。


 〝ダーガ〟あるいはエルフが〝ワーム〟と呼ぶその怪物が何なのか、ドワーフたちは知らない。心を失ったドラゴンだという者もいる。その見た目も強さもドラゴンとほとんど変わらないからだ。ドラゴンのように高度な竜語魔法は使わないが、炎を吐いたり、空を飛んだりといった竜語魔法を本能的に使いこなす。


 会話するような知性はないが個性はあり、光る物や美しい物を蒐集する個体や、とにかく食い物を食い漁る個体もいる。共通しているのは、際限なく何かを求める欲望に突き動かされているという点だ。そういう意味では野生の獣と変わりない。


 ハンマーを投げたのがギブリムだと分かったらしく、ダーガはギブリムに向かって咆哮を上げて突っ込んできた。


「離れていろ!」


 聞こえているかどうか分からないまま、ギブリムは二人の仲間に呼びかけると、前方に頭から飛び込んだ。床の上でごろんと前転する間に背後を巨大なものが通過して行き、立ち上がって振り返ると、さっきまでギブリムがいた場所のコボルドが何匹か消えていた。見上げれば、ダーガの口の中で鋭い歯に貫かれている。


 ギブリムは橋を北に向かいながらハンマーを手元に呼び戻した。ダーガと戦うのは初めてだが、ハンマーの直撃で鱗を剥がすなり砕くなりできれば、そこに武器を突っ込んで倒せるはずだ。


 巨大な地溝は、ダーガの巨体でも飛び回るに十分な広さがあった。


 上空で方向転換するダーガを見ながら、血のような赤色だなとギブリムは思う。そして再び向かってくるタイミングに合わせるため、頭上でハンマーを回転させ始めた。


 ダーガは再び、その顎にギブリムを捉えるべく急降下して突っ込んでくる。


(一瞬の機会を逃さず……ぎりぎりまで待って……今だ!)


 かっと目を見開き、渾身の力を込めてハンマーを投げる。


 ダーガの眉間にハンマーが直撃し、大きな衝突音を響かせて弾かれるのを横目に見ながら、橋の上をごろごろと転がってダーガの顎を避けた。


 完璧なタイミングだった。怪物は頭を下にして地溝の底へと落ちていく。


「やった、すごい、すごいです!」

 少し離れた所からバンの声がした。


 まだ橋の上にいるのかと思いつつ、橋の手すりから下を覗き込む。


 渾身の一撃だったが、ダーガは仕留められなかった。翼を広げて風を掴み、橋を潜って反対側に回りながら上昇を始める。ダーガの喉がブーンと振動しているのにギブリムは気付いた。


 ボルドが、ギブリムの言いたい事を代弁して叫ぶ。

「いや、まだだ。下がれ、バン!」


 胸から喉まで膨らませたダーガが、橋の上に再び飛び出して来た。鱗の間が真っ赤に輝いている。ギブリムは盾を構えて、大地の力を身に纏い、息を止めた。


 ダーガの吐き出した炎の息が業火の奔流となって橋の上を舐め、まだそこにいたコボルドたちを巻き込んでギブリムを焼く。


 業火が過ぎ去った後、そこには不気味な形をした黒い炭が散らばっていた。コボルドたちの成れの果てだ。その中でギブリムは一人だけ立っていた。


 人間の魔術師が放った雷撃にも傷一つ負わなかったギブリムだが、ダーガの炎を受けて全身から煙を上げている。がっくり膝を付くと、髭の焦げる嫌な臭いがした。


 魔法の兜が無かったら死んでいただろう。顔を上げると、ダーガは空中で身をくねらせて次の攻撃のために体勢を整えている。


(負けてなるものか)


 ギブリムは歯を食いしばって立ち上がった。


(竜騎士の武器があれば……〈竜の――〉、いや駄目だ。あれは戦うための武器ではない。まるでランスベルと同じ……待て、考えるのは後だ。もう一度、ハンマーだ)


