13.ジョン ―盟約暦1006年、秋、第7週―

 帝国兵をきつく縛り上げると、ジョンは立ち上がって捕虜を見下ろした。気絶しているので無防備に喉を見せている。


 ジョンには今すぐにでも、喉を切り裂いてやりたいという衝動があった。それは格闘した後の興奮でも、殴られた怒りでもない。この帝国兵がロクスを殺したやつかもしれないと思うと、憎しみが沸いて来るのだ。


「ジョン、どした?」


 エッドに声をかけられて、ジョンは暗い気持ちから目を背けて振り向いた。


「なんでもないよ。それより隊長たちは?」


 ジョンが聞き返すと、エッドは親指で外を指す。その先には、何故かこの家の娘とフランツ、ギャレットの三人が立っている。


「なんであの子がいるんだ?」


 エッドは肩をすくめた。そりゃそうだな、とジョンは思った。


 ギャレットは娘を優しく、その場から引き離そうとしていたが娘はそこにあるものを見ようと抵抗していた。そのうちギャレットは優しくするのを諦めたのか、乱暴に力ずくで娘を引っ張って倉庫のほうへ戻ってきた。フランツもその後に付いてくる。


 三人が戻って来たので、倉庫の前で全員が合流した。エッドが申し訳なさそうに、ギャレットに言う。


「この子が向かって来るの、上から見えたんですが、止める方法も知らせる方法もなくて……」


「いや、仕方ない。それよりここから離れよう……あっ」


 ギャレットの隙を突いて娘は彼の腕から逃れ、戻ろうとしたが、フランツが壁のように立ち塞がり娘を身体ごと受け止めた。


「あの遺体は我々でなんとかする。君はもう見るな」


 兜の中から響くフランツの声は感情を押し殺しているように聞こえた。

 娘は泣くでもなく、ただ生気のない目でその場にくたりと座り込む。


 家族が殺されるってどんな気分なんだろう――ジョンは娘の背中を見ながら思った。脳裏を過ぎるのはロクスの笑顔だったが、ロクスは家族ではない。そもそも友達ですらない。ただの同僚、というのが最も正しい表現だ。


 ギャレットはフランツと二人で後始末をすると言い、ジョンには娘と捕虜の監視を指示して、エッドには周囲の警戒を任せた。


 すぐにここを離れるべきなのはジョンでも分かる事だ。以前のギャレットなら、遺体など放っておいただろう。実質的な指揮官――傭兵風に言えば雇い主――はフランツなので、フランツの考え方に従うのはおかしな事ではないのだが、最近のギャレットはどこか昔と違うように感じる。


 ジョンは命令通りに動いて、娘の手を引き母屋に向かった。この頃には捕虜も意識を取り戻していたが両手両足とも縛ってあるので、ジョンはエッドに手伝ってもらい、母屋まで引きずって玄関に放り込んだ。


 それで母屋の玄関には、のせいで唸り声しか上げられない捕虜と、一言も話さない生気のない娘と、ジョンの三人だけになった。


 うーうー、と声を上げる帝国兵への苛立ちを紛らわせようと、ジョンは娘に話しかける。


「お前、名前は?」


 しかし、娘は無反応だ。


「隊長が……あ、フランツじゃないほうだけど、持って行きたい物があったら用意しておけってさ。ここにはしばらく戻って来られないからって」


 まるでジョンの独り言のようになってしまっている。


「故郷の思い出になるようなもんとか、何かないわけ?」


 話しかけても、娘はジョンを見ようともしない。


 駄目だな――と、ジョンは肩をすくめ、話しかけるのをやめて立ち上がった。そして、ずっと唸り声を上げている捕虜に近づく。腰から短剣ダガーを抜き、おもむろに片手で捕虜の瞼を押し上げて眼球に刃先を突き付ける。


「おい、黙れよ。殺すなとは言われてるけど、いろいろやり方はあるんだぜ。俺は元〈みなし子〉の傭兵だ。意味わかるよな?」


 相手が理解できるようにと帝国語で脅したので、捕虜はそれきり静かになった。


 満足してジョンが椅子に座りなおすと、ふと視線を感じた。娘がジョンを――というよりジョンの短剣ダガーを――見ている。娘は視線を逸らして立ち上がり、どこかに行った。何を考えているのやら。ジョンは何も言わずに窓の外へ目をやった。


 日が暮れて夜の闇に包まれる頃になってやっと、全ての後始末が済んだ。捕虜はギャレットが自分の馬で運ぶと言い、ジョンは娘を乗せていく事になった。結局、娘が持ち出したものは短剣ダガー一本だけだ。


「それだけでいいのか」


 ギャレットが訊ねると、娘は無言で頷いた。


 農場の外まで馬を進めてから、エッドが馬を下りて用意した火矢に火をつけて放つ。二本、三本と打ち上げた火矢は農場の倉庫に突き刺さり、やがて火の手が上がり始めた。メラメラと燃え始めた倉庫を生気のない目で見つめる娘に、フランツが釈明する。


「すまない、娘。状況を理解して欲しい。だが、君のご家族の遺体が何かされる事はもうない。いずれこの地に戻った時、正式な埋葬をすると良かろう」


 そういえばロクスの死体もまだあそこにあるのだろうか――ジョンはなんとなく思った。命の恩人だし、探せるようになったら探してやるくらいはしよう。サラとララもそれを望むはずだ。


 ふと振り返ると、娘は大きくなり始めた炎を見ていた。燃え盛る故郷を見て、娘が何を思ったのかジョンには分からない。だが炎を映す瞳には、何か心惹かれる輝きのようなものがあった。