 頭を過ぎった剣の事は忘れてハンマーを呼ぶと、右手がその柄を掴んでいた。手を緩めてハンマーを落とし、柄に付いたストラップを掴んで頭上に振り上げる。


 ハンマーを回転させながら敵を見据えた時、空中で羽ばたくダーガが自分を狙っていない事に気付いた。振り返って叫ぶ。


「逃げろ、二人とも!」

 声は擦れて、思ったほどの声量は出なかった。


 バンとボルドは、ギブリムを助けるつもりなのか、走って向かって来る。二人の背後にダーガの顎が迫る。


「避けろ!」

 ギブリムは叫んだ。


 空気の振動も察知できるドワーフには実際のところ死角がない。視界の外、例えば背後から迫ってくるものも分かる。だからバンもボルドも左右に分かれて横転した。ダーガの巨体が橋の上を通り過ぎ、黒焦げになったコボルドの死体を巻き散らして上昇していく。


 橋の手すりに激突してボルドは呻いたが、反対側に転がったはずのバンの姿は無い。狙いは彼のほうだったのだ。


「ブリン!」


 ギブリムの叫びは、頭上を通り過ぎるダーガが巻き起こす風のうねりにかき消された。見上げると、バンの姿が鋭い剣のような歯の間に見える。ドワーフが作った鎧と魔法の力に守られてまだ生きている。


 メキメキと音を立てながら、閉じようとしている口。そして苦痛に顔を歪めるバン。心をかすめる無力感――その瞬間、ギブリムの怒りは鬱積した感情と共に爆発した。


 盾を投げ捨て、ハンマーを投げる。ハンマーはダーガにかすりもしなかったが注意は引けたようだ。ダーガは捉えたバンをゆっくり飲み込むつもりか、ギブリムの攻撃を避けて橋の下を潜ろうとしている。


 ギブリムは橋の手すりに足をかけると、ダーガが下を通過する瞬間を見計らって飛び降りた。ボルドが驚きに声を上げる。


 ギブリムはダーガの頭上に落下した。振り落とされないように手を伸ばして鱗を掴む。鱗は鋭く、指を守る黒鋼の装甲にさえ食い込み、血が流れた。


 だが、そんな事はお構い無しに這い進むと、戦闘用両手鎌サイズを召喚して湾曲した鋭い刃をダーガの右目に引っ掛けるようにして突き刺す。


 初めて、ダーガが痛みに悲鳴を上げた。


 頭をめちゃくちゃに振り回しながら上昇してギブリムを振り落とそうとする。ギブリムは戦闘用両手鎌サイズの柄を掴んで耐える。


 頭を左右に振りながら悲鳴を上げるダーガの顎からバンが転げ落ちた。それに気付いても、どうしようもない。


 しかし、バンは幸運に恵まれていて、ボルドは何が起こるか予測できていた。落下するバンの腕をボルドが左手で掴んだのだ。右手は橋の手すりを掴み、右足は縁にかけ、身を乗り出している。


 怒りに目が眩んだギブリムはその様子を見ていなかった。戦闘用両手鎌サイズの柄をよじ登るようにして右目に近付き、手を振り上げ、両刃の斧ウォーアックスを召喚する。


 そして、斧の刃をダーガの右目に打ち込んだ。


 再び狂わんばかりの悲鳴が上がり、それを聞いてギブリムはニヤリと残忍な笑みを浮かべ、二度、三度と斧をダーガの目に打ち込む。薄くて硬い透明な膜に覆われているダーガの目はズタズタになり、悲鳴は絶叫に変わった。


 ギブリムはそのままダーガの目をくり抜き、頭蓋の中に腕でも頭でも突っ込んで脳をかき出してやるつもりで、両手の武器を動かす。


 ダーガは怒り狂ったドワーフを振り落とそうとするかのように、ぐるぐる回転しながら急上昇していく。地溝の天井が迫っているのにまるで気付いていないようで、速度を落とす事もしない。そのままギブリムもろとも天井に激突した。


 その衝撃でギブリムは振り落とされ、ダーガも意識を失ったか落下し始める。真っ逆さまに落ちていくダーガの太い尾が偶然にもギブリムを打ち、ドワーフの身体を橋から遠く跳ね飛ばした。


「そんな! ヴァルデン!」

 ボルドの叫び声が地溝に響く。


 ギブリムはただ、地溝の底へと、何も無い暗闇の中へと、落ちていくのみであった。

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