 ジョンたちはそれからしばらく移動を続け、適当な場所を見つけて野営した。あれだけの騒ぎがあっても、帝国軍の他の部隊は姿を見せないので、近くにはいないだろうという判断である。戦いもあって疲れていたので、小さな火を起こして食事を取ると、ギャレットとエッドはすぐ横になった。最初の見張り番はフランツとジョンの二人だ。


 フランツはジョンに対してよそよそしい所があり、普段から雑談などする間柄ではない。時々、フランツは何かを話そうとするのだが、「……いや、なんでもない」と自分で勝手に話を打ち切ってしまう。


 だから二人だけの今も、フランツは無言で小さな火を見つめ続けている。目を離したら消えてしまうのではないかと思っているかのように。


 ふいに、小さな火の灯りの中に娘が現れてジョンはぎょっとした。まるで気配を感じなかった。娘は闇の中から現れた亡霊のように、焚き火の灯りに照らされて立っている。そしてフランツの前に立ち、小さなかすれ声で「領主様にお願いがあります」と言った。


「領主と呼んでも差し支えないが、私はまだ正式に領地を継いだわけではない。フランツ卿と呼びなさい。それからまず自分の名前を名乗ることだ」


 フランツは優しくそう言った。


「私はクララです。フランツ卿。私を兵士にしてください」


「君を? なぜ?」


 フランツの声は驚きのために少し高くなった。答えるクララの声は変わらない。


「剣と弓を教えて下さい。乗馬は少しできます。理由を話す必要がありますか?」


 ぼんやりした灯りに照らされたクララの横顔は生気が無く死者のようであった。しかしその瞳には黒い炎が宿っているように、ジョンには思えた。


 フランツは首を横に振り、答える。


「復讐したいのなら、その必要はない。君に代わって我々が成した」


「足りません」


「なに?」


 クララは横になっている捕虜を冷静な、しかし黒い炎の瞳で見下してからフランツに向き直った。


「帝国兵を皆殺しにしたいんです。一人でも多く殺したいんです。それができないなら、私が生きている意味なんてありません」


 フランツは動揺しているのか、即答できずに娘の顔を見返している。

 ジョンもまた、クララの言葉になぜか心を動かされていた。たぶんフランツとは違う意味で、だ。


「……若い娘がそのような事を言うものではない。今は休んで、まずは落ち着きを取り戻しなさい」


「私が取り乱しているように見えますか。ちゃんと考えた結果です」


 クララは引かない。フランツはため息をつく。


「見えるさ。普通ではないよ。さあ、横になりなさい」


 反抗するかに見えたクララは、黙ってフランツの言葉に従った。地面に敷いた毛布まで戻ると、横になって身体を丸める。背中を向けているので顔は見えないが、たぶん寝てはいないとジョンは思った。


 それから何事もないまま、無言の時間が過ぎて行った。木々の間から見えていた月が完全に隠れてからしばらく経つ。交代の時間も近いなとジョンは思った。フランツを見ると、小さな火を見つめた姿勢のままで目を閉じている。


(まあ起きていたとしても、見張りとして役に立つかどうか分からないしな。何かあったら、最初に起こせばいいだろ)


 そう考えてジョンはフランツを放置し、自らも両腕を乗せた膝と膝の間を見下ろすような姿勢で固まった。夜の森の中では視覚以外に頼ったほうがいい、と教えられたとおりに耳を澄ます。


 少しして、微かな物音がした。ジョンは動かないまま全身を耳のようにして気配を探る。クララが寝床から起き上がり、ゆっくりと灯りの中に忍び入ってきた。フランツの前を通り過ぎ、ジョンの前を通り過ぎる。足音を立てないようにゆっくりと、気配を殺している。


 ジョンは顔を伏せたまま、目だけ動かしてクララの姿を追った。その娘が何をしようとしているのかは分かっている。止めるべきだと分かっている。しかし、なぜか見届けたいという気持ちに縛られて身体が動かない。


 クララは捕虜にした帝国兵の前に立った。手にした短剣ダガーを逆手に持ち、両手で振り上げ、躊躇いなく振り下ろす。


 帝国兵が悲鳴を上げた。

 その声でギャレットとエッドが飛び起きる。フランツもハッとして顔を上げた。


 三人が動き出すまでに、クララは二度、三度と帝国兵を刺した。血が噴出し、返り血に赤く染まる。そして四度目に振り下ろそうとした手を、フランツが掴んだ。


「何を……何をしている!?」


 ジョンはずっとクララを見ていた。帝国兵に短剣ダガーを振り下ろす間、クララは声を出さずに笑っていた。その横顔と瞳に宿る炎に、ジョンは胸の高鳴りを意識せずにはいられなかった。


 それは、たくさんの人間が殺しあう様を見て育ち、殺し合いの中を駆け抜けてきた少年時代に感じた胸の高鳴りにも似て、まるで故郷に戻ったような懐かしい気持ちになる。


 そしてクララこそ、自分を解き放ってくれる存在だと確信した。


 フランツに腕を掴まれた時、クララは返り血で顔を半分染めながら、無邪気な笑顔をしていた。その顔を見てフランツは明らかに動揺し、腕を放して後退る。


「放すな、フランツ!」


 ギャレットが叫んだがもう遅い。クララは素早く踵を返して、木立の暗闇の中へ駆け出した。ジョンは衝動に突き動かされて跳ねるように立ち上がると、クララを追って走る。後ろでギャレットが何か言っていたが、ジョンは聞いていなかった。


 明かりのない夜の木立の中を血まみれの娘が駆けて行く。ジョンは彼女を追って走る。


 やがて追いつき、血に塗れたその手を取った。振り払おうとするクララの手をますます強く握りしめ、息を弾ませてジョンは笑顔で言った。


「行こう! このまま!」

 そしてジョンは、クララの手を引いて闇の中へと駆けて行った。




〈次章へ続く〉

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